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ダイスと共に世界を歩く  作者: 黄粋
第五章
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一年ぶりの目覚め

 目を覚ました彼の視界に最初に入ったのは、電気の消えた電灯と真っ白な天井だった。

 

「そろそろ戻るか、なんて駄目元で考えたら戻れるとは……いよいよもって俺たちはあちらとこちらを自由に行き来出来る様になってきたみたいだな」

「言っちゃなんだがけっこう人間離れしてきたな」

 

 上体を起こして呟く彼に応えたのはソファーで寝転がっているタツミだ。

 以前同様、ある程度ならお互いに離れていても行動できる状態であるらしい。

 

「A級冒険者の言う事じゃないだろ。そこまで上り詰めた時点で人間止めてるようなもんなんだから」

「まぁそうだけどな」

 

 他愛の無い軽口を叩きあいながら、辰道はベッドから降りる。

 軽く伸びをしながら時刻を確認すると午前10時だった。

 ぎょっとして日付を確認し、強張っていた身体が脱力する。

 今日が日曜日だったからだ。

 

「ああ、驚いた。ちょっと向こうでの出来事が濃すぎたせいでこっちで何をしていたか忘れてるな」

「まぁ仕方ねぇだろ。あんだけ濃い時間だったんだし」

 

 深呼吸しながら、辰道はこちらの世界の前日の出来事を思い出す為に記憶を手繰る。

 辰道とタツミは瘴気を纏った騎士を倒し、誰にも見つからないように這う這うの体で自宅に帰還。

 疲れ果てたまま眠りについた事まで思い出し、彼はため息を一つついた。

 

「疲れて寝過ごしただけだな。今日が日曜でほんとに良かった(もし月曜だったら仮病使って午前休取らなきゃならない所だった。そう何度も休むのも申し訳ないし、助かったな)」

「ま、問題なくて良かった良かったって事で。今日はどうするよ?」

「何かするにしても午後だな。午前中はもうゆっくりしよう」

 

 行動を始めるには微妙な時間だ。

 今更どたばた動き出しても意味はないし、瘴気を纏った騎士についてはこちらの世界でもあちらの世界でも一応は解決している。

 

「ま、それが妥当か」

「一先ず何か腹に入れるがお前も食べるか?」

「あ、頼む。リクエストありなら前にお前が食ってたスクランブルエッグが食べたい」

「ああ、少し待ってろ」

 

 タツミからのリクエストを受諾し、冷蔵庫から卵を取り出す。

 キッチンでフライパンを熱しながら辰道は凝り固まった身体を解すように首を回した。

 

「(やけにさっぱりしたというかすっきりしているというか……清々しい気分だな。なにか良い事でもあるのか? それとも逆に何かある前触れか?)」

 

 そんな事を考えながら辰道はコンロの火を点けた。

 彼のこの疑念が正解だった事が発覚するのはこの日の夕方の事だ。

 

 精神的な負担を考えてゆっくり休む事にした辰道たちは適当にだべりながら過ごした。

 家の中でも出来る調査として『The world of the fate』にログインし掲示板で何か情報がないかを調べたりもしたが、やはり目ぼしい情報は見つからず。

 何事もなく一日が終わると完全に気を緩めて夕刊を読んでいた彼は1つの記事の内容に目を見開いて驚愕した。

 

「一年もの間、原因不明の昏睡状態だった少女、目を覚ます!?」

「なんだなんだ? どうした、辰道?」

 

 定位置であるソファーに座り、なんとなしにテレビを見ていたタツミが辰道の声に驚いて振り返る。

 そんな彼を無視して辰道は記事の内容に目を通し始める。

 

「本日早朝。1年前の殺人事件の被害者である少女が病院で目を覚ました。事件後、昏睡状態になっていた少女は医学的に異常は見られずなぜ眠り続けているのかわからなかった。医師団による延命措置と賢明な治療が行われていたが成果はなく、一部には目覚める可能性は絶望的とも言われていたと言う。少女は面会に来ていた母親に笑いかけ身体的な衰弱は見られるものの意識ははっきりしている。長い間、眠り続けていた為にその体調は決して良い物とは言えないが経過を観察し、検査に耐えられると判断され次第、慎重に検査が行われる予定。今後の回復が待たれる」

 

 内容を読み進めながら、辰道はこの少女が空井静里であると半ば確信に近い気持ちを抱いていた。

 根拠の無い直感だが、彼の後ろで覗き込むようにして記事を見ているタツミも同様の確信を抱いているようだ。

 

「あの病院で意識不明ってレベルの人間は1人しかいなかったはずだぜ。つまりこれは……」

「空井静里さんである可能性が高い、か。……まさかあっちの世界で塔から連れ出したのが何か影響したのか?」

 

 崩壊する白い空間の中にあっても決して離さないと抱き寄せた少女。

 あの後、どうなったのかわからなかったが、もしも目覚めた少女と言うのは彼女であるならば、あの時の行動は良い方向に作用したという事になる。

 

「……行きたいが明日から仕事だし今は彼女の周りも騒がしいだろう。一先ずは来週末、行ってみるか」

「あの病院もかなり遠いし仕方ないな」

 

