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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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目玉貰い

作者: Noa.

 その日の義母ははは、いつにも増して機嫌が悪かった。


 いつもの様に小学校から帰った亜沙香は、気づかれないようにそぅっと玄関の扉を閉めて部屋に向かった。リビングでは義母が何やら鼻歌を歌っているのが聞こえた。

 少し体調が悪い義母にしては、とても珍しい。触らぬ神に祟りなしだ。そんなことを思いながら、静かに入り口の前を通ったつもりだった。

「お帰り、亜沙香」

「っ、ただいま」

 どうやら、気づかれていたらしい。

 口元に笑顔を貼り付けて、笑わない目が亜沙香を見ている。テーブルの上には二人分のケーキとティーセットが用意されていた。きっと兄とでも食べるに違いない。

「ねぇ、一緒にお茶でもどう?」

 予想外の義母からの一言に、一瞬目を見張った彼女はとっさに部屋に籠もる言い訳を考える。

「私、宿題あるから……」

「ちょっとだけ、いいでしょ?」

 どうやら、有無を言わさずに同席させるつもりらしい。そう思った彼女は「じゃあ、ちょっとだけなら……」と義母について長椅子に腰掛けた。

「さっき買ってきたの。食べて?」

 いただきます、とフォークを手に取り一口食べた。震えそうになる手を懸命に堪えた。

 兄であれば、きっとこんなに緊張したりしないのだろうなと紅茶を一口飲んで亜沙香は思う。

 義母は父の再婚相手だった。

 亜沙香の本当の母は小さい頃に病気で亡くなってしまい、暫く父と二人きりでの生活が続いた。だが、母というものが恋しくなってしまい、父に「お母さんが欲しい!」などと口癖のように言っていた。

 それを叶えようと考えてくれたのか、父が単に寂しかったからなのかは知らないが、この隣に座る義母と再婚したのが大体二年前。義母自身もバツが一つ付いた状態で、亜沙香よりも年上の兄が一緒にやってきた。

 今では、何故あの頃母が欲しいなどと言ってしまったのかと激しく後悔をしている。

 はっきりと言ってしまえば、義母は心を病んでいるのだ。

 そして、病んだ心を亜沙香にぶつけてくる。父を愛する余り亜沙香の亡くなってしまった母に嫉妬をしているのだ。そして、邪魔者のように扱う。

 こんな義母ならば要らなかったのに、なんて父には決して言えないが、心の中では常に思っていた。

 酷いことを言われて部屋で一人泣くこともしばしばだ。

 そんなとき、兄が気づいて頭を撫でてくれた。義母はそれも気に入らないらしい。

 だが、兄弟の居なかった亜沙香にとって兄という存在は大きなものだった。

 もくもくとケーキを食べながら、早く兄が帰ってくればいいのにとそれだけを願う。

 そこで、唐突に母が言った。

「私ね、気がついたの」

「何に?」

「貴方の目が嫌いだなぁって」

「え……」

「貴方のその、二重。私とは違う目はあの憎い女の目」

 義母の目は焦点が合っておらず、病んだ目をしている。

 また何か良くない妄想が頭の中で繰り広げられているのかもしれない。

 正直なところ、目は写真を見比べてもそれほど似ていない。むしろ父に似ていると思う。

 食べていた手を止めて、母にそう言おうとしたが言葉を取られてしまった。

「だからね、その目を取っちゃえばいいんだって気がついたの」

「お、お義母さん?」

 義母の手にはフォークが握られていた。

 ゆっくりと近づく手に危険を感じて、思わず席を立つ。

「っ!」

「逃がさないっ! この目さえなくなれば、もう私を苦しめるものなんて何も無いもの。どうしてもっと早くに気づかなかったのかしら」

 義母が嬉しそうに笑う。

 力の弱い亜沙香がどんなに振りほどこうとしても、掴まれた腕から逃れることはできなかった。長椅子に押し倒されて、喉元を左手で絞められる。右手に握り締められたフォークの先は、下を向いていた。

「こっちを向いて。大丈夫、痛くしないわ。ただその目をフォークで取るだけよ」

「い、や……」

 近づく義母の瞳には、恐怖に目を見開く亜沙香の顔が映っていた。



 目玉貰い



 暑い夏。

 太陽が地上から影を奪い、立ちこめる水蒸気が俺たち学生の若さとやる気を奪っていく。

 溶けそうだ。

 夏休み中に登校日を作ろうなんて考えた奴は馬鹿だと思う。それか、極度の寂しがり屋だ。

 俺はどちらでもない。

 窓の外を見ると、隣に立つ我が中学校の新校舎が見える。黒板に向かう生徒たちの爽やかなこと。暑さなんて微塵も感じさせない学生っぷりだ。

 対する俺たちは、先生の話なんて聞いてもいない。

 団扇で必死に風を作って涼むか、自前の凍らせタオルで涼んでるか、はたまた制汗シートで汗を拭いて少しでも涼しげな印象を作っているか。三者三様だが、総じて心は一つである。

 暑い!

