広瀬 密
「広瀬さーん!」
満開の愛らしい笑顔を浮かべて駆け寄って来たのは姫君。いつでも笑顔を絶やさず可愛いらしい女の子。だけれど妖艶な美女の顔も出来る、不思議な子。
「おめでとう、姫君」
「ありがとう!」
喜びを全身で表現して、私に抱き付き頬へキスをしてきた彼女は今日、Hollyhockのギタリストである朔と入籍したばかり。つい先日二十歳になった彼女は、自分の人生をあっという間に決めてしまった。それを目の前で見ていると余計に、自分の境遇が悲しくなる。三十も過ぎて秘密の恋だなんて……やめるべきよね。
「千歳」
「はいはーい」
呼ばれ、姫君は嬉しそうに夫となった朔のもとへと駆けて行く。
最初の頃、私はてっきりこの二人が恋人同士なのだと思っていた。でもそれはどうやら違っていたみたいで、専属マネージャーとなってからよく観察してみた二人の関係は、難しいものだったみたい。その真相を私は旭から聞かせてもらったけれど、私個人としては、姫が朔を選んでくれて良かったと思う。だって、今の二人は本当に幸せそうで、互いを想い合っているのが傍目でもよくわかるもの。
「朔も、おめでとう」
「どうも」
あんなに不愛想だったはずの朔が、照れつつも幸せそうに笑っている。
「これから社長の所かしら?」
「そう! 悟おじさんと洸くんに報告に行くんだ!」
「あいつには会いたくねぇな。殴りたくなる」
「こら朔、副社長をあいつ呼ばわりしないの」
「副社長だなんて、認めねぇ」
「朔が認めなくたって、副社長は副社長だからね!」
心底不愉快そうに舌打ちしている朔は、社長の息子である副社長の事を毛嫌いしている。彼が帰国した後での最初の顔合わせの時には殴り掛かり、それを旭も翔平も止めようとはしなかった。頭に血を上らせて暴走し掛けた朔を止めたのは、姫君の涙。
『朔! 朔っ、朔……朔』
何度も自分を呼ぶ声に、朔は慌てて姫君の所へ駆け戻った。
『朔、怪我はない?』
朔の手を心配した姫君。
『お前はもう、大丈夫なのか?』
姫君の心を心配した朔。
『大丈夫だよ。朔がいてくれるから』
『そうか』
私はそれを見て、二人が心底羨ましかった。
社長室へ向かう二人を見送る私のスマホに、メッセージが届いた。「いつもの場所」。短いこれは、旭からのメッセージ。呼ばれてすぐに向かってしまう私は結局、不毛なこの恋をやめられそうにないみたい。
「恵美」
だってこんなにも、彼に呼ばれる自分の名前が特別に響く。伸ばされた手に歩み寄り、ご褒美みたいに与えられる深いキス。旭の腕の中、私の思考は停止して他の事なんて全部消えてしまう。
「朔と姫に、会った?」
「……会ったわ。幸せそうだった」
今、その事を言わないで欲しい。現実を思い出してしまうから。思わず目を伏せた私を見て、旭が笑う気配がした。
「恵美が欲しい、堅実と安定。俺ってどうかな?」
「え?」
「恵美の嫌がっていたたミュージシャンだけど、これからもたくさん作詞して稼ぐから――俺と、結婚しないか?」
一瞬で色々な事を考えた。マネージャーとミュージシャンの結婚なんてゴシップかしらとか。こんなに美形の旦那だったら嫉妬の日々かしらとか。それに、結婚式は出来ないのかしらとか。だけど……本当は、ずっと欲しかった言葉。
「その涙は、どっちの意味?」
「……指輪は?」
「ある」
泣きながら要求する私の左手を取り、旭が嵌めてくれたのはダイヤモンドの指輪。
「ベタね」
「恵美は好きだろ、ベタ。ほんとはさ、誕生日にって思ってたんだ。だけど恵美が、あんまりにも切なそうに朔と姫を見てたもんだから……フライング」
見られていた事に、私の顔には熱がのぼる。油断していた。
「返事は?」
薬指のダイヤを眺めて、旭の顔を見上げて……だけどもう、余計な事を考えるのは放棄した。
「Yesよ!」
彼の首に抱き付いて、キスをして、笑い合う。
私と旭は、姫君と朔に続くように極秘で入籍する事となった。




