真っ白な世界で
「おい! 目ぇ覚ませ、辰道!」
「う、ぐ……あっ!」
途切れた意識が鼓膜を震わせる声で一気に覚醒する。
辰道は倒れ込んでいた身体を反射的に起こし、周囲を見回した。
そこは果てのない地平線の辺り一面が真っ白な世界だった。
辰道がタツミと出会い、塔を見つけた場所だ。
彼の目の前には片膝を付いて彼が起きた事に安堵しているタツミの姿がある。
「良かった。起きたか」
「タツミ? 俺は、確かやられて……どれだけ気絶してたんだ?」
「ここには時計も太陽もないからな。正確な所はわからんが、俺の感覚じゃ10分くらいだ。呼びかけても揺すってもうめくだけでまったく起きなかったから焦ったぜ」
「そう、か。心配かけて悪かった」
肩の力を抜いてため息を零すタツミに、辰道は自分が相当心配をかけた事を察して謝罪する。
「気にすんな。それよりも、問題はあっちだ」
「あっち?」
タツミの手を借りて立ち上がった彼は、視線で示された自身の背後を振り返り途端に嫌な顔をした。
「……なるほど」
「俺が目を覚ましてからずっとあんな感じなんだが……どうするべきだと思う?」
頭を掻きながらどうしたもんかと呟くタツミ。
彼らの視線の先には窓のない塔がある。
塔の入り口は両開きで完全に開かれていた。
瘴気を吐き出すわけでも、吸い込んでいるわけでもない。
まるで辰道たちの来訪を待ち構えているかのようにも見えた。
「……行くしかない、よな?」
「あれ以外、周りに手掛かりになりそうなもんがないからな」
顔を見合わせどちらともなく頷き合う。
そして彼らは警戒しながら塔の扉を潜り抜けた。
長い階段を登る。
以前、入った時と何も変わらない。
人の気配など感じられない不気味な静謐の中、彼らが会談を昇る足音だけが反響する。
「このタイミングでこの世界に来た事に意味があると思うか?」
沈黙に飽きたのかタツミはふとそんな疑問を口にした。
「わからん。ただ、俺はあっちにいる時に寝入ってこの世界に来てマーセナスと出遭っている。猫はどこだ、鳥はどこだ、蛇はどこだと喚いてとても正気とは思えない状態だったが……その事と関係がある、のかもしれない」
「そもそもなんであいつはこの真っ白な世界にいたんだろうな? あちらとこちらの世界の境目だと思われるこの場所に」
「それを言うなら俺たちがなんでここにいるのかだってわからないし、この塔と塔を作り出したって言う空井静里ちゃんの事だってよくわかってないんだぞ?」
「疑問が増えていくばかりで解決の糸口も見当たらない~ってか。……っと着いたな」
階段を登りきった所にある何の変哲も無い木製のドア。
しかし以前、辰道が来た時と違い、閉じていたはずのドアは今は半開きになっていた。
「……露骨に怪しいな」
「だな。俺が先に入ってみる」
「わかった。頼む、タツミ」
腰の刀に手をかけ、いつでも抜刀出来る様にしながらタツミは肩で内開きのドアを押し開ける。
「……!!」
さほど大きくも無い部屋を見回し、タツミは顔を険しくし、刀の鯉口を切る金属音が彼の後ろで控える辰道の耳にも聞こえた。
「何かあったのか!?」
「見たほうが早い。だが辰道……驚いてもいいが刺激するなよ?」
それだけ言うとタツミは部屋の中へと入っていく。
辰道は彼の言動に訝しげに眉を寄せながらも警告どおりに深呼吸して心を落ち着けてから、ゆっくりと部屋へと入っていった。
「っ……!? これは」
目の前の光景に辰道は驚きの声を上げそうになり、思わず口を押さえて声を押し殺した。
彼の視線の先には、部屋の奥にあるベッドで横になっている青白い顔をした少女。
そして彼女が横になっているベッドの傍に蹲り、視線をどこか明後日の方向にやっている西洋甲冑を着た女の姿があった。
「マーセナス……。しかしこっちに攻撃してくるわけじゃなさそうだな」
