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恋歌  作者: よろず
タチアオイのつぼみ
15/57

2の8

 撮るのは四パターン。まずは旭さんと私の出番だ。監督さんの合図と同時に指示通りの動きを開始する。香りを楽しむように旭さんの鼻が私の身体を触れない距離でなぞり、私はそれを無表情に視線で追う。赤い唇に旭さんが滑り寄って、触れ合いそうな距離になった所で終了の声がかかった。


「カーット!」

「確認入りまーす」


 スタッフさんがざわざわ動き出して、旭さんは真っ赤な顔で頭を抱えて蹲る。


「はっずかしーッ!」


 小声で叫んで悶えはじめた。私だって恥ずかしい! 心臓が、胸の真ん中で爆発しそう!


「なんで姫、平然としてんの?」

「全然平然となんてしてないよ! 心臓ばっくばくだよ!」


 緊張の為に饒舌になった私達が会話をしながら深呼吸したりしていたら、スタッフさんからオーケーの声がかかる。一発オーケー。滑り出しは上々だ!

 次の出番は翔平さん、と私。どうして私ばかりなのかというと、今回の商品が女性向けだから。監督さんの合図で開始された演技。私は、後ろから歩み寄ってきた翔平さんの腕の中へそっと閉じ込められた。でも腕は私の体には触れないで、柔らかな檻が作られる。両手の指を私のおへそ辺りで組んで、翔平さんの鼻が触れない距離を保ったまま私の肩から耳元を滑る。私は黙ってそれを享受したままで、色っぽく見えるよう表情を意識して、目線だけ背後の翔平さんを気にするそぶりを見せる。


「カット!」


 声が掛かり、今度は翔平さんがくずおれた。やばいやばいと小声で何度も繰り返しているのがおかしくて、二回目という事もあって私の顔には笑みがのぼる。これも一発オーケーで翔平さんは旭さんの所へ行って、「やばい」を繰り返し呟いていた。私だって心臓痛くてやばいですよ! なんて、心の中で文句を言っておく。

 軽い水分補給とメイク直しの後でやって来たのは、朔の番。並んでカメラ前まで移動する間、朔がおかしい。緊張が歩き方にまで滲み出してしまっていて、心配になるくらい。


「朔、大丈夫?」


 思わず声を掛けた私を一瞥して、朔の顔は耳まで真っ赤に染まった。


「大丈夫じゃねぇよ。緊張し過ぎて気持ち悪ぃ」

「深呼吸だよ、朔!」


 緊張を叩き落とす勢いで朔の肩を叩き、素直に頷いた朔と二人で深呼吸。大きく吸って吐いてを三回繰り返した所で、はじめますって声が掛かった。

 これもまた、事前の打ち合わせで指示された通りの動きだ。旭さんと翔平さんの時と同様、私はパートナーの動きを無言で受け入れる。触れない距離で、まるでキスするように朔の唇が私の二の腕から指先へ向かい辿っていく。吐息が肌を掠め、少しくすぐったい。これまで触れない距離を保っていた手がふわりと私の指先を掴み、朔が取るのはまるで王子様のキスのポーズ。触れない唇。触れた吐息。ゆっくり上げられた朔の顔。視線が合った私達はそのまま見つめ合う――んだけど、顔を上げた朔があんまりにも真っ赤な顔で瞳を潤ませているものだから、恥ずかしさが伝染して思わず私の顔にも朱がのぼった。


「カットー。うーん……二人のその表情良いんだけどなぁ。良いんだけど、もう一回。冷静パターン行こうか」


 リテイクを出されてしまった。

 その場でわらわら駆け寄って来た人達にメイクやら髪やらを直され、再び二人で深呼吸。冷静に、冷静にとお互いに言い聞かせてやるんだけど……中々オーケーが出ない。


「わかった。次、ポーズを変えてみよう」


 五回目で、監督さんが提案した。


「両膝床について。跪いて。そのまま彼女へ縋り付く。彼は彼女を見上げようか。そのまま見つめ合って……彼女は彼の頬に触れるか触れないかで両手を伸ばして……そう。そのまま身体を折り曲げて唇寄せて――よし! その流れだ! 次はカメラ回すからねー」


 再びメイクを直されて、私達は緊張で強張った顔を向き合わせる。


「深呼吸だよ、朔!」

「お、おぅ!」


 すーはーすーはーと何度も繰り返して、本番だ。ふっと、お互いの表情が真剣なものへと変わる。

 膝立ちになった朔の腕が躊躇いがちに伸びて来て、私のドレスをそっと掴んだ。まるで縋り付くような動作で私に身を寄せた朔が、顔を上向かせる。朔に縋り付かれ、まっすぐに見つめられた私は両手を伸ばした。朔の頬に触れる寸前で止まり、触れずに両手で包み込む。私の手は緊張の所為で冷え切っているのに、朔の頬との間の空気が、熱い。朔の頬が熱いのか、それとも照明の熱かな。熱いライトの下で、熱っぽい視線に射抜かれた。なんだかふわふわ変な気分。頭の中にはさっき与えられた、監督の指示がぐるぐる回る。このまま唇を近付けないと――思考によるものか、衝動によるものなのかわからないくらい、世界へ入り込んだ気がした。徐々に縮まる距離。触れている訳じゃないのに、温もりが伝わるような気がする。吸い寄せられる。頭の片隅ではずっと、カットの声を待っていた。世界を途切れさせる外部からの声。私達を現実へ引き戻してくれる声は、中々掛けられない。内心ではぐるぐる焦りはじめて、でも動きを止める訳にはいかない。どちらかが均衡を崩せば触れる距離。朔の瞳に、私が映り込んでいた。