 鉄筋コンクリートで出来ている隣の新しい校舎とは違って、俺たちが今居るのは旧校舎だった。

 別名、幽霊校舎。

 その名の通り、幽霊が出るともっぱらの噂だ。

 俺はそんなもの信じては居ないが、みんなの言葉を借りれば今現在も『幽霊が出た!』ということになるらしい。

 なぜなら、この校舎に設置されているエアコンは新品のときからすぐに消えてしまうという謎の現象に悩まされているからだ。

 朝のホームルームが始まって、スイッチが勝手に切れた。それから何度も入れているのだが、すぐに消えてしまう。

 このクラスだけではない、他のクラスも同じ様だ。つまり、この校舎にあるエアコンは付けても意味がないわけだ。早く直せばいいのにと思うのだが、教師たちですら幽霊の仕業だからなんて言って、一向に修理してもらえる気配はない。

 経費節減、悲しい言葉だ。

 それとは違って新しい校舎のエアコンはきちんと作動し続けているようで、俺たちからすれば妬ましい。旧校舎を使う二年生全員とそのクラスを担当する教員、それから幾つかの教科の先生たちは夏は暑く冬は寒い思いをすることになるのだ。

 夏休みとあと二週間ほどで始まる新学期について担任の亀山が話しているが、全く頭に入ってこない。細身で背が低く頭が禿げていて、その割りにしっかりと口元に白い髭が手入れされている亀山は、生徒たちの間では亀仙人というあだ名で呼ばれている。そんな仙人も暑そうに全身で汗を掻いている。

 こんな暑い日には、何かで気を紛らすしかない。

 中庭の向こうにある新校舎は、一階が職員室、二階が一年生、三階が三年生という作りになっていて、俺の教室から一年の教室を眺めることが出来るのだ。調度向かい合う教室、その中の一人、凛と澄ました横顔と黒いショートボブが可愛い女の子に視線を送った。

 マイ・リトル・ラバー、妹のたまき、俺の天使だ。

 熱い視線を送るが当然向こうは気づかない。あ、気づいた。

 合図を送ると、親指を下向きに出された。

 照れ屋なところも可愛い。

 暑さを凌ぐ最高の気分転換だ。

「おーい、そこのシスコン! 話聞いとんのかぁー」

「え? あ、聞いてます!」

 シスコンと聞いて思わず返事をしてしまった。

 もちろん俺のことで合ってる訳だが……、自覚ありだよキモいなんて言われると、ちょっと不服だ。俺の妹主義は今に始まったことではない。

 そろそろ慣れてもらわないと困るぜ。

 教室のあちらこちらから苦笑が聞こえてきたのに対して、へらへらと返して前を向く。

 それからも時々妹をチラ見していたが、その後は全く目を合わせて貰えなかった。

 そんなクールで真面目なところも可愛いぜ……。

 先生の話なんてそっちのけで、たまきに意識を集中し、暇をつぶした。

 そして放課後。

 俺たちが解放されたのは、昼前になってからのことだった。

 ホント、何のために今日という日があるんだろうと考えてしまうほど、早く終わった。

 結局、今日までだった提出物を出して終り。

 あとは仙人が「死ぬなよぉ」と軽く注意をしただけだった。

 俺はといえば、ちょっと図書室で時間を潰して帰ろうかなんて考えている。荷物をまとめて席を立とうとしたところで、学年主任が顔を出した。

「早く帰れー」

 教室に残っている生徒を眺めて追い討ちをかけるように続ける。

「早く帰らんと目玉貰いが出るぞー」

 この旧校舎に出ると言われている幽霊の名前を出して帰宅を促すのはいつものことだ。単に先生たちが早く生徒たちを追い出すために作った幽霊だと俺は思っている。

 つまり、先生たちだって夏休みに学校に来るのなんて嫌なんだ。

「くだらねぇ」

「まだ昼だし」

「先せー、そんなの本当にいるんですかー?」

 暇な生徒たちが先生に声をかけていた。確かに、イメージとしては幽霊というものは夜に出るものという感じがする。

 朝っぱらからエアコンが止まったりするが、やっぱり皆故障と思ってるんだなぁ。

 なんとなく自分の席から離れられずに、学生鞄を漁るフリをして聞き耳を立てた。

「いるんだなぁ、これが」

「証拠は?」

「見たいなら社会科資料室に来るか? ついでに来学期の予習をさせてやる」

「げぇ、絶対行かない!」

「なら早く帰れ」

「はーい」

 結局、社会科の先生らしい冗談で片付けられた。

 幽霊が存在する証拠が社会科資料室にあるとか、意味が分からん。

 さっさと図書室行こ。

 俺は一人、鞄を片手に教室を後にした。勿論目的は……たまきだ。



 邪魔だ何だとたまきに罵られながら帰宅後、数時間。

 そろそろ夕飯かなぁと部屋を出て下に向かう。時計を見ると夜の八時。

 この時間ならたまきもテレビを見ているはずだ。ちょっとちょっかい出して遊んでやろうと思ったのだが、いない。

 部屋は電気が消えてたはず。

「あれ? 母さん、たまきは?」

「学校に肝試しに行くんですって。一時間前くらいに張り切って出かけたわよ?」

 肝試し……? って、あれか? 暗い学校の中をライト一つで歩いて、男と二人練り歩くという噂のイベントか?

 つまり、俺の妹が他の男と一緒に暗いところに二人っきり……。

 いかぁぁぁぁぁぁん! お兄さんは許さんぞ!

 母さんも、娘が暗い時間に出かけるとか言ってたら止めろよとか、言いたいことは沢山あったがこうしちゃあいられない。

「俺、ちょっと行ってくる!」

「あ、陽助」

「止めても無……」

「帰りにマヨネーズ買ってきてくれるかしら?」

「……わかった」

 かくして俺は、マヨネーズという大役を仰せつかってチャリンコに跨ったのだ。



 焦って自転車を漕ぐこと十分。学校に到着して気がついたが、鍵が閉まってるんだから中になんて入れないんじゃないか?

