1-13 アールの酒場
来店を告げる鐘の音が鳴る。
俺は半端な灯りをつけていて薄暗い店内へと、サラを連れて入っていった。
カウンターの奥でグラスを拭く髭面の中年男性が、俺を見てぴくりと眉を動かす。
「……そういえば一週間ぶりぐらいかね?」
「かもな」
迷宮下層への遠征で六日ほど留守にしていたので、しばらく来ていなかった。
「死んだのかと思っていたぞ」
「冗談はよせ」
肩をすくめると、髭面の中年男性――アールはフッと笑った。
「冗談のつもりはないがね。いつからか姿を見せないと思ったら、死んだという噂が流れてくることは多々ある。冒険者という職業はそういうものだ」
「だとしても、それを口にするのは趣味が悪いな」
「今更だ。俺の趣味が悪いことなど、君は何年も前から知っているはずじゃないかね……それにしても」
アールの視線は、俺の傍らに佇むサラに向けられる。
「可愛らしいレディだ。君の新しい恋人かね?」
宿屋の店主といい、みんなこの手の質問が好きだな……。
段々否定するのが面倒臭くなってきたのもあり、俺は適当に答えた。
「そうだと言ったら?」
「おや、意外と君も隅に置けない男になったらしい」
「え――ええぇ……!?」
するとサラが顔を赤くして、びっくりしたように俺を見ていた。
そんな声を出すほど嫌だったのか。申し訳ないことをしたけれど、それはそれでちょっと悲しい俺だった。
「まあ冗談はともかく、空いてる席に座ってくれ」
「何だその俺に恋人などいるわけがないとでも言いたそうなセリフは」
「実際そうだろう。君のような危なっかしい男の世話をしてくれる女性なんて、それこそ聖人か何かだと思わないかね」
「やかましい」
顔をしかめて返答したけれど、何だか妙な納得感があるのは悔しいところだった。
これ以上の問答は自分を追い詰めるだけになるような気がしてきたので、俺は意識を切り替えて店内を見回す。
空いている席を探したが、思ったよりも少なかった。
つまりは客が多いということだ。
「ちょっと来ない間に客が増えたな。前は俺と一人いるかいないかぐらいだったろうに」
「さてな、俺の料理の腕が広まったんじゃないかね」
アールはいつもと比べて若干忙しそうだった。
それもそのはず。この広くはない店内に客が五、六人ほど滞在しているのだから。
夜の酒場としては客入りは少ないけれど、給仕などを雇っているわけでもないのでアールの仕事量は多い。
「君はいつものメニューでいいだろう? そちらのレディは?」
「え……と」
サラはレディ扱いされて若干照れているらしい。
俺はそんな彼女を横目に、とりあえず定食を三人前注文した。
「は……?」
俺が少食であることを知っているアールは目を丸くした後、サラに再び目を向けた。
どうやら早々にレディ扱いは解消されそうな予感だった。
なおサラはその事実には気づいていない。
ともあれ俺はそんなアールを横目に、サラを連れてテーブル席に座った。
サラは対面に腰掛け、料理をウキウキで待っているようだった。
「ご飯~♪」
楽しみにしているところ悪いが、ちょっと混んでいるから料理が来るのは遅くなりそうだ。
窓の外を覗くと、夜空は雲が覆っていて星も出てない。
路地裏のつまらない風景でも眺めながら料理を待っていると、そこで来店を告げる鐘の音が鳴った。
本当に、よく客が来るようになったものだ。
まあアールも頑張っているわけだし、そろそろ報われても不思議ではない。
そんなことを考えていた俺の思考は、扉を開けた少女がたなびかせる炎のような赤い髪を見て、驚きに染まった。
赤い髪をポニーテールに結んだ少女は、店内をぐるりと見渡すとフンと鼻を鳴らす。
「――小さい店ね。料理が美味しいという噂は、本当なのかしら?」
「エル。君の素直さは美徳だが、時に人を傷つける無神経な刃にもなる。気をつけなさい」
続けて姿を見せたのは、この店に似合わぬ優雅な雰囲気を全身に纏っている金髪碧眼の青年だった。
「……」
そして最後に、痩せ細った暗い雰囲気の中年男性が無言で彼らの後ろに続く。
エルとディートリヒ、そしてアルダス。
三人とも、数日前まで俺とパーティを組んでいた『勇気あるもの』のメンバーだった。
「分かったわよ……ごめんなさい」
エルは何だかしょんぼりした様子で謝り、ディートリヒはいつものように薄く笑いながら頷く。
「分かればいいんだ。ああ――すみません店主さん、入れますか?」
「う、うむ……では、そちらの席へ」
アールが手で示したのは、カウンター席だ。
それも窓際のテーブル席に座る俺たちと、ちょうど通路を挟むような位置。
