骨の怪物と魔物の群れ
突然のフォレストウルフの襲来。
それに引きずられるように現れたスケルトンは、真っ直ぐにアスロイ村を目指していた。
肉眼で確認できるほどの黒い霧のような物を体中から噴出させながら近づいてくる骨の怪物は、フィリーやタツミからすれば不気味極まりない。
涎を垂れ流し、瞳を充血させながら後に続く魔物たちの存在がその不気味さに拍車をかけていた。
「うっ……なんて強い瘴気なの」
冒険者として悪霊や怨霊と対峙した事があるフィリーは、思わず口元を手で覆って顔をしかめる。
スケルトンから噴出するどす黒い闇が放つ気配に当てられたのか、その顔色はフォレストウルフが現れた時と比べても目に見えて悪くなっていた。
「(まずい、奴の気持ち悪い気配にやられて『恐慌』状態になっちまってる)」
『恐慌』はバッドステータスの1つである。
『相手に恐怖心を抱いている』という状態で、その効果は『物理攻撃力、物理防御力、素早さの半減』。
バッドステータスは効果が大きい物を上位、低い物を下位と分けられており恐慌状態は上位に分類されている。
悪い方向に進む事態を打開すべく考えを巡らせるタツミ。
焦る彼の心など気にせず、事態はさらに進んでいく。
スケルトンは一直線にアスロイ村に迫り、村の敷地に足を踏み入れる。
同時に魔物の気配に反応して薄い白色のカーテンのような物が出現。
魔力で作られたカーテンとスケルトンが接触し、火花を散らす。
しかしカーテンの抵抗は一瞬で破られ、スケルトンはあっさりと村への侵入を果たした。
「きゃあっ!?」
結界が破られた事で術者のフィリーに鈍痛が走り、彼女はその想定以上の衝撃に思わず仰け反って悲鳴を上げた。
スケルトンが力技で破った為に『白色の遮光』は消失し、正気を失った近辺の魔物と思われる群れも骨の怪物に続いて村に入り込んでしまう。
「そんな……結界を無理やり押し通って破壊したの!?」
この世界における戦いの常識を無視するスケルトンの行動に精神的に追い込まれていくフィリー。
タツミはそんな彼女をどうにか落ち着かせようと必死に考える。
「(『状態異常無効・上級』を取得してるお蔭か、俺は状態異常になっていない。能力的に考えても俺が彼女の壁になって……どうにか彼女を安心させないと)」
タツミはそこまで考えるや否や、こちらの世界の人間としてはまずありえない高さの基礎能力を利用して地面を蹴り、フィリーに駆け寄った。
「きゃっ!?」
瞬きする間に自分の隣に移動してきたタツミに彼女はまたしても悲鳴を上げる。
「驚かせてすみません!」
謝罪しながら彼は左手で腰帯に括り付けていた兜を取り外し頭に装着。
手馴れた動きで速やかに兜の尾を締め、刀を両手で握り直す。
「気をしっかり持ってください! 確かに濃い瘴気を纏っていますけど近づかなければ影響はないはずです!! 貴方にヤツらは絶対に近づけさせません!! だから落ち着いてください!!」
フィリーに声をかけると同時に、タツミは職業『大将軍』が覚えるコマンドスキル『激励』を使用する。
効果は声の届く範囲の基礎能力を5%上昇させるという物だ。
加えて2割の確率で混乱、恐慌、魅了の状態異常を解除する事が出来る。
タツミは恐慌状態になってしまったフィリーの能力を少しでも高める為にこのスキルを使用した。
正直なところ、二割の解除効果には期待していなかったのだ。
今まで彼の身近で起こってきたダイスロールの結果を鑑みれば、物事を楽観的に考えようと思えなくなるのもある意味、当然の事だろう。
「……ご、ごめんなさい。取り乱してしまって……もう、大丈夫よ」
自分を励ます言葉に勇気づけられたのか彼女は落ち着きを取り戻した。
青褪めていた顔にも生気が戻り、彼女の変化を察したタツミは反射的に彼女のステータスを視る。
恐慌のステータス異常は解消されていた。
どうやら2割の追加効果が発動したようだ。
「何よりです。ゴダさんたちが到着するまでフィリーさんには指一本触れさせません」
「ふふ、わかったわ。その代わり回復や補助は私に任せて」
「よろしくお願いします」
最低限の方針を話し合い、タツミは一歩、二歩と前に出る。
スケルトンとの接敵まであと十秒も無い距離だ