 中に入れずにたまきは家に帰ったのではないかと考えたが、甘かった。上の階でチラチラと光るライトが見える。

 よかった、二つじゃない。光は四つだから、きっと四人で行ったんだ。

 この状況であれば、携帯電話とかスマートフォンとか文明の利器で呼び出してみたりなんてことができるんだろうが、悲しいかな。まだ買って貰えていない。というわけで、実際に行くしかない。

 あいつらが入れたんだから、どこかに入り口があるはず。

 慣れているはずの道を歩いて、昇降口に向かう。

 夜の学校は、思っていたよりも遥かに不気味だ。外灯なんてとっくに消えてるし、今日は月も欠けていて僅かな光が差すだけ。湿った風が葉を揺らす音が、夜の学校という雰囲気に拍車をかけている。

 さっさとたまきを連れて帰ろう。

 昇降口に立つと、ガラスに自分が映ってるということが分かったが、なんとなく見たくなくて目を逸らしながら冷やりとする取っ手に手をかけた。

 ……押しても引いても開かない。

 あいつら、どうやって入ったんだ?

 まさか、入った後に閉められ……いや待て、入り口は一つじゃないだろ。

 危うく雰囲気に飲み込まれるところだったぜ。

 俺は可愛い妹を迎えに来たんだ。

 落ち着け、たまきが優しく微笑んでお兄ちゃんと呼んでくれたあの日を思い出せ!

 ……ふぅ、よし。

 気を取り直して隣の扉に手をかけたが、やはり開いていなかった。ひょっとしたら、教員用の入り口かもしれない。

 教室の窓かも知れないし、入れそうなところを見に行くか。

 踵を返して、数段しかない階段を一歩下りた時だった。

 カッ……チャ……と。

 静かに、音がした。

「っ!」

 次の動作に入ろうと体重移動したところで、じっと固まってしまった。

 今のは、なんだ?

 俺の視界の範囲には、あんな鍵が開いたかのような音のするものは見つからなかった。勿論俺も持ってはいない。それに、音は後ろからだった。

 俺が見えてなかっただけで、中に誰かいたのか? 振り返って確認したいが、走ってこの場から遠ざかりたい気持ちもある。

 迷ったのは、たぶん数秒。

 思い切って振り返った。

「……」

 何も居ない。窓に映る自分の姿を今度は真っ直ぐに捉えて、更にその奥に何か動くものがないかと目を凝らしたが見つからない。

 俺の気のせいだったのか。

 そうだ、鍵の音なんてしてないんだ。

 そうだと誰か言ってくれ。

 一度閉まっていることを確認した入り口の扉に、もう一度手をかけた。そっと力を入れると、耳障りな音を立てて僅かに隙間が出来た。背中に冷たいものが走る。

「嘘だろ……」

 呟いた声が妙に大きく聞こえた。

 閉まっていたと思った扉が、開いた。

 心臓の音が早くなった気がする。

 落ち着け、俺。きっとあれだ。結局のところ閉まってなかったんだ。それか、鍵が緩んでたか。

 全てを気のせいにして一歩中に入り、後ろ手で扉を閉めて持ってきたペンライトをつけた。勝手に閉まる音を聞きたくないし、流石に真っ暗で何も見えなかったからだ。ところどころに非常口のマークが光ってはいるが、不気味な演出にしかなっていない。

 心なしか、流れてくる空気が冷たい。

 電気をつけようと、手探りでスイッチを押してみたがどういうわけかつかない。大本の電源をどこかで切っているのか……残念だが仕方がない。

 三列ある下駄箱の一番左側を壁に沿って歩く。なんとなく、左右に空間があるというのが怖いから、真ん中は避けた。

 幽霊校舎なんて、信じてない。信じてないが、怖いものは怖い。

 ゆっくりと進んで、さっきライトの光を見た三階を目指そうと思うがここで問題が一つ。左右に伸びる廊下の両端にはそれぞれ階段があるのだ。もしもたまきが俺と反対側を選んでいると俺たちは会うことが出来なくなる。

 さて、どうしたもんか……。

 ここで待ってるって手もあるんだが……ん?

「あ”ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」

 上の階から数人の叫び声とバタバタという足音が聞こえてくる。右からだから思うにたまきたちが何かに驚いて降りてきたってところか。

 日ごろ走るなと言われてる廊下を軽い駆け足で進むと、調度降りてきた数人に出くわした。

 一瞬で分かったが、たまきがいない。

「おーい」

「あぁぁぁぁぁぁぁぁ、戻れ戻れ!」

 先頭にいた奴が後ろの奴を押し戻して俺から逃げようとする。

「待てって、俺は幽霊じゃない」

 慌てて一人の腕を掴むと、必死に振りほどこうとしてきて放さないように更に力を込めた。

「落ち着け!」

「ひっ!」

 少し大きな声を出したら、吃驚して今度は固まってしまった。男のクセに情けないなぁ。

「将君、あいつ追いかけて来ない……あれ? たまきのお兄さん?」

 どうやら三人が降りてきていたらしい。男子が二人に女子が一人。その女子に俺は見覚えがあった。何度かたまきが家に呼んでる小学校からの友達だ。確か名前はりょーちゃんとたまきが呼んでた気がする。

「お前たち、たまきは?」

 正直、俺としてはたまきをつれてさっさと帰りたいんだ。他の奴らに用はない。

 俺の問いに、互いの顔を確認してりょーちゃんが呟いた。

「あれ? たまちゃん居ない……」

「三階にまだ居るのか?」

「そうかもです……」

 どうしようと言っている割には見に行こうという意見にはならないらしい。

「なんで慌てて降りてきた?」

「三階の天井を誰かが歩いてて……それで……」

 天井に出来る足跡というのも、この校舎に出る幽霊だ。俺は単に上履きを上に投げて靴底が当たったときに偶然できたんだろうと思ってる。実際のところは足跡自体見たことはない。見たくもない。

