12、小雪と人魚
翌日、暗い雲がいくつか出ている早朝の洞窟に、金色の人魚はいた。
「誰?」
洞窟の切れ目で水浴びをしていたらしい人魚が振り返る。変わらず、重さの感じない髪だな、と真白は思った。今日は朝日が弱いから暗がりでは少しだけくすんだ金色に見えた。
「昨日ぶりです」
一度首をかしげて、あっ、と人魚は手を合わせた。
「あぁ、栞のお嬢さん。何、また来ちゃったの? モノ好きだねぇ。あ、でも今日は残念。陽が良くないからあの景色は見れないよ」
手を合わせたまま花がほころぶように笑う人魚を、よく分からないなと真白は見つめ返す。それに気付いた人魚の金色の瞳が、どこか面白そうに真白を見つめる。その視線に、真白は知らず詰めていた息を吐きだした。
「あなたは、白鷺小雪さんって知ってますか?」
「この上の屋敷のお嬢様でしょう? 昔、よく歌を歌っていた」
意外とすんなり返ってきた答えに、真白は戸惑う。この人魚が小雪やよし子に何かをしたならば、少なからず歯切れが悪くなるのではと思っていた。
「あのお嬢様は艶やかな髪が綺麗な子だったね。しかも歌も上手い。あの歌につられてボクはここに来たんだ。若くして死んじゃったのは勿体無かったけど、あの時はちょっと楽しかったな」
まるでお気に入りのおもちゃが壊れたかのような言いぶりに、真白は気持ち悪さを覚えた。けれど、昨日垣間見た切なさそうな表情を思い出して首を振る。
(思い込みは、駄目)
そっとワンピースのポケットに入れてある栞を握りしめる。それだけでスッと心が落ち着いた。
(でも、私は結局何が聞きたいんだろう)
小雪の事もよし子の事も聞きたかったけれど、それだけではないような、そう真白が考えた時だった。
「ハル! やっぱり今日は良い場所見つけられなかったわ。……あら? あなた、この間の」
大きな水しぶきを立てて、滑らかな黒髪を肌に張り付けたユキが姿を現す。その潤いのある黒い瞳が真白を捉えて、大きく見開かれた。けれどそれはすぐに消え、地面に頬杖をついた彼女は、わくわくしたような目で真白を覗き込んだ。
「あなた、ハルに良く似た絵の栞を持っているっていう子よね? 今、持ってる? 見たいわ!」
幼い子のような表情で迫られて、一昨日と印象が違うなと思いつつも、真白は栞を取り出した。
「ユキさ、何でそんなに見たがるの? 本物が目の前にいるのにさ」
「いいじゃない、実物と絵は別物よ」
「そんなに良いものだとも思わないけどね」
人魚の少年、ハルはそう言って大きなあくびをする。人魚が絵がどうのこうのと言うのは、意外だなと真白は思った。
「あの、この前は小夜ちゃんの面倒を見てくれてありがとうございました」
「いいのよ。あんな綺麗な髪を触らせて貰ったし、唄も褒めてもらったから、それで十分よ。……あら、凄い。本当にハルにそっくり。とんだ偶然もあるものなのね」
その言葉に、ユキは小雪さんやおばあちゃんを知らないのだろうか、と真白は疑問に思った。
(そういえば、何でハルさんはまだこの屋敷の海にいるんだろう。小雪さんはもういないのに)
そう浮かんだ疑問は、自然と口に出ていた。
「それは、この上のお屋敷の小雪お嬢様のお世話係だった、よし子おばあちゃんが描いたものみたいなんです。お嬢様が夢で会った人魚だって」
そう言えば、ユキの動きが一瞬止まった。そして困ったような顔になり、頭を抱えて、ふらりと倒れた。ユキを支えるハルが苦悶の表情を浮かべるのを、真白は訳も分からず見守る事しかできなかった。
「あーあ、あんまり刺激しちゃうと人魚だってキャパオーバーしちゃうんだよ」
その平坦な声に、真白はぞくり、と背筋が震えた。ハルのユキを抱く手つきは、酷く柔らかく優しいものだった。
(とても大切な人なんだ。それを私は)
「ご、ごめんなさい。私……」
「うん、別に謝らなくてもいいよ。ボクの不注意でもあるし。じゃ、ユキが倒れちゃったし、ボクは戻るね。あ、あと、あんまりここに近づかない方が良いよ、人間には危ないからね」
来た時とは逆に、静かな水音を立てて二人は海へ潜る。それはユキに刺激を与えないためなのだと分かって、真白は胸の奥がチクりと痛むを感じた。




