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旭さんからは三日後に返事が来た。元々バンドメンバーのやる気も無くなっていて解散話が持ち上がっていた所だったんだって。今回の勧誘で完全に解散しちゃったなんて聞かされたら、益々責任重大。それに期日も迫ってる。でもだからって、適当な所で妥協するだなんて考えは私の頭にも悟おじさんの頭にもない。本物の原石、一つのピースは見つかった。残り二つをまがい物で済ませるなんて絶対に嫌。
「知り合いで良いベーシストいるんですけど、聴いてみます?」
「お、是非聴きたいね!」
そうは言っても悟おじさんも私も、ライブハウス巡りには疲れていた。だから、旭さんの提案は渡りに船で、旭さんの言うベーシストは電話したらすぐに来てくれる事になった。
待ち合わせ場所に現れたのは、あちこち跳ねた髪の上半分だけをゴムで括ったタレ目のお兄さん。ベースが入っているのだろうギグバッグは使い込まれていて、持ち手が擦り切れている。ギターよりも大きくて重たいベースを軽々背負った彼は、人当たりの良い笑みを浮かべて私と悟おじさんを瞳に映した。
「こいつとはライブハウスで会ったんですけど最近バンド解散しちゃって、今はフリーなんですよ」
「はじめましてー。篠塚翔平、二十二歳でっす! ベーシストしてまーす」
話し方と動作から推測できる彼の性格は、お調子者タイプ。でも、確認の為に盗み見た指が彼のこれまでを物語っていた。たくさんたくさん、楽器に触れている人の指だ。
おじさんの会社へ移動してから会社内のスタジオで旭さんのドラムと合わせて演奏してもらう。腹の底へ響いた低音に、笑みと震えが止まらない。掴んだ音を両手で握り締め、私は満面の笑みを浮かべながら悟おじさんを見上げて頷いて見せた。悟おじさんも、口元が緩んでる。満場一致でベーシストも決定して、二人は悟おじさんと大人同士の大事なお話。契約だなんだの話に私は関われないから、少し離れた場所から彼らを眺めて待った。話が終わって悟おじさんが彼らに背を向け、私の元へ戻って来る。その時に、私は見たんだ。悟おじさんの背後で、ベーシストの彼の顔には滲み出すような喜びが笑みとなって湧き出した。小さく拳を握り締めて、叫び出しそうなのを唇引き結んで我慢してる。同じく嬉しそうに笑った旭さんに拳で肩を叩かれて、彼は震える手を誤魔化すように鼻を擦る。喜びを分かち合うドラマーとベーシストの姿に、私の責任は更に重さを増した。
悟おじさんと相談して、原点回帰で諫早学園へ足を運んでみた。去年まで洸くんが通っていた場所。洸くんの事を考えると、会いたくて堪らなくなる。夏休みを利用して会いに行く約束をしてるからもう少しの辛抱。早く会いたいな。
「ちぃちゃん? 一年生が今ギターの練習をしているみたいだから、そこ行くよ」
ぼんやり洸くんの事に思いを馳せてしまっていたら、顔を覗き込まれて少し驚いた。今は最後のメンバーであるギタリスト探しに集中しなきゃいけない。大きく息を吸って気分を切り替え、悟おじさんの後について歩き出す。ギタリストが見つかれば、私の仕事もおしまいだ。
学園の人に案内された練習室では、数人の生徒が演奏していた。立ったままで壁に背を預け、そっと目をつぶって一つ一つの音を吟味する。
「……あの男の子の音だけ、聴きたい」
緩く結んだネクタイに、ワイシャツのボタンを第二ボタンまで開けて制服を着崩している男の子。彼の音が気になった。学園の人におじさんが頼んで他の子達には演奏をやめてもらい、その男の子だけに弾いてもらう。私と悟おじさんを一瞥して、不遜な態度で彼は弦を掻き鳴らす。練習室に響いた音は、私の心に染み込み揺さぶった。胸が熱くて苦しい。この胸の高鳴りは、まるで恋だ。彼の音に、私は恋に落ちる。痛くて苦しい胸を手で押さえ、惹かれてどうしようもなくて、演奏し終えた彼に歩み寄る。まるで恋する乙女みたいに顔が火照っている事に少しだけ戸惑ったけれど、頭に残っている旭さんのドラムと翔平さんのベースの音が、目の前の彼の音色と混ざり合い、色付いた。これだ。この三人だ。彼らならいける。輝ける。
言葉なんて見つからないままで近寄った私は彼の手を取り、ぶんぶん振り回して何度も何度も頷いた。
