瘴気を纏うモノ
マーセナスの身体から吹き上がった瘴気は彼女の頭上高く舞い上がると、突然発生した事態を認識出来ずに戸惑っている観客たち目掛けてまるで滝のような勢いで振り注いだ。
「ひっ!?」
ソレが自分たちへの攻撃だと理解した誰かが引きつったような悲鳴を漏らす。
「光膜防御・急々如律令!」
「『ライト・エクスプロード』ッ!!」
降りかかる汚泥のような靄が凜とした女性の声と共に生み出された光の薄膜によって受け止められた。
次いで響く幼い少年の声と共に放たれた光が黒い靄目指して飛翔。
接触すると同時に爆発を起こし、光膜によって押しとどめられていた靄は四散した。
唖然としたまま条件反射で声のした方を見た観客たちは、この大陸では珍しい服装の女性が長方形の紙を掲げている姿と小柄な少年が両手を頭上に掲げている姿が映る。
「タツミ様!!」
タツミは観客席の床を蹴り、会場へ飛び込む。
会場には審判を背に庇い武器を構えるキルシェットと、もはや靄に飲み込まれて黒い塊と化したマーセナスの姿があった。
「そこまでだっ!!!」
タツミは気迫の篭った一喝と共に着地。
腰に佩いた刀を抜き放ち、その切っ先を黒い塊へと向けた。
面と向かって言われたわけでもないというのに気を引き締めるその声に状況についていけなかった者たちが目の前で目まぐるしく変わる状況にざわめき出す。
「おい、なんだ今のは!!」
「マーセナス選手がやったのかっ!?」
自分たちが攻撃されたのだと理解し、何人かが声を上げる。
動揺が波紋のように観客たちに広がり、口々に叫び出す。
膨らんでいく風船のように場の緊張が高まっていく。
その緊張は切っ掛けがあればすぐにでも破裂する事を一部の冷静な者は気付いていた。
「(ククク、面白い状況になった。これからどうなるか、実に見物だな)」
ボロスはこの状況を愉しんでいる為か、手を出すつもりはないようでニタニタと人を不安にさせる笑みを浮かべて事の推移を見つめていた。
そこにまたしても声が響く。
「怯える必要はない」
静かな、それでいて場を支配するには充分過ぎる威厳の篭った声だ。
魔力と伴ったその言葉はそれほど大きな声でもなかったというのに会場全体のあらゆる人間の耳にその声は届いていた。
そして誰もが声の主に注目する。
泰然と立つその人物は段上になっている観客席を見下ろす位置にいた。
緑色の髪をたなびかせ、怜悧な顔立ちは否応無く人目を引く。
斜め後ろに控える背の高い従者の存在が、男がのっぴきならない立場にいる事を伝えていた。
そしてその隣では急いで駆けつけてきたのか肩で息をしているルドルフの姿もある。
「私は南国グランディアの街フォゲッタにてギルド長を務めている『ギルフォード・ラル・フォンバルディア』だ」
彼の名乗りに会場中がざわつく。
なぜ南国のギルド長が、という疑問の声が辺りから聞こえた。
「ぜぇぜぇ、ごほん。闘技大会運営委員の『ルドルフ・エドガー』です」
どうにか息を整えたルドルフもまた名乗りを上げた。
こちらは闘技大会に来た事がある人間ならば見覚えがある人物だった為か、ざわめきはそれほどの物でもない。
「現在、この場で起きている事柄について諸君の身の安全はこの私と大会運営のルドルフ氏、そしてAランク冒険者『タツミ』の名において保証する。なので慌てず騒がず、落ち着いて行動して欲しい」
その言葉を受けた観客たちのざわめきは止まらない。
しかしその質は先ほどまでと変わっていた。
ギルフォードの落ち着いた物言いにパニックに発展しかけていた混乱は静まりつつあるのだ。
「ふむ。落ち着いてもらえたようで何よりだ。さて……」
ギルフォードは会場全体の混乱が静まった視線をリングへと移す。
「この場の混乱は私とお前の仲間たち、大会関係者とで押さえ込む。こちらは気にせずそちらは速やかにそれを鎮圧しろ」
タツミの耳にだけ届くギルフォードの声。
その変わらぬ言動に、タツミは自然と口元を綻ばせていた。
「突然現れて簡単に言ってくれるな……。あとで事情は聞かせてもらうぞ」
「勿論だ。ああ、それと避難誘導はお前の仲間たちにも手伝ってもらうが構わないな?」
「ああ、よろしく頼む。キルシェット! お前も下がってくれ。今の消耗しているお前じゃこいつの相手は無理だ」
「う……わかりました。気をつけてください!」
