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3、人魚の小部屋

 舗装された道をわざと離れれば、寄る波を押し返す堅い岩肌とそこから覗く小さな名前も知らない草花だけに囲まれる。普通に歩いていれば見向きもしない薄桃の花弁を撫でて、真白は海辺を見下ろす。昼過ぎになっても砂浜には誰もいなかった。陽の照る波間にも何も見当たらない。波が砂の上を滑る耳触りの良いさざめきと、時折降りる鳥の鳴き声だけが響く、静かな空間だった。

「真白、そんな所にしゃがんだら汚いわよ」

 里子の諫める声に顔を上げれば、既に崖の上に登っていた亜希がクスクスと笑っていた。頭の上で星の飾りのついた赤色のシュシュが揺れる。

「なあに? まだ、昨日の事ふてくされてるの?」

「昨日の事?」

「車から降りる時に寝ぼけて頭ぶつけた上に、変な事口走ってたやつよ。元々おかしい行動するけど、昨日のはここ最近でダントツだったわ」

「……うるさいな。どうだっていいでしょ」

 そう睨み付けても亜希はまたクスクスと笑うから、何をしても無駄だと、真白はゆっくりと立ち上がり坂を登り始める。

 町はずれの坂の上、海へと突き出した崖の上に真白の祖母、よし子の暮らしていた屋敷はあった。

 木で作られたというお屋敷は、ずっと昔からあったと言われても分からないくらい滑らかな肌をしている。二階にはベランダがあるようで、海の向こうへ突き出していた。手すりは白。茶色い屋敷の中でそこだけが浮いていた。

 元は結構なお金持ちの持ち家だったが、よし子の生きている間だけ、よし子が住みこんでいいとなっていた。そのよし子が一週間前に亡くなった。

「でも、勿体無いわよね。こんな広いお屋敷なのに、引き渡すために遺品の整理と掃除をするだけって。おばあちゃんのツテで住めればいいのに」

 坂を登り終えれば、亜希が真白に同意を求めてくる。笑みを浮かべて小さく首をかしげると、まとめ髪からわざと出していた真っ黒な髪が頬にはりつく。亜希の肌の白さと相まって、言葉の通り、大きなお屋敷にいても遜色無いほどの美人だと真白は思った。

(口を開けば我が儘でせこい人だけど)

 屋敷を見上げながら楽しそうに笑う亜希には、先程のからかう様子は見えない。その移り気に呆れながら、真白はふてくされて返事をしなかった。それを気にする様子も、亜希には無い。

「はいはい、ぺちゃくちゃ喋ってないで、さっさと片づけるわよ」

 カチャリ、と傷一つ無い小さく綺麗な鍵が古びた重い木の扉を開ける。里子の後に続いて亜希と真白も屋敷の中へと入る。



 中は真白の予想以上に広く、奥につけられた振り子時計を中心にゆるやかな孤を描く階段と、端にいくつも並ぶ部屋が、左右で見事に対称になっていた。部屋と部屋の間には小さな窓がついていて、外からの光が屋敷の中を優しく照らしている。中央に敷かれた赤の円い絨毯も、真白達の足を優しく包み込んでくれた。

「やだ、思っていたより広いわ。終わるかしら……」

「ねぇ、お母さん。やっぱ、おばあちゃんのツテ使ってここに住もうよ。そっちの方が絶対、楽。っていうか何でおばあちゃんはこんな所住めたのよ」

「知らないわよ。あー、もう!一階から片づけていくわよ。真白は二階の様子を見てきてちょうだい」

「どこら辺を見ればいいの?」

「部屋の数と散らかり具合。あの人の事だから、描きかけの絵とかがごろごろ転がってるんじゃないかしら」

 億劫そうに左側の部屋から入っていく里子達とは反対に、真白は右から半円を描くように伸びる階段を登る。光沢の薄れていない手すりには、僅かに埃があるだけで、それだけで最近まで人が住んでいたのだと思い知らされる。左右の階段に挟まれた時計がボーン、と揺れる。

 真白が祖母とちゃんと話したのは、記憶にある限りまだ5・6歳の時の一度だけだった。皺くちゃで、波の立たない海のような静かで優しい瞳をしていて、ちょっとぽっちゃりしていて、日が暮れていく窓辺でボロボロになった日記帳を持って、届かないどこかに想いを馳せるような表情を見せる人。真白の記憶にある祖母はただそれだけで、死んだと聞いた時も何かを思うほどもなかった。

 階段を一段一段登りながら、ワンピースのポケットの中から一枚の絵を取り出す。黒い画用紙の表には金色の髪に深緑の鱗を持つ人魚の絵。裏には、水彩絵の具みたいに鮮やかに澄んだ青い花びらが一枚、押し花のようにしてあった。祖母から、海からの贈り物だよ、と貰った栞は、いわば真白と祖母を繋ぐたった一つの遺品だ。けれど、それでも真白は自分がこの場にいる違和感がぬぐえなかった。

(お姉ちゃんやお母さんは、おばあちゃんと何回も会った事があるからいいけど。こんな事だったら、受験勉強忙しいからって来なければ良かったかな)

 二階に上がって小さな部屋から覗いてみれば、里子の言ったように画用紙やスケッチブックと、色とりどりの絵がそこかしこに置かれていた。祖母は絵を描くのが好きだったと聞く。真白は栞にある人魚の絵しか知らない。

 部屋に入るたび手に取ってみれば、海を軽やかに泳ぐイルカ、青空を仲間と一緒に飛び回るカモメ達、砂浜ではしゃぐ子ども達とその間を行き来する波、夕暮れに照らされた空、この屋敷から見える景色で埋め尽くされていた。

 左端の本棚で埋め尽くされた小部屋には、人魚の絵だけではなく人魚に関わる本も並んでいた。ここに住んでいたお嬢様が人魚を好きだったのだろうかと思ったけれど、出版日が最近のものもあったから祖母の趣味なのかもしれない、と真白は重厚な本棚に並べられた本をなぞっていく。祖母にそんな趣味があるとは聞いた事がないけれど。

部屋の奥にある唯一の丸テーブルには栞と同じ金色の髪の人魚も描かれていた。画材は水彩だったりクレヨンだったり色鉛筆だったり、祖母は本当に絵を描くという事が好きだったんだ、と教えられた気分だった。

 と、カタン、と何かが転がる音が聞こえた。

「っ⁉」

 ハッと我に返って見回すも何も落ちた様子は無かった。けれど、また、カタンと硬い音がする。

(もしかして、別の部屋?)

 とにかく一旦部屋を出ようとして、人魚の絵を強く握っていた事に真白は初めて気が付いた。水泡と鮮やかな金色が歪んでしまったのを、けれどそれをなるべく見ないようにそっと戻して、真白は足早に外へ出た。

 左端の小部屋から中央の大きな部屋まで、扉は3つあった。どれも祖母の絵を置いておく部屋のようだった。もう一度見て回っても、何かが落ちている様子はない。

(じゃあ、真ん中の部屋?)

 中央の部屋は一番広そうだったのでまだ中を見ていない。部屋の扉は唯一白で彩られていて、ここがお嬢様の部屋だったのだろうと、真白は躊躇いを覚えていた。けれど、また、カタンと音がした。

 唾を飲みこむ。なのに喉が渇いたような息苦しさを覚える。震える手を叱咤して扉に触れれば、夏真っ盛りなのに思いの外冷たくて、真白は驚いた。そういえば、屋敷の中も昼間なのに汗をかかないくらいには涼しい。もう一度、飲み込んで、真白は扉に触れた掌に力を込めた。




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