「そもそも敵意がないな。というか心ここにあらずって感じだ。俺たちの存在どころか自分が今どういう場所にいるか認識してるかすら怪しいぞ」
タツミは腰の刀から手を離し、マーセナスの傍まで歩み寄る。
彼女の視線を遮るように手を翳してみるも反応は何も返ってこなかった。
「どうすりゃいいんだろうな、これ」
「何が起こるかわからない。下手に刺激したくはないが……この子の傍に置いておくのも、な」
青褪めた顔をして眠っている少女の傍に、先ほどまで明らかに正気ではない状態で武器を振るっていた人間がいる。
今や白狼と化した静里の祖父との約束を守る為にも、辰道の心情としてはどうにかマーセナスをベッドの傍から引き剥がしたかった。
「なぁ辰道。これってあの爺さんとの約束を果たすチャンスじゃねぇか?」
マーセナスを警戒しながら考え込んでいたタツミが声を上げる。
「チャンス? ああ、この子を助けるチャンスって事か?」
「ああ。爺さんは死んじまったせいなのかなんなのか、この子を目覚めさせる事は出来なかった。確か触れても声をかけても無反応だったんだよな? けど俺たちなら何か反応が返って来るんじゃないか?」
「……確かに。試してみる価値はあるか。タツミはマーセナスを見張っていてくれ」
「ああ、任せておけ」
ベッド脇まで近づく。
傍で見ると肌の白さと相まって病的に顔色が悪い事がわかった。
しかし上下する胸とか細い呼吸だけがこの子が生きている事を辰道に伝えてくれる。
「空井静里さん。聞こえていますか?」
静かに呼びかける。
しかし彼女から反応は返ってこない。
しばし考え込んだ後、辰道は彼女の肩にそっと触れた。
何か起こりやしないかと冷や冷やしながらも、その兆候が無い事にほっとする。
辰道は気を取り直して彼女の身体をゆっくり揺さぶりながらもう一度声をかける。
「空井静里さん。聞こえますか? 俺の声が聞こえているならばゆっくり目を開けてください。何か言葉を返してください。聞こえていますか? 空井静里さん。ご両親が、貴方のご家族が貴方が起きるその時を待っていますよ」
『家族』、という言葉に彼女の身体が僅かながら反応を示した。
呼吸をするだけだった彼女の口が掠れながら言葉を紡ぐ。
「お、父さん。お母、さん。お爺ちゃん、シン……」
すぐ傍にいて耳を澄ませていた辰道だけが彼女のか細い声を聞き取っていた。
「嫌……」
彼女がその言葉を紡いだ瞬間、今まで虚ろな表情で明後日の方向を見ていたマーセナスが立ち上がった。
「嫌だ」
どこを見ているともしれない瞳そのままにぼそりとマーセナスが呟く。
まるで静里の言葉に呼応するように。
「辰道! 俺の後ろから離れるなよ!!」
辰道と静里を背に庇うようにしてタツミは抜刀し正眼に構える。
「なんで、お爺ちゃんが? なんでシンが?」
「なぜ父が? なぜ我が家が?」
静里とマーセナスが同時に言葉を紡ぐ。
理不尽を嘆くその言葉は完全に同調し、周囲の空気をじっとりとした重苦しいものへと変えていく。
「なんで私たちがこんな目に……」
「なぜ私たちがこんな事に……」
マーセナスの瞳は黒く染まり、その身体から怨嗟の言葉に呼応するように瘴気が滲み出る。
背筋に悪寒が走り、辰道は咄嗟に眠り続ける少女の身体を抱き上げる。
脱力し切った身体を抱き上げるには相応の筋力が必要になるはずだが、謎の身体強化のお蔭で辰道は軽々と抱き寄せる事が出来た。
「何故なんだぁあああああああああああああああ!!」
金切り声の絶叫と共に瘴気が噴きだし、部屋を蹂躙する。
辰道はその場にしゃがみ込み、少女の身体を庇った。
「『斬撃・聖光!!』」
タツミは光を纏った斬撃で、自身に迫る瘴気を斬り散らした。
「効いた!? あっちで最後に当てた時は弾かれたのに!?」
