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恋歌  作者: よろず
タチアオイの華
27/57

2の20

 仕事で疲れちゃって授業はとても眠たい。こんなんじゃもう公務員目指せないよなんて、ぼんやり考えた。

 諫早学園は、仕事で作った作品とかも評価対象になる。だから学校側は私がHollyhockの姫だと知っている。学校側とプロダクションの間で交わされる誓約書があって、ここで知った事を教師たちは絶対に外部へ漏らしてはいけない事になってるの。教師陣の口が堅い事も信用されている理由の一つで、芸能プロダクション側も所属タレントやミュージシャンを諫早へ通わせる事が多い。そんな特殊な学校だから、授業も普通科とは少し違っている。基本的に高校生が学ばないといけないものにプラスして、音楽に特化した選択科目が充実してるんだ。選択科目の中で私が選んだのは作曲の授業。パパに教わったとはいえ、折角こういう学校に入ったのならちゃんと学んでみようと思って選んだの。ちなみに朔は、作詞と作曲の両方を選択していると言っていた。


「千歳飴、友達いねぇの?」


 学食内で一人、天ぷら蕎麦を啜っていたら朔が現れた。当然のように私の前の空席へ持っていたお盆を置き、椅子を引いて座る。


「んー、そうだね。あんまり馴染めてない」

「なんで?」


 朔の前にあるお盆の上には生姜焼き定食がのっている。それも美味しそうで迷ったんだよね。


「私、ちょくちょく休んだり授業抜けたりするじゃない? 有名人でもないのに頻繁過ぎて、こんな見た目のせいか遠巻きにされてるんだよね」


 話し掛けても逃げられたり無視されたりするの。腫れ物か嫌われ者か、両方か。芸能人や芸能関係の仕事を目指している子が多いこの学校ではみんな、美意識がやたらと高い。そんな中で私のダサ子スタイルは完璧裏目に出ちゃったみたいなんだけど、今更劇的な変身を遂げるのもどうなのかなって思うんだよね。朔とよく行動を共にしている私。ダサ子だから有り得ないと思われているお陰で正体はバレていない。でも素顔を晒せばバレる可能性が高くなる。


「おい、勝手に食うな」

「生姜焼きも食べたかったんだもん。蕎麦食べる?」

「食う」


 朔に蕎麦の器を渡して、私は白米を一口もらう。ここの学食って安くて美味しいんだよね。


「その格好やめれば? それで解決じゃん」

「そうかもだけどさぁ……なんかそれで掌返したようにされるのも怖いかなって」

「あぁ。確かにな」

「それに一人って楽。あんまり困ってないかなぁ」

「ぼっち満喫?」

「満喫。朔は友達どうしたの?」


 朔の方こそ私に話し掛ける時はいつも一人だ。でも朔は、生姜焼き定食を食べながら残念でしたって表情を浮かべる。


「あっちにいる。ぼっちの千歳飴見つけたからこっち来た」

「気にしなくて良いのに。私は大丈夫だよ?」


 箸を置いた朔の手が伸びて来て、デコピンされた。


「痛い!」

「ぼっち飯よりマシだろ?」


 朔の優しさだと理解して、私は苦笑する。もう一回「私は大丈夫だよ」って言ったけど無視された。


「飯の後は? いつもどこにいんの?」


 先に完食した私は頬杖をついて朔が食べる姿をぼんやり眺める。だって、暇なんだもん。


「いつもはねぇ、過疎ってる練習室探してピアノを弾いたり、お昼寝したりしてる」

「人がいないなら、第四か?」

「うん。あちこち探したけどそこしかなかったんだぁ」


 諫早学園の敷地は広い。校舎が四つあって、学食があるここは第一校舎。専攻学科ごとに使う校舎が違っていて、楽器の第一。歌の第二。ダンスの第三。それぞれの校舎には練習室があるんだけど、どこも誰かが使っていて空き教室はない。だから私は、臨時授業とかでしか使われない少し離れた第四校舎まで行ってそこの練習室を使ってるんだ。