今の状態で自身は戦力になりえない事を言われ、キルシェットは悔しげに呻きながらも納得し、審判に手を貸されながら下がっていった。
ギルフォードは視線をタツミからオイチたちへ移す。
その口が動いてる事から魔力による遠距離会話で彼女たちと避難誘導の打ち合わせをしているのだろう。
ルドルフはスタッフと観客たちに避難指示を出し始めている。
「(これなら任せて大丈夫か。目の前の相手に集中できる)」
タツミは不気味な沈黙を保っているマーセナス。
黒い靄に包まれたまま、先の一撃を除いてまったく動く様子は見られない。
その様子を訝しみながらも、観客の避難が終わるのを待つ為にタツミも視線で威嚇しながらその場を動かない。
「(俺を警戒しているのか、それとも他に狙いがあるのか)」
一足飛びで斬りかかれる距離を保ちつつ、マーセナスだった何かの様子を窺う。
「おいおい。俺を差し置いて何してんだよ」
タツミの横合いに巨躯が降り立つ。
闘技大会チャンピオンであるズィーラスだ。
軽口の中からも滲み出る怒りの感情は、大会を邪魔された事への物かそれとも別の何かか。
「つぅかありゃなんだ? 気色の悪い気配振り撒きやがって」
「『瘴気』と言う言葉を聞いた事は?」
ズィーラスの眉がぴくりと動く。
「お嬢ちゃんに纏わり付いてるのがそうなのか。人間に取り憑くって話は聞いてなかったんだが?」
「どうにも今までのケースを逸脱した例外のようです」
「例外、ねぇ、まぁそこはどうでもいい。俺らの大会に妙な茶々入れてくれたんだ。どんな事情があろうがただじゃ済まさん」
獅子の敵意が黒い靄へとぶつけられる。
それに反応してか、黒い靄はどくりと鳴動した。
周囲に響き渡る心臓の鼓動のようなソレを切っ掛けに、黒い塊は人の形へと変化していった。
まるで人の影が立体になったような姿。
直前までのマーセナスの姿とは似ても似つかない。
唯一、ソレが彼女だった事を示すのは彼女が試合で使用していた直剣だけ。
しかしその武器も刃の部分が完全に黒一色へ変化し、まるで液体のように常に刀身が揺らいでいる。
もはやその柄を残して原形を留めていなかった。
「へぇ……憑いた相手の能力を理性と引き換えにして高めるって聞いちゃいたが……これほどのもんになるはとなぁ」
感心したように自身の顎鬚を撫でながら呟くズィーラス。
しかし相手の一挙一動を注視し、言葉と裏腹に油断は微塵も無い。
それは目の前の相手を『警戒に値する力を持つ存在だと認めている』という事でもあった。
「いいえ、今までの相手とは違いますね(ステータスは相変わらず文字化け。だが雰囲気でわかる。キルシェットと戦っていた時と桁違いの強さになっている)」
タツミの脳裏に過ぎるのはガレスで戦った虫使いの男。
「(ヤツは自身の特性である虫使いとしての能力を最大限引き出す形で強化されていた。とすればマーセナスの強化は……)」
「タツミ! 避難は完了したわ。もう遠慮は要らないわよ!!」
避難誘導を終えたルンの言葉。
がらんとした会場に響き渡ったその声が、事態を動かした。
その場で黒い影の腕が振られる。
剣の刀身が鞭のように伸び、しなりながらタツミに襲い掛かった。
「っ!?」
彼は構えていた刀で迫る刀身を捌く。
「はっ!!」
無造作な所作を隙有りと見て、一足飛びで影の懐へ潜り込む。
下段に構えていた刀で、逆袈裟に斬りつける。
ずぶりと肉を裂く感覚が手元から伝わった。
「っ!?」
斬り捨てて腰から上腕に渡って切り裂かれた影。
しかし分断された身体は瞬きする間にくっついてしまった。
「ずぁっ!!」
斬り捨ててダメージがない事に危機感と警戒心を強めたタツミは一旦距離を取るべく勢いに乗った蹴りを鳩尾に叩き込んで影を吹き飛ばす。
あまりにもあっさりと吹き飛ぶ相手にタツミは疑問を抱いた。
「(妙だ。あっけなさ過ぎる)……がっ!?」
突然、タツミの脇腹に激痛が走る。
見やれば影の一部がまるで巨大な針のように尖った状態になって突き刺さっていた。
「っつ、いつの間に……(攻撃した時にカウンターされたのか?)」
「攻撃してきた瞬間に、まったく同じ速さで一撃されたな」
ズィーラスが拳を握りながら倒れ込んだ影を見つめる。
何事もなくゆらゆらと身体を揺らしながら立ち上がる姿にダメージを受けた様子はない。