この世界に来る直前の攻防を思い出し、驚愕の声を上げる辰道。
「本体に当ててないから効いたのかもしれねぇぞ!(ここじゃ狭すぎる。どうにかしてこの部屋からこいつを追い出さねぇと……)」
タツミは極めて冷静に今の状況を観察し、次の一手を模索する。
「あああああぁぁぁぁぁぁぁぁあああ!!」
マーセナスは状況を正しく理解しているわけではないらしく、武器を向けているタツミを無視し頭を抱えて頭上を仰ぎ身の毛もよだつ慟哭と共に瘴気を撒き散らした。
「こんな所で暴れるんじゃねぇ!! 『斬撃・波濤』!!」
振るう切っ先から溢れ出る圧力を伴った水の奔流がマーセナスを飲み込む。
タツミは指向性を持った水を操り、マーセナスをドアから部屋の外へ押し流す事に成功した。
「辰道、お前はその子の傍にいろ! 俺は奴を倒す!!」
「わかった! 無理はするなよ!」
部屋を飛び出す背中を見送り、辰道は腕の中の少女の安否を確認する。
少女は声もなく涙を流していた。
無意識に人の体温を求めているのか、抱き寄せている辰道の服を強く握り締めている。
「大丈夫だ。もう君を襲うような人間はここにはいない。だからどうか、目を覚まして家族を安心させてあげてくれ」
優しく語りかける辰道の言葉に安心したのか、彼の服を握り締める彼女の力が緩んだ。
「(タツミの方が気になるが……何が起こるかわからないのにこの子を連れて行くわけにも、ここに置いていくわけにもいかない。ここはあいつを信じて待とう)」
静里を抱え上げてベッドに戻すと辰道はボロボロになった部屋を見回す。
そして違和感に気付いて目を細めた。
「波濤で水浸しだったはずの床がもう乾いてる? それにマーセナスが暴れて壁と床には傷が付いていたはずなのに……もう直っているのか?」
壁や床に瘴気が叩きつけられ破損させていく様を辰道は確かに見ている。
だと言うのに今のこの部屋はまるでそんな事がなかったかのように元の状態に戻っていた。
「(この塔は……おそらくこの子の死にたくないという想いが創り出した物。普通の建造物の常識は当てはまらないって事か)」
ベッドの横たわった少女を見つめる。
「(襲われた時の恐怖、自分の祖父が殺されたと思った時のショック。それらの要因から眠り続ける。良い事じゃないんだが……どうすればいい?)」
マーセナスの慟哭のせいで掻き消されてしまっていたが、抱きかかえていた辰道にはあの時の静里のか細い言葉がかろうじて聞こえていた。
「『家族に会いたい』か」
未だに服の裾を離さない少女の手をそっと握る。
辰道の言葉が彼女に届くかはわからない。
しかしそれでも何か言わなければならないと彼は思った。
「君が目を覚ませば家族に会える。皆、君が目を覚ますその時を待っているんだ。どうか勇気を出してほしい」
同時に彼の脳裏を舞うサイコロ。
「っ!?」
出目は『6』。
最上の結果を出したダイスに驚き、静里の小さな手を握っていた彼の両手に思わず力が入ってしまう。
しかし真っ白な少女の手が僅かに自身の手を握り返してくれた事に、辰道は自分の言葉が伝わったのだと確信しほんの少し安心する事が出来た。
「おおおおおおおっ!」
「あぁぁぁぁぁぁっ!!」
タツミの放つ突きが瘴気が作り上げた壁に阻まれる。
お返しとばかりに押し寄せる瘴気の渦。
タツミは視界一杯に広がる黒い霧を僅かな隙間を縫うように駆け抜けて回避した。
「(このまま塔の外に放り出してやる!!)『斬撃・爆裂』ッ!!」
マーセナスを外壁と爆裂の魔法陣とで挟み込む。
次いで起きる爆発で内側から塔の壁を破壊、衝撃で吹き飛ばされたマーセナスは塔の外へ弾き出される。
「まだまだっ!」
為す術もなく落下していくマーセナスを追うようにタツミもまた塔の外壁から外へ飛び出す。
体勢を整えられないまま落下する彼女の鳩尾に、タツミは容赦なく刀を振り下ろした。