「こっちに向かってきたから、走って降りてきたんだよな」

 少年その一が言って、二人が気まずそうに頷いた。

「たまきだけが取り残されたってことか」

「ご、ごめんなさい!」「俺たち必死で……」「まさか足跡が近づいてくるなんて思わなかったから!」

 いやなこと聞いたな。

「お前たち、先に帰りな。俺はたまきを連れて帰る」

「でも……」

「いいからっ!」

 渋る三人を昇降口に向かわせて、俺は一人ペンライトを頼りに階段を上がっていく。

 二階は吸い込まれるような闇が広がって、相変わらず非常口のマークだけが所々で不気味に光っている。三階もこんな感じなのかと思うとちょっとちびりそうだ。

 トイレにだけは絶対入らないけど。



 三階は予想通りニ階と同じようなものだった。

 違うのは階段横の教室が理科室だって事。噂で人体模型の位置がずれてたり、目玉が無くなってたりって話を聞いたことがあるから、正直視界にも入れたくない。

 前だけを見据えて、歩こう。目的はたまきだ。

 見つけたら「お兄ちゃん」って語尾にハートマークつけて言ってくれるに違いない。頑張ろう。

 一人うんうんと頷きながら歩いていると、何かを蹴飛ばした。

 何だ?

 コロコロと転がって壁に当たって止まったそれを、拾った。さっきの奴らの落し物かも知れ……。

「ぅゎっ!」

 硬い感触のそれは目玉だった。

 慌てて落としてしまって、乾いた音が廊下に響く。

 落ち着け落ち着け。プラスチックだぞ本物じゃないぞ。

 もう一度拾ってよく見ると、光彩だとか、瞳孔だとか、良く出来た偽者だった。いくつも穴が開いているのが不思議だが、持ち主は分かりきっている。

 人体模型だ。

 なんでこんなところに……。

「誰か、いるの?」

 横から聞こえたのは、女の子の声だった。

 俺の知らない女の子だ。愛するたまきではない。

 たまきよりももっと小さい、女の子という感じの……声。

 迷いこんだのか?

 こんな時間に?

 ペンライトで照らしてみると、見知らぬ制服の小さな女の子が数歩の位置に立っていた。この場では不自然なランドセルが目立つ。

 明らかにおかしい。

 俯いていて表情は分からない。俺の本能がこれはヤバい早く逃げろと危険を知らせている。それなのに、俺は動けない。

「ねぇ、誰かいるの?」

「……」

 ここで声をかけてみるほど愚かじゃない。それに、さっきから喉はからからで、声なんて出せないんだ。

「どうして答えてくれないの? そこにいるくせにぃ」

「っ!」

 首を痛めそうなくらい勢いよく俺を見上げたその顔には、目玉が無かった。

 切りそろえられた前髪の下にある空洞と、この状況で嬉しそうに頬と口角が上がっている表情。その顔が近づいてきて、とっさに来た道を戻ろうとした。

「ぅわっ!」

 何かで足を固定されたように動かなくて、動こうとした体がつんのめる。

 その途端にフッと足の固定が外されて、派手にこけてしまった。

「逃げないで。私、探し物をしてるの」

「な、何を……」

 聞いて後悔した。

 この状況でこの学校の生徒なら、誰だって想像できる。

「目がどこかに行っちゃったの。お兄さん、知らない?」

「しらなっ……」

 ゆっくりと近づいてくる少女から少しでも遠ざかろうとしているのに、身体が言うことを利かない。

 俺の身体、動け。動けっ!

