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結末はどうあれ私が日本へ来た目的は達成してしまった。しぶる両親を説得して帰国したのは、ここがゲームの世界だと気が付いてそのゲームに意味を見出そうとしていたからなのかもしれない。きっと私も、桃園さんと違う形で「恋歌」のゲームにこだわっていたんだ。前世の記憶がある事を気にしていないふり、受け入れたふりをして実は、不安だったのだろうと思う。
「ダメだよ。帰さない」
両親の元へ戻るとなると、洸くんとは遠距離恋愛をする事になる。だから相談してみたんだけど……洸くんの返事はこれだった。そのまま、激しいキスをされる。責めるように彼の舌が口腔で暴れまわり、あちこち舐められ、吸われて、苦しい。
「こうくん……くるしっ」
「ちぃ。俺が六年間、どれだけさみしかったと思う? やっと手に入れたのに……離れるなんてダメだよ」
甘い顔で怒りながら、洸くんの舌が滑って私の耳を絡め取る。洸くんの大きな掌が形を確かめるように触れてきて、体が震えた。
「わかった! ごめ、なさい。帰らない。日本に、いるからっ」
「今度帰るとか言ったら、俺はきっとちぃの事閉じ込めちゃうからね?」
言い方は甘く優しいのに、彼の瞳は本気だ。わかったと伝える為に首を小刻みに揺らしながら頷いた私は、離れない事を約束させられた。
「こ、洸くん。私中学生……」
「うん。でも元大人なんでしょう? しかも彼氏、いたんだよね? 何人?」
「いや、あの……それは前世のお話ですよ?」
「前世だってちぃだろ? ムカつく」
お、狼さんがっ! 這い回る舌と唇から何とか逃れようとしてみても体格差があって、更に抑えつけられている所為で無理だ。いたずらな掌も、止めようとしたけど勝てない。なんだか段々悲しくなってきてしまった。
「ごめん! ちぃ……泣かないで?」
「だって……洸くんが、怖い。狼さんは、いやだよ」
「ごめん。ごめんね?」
溢れる涙が止められなくなってしまった私を洸くんが優しく抱き締め直して、そっと髪を撫でてくれる。キスが触れるだけの穏やかなものになって、私は心底ほっとした。
「前世では、確かにいたよ。でも今の私は洸くんが好き。ちぃが好きなのは、洸くんなんだよ?」
洸くんの後頭部に手を回し、温もりを伝えるように撫でながら告げると洸くんが私の肩に顔を埋めてきた。甘えるようなその仕草に愛しさが募って、何度も髪を梳くようにして撫でてあげる。
「余裕無くて、ごめん。ちぃは時々すごく大人で……焦るんだ。キスもされ慣れてるみたいだし」
後半、声がまた剣呑になってる!
「で、でも、ちぃの身体では全部洸くんが初めて! それじゃ、いや?」
ご機嫌を取るように、上目遣い。洸くんの顔はみるみる真っ赤に染まる。これは、効いている。
「いやな訳ない。でも、前世も全部欲しかった」
「欲張りさんなの?」
「うん。呆れた?」
「ううん。嬉しい。でも前世、最後はガリガリになってたし、見なくて良かったんだよ」
「そんな事ない。どんな姿でも、全部好き」
なんだか、こんなに愛されるなんて幸せだな。洸くんを悲しませない為にも日本に残ろうと決めた。――でも、この時私は知らなかったの。悟おじさんの会社を継ぐ勉強の為に必要な留学を、洸くんがしないと言い出していた事を。
悟おじさんは、Rエンターテイメントという音楽系の会社の社長さん。歌手やバンドにアイドルなど、幅広く実力派のミュージシャンを揃えている音楽業界の大手。ずっと洸くんも会社を継ぐために勉強をしていて、諫早学園に入ったのもその一貫。売れそうな人を発掘したり、人脈作りが目的だったみたい。経営学とかを学ぶ為にアメリカへ留学する予定だった事は私も知っていた。オーストリアにいた時にやり取りしていた頃、メールで洸くん本人がそう言っていたから。私がオーストリアにいるなら休暇の時には飛行機乗って会いに行くねって、言われてたんだ。