「『斬撃・聖光』!!」
斬りつけられ勢いそのままに白い世界の地面に叩きつけられた。
しかし斬り付けた瞬間、刀は硬い何かに弾かれている為、斬撃その物は有効なダメージを与えられていなかった。
「身体から離れた瘴気へは相変わらず光属性が有効。だが身体への一撃はあっちの世界で一発派手なのを入れたせいなのか通じなくなっている、と。この分だと爆裂と波濤の炎属性と水属性も効かなくなってそうだな」
敵の力を分析しつつ、次の一手を模索するタツミ。
彼の眼前には地面を陥没させるほどの衝撃を受けながらも、何事もなかったようにマーセナスは立ち上がっていた。
「アアアアアアッ!! 何故、ナゼ、なぁあああぜえええええええっ!!」
マーセナスはもはや見えていないのだろう瞳孔までも瘴気に侵され真っ黒になった瞳から、墨のような色の血を流しながら叫ぶ。
心からの嘆きを、苦しみを訴える。
「理不尽ってのはどこにでも転がってる。その様子を見てればすりゃよっぽど辛い目に合ったんだろう事は予想が付くが、それだってこの広い世の中じゃアンタだけってわけじゃないんだぜ?」
聞こえていないだろうと思いながらも、タツミはマーセナスに語りかける。
「あア亜、ウあァ亞、阿アアアアっ!!」
真っ黒な瞳がタツミを捉えた。
獣のように四つん這いになり今にも飛び掛りそうなマーセナスに、彼は刀を構えて備える。
「来い! っ!?」
激突するかと思われた両者の足元が突然崩れた。
タツミは踏み出した足を無理やり切り替え、後ろへ跳び退く。
「なんだってんだ、こりゃ」
彼は警戒しながら崩れた地面、その下に広がる空間を覗き込む。
下は何もない、底の見えない闇が広がっていた。
「アアアアアァァァァァァ……」
為す術なく落ちていくマーセナスの姿はあっという間に見えなくなっていき、その悲鳴のような叫びも聞こえなくなっていった。
「助かった。と言っていいのかわからねぇな、これ」
底のない闇に寒気を感じながらタツミは刀を納め、身を翻して塔へ向かって歩き出す。
「(ともかく戻ろう。あっちが心配だ)」
どうにか敵を撃退出来た事に安堵する彼の耳に何かが罅割れる音が届いた。
「っ!?」
納めた刀に再度手をかけ、音源に向かって振り返る。
マーセナスが落ちた穴。
そこから罅が周囲に広がっていた。
「やべぇ!」
タツミは脇目も振らずに走り出す。
彼の行動を合図にしたかのように罅割れは拡大し、白い世界に地震が起き始める。
風のような速さで塔の扉を潜り抜け階段を駆け上がり、辰道たちがいる部屋へと転がり込んだ。
「タツミ! この揺れはなんだ!?」
「よくわからんがこの世界の地面が崩れてる! これからどうなるかは悪いが予想できねぇ!」
「はぁっ!?」
急変する事態を報告され、辰道は素っ頓狂な声を上げた。
「くっそ、何がどうなってるんだ!? って今はどうでもいい! とにかくお前も早くこっちに来い! 離れないようにするぞ!」
「わかったっ!!」
タツミは彼らの元へ走り寄りながら上着の裾を千切り、ロープにして自分の左肩と辰道の右肩の上腕を結び付ける。
辰道はこの揺れの中でも眠り続ける静里の身体を決して離さないよう抱き寄せた。
そうしている間にも揺れはどんどん酷くなり、立っていられなくなる。
「絶対に離すなよ!」
「わかってる!」
結びつけた上で肩を組むようにして2人はお互いの身体を支える。
そしてふと地面が無くなる浮遊感を味わった後、塔が落下を始めた。
罅が広がり、奈落の底を連想させる穴が塔を飲み込んだのだ。
「「う、おぁああああああああっ!?」」
いつまでも続くかのような落下の浮遊感に悲鳴を上げる。
しかし彼らは意識が遠のきながらもお互いを離さず、また少女の身体を離す事もなかった。




