現世の後輩がピンチでした。
「これが現世の鏡なのですよ」
柚子が厳かに言った。神社の建物の中に入った俺たちは、静寂の中に淡く輝く鏡を見つめていた。
「天照さまやカグツチさまのような神さまだったら、道具が無くても、こちら側と現世を行き来できるのですが、わたしや弘のように、まだ半人前の神さまは道具を使うしかないのです」
柚子が申し訳なさそうに俺を見た。
「いいさ。何であっても、現世の様子が見れるなら」
俺はモフッと柚子の狐耳を撫でた。
「良かったのです」
柚子に笑顔が戻る。小さな子の笑い顔は、見ているだけで元気になれそうな気がした。しょげているのは、柚子には似合わない。
「では、鏡を見るのです」
柚子が気を取り直した様子で告げた。俺は鏡の前にあぐらをかく。鏡の中心にあるほのかな光が、鏡全体に伸び、だんだんと何かの形を帯びてくる。
ああ、ここは。俺は思い当たった。高校の屋上だ。よく、友だちと昼飯を食べたことのある、なじみの場所だ。張り巡らされたフェンスを握り、ぽつりと佇む少女がひとりいる。彼女は俺と同じ、美術部の後輩だった。名前は猪俣晴美ちゃん。ふるまいにちょっと影があるけれど、鼻筋の通った美少女だ。
(弘人先輩)
彼女の心の声が聞こえた。口は動いていないのに、耳と言うか、直接心に響く声。これがよく言う、超能力のテレパシーっていうやつかもしれないな、と俺は思った。
(弘人先輩……わたし、もう消えたいです)
フェンスを握りしめ、二重の瞳に涙がこぼれていた。
屋上の床に書きかけの絵が落ちている。ひどいことに、美しい風景画の上に落書きがしてある。風景画は晴美ちゃんがよく描いていた画風だ。ということは、落書きは誰かが付けたものなのだろう。
ひどいことをする奴がいるもんだ。
(ここから飛び降りたら、楽になれますか?)
心の声は俺に尋ねてくる。
ちょ、ちょっと待った! 自殺はダメだ。確かに俺は死んでしまったけど、誰かに後追いしてほしい人なんて誰もいない。
辛い話なら、俺が聞くよ! 俺は彼女のもとに行きたいと心から念じた。そうすると、鏡がいきなり俺をシュッと吸い込んだ。
「弘!」
柚子の声が遠く聞こえる。
掃除機に吸い込まれるみたいな感覚。
晴美ちゃんのもとへ!
思うのはそれだけだった。