タツミは一瞬だけ周りに視線を巡らせ、パッシブスキル『気配察知・上級』で探知していた気配を全て確認した。
目の前のスケルトン、その背後にいる群れ、そしてスケルトンが現れてから距離を取ったまま攻撃してくる気配を見せないフォレストウルフ。
彼は全ての敵の位置からフィリーへの対角線上に文字通りの意味で壁となるように立つ。
「先手必勝!!」
スケルトンが刀の射程距離に入るよりも早くタツミは刀を振り上げる。
「でぇええええい!!」
並みの冒険者では残像すら見えない速度で振り下ろされた刀の軌跡に沿って衝撃波が放たれる。
真っ直ぐにスケルトン目掛けて走る飛ぶ斬撃。
キルシェットを助ける際にも使用したスキル『斬空』である。
「!!」
黒い瘴気を身に纏い、どう見ても異常なその姿とは裏腹に『斬空』を前にしたスケルトンの行動は実に理性的な物だった。
スケルトンはその場に立ち止まると剣の腹で衝撃波を受け止めたのだ。
『斬空』が直撃した瞬間、金属同士がぶつかり合ったような甲高い音が周囲に響く。
しかし一撃で両断されたグレイウルフとは異なり、スケルトンは無傷だった。
「だが足は止められた!!」
再びタツミは『斬空』を放つ。
しかし次は連射で、目標はスケルトンの後に続く魔物の群れだ。
「(近づかれる前に敵の数を減らすっ!!)」
『斬空』はスキルレベルを上げる事で連射が可能になるコマンドスキルである。
剣士として覚えられるスキルを全てマスターしているタツミの『斬空』の最大連射数は5発。
一撃でまとめて放つ物に比べて威力は3割にまで落ちる上に連射する毎に命中率が低下するというデメリットがある。
しかし相手が的を絞る必要が無い程に群れで現れているこの状況ならば、命中率の低下によるデメリットは考える必要はない。
狙いを付ける必要が無いほどの数の敵がいるのだから。
「はぁああああっ!!!」
衝撃波はスケルトンの横をすり抜け、魔物の群れに着弾し盛大な爆発音と土煙を上げる。
正気を失い、ただただ暴走する本能のままに突き進んでいた魔物たちに攻撃を防御するという行動は取れない。
着弾した『斬空』はその威力もあって、かなりの数の魔物を蹂躙した。
しかし全ての敵を倒す事は出来なかった。
正気を失った獣たちは、致命傷を負わせない限り止まらなかったのだ。
四肢の一本が欠けた程度であれば、まるで何事も無かったように前進を続ける。
足をやられた者ですら這いずりながら進み、血走らせたその目と暴走した殺意をこの村へ向けていた。
「厄介な奴らだなっ!!」
再度、『斬空』を放とうとしたところで、攻撃を受け切ったスケルトンが動き出す。
攻撃してきたタツミに狙いを絞った様子で、真っ直ぐに彼目指して走り寄ってきたのだ。
「フィリーさん、もっと後ろへ!! 巻き込まれないように下がってください!! 後できれば他の雑魚の足止めをお願いします!!」
彼女の返事を待つことなく、タツミは駆け出す。
振り上げられた無骨な剣を、正眼に構えた刀で受け止めた。
通常、刀の細長い刀身は攻撃を受け止めるようには出来ていない。
しかし彼の刀は異大陸ヤマトの腕利き鍛冶師『ムラマサ』が刀匠としての技術と、あちらで主流になっていた魔法理論の粋を結集させて彼の為だけに誂えらえた無二の一品。
異大陸ヤマトのイベントを上位の成績でクリアした事で手に入った武器。
故に通常の刀の理屈は通用しない。
頑強でありながら、鋭い切れ味を併せ持つゲーム的に言えばチートと言っても過言ではない性能の武器なのである。
「ぐっ!! 重ッ!(くそ、レベル以上の攻撃力だ!! 身体から吹き出している瘴気のせいなのか、これは!?)」
思わず呻きながらタツミは強引にスケルトンの剣を弾く。
反動で後ろに跳躍して距離を取る彼に対して、スケルトンはまたしても剣を大上段に構えて逃げる獲物に追いすがってきた。
黒い靄をまとった剣が振り下ろされる。
対してタツミは下段に構えていた刀を振り上げた。
二つの刃が激突し、空気を震わせる轟音が響き渡る。
元々のレベル差のお蔭か全力で振り上げた刀は、スケルトンを剣ごと吹き飛ばした。
しかし十数メートルの高さに吹き飛ばされた骨の怪物は攻撃が堪えた様子もなく、平然と地面に着地する。