「よーっし! カットぉ!」


 合図と同時、唇が触れた。距離を縮めたのは、朔だ。びっくりした勢いのまま身を離して見下ろした先、朔の唇に移った赤。その赤を隠すように、朔は自分の唇を舐めた。動揺を隠せず一歩後退った私の事を、朔は未だに見つめ続けている。その顔に浮かぶ感情は、読み取れない。周りが動き出した気配がするのに、私の世界に、音はまだ戻らない。腰から力が抜けて座り込んだ私の様子は緊張の糸が切れた所為だと周りには受け取られたみたいで、休憩が挟まれる事となった。スタッフに囲まれた私を残し、立ち上がった朔は何も言わずにどこかへ行っちゃった。

 メイクが落ちるし、人に囲まれたこの状況で涙を流す訳にはいかないから堪えるけれど、泣きたい気分だ。すごく、洸くんに会いたい。胸の真ん中が、ざわざわ波立っている。だけど今はお仕事中。冷たいお茶を飲んで深呼吸して、無理矢理にでも平静を取り戻す。だって、これはお仕事。もう私はプロだ。今の私は子供と呼べる年齢だけど、私の中の、大人だった自分が自分を叱咤する。気分的に、私は女優よ! なんて、誤魔化してみたりした。



 休憩を挟んで再開した撮影、最後のカットは四人で床に寝転んだ映像。私を囲むように三人が円を描くようにして寝転んで、天井からは深紅の花びらが降ってくる。白い衣装を纏った私達は降り注ぐそれを見つめたまま、柔らかな赤に埋もれるの。ただ表情を作って寝転んでいたら良いだけだったから、問題なしの一発オーケーだった。これで今日のお仕事は終了です!

 着替えと、撮影に関わった人たちへの挨拶を終えてから車へと乗り込んだ。オーランシュさんも監督さんも、撮影の内容に満足してくれたみたいでほっとした。体から力が抜けると同時に、疲労感に襲われる。帰りの車中はみんなぐったり疲れた様子だったけれど、旭さんと翔平さんは興奮した様子で撮影についての感想を口にし合っていた。話を振られて、私も会話に参加する。だけど朔は窓の外を眺めたままで空返事。極度の緊張で疲れたんだろうと旭さんと翔平さんは笑っていたけど、私は、少し違うと思った。だって朔、一切私と目を合わそうとしてくれないんだもん。私の方もなんだか話し掛けづらくて、頑なに車外を睨み続ける朔からそっと目を逸らした。

 マネージャーの広瀬さんが運転するワゴンで家の前まで送ってもらって、みんなとは別れた。誰もいない真っ暗で広い我が家の鍵を開けて玄関に入り、私はまっすぐお風呂場へ向かう。それは外出後の習慣なのだけど、疲れとか、色々な感情を一緒に洗い流したい気分だったんだ。

 さっぱりした体で冷蔵庫を開けてミネラルウォーターを取り出して水分補給。スマートフォンで時間を確認して、私は階段をのぼり自室へと向かう。今、洸くんがいる場所は朝。ベッドの上に座って、開けたカーテンの向こうの誰もいない部屋を眺めながら電話を掛けるのが日課なの。


「もしもし。ちぃ?」


 優しい洸くんの声、聞いたら涙が溢れて、喉の奥で言葉が引っかかる。


「ちぃ? どうした? 泣いてるの?」


 電話の向こうで心配されて、なんとか答えようとするんだけど声が詰まって出てこない。喉が引きつるみたいで、出て来られない言葉が溜まっていく胸が、ひどく苦しい。


「こ、うくん……会いたい……」

「俺も、ちぃに会いたい。……今日、撮影だったんだろ? 何かあった?」


 撮影で、朔との間に起こった事。きっと事故。でもあの時の朔の瞳の熱が、不安を煽る。


「ちぃ、泣かないで。抱き締めてあげたいけど……遠いの、もどかしいな」


 涙が止められず、言葉を紡げないままの私に与えられた、洸くんの甘くて優しい声。私も今すぐ、抱き締めてもらいたいよ。


「あの、ね……今日、撮影でね、キス直前までってやつで、唇当たっちゃってね。なんかショックで……洸くんに触れたい。キスしたいよ」

「――相手の口、削ぎ落としてやる」


 低い声で呟いた洸くん。彼は本気だ。なんだかそれがおかしくて、不穏なのに嬉しくて、ちょっと元気が出た。


「そんな事したら犯罪者だよ?」

「ちぃの為なら、犯罪者にもなれるよ」

「おバカ。ダメだよ。そしたら一緒にいられなくなっちゃう」

「ちぃ。クリスマスに帰るから、その時たくさんキスをしよう?」

「うん。待ってる。勉強、頑張ってね」

「ちぃも頑張れ。でも、あんまり無理するなよ?」

「うん。また、電話する。――大好き」

「俺もだよ。大好きだ、ちぃ」


 またねって言葉の後で切れた電話。冷たく隔てる電子音をぼんやり聞きながら私は、真っ暗な洸くんの部屋の窓をノックしたくて、たまらなかった。


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