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恋歌  作者: よろず
それぞれ…
54/57

 俺の初恋で、長い事恋していた相手を俺は、裏切ってしまった。

 寂しかったなんてただの言い訳で、もっと上手い方法はいくらでもあったのかもしれない。傷付けず、傷付かず。でもあの時の俺には、今思い付くどんな方法だって取れなかったのだろう。だから俺の初恋の結末は、あんなに最悪な形で幕を閉じてしまったんだ。

 ファビオラとは、大学の授業がよく一緒になっていた。俺が指輪をしている事も、恋人に会えなくて寂しい想いをしている事も、彼女は全てを知っていた。「寂しいのなら側にいてあげる」そう言った彼女の手を拒めず受け入れて、俺は誓いの指輪を外してしまったんだ。あの時、あのタイミングでちぃが来なければ。せめて連絡をしてくれていれば。そもそも俺が、ファビオラの手を取らなければ――それら全てが偶然の必然で、どれか一つでも「もしも」が叶ってしまっていれば、俺達は現在に辿り着けていなかったのだと思う。

 今俺は、ファビオラを心から愛している。ファビオラとの間に生まれた娘の事も可愛くて仕方がない。娘の名前はエレナ。彼女はきっと、将来とんでもない美人になるだろう。今からその未来が楽しみでも不安で、少しだけ怖かったりもする。ファビオラは、俺の弱さも狡さも理解している。彼女は俺と似ている所があって、目的の為や己の大切なものの為には手段を選ばない所なんてそっくりだ。


Darlingダーリン……?」


 毎朝不安げに、俺がそこにいるのかを確かめる声。今の俺の目標は、ファビオラの心の陰を拭い去る事だ。


『おはよう、ファブ。愛しているよ』

『私もよ、洸』


 俺の視線の先で、ほっと緩む彼女の表情。日本に帰って来てからは特に、ファビオラは敏感になっている。


ダディパパ? おしごと、がんばー」

「えれな。がんばれ、よ?」


 毎朝片言の日本語で妻と娘に見送られるこの幸せ。俺が感じているこの気持ちをどうやればうまく伝える事が出来るのだろう。

 帰国してからの俺の仕事は、Rエンターテイメントの副社長。元々この地位へ収まる為の勉強で学生時代からずっと準備をしていたのだが、父の大切な友人の娘を傷付けてしまった俺を、父は拒絶した。ちぃの事は、母よりも父の方が可愛がっていたからだ。それはどうやら父の若い頃の恋心も関係したりしているのだが……その恋も今は昔。ただ父はちぃの才能に惚れ込んでいた。それを危うく潰してしまい兼ねない行動を取った俺を、彼は怒っていたのだと思う。


「失礼します! 報告に来ました!」


 今彼女は幸せそうに笑っている。それは隣にいる、樋田朔の力が大きい。そしてかつての俺の不安を煽った存在も、彼だ。


「手続きは済んだのかい?」


 父の言葉に、彼女は笑顔で頷いた。


「はい! 無事に終わりました」

「……逆にあっさり終わり過ぎて拍子抜けした」

「朔は一体どんな想像をしていたの?」

「……別に」


 ふいっと顔を逸らした彼を、ちぃは柔らかな表情で見つめている。

 あの頃俺は、二人の邪魔をしているのは自分なのではないかと思い悩んでいた。彼が書いた曲を聞き、もし逆の立場だったのならちぃの心はどんな風に傾いていたのだろうかと想像して、恐ろしくて堪らなかった。


「ちぃちゃん、朔。結婚おめでとう」

「ありがとう、悟おじさん」

「ありがとうございます」


 ちぃは笑顔で、父にハグとキスをした。どうやら父は、優しい笑みで二人を見守っているようだ。


「一応極秘入籍ではあるけどね、朔がこれから書く曲で、すぐにバレるんじゃないかと思ってはいる」

「朔はなんでも曲に出ちゃうからね」

「仕方ねぇだろ。なんか、そうなる」

「朔がこれから書く曲も、期待しているよ」

「はぁ……頑張ります」

「頑張れ、朔!」

「あぁ。お前がいれば、書ける」


 途端に頬を赤く染めたちぃ。それを愛しそうに見つめる彼。


「ちぃ、樋田くん。結婚おめでとう。どうか……幸せになってね」

「ありがとう、洸くん! 大丈夫! 私は十分幸せだよ」


 その言葉は偽りでも虚勢でもなくて、ちぃは心から幸せそうに笑っている。一緒にいた時に俺は、この笑顔を引き出せていたのかな? 自分の弱さや不安を押し付けて、悩ませてばかりでごめんね。でも俺は、心から君に、恋していたんだよ。


「もう、あんたには返しませんから。千歳は俺が、笑顔にします」


 去り際、彼は俺を睨んで宣言した。帰国してはじめて顔を合わせた時にも殴られた。そしてあの時、俺との違いを見せつけられたんだ。ちぃの為に、ちぃを想って俺を殴った彼は、ちぃの涙ですぐに駆け戻った。あんなにも彼女が素直に弱さを晒す所を俺は、初めて目にした。俺の記憶の中の彼女はいつでもどんな時でも、恐怖による震えだろうが怒りだろうが何もかもを隠して、上手に笑っていたから。


「朔?」


 彼を呼ぶちぃの声。


「千歳」


 それに応える彼の声。

 なんだ、邪魔者は俺だったんじゃないかなんて、卑屈な事を考えてしまう程に二人はお似合いだ。


「洸くん! ファビオラとエレナにもよろしくね! 今度またお茶しにお邪魔するね」

「うん。ファブもきっと、喜ぶよ」


 女性は男よりも難解で、懐がとても深いんじゃないかと最近は思う。だって、ちぃとファビオラは意外にも気が合うみたいで仲良くしているんだ。でもそれもきっと、彼女達の努力のお陰。俺も夫として、父親としてももっともっと頑張らないとならない。まずはファビオラの不安を拭い去る為にも、ちゃんと言葉を交わそうと思う。

 俺の弱さで失ってしまった初恋の彼女。今はすぐに会える場所にいるけれど、俺の心はもう、そこにはない。


「ファブに、花でも買って帰ろうかな」

「良いんじゃないか? 彼女はよく、頑張っている」


 父の言葉に背中を押され、俺は妻の笑顔を思い浮かべる。愛しているから日本へ連れ帰った。それは決して責任だとか、罪悪感から来る行動ではない。ありのままの俺の心をさらけ出し、俺もまた、再びプロポーズをしよう。心から君を愛している。どうかこれからも、俺と共に生きて欲しい。ファビオラ、毎朝不安にうなされて起きなくても良いんだよ。俺が隣にいるか、エレナが幻ではないか、君が確認している事を、俺は知っている。


『ファブ、今日は早く帰るから』

『わかったわ』


 電話の先の君の声は、不思議そう。

 抱えきれない花束に、エレナが喜ぶだろうぬいぐるみ。たくさんの愛を持って君の待つ家に帰るから。どうか俺を、待っていて。


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