「(見た目が骨だから表情がまったくわからん。攻撃が効いてるのかどうかが読み取れない)」
しかしその動きだけは骨だけとは思えない程に機敏で、しかも無駄が無い。
「(なんでターゲットを俺に絞り込んでるのかわからないが、フィリーさんが狙われないと言う意味ではこっちにとってプラスだ。このまま引きつけてどうにか打開策を……)」
何度目かの打ち合い。
しかしお互いに決定打にはならず、またしても距離が開く。
ちらりと他の戦局を確認すると、群れの魔物たちはノロノロとしたペースで進んでいた。
斬空の連射で殲滅する事は出来なかったが、その機動力を奪う事は出来たようだ。
思ったよりも遥かに遅いペースに、この分ならもうしばらく放置しても問題は無いだろうと彼は考える。
「バインドマジック!!!」
自身の背後から凛とした声が響き、暖かい白色の魔力の帯が彼を通り過ぎて敵の群れに向かう。
スケルトンは近づいてくる帯を剣で断ち切ってしまうが、群れは抵抗する事が出来なかった。
帯が身体に絡みつき、その緩慢な動きを完全に止める事に成功した。
「くっ、また力技で魔法を……!! た、タツミ君! 他の魔物は私が抑えるからスケルトンに集中して!!」
「ありがとうございます!!」
背中越しに感謝の言葉を告げ、タツミは地を蹴る。
相変わらず動きを見せずに戦いの推移を見守るだけのフォレストウルフが気になったが、スケルトンを下すのが先だと彼は割り切った。
「(全力でこいつを倒す!!)」
頭の中でスキルを選択。
彼の持つ刀の刀身が燃え上がる炎のような赤色に変化する。
MPとして自分の中の力が消費される感覚を味わいながらタツミは叫んだ。
「くらえっ!!!」
刀を横薙ぎに振るう。
スケルトンは持っていた剣の腹で刀を受け止めた。
接触の瞬間、刀身と同じ色の魔方陣がスケルトンの眼前に出現。
次の瞬間、魔方陣が爆発した。
爆弾が破裂する音が周囲に轟く。
「……どうだ?」
使用したコマンドスキル『斬撃・爆裂』は物理攻撃と炎属性の魔法攻撃を同時に放つスキル。
ダメージは物理、魔法それぞれの攻撃力を足した物になる為、威力は通常攻撃よりも遥かに高くなる。
様子を窺っていたタツミの視界に土煙を裂くように突き出される剣。
「うぉお!?」
思わず悲鳴を上げながら飛び退くが、一歩遅く右肩の甲冑に剣が接触。
「がぁっ!?」
甲冑越しの強烈な痛みにタツミは悲鳴を上げた。
衝撃で右半身が後方に仰け反る。
その隙を逃さずに振るわれる骨の右拳。
痛みに顔を歪めながら反射的に左手を身体の前に出し、迫る拳を防ぐ。
しかし黒い靄が纏わりついた拳は、予備動作無しで繰り出されたとは思えない程の威力があった。
防御の為に差し出した左手が弾かれ、勢いを衰えさせる事なくスケルトンの拳がタツミの腹部に突き刺さる。
「ごふっ!?」
腹部への衝撃で強制的に息を吐き出す羽目になり、大柄なはずの彼の身体は地面に叩きつけられてバウンドした。
「タツミ君!!」
「大丈夫です!!」
身体の性能、さらにフィリーにかけてもらっていた『プロテクション』の効果も相まって、タツミ自身が恐れた程のダメージはなく痛みが長引く事も無かった。
即座に受け身を取って立ち上がり、攻撃を受けても手放さなかった刀を構え直す。
彼が睨みつけた先には、全身が黒く焼け焦げた姿のスケルトンがいた。
どうやら『斬撃・爆裂』はある程度の効果があったようだ。
「効いてはいる、みたいだな(やっぱり物理攻撃よりも魔法攻撃の方が有効か? それにあいつの攻撃、周りの瘴気をまとってたから闇属性の魔法攻撃かと思えば完全な物理攻撃だった)」
刀を上段に構え直し、敵の出方を窺う。
「魔法攻撃ならダメージが見込めるって事か(ダメージを受けるリスクは今の所は低い。なら次は……連発でぶつけてやる!!)」
彼の意思を受けて刀身が赤く燃え上がるように色付いた。
スケルトンは先ほどの一撃を警戒してか、その場から動かず武器を構えている。
その頭蓋骨は相変わらず見えていないはずの視線をタツミへと注いでいた。
「おおおおおおおおおっ!!!」
吼え声と共にタツミは踏み込む。
スケルトンとの間にあった十メートル前後の距離を一歩で詰めた。