「誰だよてめぇは?」
不快そうに眉間に皺を寄せた彼は思い切り、私の手を振り払う。
「私は千歳。楠千歳。あなたの名前は?」
答えない。つんとそっぽ向かれた事にむっとなり、私は彼のほっぺを摘まんだ。
「なーまーえーはー?」
「触んなっ! 樋田朔。あんた、なんなの?」
私の両手を振り払った朔は不快感露わにし過ぎで、まるで猛獣。
「ただの中学生だけど、メンバー探しに協力してるの。あなた、バンドでギタリストをしてくれない?」
「はぁ? あんたがバンドやんのかよ? そんな見た目で?」
今の私はダサ子モード。適当に結った髪にダサいフレームの眼鏡。長い前髪で顔の半分を隠して、体型も隠す為にだぼだぼの服を着てる。
「私はやらないよ。メンバー探しの協力だけ」
「ただの中学生が?」
「うん。お隣さんで頼まれたの」
「訳わかんねぇよ。変な女」
「朔は失礼な子だね?」
「勝手に下の名前呼び捨てしてんな」
「おこりんぼ? 牛乳飲んだら?」
「てめぇのせいだろうが!」
しかめっ面で怒ってばかりの朔に苦笑しながら悟おじさんが話を引き継いで、名刺を渡す。おじさんの名前と目的を聞いた朔は途端にびっくり顔。私に対していたのとは百八十態度を変えた事には少し腹が立ったけれど、何はともあれ私のお手伝いはこれで終了かな! デビューの日が楽しみでわくわくが止まらないよ!
なんて思っていたけれど、私のお手伝い、まだ終わりじゃありませんでした。
夏休みが始まってすぐ、三人の音合わせに私は呼ばれた。自己紹介は事前に終わらせてあるらしいけど、モデルの子だけ仕事で来られないから代打のボーカルを仰せつかったの。悟おじさんに連れられて入ったスタジオには既に三人が揃っていて音出しをしてた。
「ちぃちゃん、楽譜これね」
「はーい。これがデビュー曲?」
「そう。この曲も向こうの指定」
苦い顔で笑う悟おじさん。大人って大変だよね。私も前世、苦労したよ。
「千歳飴、メンバーじゃねぇって言ってなかったか?」
楽譜の読み込みをする私に、朔が不満顔を向けてきた。千歳飴っていう謎の呼び方は無視しておこう。反応したら負けな気がする。
「ボーカルの人の代役だよ」
「歌えんのかよ? 邪魔すんじゃねぇぞ」
「人並みには歌えるよ。邪魔しないように頑張る!」
大きくガッツポーズをして見せたら舌打ちされた。朔はガラが悪い男の子です。
朔が音出しに戻ったから、私もウォーミングアップをはじめた。こうやって生の演奏をバックに歌うのは久しぶりだからわくわくしちゃう。
「じゃあ、そろそろ始めようか」
コントロールルームへ入った悟おじさんがマイクを通して号令掛けて、みんなスタンバイ。ドラムとベースから始まり、ギターが加わる。三人が奏でた音楽に、私は腹の底から湧き出すゾクゾクが止まらなくなった。鼻から大きく息を吸い、音を楽しみながら私も彼らの音楽に色を添える。混ざり合い、高め合い、気持ち良すぎて夢心地になる。やっぱりこの三人の音って最高!
最後の音の余韻が空気に溶け、私は興奮を伝えようと思って振り向いたんだけど……三人は呆けたように私を見てる。どうしたんだろう?
「君、プロとかじゃないよね?」
「なにその歌唱力! やばくない?」
旭さんと翔平さんにべた褒めされた。なんだか照れ臭くて緩んだ顔で笑った私を、目をまん丸にしたままの朔が見つめ続けてる。
「朔、見過ぎ。そんなびっくりした?」
「そりゃびっくりすんだろ。なんであんたメンバーじゃねぇの? すっげぇじゃん」
朔にまで褒められてしまった! 朔って人を褒める事の出来る子だったんだねなんて、ちょっとだけ感動しちゃう。
「そう思うだろう? デビューの話、ずっと断られてるんだよ。ご両親は本人が望むなら構わないと言ってくれているんだけどなぁ」
マイク越しで会話に参加したおじさんは、ガラスの向こうで苦笑を浮かべてる。
「平凡が一番」
誘われる度返す、同じ言葉。
「これだもんなぁ。勿体無い」
笑顔できっぱり断る私におじさんも、いつも通りにわざとらしくがっくり肩を落として見せた。お決まりのパフォーマンスだ。
私の今世の目標はダサ子地味子で目指せ公務員! そんな私の人生設計は、結局崩される事になる。