18、小夜の笑顔
固い岩肌に支えられた坂を登り終わって見えた古ぼけた屋敷に、真白は懐かしさを覚えた。
(まだ、ここに来て五日しか経ってないのに、不思議ね)
重く厚い扉に光沢の消えない金色の鍵を差して、開く。ふわり、と木と絵具と鉛筆の匂いが漂ってくる。ここはこんなにも、よし子の絵で溢れていたのだと、真白は初めて知った。
扉を閉めて、コンクリートとは違う、木独特のゆったりとした柔らかさを踏みしめる。中が涼しいのは相変わらずだが、窓から差し込む光や明るい茶色の壁に囲まれているのを見て、前より暖かい雰囲気を真白は感じていた。
(ちゃんと、私の知っているおばあちゃんの事を思い出せたからなのかな)
自然と笑みがこぼれる。今はちゃんと、自分の記憶を信じる事が出来た。
「真白、お姉ちゃん?」
まだあどけない高い声のした方を見上げれば、白いワンピースを着た小夜が階段に座り込んでいた。
「真白お姉ちゃん、元気になったんだね!」
「うん。小夜ちゃんはどうしたの? こんな所で」
小夜の隣に一緒に座ってそう聞けば、小夜はうつむいて、しかしすぐ顔を上げた。真っ直ぐに縋るように真白を見る。鼓動が鳴る。目を反らすのは、我慢した。
「真白お姉ちゃん、ゆきお兄ちゃんを叱り飛ばしてあげて」
「へ?」
真剣な顔で実の兄を叱れという小夜に、真白は戸惑った。けれど、それに気付かない小夜は真白にまくし立てる。
「ゆきお兄ちゃんね、一昨日の夜から変に落ち込んでいるの。何って明確なものは無いんだけど、何だか元気が無いの。一昨日の夜なんて、自分が格好悪いなんて言ってたのよ」
ぷりぷりと頬を膨らまして怒る小夜からは、本当に幸斗が好きなんだという想いを感じた。それを、良いなと真白は微笑んだ。
「でも、何で“叱る”なの?」
「ゆきお兄ちゃんはよく私に、小夜はまだ子供だからって言うの。でもそれってゆきお兄ちゃんもでしょう? まだ中学生なんだもの。だから、格好悪くて当たり前なのよって。私じゃダメだから、真白お姉ちゃんが一発ぶん殴ってきてあげて」
「いや、ぶん殴るのは、ちょっと……」
「それくらいしなきゃ、あのバカは治らないわ。ゆきお兄ちゃんは格好つけたがりなのよ。そうやっていつも無理を重ねるのを、私はずっと見てきたの」
私だって、もうゆきお兄ちゃんにべったりってわけじゃないんだから、とむくれる小夜に、真白の鼓動がまた鳴った。数日前一緒に遊んだ小夜とは全く別人のように見えた。けれど、それは見えていなかっただけと分かって、真白は世界が変わっていくような思いだった。
「ゆきお兄ちゃんはね、皆に嫌われているって思っているの。確かにゆきお兄ちゃんを嫌いな人は沢山いるわ。でもそれだけじゃないって、私は知ってる。ずっと傍にいたんだもの。分かるわ。ゆきお兄ちゃんはずっと淋しいのを我慢してきたの。私のために。だから、私はゆきお兄ちゃんを嫌いにならない人もいるのよって、教えてあげたいの」
「小夜ちゃんは、幸斗くんが本当に大切なんだね」
「うん! 私に笑えって言ったんだから、ゆきお兄ちゃんも笑ってくれなきゃ」
小夜が満面の笑みで笑う。長く滑らかな黒漆の髪も透き通った肌も、くるくると動く輝く瞳も綺麗だと真白は思っていたけれど、この笑顔がなによりも綺麗だと思い直した。
「ゆきお兄ちゃんはいつもの部屋にいるわ。真白お姉ちゃん、行ってあげて」
一緒に立ちあがり背中を押してくれる小夜。けれど最後に
「あ、でも私が言ったって教えないでね。ゆきお兄ちゃんには、まだ私のヒーローでいてもらわなくちゃいけないから」
そう人差し指を口に添えて愛おしそうに微笑んだ小夜に、真白は精一杯の笑顔を返した。




