16、幸斗の後悔
白鷺幸斗は昔から運が悪かった。
生まれたと同時に母親を亡くした。母を好いていた八歳上の兄からはずっと恨まれて育った。兄の方が勉強が出来たのは不幸中の幸いだったが、それが家の中で肩身を狭くする原因となった。母譲りの金髪と翡翠の瞳も、母を思い出すからと父に毛嫌いされた。ただ、これは幸斗を可愛がってくれた姉やよし子が何度も何度も綺麗と言ってくれたから、そう信じる事にした。そんな姉も幸斗が十歳になる頃には病気で亡くなってしまった。そして、心の支えとなっていたよし子も死んでしまった。
それでも、幸斗は日常を歩いていた。
(小夜を守らなければって、そう思っていた)
母を忘れられない父の決断は、害が無い大人しい人と姉の代わりになる子を迎える事だった。その人の連れ子だった小夜は、直系の血筋を引く幸斗よりももっと下に追いやられた。
ーお兄ちゃんの髪、天使様みたい。目も、不思議な色ね。
ー……あんたは汚いね。
ー服、落とされちゃったから。おじさんが私を無視するから、皆私を無視するのよ。
幸斗が初めて言葉を交わした小夜は、見覚えのある、何かに耐える瞳をしていた。小夜は幸斗よりも酷い場所にいた。その小夜を助ければ、少しは自分も救われるのではないかと幸斗は思った。
(助けたいとかじゃなくて、小夜が可哀想だから傍にいたんだって、気付きたくなかった)
夕方の人魚の言葉に、幸斗は愕然としていた。真白が些細な事に気を取られる事は知っていたが、あんな風になるほど苦しんでいるとは気付かなかった。真白を解放してあげなよと言われた時、幸斗の脳裏には助けたいとは別の事がよぎった。
(真白がいなくなったら、俺は誰にすがればいいんだろう、なんて)
小夜を助けて一緒にいる事に、確かに幸斗は救われた。自分を必要としてくれる人に出会えた気がした。けれど、それも所詮は家の中では何も変わらない。どちらも虐げられる側だった。
けれど、よし子と真白は違った。家と学校と習い事で埋め尽くされた幸斗の人生の中で、唯一家の中と関わりの無い人だった。そして、真白は可哀想な人だった。だから、幸斗は近づいた。
「どんだけ恰好悪いんだよ、俺は」
部屋のベッドに腰掛けて、幸斗は窓の外に見える月を仰ぎ見る。金は月の色、月の色は暗闇を優しく温めてくれる色だと、よし子は言った。今は、人魚の瞳のように、温度の無いみせかけの光のように見えた。
枕元で低い振動音がする。黒地に月と虹をあしらったケースを開けば、真白からのLINEが届いていた。
(真白)「熱、出たみたいで。明日は行けないかも」
真白は幸斗の疑問を調べる約束なんてしてないのに、流れで手伝う形になっただけなのに。今は、その真白の生真面目さに腹が立った。
(ゆき)「無理して来る必要ねーよ。寝てろ」
少しの間の後、またスマホが振動した。スマホの無機質なライトが、幸斗の顔をぼんやりと照らす。
(真白)「ありがとう。早く治すね」
途端、目がカっと熱くなった。スマホを投げ捨てる。
(どうして、俺は、何もしてないのに。俺は、ただ俺のエゴであそこにいただけなのに)
夕方、真白を追って砂浜へ降りれば、洞窟の中に水浸しの真白がいた。服も髪もぐちゃぐちゃで、明らかに溺れた様子だった。何故溺れたのか、何故洞窟の中で倒れていたのか幸斗には分からなくて、ただただ声をかけ続けた。自分の周りの人が死ぬのは、もう見たくなかった。
その事を幸斗は真白に伝えていない。自分が何も出来なかったと、真白に知られるのが怖かったからだと、今なら分かった。結果、真白は幸斗が助けたと思い込んでいるようだった。
(思った通りになったのに、そうしたかったのに、何でこんなに痛いんだよ。何でこんなに苦しくなるんだよ……)
ベッドに倒れ込んで、仰向けになる。天井を睨めつけた。そうしていなければ、感情が溢れ出てしまいそうだった。固く目を閉じても、月の光は部屋に差し込んできた。腕で光を遮れば、少しだけ気が楽になった。
「どうして、こうも上手くいかないんだろうな」
胸の中のものを吐き出すように息をつく。気力を削ぎ落す、重いため息だった。




