1、夕暮れの海
陸の向こうへ行けたなら、
彼方にいるあなたへ逢いにゆけたなら、
私はどんなに幸せかしら。
陸の中にあなたを見つけられなくても
その向こうなら、見つけられるかしら。
何故、人は死ぬのかしら。
どうして皆は私を置いていくのかしら。
どうしてあなたは私を置いていったの。
いっそ私も同じ場所へ行こうかしら。
連れて行ってくれる人がいるのよ。
陸の向こうのその先へ。
けれど、その人も淋しそう。
私と同じ、陸の向こうに焦がれてるみたい。
人間も人魚も、求めるものは同じなのかしら
ねぇ、私はどうすればいいのかしらーー
暗く狭い車の外には、二つぽっきりの瞳では収まりきらない鮮やかな夕焼けが広がっていた。収まりきらないのに、窓に顔を近づければ全てが茜色に染まるのが真白には不思議だった。ここは、それくらい空と海が近い。
「ねー、もう日が沈んでるんだけど、まだ着かないの?」
「もうすぐよ。ほら、見えてきたでしょ。おばあちゃんのお屋敷」
「え、どこどこ? よく見えないわ。真白、あんただけずるいわよ。ちょっとどきなさい」
姉の亜希に言われて真白が渋々窓から身を離すと、亜希がすかさず窓へ身を乗り出す。古い道路だからかよく揺れる車内では亜希の髪もよく揺れて、その拍子に亜希の白くて滑らかな首筋が覗く。綺麗に整ったそれに走る細く赤い線。それらが間近にあるのが、真白は嫌でたまらなくなって目をきつく閉じた。
「うーん? どこだろ? ……あっ! お母さん、あれ? あの、海に突き出したオシャレだけどちょっとレトロっぽいやつ」
鼻先で柑橘系の甘い香りが付けられた髪が触れあってむずがゆい。
「そうそう。もう、相当古いけど、おばあちゃんが子供の頃はお金持ちのお嬢さんが住んでいたらしいから、物自体は高価なのよ」
体が右に傾いて、けれど車は左へ向いたから、すぐ引き寄せられる。相変わらず酷いわね、と母の里子が舌打ちをする音が聞こえた。
「ふーん。おばあちゃん、引きこもりのくせして良い家に住んでたんだ」
今度は亜希の不機嫌な声。不意に訪れる疲れた空気。真白の嫌いなもの。
「お姉ちゃん、そろそろ離れて。暑い」
「あ、ごめーん。真白、この匂い嫌いだっけ」
きゃらきゃらと笑って、亜希と亜希の首筋が離れていく。鼻先に残る甘やかな香りに、真白は少しの罪悪感を覚えた。
「あれ? 真白、元気無い? 顔色悪いよ」
「……ちょっと酔ったかも」
「また? 全く、もうすぐ着くんだから、外でも眺めてなさい」
母の言葉をこれ幸いと、真白は再び空を燃やしているように揺れる夕空の海へ意識を戻す。夕焼け色の光はとうとう車の中も満たし出して、お気に入りのレモン色のワンピースも、淡い水色のゴムで結んだ長ったらしい黒い髪も、真白の色んなものを同じ色に変えていく。よくよく目を凝らせば、窓ガラスに映る瞳の中にも海が映っているのが分かる。温かい景色。真白は知らず、うっとりと微睡んでいた。
ふと、前の方で里子がため息交じりに取り付けられたブラインドを閉める音がした。
(何で、皆は眩しいのが嫌いなんだろう……。とっても落ち着くものなのに)
窓の縁に頭を預けて、真白は夕焼け色の光を浴びる。ぼんやりと感じる車の方では、母と姉は会話を止めたようで各々が自分のことをしている。干したばかりの使い慣れた布団にくるまった時のような穏やかな静寂に、真白はゆっくり、瞳を閉じていった。
耳元で、ぱしゃん、と水が軽やかに跳ねる。狭くぼやけた視界の先で、何かが笑っているのだけが見えた。