6、黒髪の人魚
妹さんがいなくなってからの幸斗は、真白が不安になるくらいじっと小夜が遊んでいたはずの場所を見つめていた。そして、いつまでも動かないからと真白が声をかければ、体をこわばらせる。その戸惑いにどうしたらいいのかも分からない真白は、あっち探してきますね、とだけ言い残して幸斗のそばを離れる。何度目かに振り返った時にはいなくなっていたから探しにいったのだろう。それだけ大事なのだと、真白は探す歩みを早めた。
屋敷から降りた砂浜は屋敷から離れるほど低くなる岩肌に囲まれていて、けれど町の方まで長く続いている。木も花も鳥も、皆町に近い方が多い。
反対に、屋敷側は坂の方に草花が多く、砂浜に降りれば見えずらい場所に洞窟のようなものがあるくらいだった。短いから早く終わるだろうと最初にこっちに来た真白は、崖の隅に隠れるようにして広がる空洞を見つけて嫌な予感を覚える。
(誰か、いる。妹さんじゃない声。……歌、を歌ってる?)
そっと慎重に下りて行けば、それが女の人の声だと分かった。鈴みたいに透き通っていて、水が染みこむみたいに潤いのある声。ずっと聴いていたいと思わせるような、優しい歌声だった。
空洞の中を覗けば、磯の臭いに眉を寄せ、そして思いの外明るい事に気付いた。崖の壁に空いた幾らかの穴から光が射しこんでいるよう。暮れが近いのか、億の方も光で満たされていた。その光に照らされて、綺麗な黒髪を揺らす小夜と、その傍の岩に腰掛けて小夜の頭を撫でている女性がいた。
「小夜さ――」
その女性を見て息を呑む。小夜と同じ滑らかな漆黒の髪は腰まで届いていて、ゆるやかに波を作っている。突然入ってきた真白をまじまじと見る大きな黒の瞳も、その上を縁取る長い睫毛も、ガラスみたいに繊細で触れたら汚してしまいそうな美しさだった。惜しげもなくさらされる陶器のような上半身は、ついさっきまで泳いでいたのか水が滴っていて、胸のあたりを紫色の大きな貝殻で覆っていた。そして、岩に腰掛けている先は海水に浸かっていて、人間で言えば足の付け根くらいまでしか見えなかったけれど、そこには紛れもない鱗があった。
(にん、ぎょ……)
人間にはあるはずのない、鮮やかな天色の鱗。それが揺れて、水がぱしゃん、と音を立てた。
「あ、真白お姉さんだ」
小夜が真白に気付いて振り返る。何かをされたわけでもない様子にホッとしながらも、目の前にあるものが真白には信じられなかった。胸が大きく脈を打つ。足が震えた。顔が強張って、変な声が漏れた。反応の無い真白に小夜が首をかしげる。
二人の様子に真白をじっと見つめていた黒髪の人魚は、ふと口をほころばせ、小夜の肩に触れた。
「待ち人来たり、ね。さぁ、お帰りなさい」
「綺麗な歌をありがとう、お姉さん。また聴きたいわ」
小夜の言葉に黒髪の人魚はふらりと微笑み、唇にその細い指を当てた。
「どうかしら。でも、ここは危ないから来ちゃだめよ」
そう言って、小夜の背中を押す。不思議に思いながらも真白の方へ歩いていく小夜を見て、まだ自分を見つめる真白を見て、黒髪の人魚はじゃあね、と海に飛び込んでいった。一際大きな水しぶきが立った。
「真白お姉ちゃん、どうしたの?」
「え、あ、ううん。何でもないよ。お兄ちゃんが待ってるから行こうか」
「うん!」
次は幸斗を探さないといけない、と思った真白の予想を裏切って、洞窟を出れば幸斗がこちらへ走ってきていた。もう先程の心が飛んでいったような顔ではなかった。