「洸くん、最近変だよっ」
私は今、自分の部屋のベッドで洸くんに押し倒されている。
寝ようと思ってベッドに入った所で窓がノックされ、開けたら洸くんがこっちへ来た。何かお話かな? と呑気に考えて言葉を待っていたら食べられちゃいそうなキスをされ、押し倒されて、洸くんの唇と舌が私の首や耳を攻めてくる。手は、縋るみたいに存在を確かめるみたいに、私のあちらこちらを撫でていく。
文化祭の騒動が終わってしばらくして、こんな事が増えた。何かを思い悩んでいるような顔して、それを振り切ろうとするみたいなキスをされる。何かに焦っている様子の洸くん。
「こ、うくん? 悩みごとなら……聞く、よ?」
宥めるように頭を撫でると、しがみ付くみたいにして抱き締められた。
「ね? どうしたの? 何かあった?」
洸くんの柔らかい髪を撫で、もう片方の手では背中をとん、とんと優しく叩く。話してと、囁くようにもう一回言ったら洸くんは体を起こしてベッドの上に座った。私も手を引かれて起き上がり、暗く沈んだ表情の彼の前で正座する。
「ちぃと離れたくないんだ……アメリカ、行きたくない」
私の両手を握った洸くんは、泣きそうな顔で少しだけ震えている。膝立ちになって、私は洸くんの頭をぎゅっと抱えて頬を寄せた。洸くんの手が背中に回り、隙間を埋めるように抱き寄せられる。
「私のせいで洸くんがお勉強諦めるのは、いやだよ」
「だけど行ったら、最低四年はまともに会えなくなる!」
「電話するよ。お休みには会いにも行く」
「足りない! 俺は足りないんだ! ちぃがオーストリアにいた時だってすごく、辛かった……」
知らなかった。私が呑気にオーストリア生活を満喫していた間、洸くんがこんなにも私を想っていてくれただなんて。……でもね、一時の感情で重大な道の選択を変えちゃうのはダメだと思う。
「我慢だよ。お勉強頑張って、洸くんが戻ってくるの、待つよ?」
囁くように告げた私の腕から逃げ出して、洸くんは不機嫌そうに顔を歪めた。
「ちぃは大人で、余裕だね。ねぇ……今すぐにでも溶け合っちゃったら、この不安は無くなるかな?」
また狼化した洸くんがのし掛かるように身を寄せて来て、再びベッドへ押し倒された私が浮かべたのは苦い笑み。
「ダメだよ。それはただ虚しくなるだけで不安は消えないよ? いい子でお勉強してきた時のご褒美に、取っておいてあげる」
にこっと笑って、触れるだけのキスをした。体の内に溜まったものを全て吐き出すような大きな溜息を吐いた洸くんが、べたりと力を抜いて体重を預けてくる。重くて、苦しい。
「前世の記憶があるって、やっぱりそんな大人なの? 俺の方が年上のはずなのに……俺ばっか余裕無くて、悔しい」
「色々経験した記憶があるしね。――私も、洸くんにこうやって抱き締めてもらえなくなるの、ほんとは寂しい。だから早く帰って来てね?」
「ちぃ、それずるいよ」
今度は優しいキスを交わし合い、二人顔を見合わせて笑った。
アメリカの大学は九月からだけど、ギリギリまで日本にいたらさみしくて行けなくなっちゃうからと言って、四月になるとすぐ、洸くんは飛行機に乗って行っちゃった。でもお見送りの時、私の大好きな甘い優しい顔で洸くんは笑ってくれたんだ。
「ちぃ。これは俺の代わり。ずっと付けてて? 帰って来たら、ちぃの全部もらうから」
洸くんが私の首に付けたネックレスには、シンプルなシルバーリングがぶら下がっていた。洸くんの左手薬指にそれとお揃いの指輪がはめられている。気の早い洸くんに笑っちゃったけど、待ってる事を約束して、いってらっしゃいのキス。名残惜しそうに何度も振り返りながらゲートの向こうへ消えた洸くんの背中を見送って、さみしくて、私は泣いた。それでもお別れじゃない。だから、私が彼におかえりと迎えられた空港で今度は私が、旅立つ彼を送り出したんだ。




