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11、日記の中の人魚


「ここが、人魚の記述が出てくる最初のページだ」

 ま、本当に人魚か確定したわけじゃないけどな、と小さな丸テーブルに置かれたのは、祖母の大切にしていた日記だった。小夜を中央の部屋に残して、真白が見つけた左隅の人魚の絵が散らばる部屋で、真白と幸斗は窓際の丸テーブルを挟んで向かい合っていた。窓を開けたとはいえ、埃の殆どないこの部屋は、祖母が最近までよく使っていたのだろうと二人は予想をつけていた。

 真白は幸斗の置いた日記を手に取る。日付は今からずっと昔。恐らくよし子が十代のころだと、幸斗は言った。


『7月〇日

 このところ、不思議な音色が聴こえるわ。空気が清らかに震えているみたいだから、唄というよりは音色、ね。けれど、とても綺麗なのに歌詞が無いみたい。それとも私が知らない言葉なのかしら。

 この素敵な音色に私の知っている言葉をのせたら、どんなものになるかしら。想像するだけなら、自由よね』


 「空気が震える」という言葉を見て、真白は今朝のユキが歌っていた光景を思い出した。けれど、そこに人魚という文字は無い。幸斗を見れば、読めばわかる、と目で言われる。仕方なくページをめくっていけば、数日日常の日記が続いた後、また唄の話が出てきた。


『7月△日

 こんなに嬉しい事があるかしら。いつもの不思議な音色に言葉があったの。たった一度きりしか聴けなかったけれど、あれは確かに私の綴った言葉。飾るだけなら自由って、思いついた言葉を並べた短冊が無くなって落ち込んでいたのに。このお屋敷だけに残しておこうと思ったのに。こんな嬉しい事があるかしら。そんな所へあなたは行っていたのね』


『7月□日

 今日の言葉はお気に召さなかったみたいね。文字というものは存外、難しいものなのね。言葉を聴けたのも一度きり。でも、もしもう一度聴けたのなら、それはきっと幸せな事ね』


 その後も唄の話は続いていく。今日はこの部分が採用されたとか、勝手に別の言葉に変わっていたから歌い手は自分達の言葉を知っているのだろうとか、よし子しか一緒にいないこの屋敷で、不安定であれ誰かと会話をしている喜びも。読んでいくうちに、これがよし子ではなく白鷺小雪の日記である事に気付いた。

 そして、人魚という言葉を使い始めたのは、小雪の婚約者だった。


『9月〇日

 春彦さんにいつもの唄の話をしたら、それはきっと人魚だって言われたわ。人魚って唄で人を魅了させるものなんですって。人に恋する人魚しか知らなかったからすごく驚いたわ。でも、人魚って名前がついた途端、とてもロマンチックになったわ。知るって楽しいわ。色んな本を持ってきてくれる春彦さんには、感謝してもしきれない。欲を言えばもう少したくさん会いたいけれど、仕事だもの。仕方ないわよね』


「これ、白鷺小雪さんの日記だったんだね」

 真白が日記から顔を上げて言えば、幸斗と目が合った。翡翠の瞳が揺れるように真白を見返す。

「小雪おばあ様は生まれつきではないけれど、十五の時に目を悪くされたそうだ。そのせいであまり屋敷からも出られなかったそうだ。多分、それはよし子さんが代筆したんだろう。筆跡がよし子さんのと同じだった」

「人魚って、小雪さんの婚約者が言ったんだね」

「春彦さんは読書家だったみたいでな、屋敷から殆ど出れない小雪おばあ様によく本を届けていたらしい。ここの本も大体がそれなんだろう」

 そこで幸斗は言葉を止めた。目線を下ろして、窓の外を見る。その視線を追っても、海と空と向こうの街並みしか見えなかった。波のさざめきとカモメの鳴く声。遠くで車の走る音が聞こえた。

「それ、最後の方、小雪おばあ様自身が書いたみたいな部分があるんだ」

 幸斗の言葉に真白が日記をめくれば、日記の終わりの方に、確かに歪んだ文字が並ぶページがあった。


『陸の向こうへ行けたなら、彼方にいるあなたへ逢いにゆけたなら、私はどんなに幸せかしら』


 そこまで読んで、幸斗が日記を真白から奪い取る。それ以降はそこまで重要な事は書いてない、と言った。

「春彦さんは小雪おばあ様が十七の時、事故で亡くなったそうだ。籍を入れる前だったらしい。それから小雪おばあ様はおかしくなっていって、日記にも人魚の話が今まで以上に出てきた。人魚に夢で会ったとか。全部、真白の持ってる栞にあった、金髪で緑の尾の人魚だけどな」

 そう語る幸斗の目元は曇っていて、どこか遠くを馳せていた。一度だけ見た、海を見つめるよし子の瞳と同じだ、と真白は思った。

「夢、そうだ、私も夢で会った事がある。今朝の人魚と」

「本当かよ。マジで人魚いる可能性高いんじゃねーかよ」

 真白の言葉に幸斗の表情が戻っていく。金糸の髪が風を受けてサラサラと舞い上がる。翡翠の瞳も、もう揺れていない。その変化に、真白は自然と微笑んでいた。

(やっぱり、真っ直ぐの時が綺麗だなぁ)

「って、何? 何、見てんの?」

「ううん。何でもない」

「笑ってんじゃん」

「何でもないよ。私が勝手に笑っただけ」

 納得のいかない顔をする幸斗に何て言い訳をしようと考える真白だったが、後ろで扉の開く音が聞こえて振り返る。オレンジの花びらが舞い散る、フリルの重なりが覗いていた。

「ゆきお兄ちゃん、真白お姉ちゃん! 遊ぼう!」

 扉を開けて小夜が幸斗に抱きつく。滑らかな黒髪がふわりと舞い上がった。小夜を受け止めながら幸斗は明るい声で応える。

「何だ、絵の方はもう終わったのか」

「ゆきお兄ちゃんはからかうから見せないわ。それよりも、宿題の絵日記に書く事が足りないから、遊びましょう!」

「あー、真白。夕方まで付き合ってもらうっていうのは……」

 幸斗と一緒に小夜も真白を見上げる。涙を流す理由を話して、共通の知り合いの事を話して、一緒に勉強をして。もう一歩、踏み出してもいいのだろうか、と少し不安になった。けれど、

(もっと、一緒にいたいって思ってる)

 返事をしない真白を不安に思ったのか、小夜が真白のスカートの裾を握る。真白はその手を両手で優しく包み込んだ。

「いいよ。一緒に、遊ぼう」

 真白の言葉を聞いた小夜の瞳が大きく開いて、空に輝く虹を見つけた時のような嬉しそうな笑顔になるのを見て、真白はあぁ、これで良かったんだと感じた。


 そして、夕方に洞窟へ行っても結局現れなかった人魚に向かって文句を言う幸斗を、真白はまた面白いと思った。



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