「お兄さんの目、あたしのかも知れないから、ちょっと見せてよ」

「みせて……って」

 おい待て、見せてってなんだよ。

 いつの間にか、少女は目の前まで迫っていた。

 見たくないのに大きな二つの空洞の中で視神経と思われるものが干からびているのが見えて、生理的嫌悪に陥る。

 暗いはずなのに、妙にはっきりと見える。

「大丈夫。違ったら返すから」

 返すとか返さないとか、そういう問題ではない。

 いつの間に手にしたのか、少女の握るフォークが不気味に光る。

 あぁ、さっきの人体模型の目玉にあった穴って、このフォークだったのかと頭の片隅で思った。

 そうだ、目玉を投げつければ……。

 そう思ったが、手に持っていたはずのそれはいつの間にかどこかにいってしまっていた。転んだ拍子に落としてしまったらしい。

 フォークはもう焦点が合わなくて、あと数センチで俺の目を突き刺す。せめてもの抵抗に目を瞑った。

「ぃった!」

「え……?」

 こっちと手を引かれた。

 さっきまで動かなかった身体が嘘のように軽い。

 そのまま二階の階段を下りて、すぐそこの教室に入った。

 荒くなった心臓を落ち着ける。助かったと話かけようとして、止められた。命の恩人は人差し指を唇において、静かにと合図し廊下を窺う。

 さっきの少女はゆっくりと追いかけてきたらしく、教室の外を通っていくのが分かった。ドキドキしながらじっと待って、前の扉を過ぎたくらいでようやくホッと一息ついた。

「あー、吃驚した。階段あがったら知ってる奴が目玉貰いに目玉取られそうになってるとか、脅かすなよ」

「助かった、サンキューな」

 俺を救ってくれたのは、隣のクラスの奴だった。名前は覚えてない。俺は妹にしか興味ないからな。でも見たことのある顔だ。

 知ってる奴が居てよかった。

「にしても、お前何で……」

「俺、おば研だからたまたま調査に来てたんだ」

「おば……?」

 言われたことが良く分からなかった俺は、思わず聞き返してしまった。おば研とは、おばけ研究部の略らしい。

「さっきのって」

「あれが良く聞く目玉貰い。今日は色々いるみたいだな。鍵開け、逆さ歩き、花子ちゃん」

「花子ちゃん?」

 最後の一つは聞いたことがない。

「俺が勝手につけた名前。トイレに住んでるんだけど、結構トイレ以外も歩いてるんだ。来るとき下で見かけたから、二階で隠れることにした」

「ってことは、会ったらヤバいのか?」

「女の子には優しいんだけどな。男子に虐められたことがあるのか、割りと酷いことしてくる。足の小指潰したり、髪の毛……」

「それ以上はいいわ」

「あ、そう?」

 人と喋ってちょっと落ち着いた。

 因みに俺たちは教室の片隅に座り込んで、小声で話している。あまり煩くすると、霊を煽ってしまうんだそうな。手遅れな気もするけど。

「お前こそ、何でこんな時間にここにいるの?」

「俺は……」

 聞かれて、今までのいきさつを話した。

「へぇ、妹ね」

「俺の天使だ」

「お前、シスコンだな」

「光栄至極!」

「ははっ、気持ちは分かる。俺にも妹がいるから」

「おぉ、シスコン仲間だ」

「お前ほどじゃないと思うよ。亜沙香って言うんだけど、昔はホントお兄ちゃんお兄ちゃんって懐いてきたもんだよ」

「分かる! うちのたまきも昔はお兄ちゃんって後ろをくっついてくるのが可愛かった。今の愛を裏返したようなツンも可愛いけどな。因みに妄想の中では常にお兄ちゃんと言われてる」

「キモいな」

「ありがとよ」

「今なら多分三階に行っても何も居ないと思うけど、たまきちゃん、探しに行く?」

「いいのか?」

「一人じゃ怖いだろ?」

「お前、今まで喋ったことなかったけど、いい奴だったんだな!」

「そうでもないけどね」

 かくして俺は強力な仲間を得、再びたまきを探しに三階にあがることにした。



 改めて三階を歩いてみて思うことがある。それは、本当に全く使ってないんだなぁってこと。

 昔はこの校舎だけだったってのもあるけど、俺たち二年生は基本的に二階を使っていて三階には一クラスしかない。

 だから、ほとんどの教室を倉庫みたいに使っている。それでも定期的に掃除はしているらしく、埃臭さは余り感じない。

 話し相手ができて気持ちに余裕が出来たから、折角だし幽霊について聞いてみることにする。

「逆さ歩きってさ。何かするの?」

「いや、あいつはホント散歩してるだけって感じだな。誰かにちょっかい出してるのは見たことない」

「へぇ」

 無害なもんだよという答えが返ってきて、さっきの奴らはあんなに慌てて降りていく必要はなかったんだなぁと思った。

 理科室の隣の教室にはいないことが分かって、次の教室に向かう。たまきが心細い思いをしてるんじゃないかと思うと、教室内を歩くのも足早になってしまう。

 ん?

 いや、待てよ。さっき一階にちょっとやばい奴がいたって言ってたよな。

「さっきの奴ら、花子って奴に遭って無いかな……」

「妹ちゃんを置いてった奴ら?」

「そう」

「花子ちゃんは集団には弱いから大丈夫だと思うよ」

「そっか、それは良かった。てか、俺とお前が二人で降りれば問題なかったんじゃ……?」

「あー、いや、二人は集団にはならないかな」

 どうやら幽霊事情というのは色々あるらしい。三人以上で虐められたとかってことか? まぁ、幽霊の過去を気にしてもしょうがないか。

「ここも居なさそうだな」

「だな」

 次の教室はトイレを挟んで向こうだ。

「ん?」

「どした?」

 今、足元でガリッと何か踏んだ。

 嫌な予感……。

 さっきも似たようなことがあった気がするんだ、が……。

 恐る恐る足元を見ると、長いひも状のものだった。ホッと胸を撫で下ろす。

 拾ってみると、それは俺がたまきにあげたブレスレットだった。貝殻のモチーフが幾つかついていて、涼しげな印象のものだ。パッと見はネックレスだが、腕に何度か巻きつけるとブレスレットにも出来るらしい。

 壊れてなくて良かった。

「それ、たまきちゃんの……」

「あぁ。気に入ってずっとつけてたやつだ」

「慌てて逃げたときに腕から落ちちゃったのかな?」

「そうかも」

 なんだかんだツンツンしつつもちゃんと使ってくれるあたり、可愛い奴めと思ってる。

「トイレに隠れてるとか?」

「マジか……」

 トイレとか、絶対入りたくないと思ってた場所ナンバーワンだぞ、おい。

 隣のおば研男はなれてるのか、扉を開いて中をのぞいたりなんかしている。

 勇者だ……。

「いないね、男子トイレに入るはずないしな」

「早くしないと、また目玉貰いが上に上がってくるかも知れないよな。たまきが一階に行っててくれるといいんだけど」

「んー、まぁしばらくは大丈夫じゃないかな」

「お前、ちょっとは急いでくれよ」

 幽霊に慣れてるからなのか、この男はさっきから呑気だ。一人は心細いから誰かがいてくれるのはとてもありがたいんだが、もう少し緊張感を持って欲しい。

 二階に目玉貰いがいるから急いでも仕方ないってのは分かるんだけどな。

 でももし、二階にたまきがいたら?