アールは俺が『勇気あるもの』を追放されたことを知らない。
空いている席が少ないのもあるけれど、おそらく気を利かせて近くにしてくれたのだろう。
指示された席に座ろうとしていたエルが、その足を止める。
俺の存在に気づいたからだろう。びっくりしたように、俺を凝視している。
無視するのも何なので、俺は軽く手を挙げた。
「……よう」
「ロイド……」
エルの後ろにいたディートリヒも当然、俺の存在に気づく。
「おや――ロイドじゃないか。その娘が、例の新しいパーティメンバーかい?」
「情報が早いな」
「いわゆる一流に分類される冒険者たちの情報は、積極的に仕入れるようにしているんだ」
「皮肉か?」
「いいや――本心だよ。君は一流の支援術師だ。僕は今でも君を評価している。追放はレックスの判断だ」
「……フン。そんな奴のどこを評価してるのか、あたしには分からないけどね」
エルは鼻を鳴らしてカウンター席に座り、俺に背を向ける。
対してディートリヒは席に腰掛けつつも体は俺の方に向けていた。
相変わらず、何を考えているのかいまいち分からない男だ。その薄い笑みから心情を見通すことはできない。
アルダスは数秒だけ俺を見つめると、興味を失ったように目を逸らして席に座った。
エルは肩越しにサラを一瞥すると、忠告のようなセリフを投げる。
「あんたも気をつけなさい。その男は――もう、冒険者なんかじゃないわよ」
「――ロイドを、バカにしないで」
そこで口を開いたのはサラだった。
強い語調で言葉を放ち、エルを睨みつけている。
「なっ……」
まさかド新人のサラに喧嘩を売られるとは思わなかったのか、エルは唖然としている。
ディートリヒは面白そうにニヤニヤと笑っていた。
「ど、どうしたかね……? 何だか妙な雰囲気だが……?」
そこでアールが困惑しつつも、俺が頼んだエールとサラへの水を持ってきた。
「悪いな」
俺はそう言ってエールを受け取り、一口で半分ほどまで飲み切る。サラが驚いたように俺を見ていた。
そうでもしないとやっていられなかった。
そんな俺をよそに、エルたちはアールに夕食と酒を頼んでいる。
そしてアールが再びカウンターの奥へ引っ込むと、静かになった店内でディートリヒが口を開いた。
「――君の支援術がなくなって、エルは苦労しているよ」
「な……!?」
エルはディートリヒの言葉を受け、びっくりしたように口を開ける。
「ちょっと! そんなわけないでしょ!? このあたしが――」
「その程度は見ていれば分かる。仮にも仲間だろう? 君がロイドの穴を埋めようと苦心していることぐらいは、見抜けない方がおかしい」
「……何なの」
ギリ、とエルは歯を噛み締める。
知られたくない事実を、一番知られたくない男に知られたような様子だった。
「そうでしょ。ロイドはすごい支援術師なんだから」
サラはディートリヒの言葉を聞き、誇らしそうに胸を張った。
その言葉は正しいと言いたげに頷いたディートリヒは、しかし俺の瞳を見据えてこう告げた。
「けれど、それでもね――僕は、レックスの判断は正しいものだと思っている」
言葉の意味を測りかねたのか、サラは眉をひそめる。
凍り付いたような店内の雰囲気を溶かすように、俺はため息をついた。
「……そうか。俺の支援は必要ないと?」
「いいや……そんなことはない。君は僕が知っている中で最高の支援術師だ。できるならパーティにいてくれた方がいいに決まっているさ。できるなら――ね」
「……」
無言の俺に、ディートリヒはカウンターのアールから手渡されたワインを受け取りながら、
「――僕たちは地下四十七層を超えていくよ。君の力がなくとも、『愚者の王』と同じように」
「本当に、行けると思っているのか?」
「思っているさ。僕たちは君に頼り切りだったあの頃とは、もう違う」
お互いを斬りつけるかのような俺とディートリヒのやり取りに、サラが口を挟む。
「だとしても、ロイドがいた方が、パーティは強いんでしょ? それなら、どうして……?」
カラン、とグラスの氷を揺らす音が鳴った。
口を開いたのは、それまでずっと黙っていた『勇気あるもの』のサブリーダー、アルダスだった。
「――それよりも優先すべきことがある。それだけのことだろう」
アルダスはそこでようやく、俺にその翠色の瞳を向ける。
まるで、俺を諭すかのように。
「ロイド。お前も――本当は気づいているんだろう?」
だとしたら、何だというのか。
俺はジョッキに半分ほど残っていたエールを、何かを誤魔化すかのように飲み干した。
そんな俺を、サラはじっと眺めていた。