 考え込んでいたのはほんの数秒の事。

 辰道はすぐにここで考え込んでも仕方ないと結論付け、週明けの仕事の準備を始めた。

 頭の片隅に、この記事の事を刻み込んで。

 

 

 

 彼らが事の次第を知る数時間前。

 彼女はいつも通りに娘が眠っている病室へと足を進めていた。

 一年もの時間、ほぼ毎日のように通い詰めていた為に既に彼女の顔は病院の看護師たちにも知れ渡っている。

 すれ違う人たちに挨拶を返しながら、彼女は4階の奥にある娘の部屋の前に到着した。

 

「(ほんの少し病状は良くなったけど。あの子はまだ目を覚ましてはくれない。……私はあの子の為に何が出来るの? 教えてください、義父さん)」

 

 彼女の頭に浮かぶのは死人のように青褪めた顔で眠り続ける娘と、傍にいるだけで安心感を覚えた夫の父親である老人の姿。

 既に亡くなっている父親は、彼女にとって夫と娘と並ぶ心の支えであった。

 今でも彼女の中で鮮明に残る忌まわしい日の記憶。

 静里と健志が偶には夫婦水入らずで過ごしてほしいとよこした二泊三日の旅行。

 共働きでなかなか揃わない夫婦を思いやった企画に2人は揃って破顔して喜んだ。

 

 家族の暖かな気遣いを喜びながら旅行を存分に楽しみ、素敵な企画をしてくれた家族へのお土産を買う。

 幸せな旅行だった。

 その最終日いざ帰ろうという時に夫の携帯がなり、娘と義父に起きた出来事を知らされるまでは。

 

 青褪めながら病院に直行した二人を待っていたのは青白い顔で眠り続ける娘と霊安室で永遠の眠りについている義父だった。

 足元が崩れるように彼女は力が抜けて座り込む。

 その隣では夫が涙を流しながら「どうして? なんでだ?」と繰り返し呟いていた。

 

 それから義父の葬儀が終わってから、彼女たちは今まで通りに仕事を続けた。

 娘がいつ目覚めてもいいようにと。

 彼女が目覚めた時にいつも通りに笑いかける事が出来るように。

 命を懸けて娘を守ってくれた義父と老犬に少しでも報いる為に。

 

「(でも……辛いわ。こんな日々が長く続いたら私たちはいずれバラバラになってしまう)」

 

 最近の彼女の心には常にネガティブな事が思い浮かぶようになっていた。

 一年経っても目覚めぬ娘。

 家と病院、職場と病院を行き来する日々に彼女は疲れ果てていた。

 

 『空井静香あけい・しずか』は、ドアの向こうで眠り続けるだろう娘の事を思い浮かべ、悲しみのため息を漏らすとゆっくりと横開きのスライドドアをそっと開ける。

 

「……えっ」

 

 そしていつもと違う光景に思わず己が目を疑った。

 最近になって自分たちの声に僅かばかりの反応を示すようになった娘。

 彼女が自身の上半身を起こしていた。

 

「あ、ああ……し、静里?」

 

 目の前の光景が信じられない気持ちと娘が目覚めた事への歓喜で今の静香の心はぐちゃぐちゃだ。

 それでも何かを口にしなければならないと思い、声を震わせながら娘の名を呼ぶ。

 その声を受けて、ぼうっとしていた娘はゆっくりと部屋の入り口で立ち尽くす母親と目を合わせた。

 

「ぁ……」

 

 ずっと眠ってきた影響で彼女の声は掠れ、出そうとした声は言葉にならない。

 それでも。

 自分の事を認識し、声をかけようとした娘に母は涙を流した。

 

「静里、静里静里っ……!!」

 

 すがりつくように自身の身体を抱き寄せる母親。

 未だに声は上手く出せない。

 それでも何かを伝えたくて、静里は母と視線を合わせ小さく微笑んだ。

 

 大丈夫だよと伝えるように。

 心配をかけてごめんなさいと伝えるように。

 

「う、あ、あぁああああああああ! 静里ぃいいいいいいい!!」

 

 かろうじて残っていた静香の自制心が無くなる。

 恥も外聞もなく我が子を抱き寄せ、大粒の涙を流しながら絶叫する。

 娘は目を瞑り、自身を想って泣いている母のやや乱暴な抱擁に身を預けた。

 廊下にまで聞こえていた母の声に看護師が駆けつけるまでずっと。

 

「(私を呼んでくれていた人は、一体誰だったんだろう?)」

 

 眠っていた己に語りかけてきた男性の声。

 

「(お父さんともお爺ちゃんとも違う声。私の事を抱きしめて……守ろうとしてくれた声。お母さんたちが待ってると教えてくれた声)」

 

 その声がなかったら自分はまだ眠っていたままだっただろう事がなんとなく彼女には何故か理解できていた。

 おぼろげな記憶にある、見た事の無いはずの部屋。

 そこから出してくれた父や祖父とは違う、けれど同じような力強さを持った誰か。

 

「(誰だかわからないけど。もし会う事が出来たらお礼が言いたいな。助けてくれてありがとうございます、って)」

 

 バタバタと近づいてくる複数の足音を聞きながら、静里は母の暖かな体温に身を任せてそんな事を考えていた。

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