 むしろ、一緒に来た三人が逃げてしまって、いつまでも三階にいる方が不自然じゃないか?

 二階か一階に行ったと考えるのが自然だ。どうして俺は三階に来た?

 この男が一階にはいけず、二階はあいつがいるからと言って、三階に来たんだ。

「……どうした?」

 ライトで男を照らしてボーっと眺める俺を不振に思ったのか、隣の教室に入ろうとしたのをやめて聞いてきた。

 そういえば、さっきのブレスレット。うちの母でもネックレスと思ったんだ。何でこいつ、腕から外れたって分かった?

 こいつの名前、何だっけ?

 いくら俺が妹以外興味がないと言っても、流石にあだ名とか苗字だけでも思い出せるのが普通だろう。

 本当に俺は、こいつの顔を知ってたか?

 段々今の自分の状況が、肝試ししてたらいつの間にか人数が増えてたんだけど、誰が増えたか分からない状況に思えてきた。

 一度気になり始めると疑いばかりが出てくる。出会ったときには確かに知ってる気がしたのに、今は全く知らない奴にしか見えない。

 思わず俺は聞いていた。

「なぁ、お前って今何組だっけ?」

「……お前は?」

「七組」

 問いかけを問いかけで返されて、俺は嘘を教えた。それに男は苦笑しながら返してくる。

「何言ってんの。二年生は五組まででしょ」

「……だよな。ちょっと言ってみただけ。俺、二組だし」

 相手の油断を誘ってからの、更に嘘。

 俺の中の設定ではこいつは隣のクラスということになっている。だから、隣のどちらかを選んでくるはずだ。

「俺は三組」

 その瞬間、理解した。

 俺はこいつの名前を思い出せないんじゃない。

 知らないんだ。

 本当にここの生徒で隣のクラスなら四組のはず。だって俺……。

「本当は五組なんだ」

 目の前の男は明らかにしまったという顔をしていた。

 つまり、おば研なんてのは真っ赤な嘘でこいつ自身が幽霊だから色んなことを知っていたんだ。

 自然と後ずさって距離を置く。

「お前は誰? 目的は?」

「……ちょっと待て。俺はお前に何かをするつもりはない。目玉貰いから逃がしてやっただろ?」

 確かに逃がしてくれたな。

 でも……。

「じゃあ、どうしてこんな、時間稼ぎみたい、な……」

 時間稼ぎ?

 そうだ、こいつは時間稼ぎをしてるんだ。

「たまきっ!」

 思わず一人で駆け出した。暗いとか怖いとかどうでもいい。たまきに何かがあることの方が、よっぽど怖い!

 考えろ、俺。

 今居るのは三階だ。目玉貰いは二階に放置してきた。一階には花子。あの男が二階からたまきを探さなかったってことは、三階に俺を誘導して目玉貰いを二階に残したかったんじゃないか?

 そして、これは俺の唯の勘だがあの男はたまきの居場所を知っていた。

 それはどこだ?

 二階だ。しかも、俺が使わなかった側の階段から近い教室のはず!

 突き当たりの階段を駆け下りてすぐの教室を覘いた。

 ペンライトでざっと照らしてみるが、居ない!

 次の教室を覘いたが、ここも違う。

 どこだ……?

 慌てて次の教室へ……いや……。

「違う」

 俺は間違ってる。

 もしもたまきが目玉貰いに襲われてるとしたら?

 当然さっきの俺みたく転んでるはずだ。

 ってことは、ざっと見るだけじゃ足らない!

 慌てて俺はもう一度始めの教室に移動した。扉に手をかけたが……開かない。

「っんな時に……。たまきっ、たまき!」

「俺の負けだな、ちょっと貸してみ」

「お前、また邪魔する気……」

 相手の正体が幽霊だってことも忘れて、殴りかかろうとしたが、簡単に開けられた扉を見て腕を引っ込めた。

 一睨みして教室内に入る。

「たまきっ!」

「っ! お兄ちゃん」

 世のシスコンが羨むであろうシチュエーションの一つに、お兄ちゃんと言いながら抱きついてくるというものがあるが、今の状況はそれに近かった。

 そう、近かっただけだ。

 床に座って泣きながら恐怖に顔を歪めてるたまきの顔を見て、目が無事なことを確認する。

 とっさの時にそう呼んでくれるなんて、俺はまだお前の中では『お兄ちゃん』なんだなぁ。

「さっきのお兄さん、その目を見せて?」

 そう、叫んだのはたまきだが、抱きついてきたのはさっきの少女。バランスを崩して後ろに倒れこんだ俺に乗っかって、近づいてくる。顔にある二つの空洞を直視してしまって自分のうっかりを後悔した。

「亜沙香!」

「っ!」

 少女のフォークを止めたのは、あの男の声だった。亜沙香って、さっき妹って言ってた奴の名前だ。

 じゃあ、この子は……。

 俺の上に乗ったまま、少女は首だけを男に向けた。

「亜沙香」

「……お兄ちゃ」

 小さな手を精一杯男に伸ばした。その手を、男も掴んでそのまま小さな身体を抱っこした。

「お兄ちゃ、苦しいよ。お義母さんが、私の目をどこかにやっちゃったの。探してるのに、見つからなくて」

「そうか、じゃあ探さなきゃな……」

 そう呟いた男は、とても残念そうな、寂しそうな顔をしていた。



「悪かった」

 教室の椅子にそれぞれ座って、男はたまきに謝った。どうやら、目玉貰いは生前この男――飛呂人と名乗った――の妹だったらしい。その妹に友達ができたらいいと考えてたまきを生贄みたく使ったことに対する謝罪だった。