「くらえええええ!!」
刀を振り下ろす。
やはり受け止められるが、先ほどと同じように魔方陣が現れ爆発を起こした。
間髪入れずに振り下ろした刀を振り上げる。
2発目の斬撃も、やはり防がれる。
しかし魔方陣による爆撃は続いた。
3発、4発とスキルを使用して斬りかかる。
その全ての攻撃は防御されたが、爆撃だけは確実にスケルトンにダメージを与えられている。
少しずつ煤けていくその様子を見て彼はそう考えた。
そして10発以上の攻撃を行った頃、今までまるで堪えた様子を見せなかったスケルトンの身体が初めてふらつく。
「このまま押し切って!! うぉっ?!」
タツミが言い切るよりも早く、敵の身体からまたしても瘴気が噴出する。
あまりに強い勢いに彼は吹き飛ばされるが、危なげなく着地した。
うぞうぞと蠢く瘴気はまるで骨の怪物を支えるようにその身体にまとわりつく。
すると瘴気がまとわりついている部分、先ほどスキルでダメージを受けた焼け焦げた部分が少しずつ再生していく事に彼は気が付いた。
「『自動回復』っ!! 時間もかけられないのかよ!!!」
「タツミ君!! そっちに狼が向かったわ!! 気を付けて!!!」
フィリーの悲鳴のような言葉の通り、フォレストウルフがスケルトンに駆け寄っていた。
ただ瘴気に近づくのを嫌っているのか、スケルトンの傍に寄ってはいるものの目測でおよそ3メートル程度の距離を取って動きを止める。
フォレストウルフの動きを警戒し、タツミはもう一度突撃しようとしていた足を止めた。
しかし当のフォレストウルフは、スケルトンを援護するのかと思えばそうではなく、まるで二者の戦いを見守るかのように傍観していた。
「くそ、仕掛けてくるわけでもないのに、一々意味不明な行動を取るんじゃない!!」
行動の意図が読めず、タツミは思わず毒づく。
その言葉に狼の耳は反応を示しているが、その表情は変わらない。
遅々として進まない戦況に舌打ちしながら彼は一足飛びで距離を取った。
荒ぶっていた自分の気を呼吸と共に鎮めて周囲の気配を探ると、一人で他の敵を抑え込んでいるフィリーの気配が遠ざかっている事に気が付いた。
スケルトンとの戦いに集中する余り、一緒に戦っていた彼女の事が頭から抜け落ちてしまっていたのだ。
慌ててフィリーの傍へと駆け寄る。
「フィリーさん、大丈夫ですか!!」
「う、うう……だ、大丈夫よ」
気丈な言葉ではあったがその顔には疲労の色が濃い。
少なくない汗が彼女の頬を伝い、顔色が悪い事も隠し切れていなかった。
そもそもたった一人で数十の敵を抑え込むには相応の技術と魔力が必要だ。
彼女はその両方を兼ね備えた実力者だが、それを長時間続けるのは厳しい。
魔法を使い続ける為には集中し続けねばならず体力も消費するものだ。
ゲームのようにHP、MPと綺麗に切り分ける事など出来ない。
「これを……」
タツミは背中に手を回し、彼女から見えない位置でアイテムリストを開く。
ハイポーション、ハイエーテルを一本ずつ取り出すと如何にも隠し持っていた物を取り出したように見せて彼女に手渡した。
「ありがとう。正直、魔力の方が限界だったの。いただくわね」
彼女は蓋を乱暴に開き、中身を一気に煽る。
ポーション、エーテルなどのドリンク系のアイテムは基本的に飲む事で効果を発する。
余談だが味はグレードが上がるほど一般的に美味しくなっていく。
「それにしても……ゴダさんたちはまだ来ないのでしょうか?」
「そうね。キル君の足ならもうとっくに連れてきてくれてもいいと思うのだけど」
キルシェットがゴダたちの元に向かってから、かれこれ10分は経過している。
彼らのいる診療所までは村の端から端までの距離があるが、アスロイはそれほど大きい村ではない。
盗賊である彼ならば5分とかからず走破する事が可能だ。
だと言うのにいまだ彼らが駆けつけてこない。
装備を整えるのに手間取ったとしてもありえないほどの時間が経過していた。
これはつまり。
「あっちにも不測の事態が起こっている。たとえばこちらのように敵の襲撃を……」
「恐らくは、ね」
目の前の敵から視線を外す事無く、フィリーは他のパーティメンバーの無事を祈った。