「今日も?」

「行くよ。教室は居づらいもん」


 朔が食べ終わったのを見計らって立ち上がり、食器を片付けた。また放課後ねって手を振ったのに何故か二の腕を掴まれて、朔が私を何処かへ連行する。行けば分かるだろうと思ってそのまま身を任せて、着いたのは第四校舎の練習室だった。やっぱり朔は過保護だなって、私は笑う。


「一人でも平気だってば」

「別に。俺も疲れてるから昼寝するだけ。教室帰るとうるせぇし」

「ふーん。子守唄、いる?」

「いらねぇ。お前も寝とけ」

「あーい」


 窓下の壁に背中を預けてぽかぽか日向ぼっこ。疲れているからか、睡魔はすぐにやって来た。一人分距離を空けて隣にいる朔は、腕を組んで俯いてる。何処かの練習室から微かに漏れ聞こえる楽器の音を聴きながら、私達は昼寝した。


 *


 知っている感触。触れ合う熱。甘くない、でも嗅ぎ慣れた香りが鼻をくすぐった。心地よくて安心して、無意識に応えようとした私は我に返る。脳みそが一気に覚醒して警鐘を鳴らした。これは、応えたらいけない相手からのキスだ。目を開けた時にはもう手遅れで、緩んでいた唇から柔らかな舌がそっと差し込まれた。撫でるように、窺うように、内側を舐められる。仰け反ろうにも背中には壁。ギターの弦の所為で固くなった指先が、私の頬を撫でた。ふわり優しいその感触に、泣きそうになる。この感情を朔は、いつの頃からか私に見えないよう上手に隠していた。それに甘えて安心して、傷付けていたのは私だ。でも私は、これを受け入れたらいけない。受け入れられない。

 喉の奥に込み上げた何かを飲み込んで、私は拳を作って朔の腿を叩いた。私が起きた事に気付いた朔が唇を解放してくれる。


「朔、私、彼氏いる」

「知ってる」

「ならこんな事しないで。私は答えられない」

「知ってる。でも――好きだ」


 泣きそうに顔を歪めた朔はまた、唇を触れ合わせた。私の両脚の上に跨った朔が作る、壁を利用した檻。そろり伸びて来た朔の手が私の両手を捕まえて、壁に縫い付けた。無理矢理なのに、あまりにも優しいキス。強引なのに、朔は私の何かを探っている。抵抗するには舌を噛んでやれば良い。でもそれは――躊躇われた。


「朔、やぁだ!」

「千歳。俺なら……側にいる」


 どうしてそっちが泣きそうなんだ。その顔も声も、ずるい。隠されていた感情は、今までどうやって隠れていたのか疑問に思う程明確で、大きなものだった。吐息が首へ触れ、押し付けられた感情が、熱い。


「朔! 朔! やめて! やめなさい!」


 一生懸命叫んだら、顔を上げた朔が私の瞳を覗き込んだ。


「嫌だった?」

「お、おバカなの? 無理矢理は犯罪です!」

「うん。でも……欲しくて死にそう」


 泣きそうに目を伏せて、だけど次に顔を上げた時には何にもなかったみたいに隠された。いつもの調子に戻った朔が、やっと私の上からどいてくれる。眠る前にも外した覚えのない眼鏡を手渡され、腕を引かれて立つよう促されたけど……足に力が入らない。


「骨抜き?」

「違う! 恐怖! 婦女暴行!」

「悪かった」


 軽口を叩き合ういつものような雰囲気で、朔が浮かべるのはどこか飄々とした普段と同じ表情。ぽんと頭に乗せられた朔の手を合図に、私の目からは涙が零れ落ちる。


「放せ! まだ座る!」

「もう授業」


 涙を誤魔化す為に抵抗して、私は俯いた。


「はな、放して、よ……」


 見逃してくれない。逃がしてくれない、朔は。涙を止められず泣きじゃくり始めた私の傍らに屈んで側に居続けた朔は、謝罪を繰り返すという事をしなかった。それはまるで朔の意思表示のようで、私の胸の真ん中にずんと重たい物が居座るのを感じた。


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