 今あの少女は男の腕の中で意識を失ったまま動かない。男が言うには気絶しているそうだ。

 本当かどうかは分からないが、今は黙って事情を聞くことにする。

「この校舎が出来る前、此処には俺たちの家があったんだ」

 飛呂人は、とつとつと静かに語り始めた。

 彼の母が再婚して、亜沙香の父と結婚したこと。

 義母は、亜沙香を嫌っていたこと。

 その義母は精神を病んでしまって薬を飲んでいないと何をしでかすか分からない危険な状態だったこと。

 義母は亜沙香と二人きりの時に、無理矢理目玉を抉り取って家を放火したこと。

 亜沙香は火のついた家の中に取り残されて、見つけたときには既に酸欠と出血多量で心臓が止まってしまっていたこと。

 そして、亜沙香の父がその死を悼み、寂しくないようにと学校を建てたこと。

「もう何十年も前なんだけど、一番初めに亜沙香の霊を見つけたときにもこうして俺は大事な妹を抱きしめた。でも、何の救いにもならなかった」

「救い……成仏しないってことか?」

「そう」

 愛おしそうに小さな頭を撫でながら、ゆっくりと頷いた。

「救うどころか、苦しめてるみたいでさ。俺と会うと最後の日に戻ってしまうんだ。燃え広がった炎の中、呼吸が苦しくなって目が痛くて、熱くて、死に絶えてしまう。でも次の日にはまた、この廊下を徘徊する」

「つまり、目が必要なんだな」

「たぶんね。そして、それを叶えてやることは出来ない」

 さっきの悲しそうな表情の理由はこれだったんだ。兄として助けを求める妹を、絶対に救うことが出来ないと知っているからこそなのだろう。

「あの……駄目元になるけど、理科の準備室に保存されてたりとかは……」

 ずっと黙って聞いていたたまきの言葉に、男は首を振る。

「俺もそれは調べてみた。フォークが刺さったあとでもいいから、ホルマリン漬けみたいな標本として残ったりしてないかなぁって。父なら形見とか言ってやりかねなかったからさ。でも母の手にはすでになかったし、家と一緒に燃えてしまったとしか考えられない」

 家と一緒に、か。

「全部なくなった。亜沙香との思い出も、全部」

 何もかもがなくなって、それが自分の母親のせいだなんて知ったら、どこに怒りをぶつけていいかわからないだろう。しかも、病んでいたんじゃ悪びれもしなかったんじゃないか?

 せめて成仏させてやりたいが、何とかして手段を見つけられないだろうか……。

「今日、どうしてこの日が登校日なんだって思ったでしょ?」

 聞かれて、俺たち兄妹は互いに顔を見合わせて頷いた。

「この日なんだ、亜沙香が死んだ日」

「……」

「何も残せなかった亜沙香の命日を、せめて賑やかにしたいって考えた父が、学校を作ったときに決めた。いわば存在証明だ」

 知らなかった。

 そんなこと知ってる奴、この学校にはもういないんじゃないか?

 あーでも、社会科の先生なら知ってるかも。妙なこと詳しいし、な……。

 あれ、昼間そんな単語を聞いた気がするぞ?

 確か学年主任が言っていた。目玉貰いが存在している証拠の話だ。

「社会科資料室は?」

「え?」

「学年主任が言ってた。目玉貰いがいるって証拠が社会科資料室にあるって」

 本当かどうかはわからないが、驚いた顔をしているところを見ると飛呂人もまだ調べてはいないらしい。

「ダメ元で行ってみるか」

 二階の反対の階段、つまり一番初めに俺が使った階段側のすぐ横にある教室が、社会科資料室だ。

 鍵は閉めていないのか、幽霊の仕業か、もうそんなことはどうでもいいが開いていた。

 ペンライトで照らしながら資料を物色していると、それは意外と簡単に見つかった。『目』と書かれた箱に、乾燥剤と防腐剤と一緒にしまわれていた。

 干からびて縮んで、丸かったであろう眼球の部分に三つの穴があるのが分かる。それが二つ見つかった。

 もっとエグいかと思ったが、そもそも原型を留めていないレベルの乾燥振りで普通に見ることができた。

 それを、大事そうに飛呂人が手にとった。

 妹ちゃんは、再び苦しみ始めたみたいでちょっと息が荒い。

「亜沙香、遅くなってごめん」

 手のひらに乗せたそれに小さな手を置いたその瞬間、乾燥した目は霧散して消えた。代わりに、大きな二つの空洞だった場所が愛らしい瞳に変わった。吃驚したのかキョロキョロと周囲を見渡して、最後に兄と目を合わせると、

「ありがとう」

と微笑みながら言った。

 小さな腕でぎゅっと飛呂人を抱きしめて、それに兄貴も応えた。

 ちょっと羨ましい、なんて言える雰囲気ではない。

「一人で、平気か?」

「うん、大丈夫だよ」

 互いに頷くと、二人は離れた。

「お兄さんたちも、ありがとう」

 最後に俺たち兄妹にもお礼を言うと、亜沙香ちゃんはすぅっと消えていった。

「成仏できたってこと?」

「あぁ。ありがとう」

 妹が居た場所を寂しそうな、でも嬉しくもあるような表情で見つめながら飛呂人が言った。

「幽霊のクセに泣くな」

「煩いよ」

「陽ちゃん、そこは見て見ぬふりしとくもんだよ」

 なぬ!

 たまきが他の男を庇うだ、と!?

 俺の呼び名が『陽ちゃん』に戻ってるし。

「なんだよ、助けにきてやったのに!」

「はいはい、ありがとう」

「もう一声!」

 そうだ、たまきを見つけたら「お兄ちゃん」と語尾にハートをつけて呼んでもらえる予定だったんだ。

 さっきも単語だけなら聞いただろうといわれるかも知れないが、さっきはさっき。今は今。

「何それ」

「感謝の言葉にもう一つ言葉を添えて欲しいです!」

 これで俺の求めるものが分からない妹ではない。一睨みされたが、俺の本気を感じ取ったのか呆れたようにため息をついた。

 そして……。

「……ありがとう、お兄ちゃん」

「俺、今なら目玉抉られてもいいかも」

 生きてて良かった。

「お前、ちょっとキモいな」

 呆れたように飛呂人が言い、それにたまきが同調する。

 お前ら、分かってないなぁ。


 その後俺たちは、飛呂人に見送られて無事に学校を脱出して帰宅した。

 母にマヨネーズを忘れたことを怒られたのは……、言うまでもない。



 ☆ ★ ☆


 激痛の後に襲ってきたのは、何も見えない恐怖とこのまま死んでしまうのではないかという不安。義母はどこかに行ってしまったらしく、亜沙香は長椅子に腰掛けたままじっと動けずにいた。

 頬を熱い何かが幾重にも流れていくのが分かる。それにそっと手を触れたが、何も見えないのだったと気がつく。仕方なく、それを舐めてみた。

 口の中に、鉄の味が広がった。

 暫くそうしていたが、段々と部屋の中が暑くなっている気がした。冷房が止まってしまったのだろうか。首元が汗ばんでいる気がした。

 見えないから正体はわからないが、何か音がしている。それから臭いだ。パンを焦がしてしまったような、そんな臭いがしてきた。

 実際に、火の手が上がっていたのだ。狂った義母は亜沙香の目を二つともくり抜いた後、家に火を放った。そうして自身は外に出てしまったのだった。

 それを知らず、周囲の情報が視覚的に得られない亜沙香には、どうなっているのかさえも分からない。

 まずは取られてしまった目を取り返さなくてはいけない。そうでなくては、いつまでも目は見えないままだ。そう亜沙香は思った。

 立ちあがり長椅子を触りながら少しずつ動いてみたが、思うようにはいかず、すぐに動きを止めた。

 義母はどこに持って行ってしまったのだろうかと、呼んでみる。

「お義母さん……」

 じっと待ったが何の反応も返ってこないと分かると、今度は兄を呼んでみた。

「お兄ちゃん……」

 その声に答える人は居なかった。

「お兄ちゃん、お父さっ……」

 父は仕事だから居る筈がない。それを分かっていて、それでも呼んでしまった。誰でもいいから、傍に居てほしかった。

「った!」

 動いたからか、再び彼女を激痛が襲う。


「……香ぁ!」


 遠くで亜沙香の求める声が聞こえた。

 兄の声だった。

「お兄ちゃ……」

 息が苦しくて、思うように声がでない。

 痛いよ、と。

 あたしの目はどこ? と。

 心で叫ぶ。

「亜沙香ぁ!」

 呼ぶ声が大きくなった気がした。近づいてきているのかもしれない。だが、もう立っていることも苦しくて、そのまま床に座り込んだ。

「亜沙香!」

 リビングを兄である飛呂人が覘いた。だが、彼の視界には、テーブルと長椅子の隙間に座り込む亜沙香の姿は見えない。火は燃え広がり、消火が間に合うかは微妙だった。時間との勝負の中、彼はリビングに足を踏み入れることなく他の部屋を探しに行ってしまった。

 すぐそこで兄の声を聞いた亜沙香は、誰も居ない部屋を見つめて言った。

「お兄ちゃん……あたしの、目……知ら、な……?」


 初めての方もそうでない方もこんにちは。

 ここまで読んでくださりありがとうございます。

 あとがきといいつつ、まだもう一度読み返しが残っているのですが……。

 とりあえず今いえることは、終わりそうで良かったぁぁぁぁということでしょうか。

 本当に今回は動き始めに時間がかかり……。終わらんかと思った。


 終われるといいつつも、やりのこしたなぁと思う部分はあります。

 花子ちゃんに出番を作って上げられなかったこととか。

 軟細胞である眼球が干からびてどのくらいもつのかということまで調べる余裕が無かったこととか。

 結局、ホラーと呼ばれる作品を一つも読まずに書くことになってしまったこととか……。

 そして、やっぱりご都合主義から離れられない。

 どうすれば自然に話が作れるのか、これからの課題です……。


 ほかにも書きたいことがあるのですが、時間の都合上活動報告で語ることにします。


 ご意見・ご感想・一言、いただけますと跳ねて喜びます^^

 やっと気楽にほかの方の作品を読みにいけるので、読むぞぉーと。


 ではまた、どこかでお会いできることを♪♪

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[一言] お昼時に参上しました、黒椋鳥です。 読ませて頂きました! ホラーだけど、心が少しだけ柔らかくなる。そんなお話でした。 回想からのシスコンフィーバーにクスリとしつつ、現れた謎の少年が亜沙香の名…
[一言] >「貴方の目が嫌いだなぁって」 うわ! ホラーパートに入る前にゾクッと来てしまいました。別方向の怖さ、不意打ちにやられました。いえ、もちろんホラーに関連する描写なのですが、本当に怖いのは怪異…
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