「さっきの剣を延ばしてきた攻撃も、あの反撃も。あの嬢ちゃんの実力じゃ無理な速さ、強さだった。つか最初のお前の一撃で致命傷だと思ったんだが……」
「……肉を断った手応えはありました」
険しい表情のタツミの言葉に難しい顔をするズィーラス。
「それでも死なねぇ、か。こりゃもう普通の人間じゃなくなったって考えた方が良いか」
「恐らくは……」
ゆらゆらと蠢く影から目を離さず、ズィーラスは大切な事を聞いた。
「元に戻す方法、あると思うか?」
「……(今まで憑いた相手は全て倒してきた。殺さなければどうにも出来なかった。今回もきっと……)」
タツミの沈黙はズィーラスの問いかけに対する答えを伝えていた。
「そうか。なら……せいぜい派手に散らしてやるしかねぇな」
呟いた彼の腕の筋肉が盛り上がり、尋常ならざる力が籠められている事が傍目からもわかる。
「オオオオオオオオっ!!!」
雄叫びと共にズィーラスが駆け出す。
迎撃するように黒剣の鞭が振るわれるが、その悉くを手甲に叩き落される。
「ガァアアアアアアッ!!!」
アッパー気味に振るわれる豪腕が影の身体を貫く。
衝撃で影の身体が宙に浮き身動きが取れない状態になると、まるで千手観音のように見える拳のラッシュがズィーラスの両手から放たれた。
「オォオオオオオオオオオオ!!!!」
一撃一撃が必殺だと確信できる攻撃に影の身体は忽ち穴だらけになっていく。
しかし同時にラッシュ一発一発に合わせるかのように影の弾丸がズィーラスの身体に撃ち込まれていた。
「ちぃっ、オオオオオラァアアアアアアッ!!!!」
まるで己の攻撃を反射されているかのような攻撃に、ズィーラスは顔を歪めるもそれでも攻撃を止める事はなかった。
やがて穴だらけになった影が、リング外へと吹き飛ばされる。
「ぐっ、野郎。手応えは確かにあるってのに……」
穴あきチーズになっていた影はゆらりと立ち上がった。
しかし既に穴の大半は塞がりつつあり、ダメージを受けたようにはとても見えない。
一方、ズィーラスは同じ数だけの影の弾丸を受け、少なくないダメージを負っている。
攻撃の威力と同等と思われる反撃を受けてもタツミよりもダメージが少ないように見えるのは、『職業:狂戦士』の物理防御に対する耐性の高さと並外れたHPの高さのお蔭だろう。
「……まずいですね、これは。このままじゃジリ貧だ」
「そうだな。まさかこれだけ本気で殴ってああも無反応決め込まれるとは思わなかったぜ」
刀剣の鞭が振るわれる。
隣り合っていた彼らは咄嗟に左右に分かれて攻撃を回避する。
鞭は分かれた獲物からダメージが多い相手を選んだのか、タツミを追った。
「……(ステータスによればさっき脇腹に受けた攻撃は俺のHPを2割削った。一撃で決めるつもりで当てたから思いのほかダメージが大きい)」
鞭の攻撃を躱しながらタツミは考える。
「(物理攻撃は効き目無し。となれば属性攻撃!)」
地面を滑るように迫る一撃を刀でいなし、魔力を刀に籠める。
刀身が光り輝く。
無防備な影に駆け出す。
刀が放つ清浄な光を警戒したのか、攻撃の激しさが増した。
「おいおい、チャンピオンから目を離すなよ。命取りだぜ?」
影人間の背後に現れたズィーラス。
巨躯の突撃から繰り出される飛び蹴りが影の背中に激突する。
同時に影の弾丸がズィーラスの身体を打った。
やはり攻撃の威力とほぼ同等のようで、直撃した巨体は宙を舞う。
しかし巨体から繰り出された蹴りを受け、くの字に折り曲がった影はなす術なく吹き飛んだ。
吹き飛んだ先には八双に構えたタツミの姿。
「『斬撃・聖光』!!」
輝く光の軌跡が影を貫く。
確かに攻撃が通った感覚にタツミはすかさず前に出た。
反撃の一撃がタツミの身体を打ち据えたが、構わず2発目の一撃を放つ。
「『斬撃・聖光』!!」
止めの一撃として放ったスキル。
しかしその一撃は硬い金属同士がぶつかり合うような音と共に止まった。
「なっ……ごふっ!?」
先ほどは確かに直撃したはずの『斬撃・聖光』。
それが影の身体に当たった瞬間、勢いを失くして止められたのだ。
驚愕で晒してしまった僅かな隙に繰り出された影の反撃が突き刺さる。
「ま、ずい……」
続いて振るわれる刀剣の鞭による連撃。
避ける事は叶わず、その全てを受けてタツミの身体は枯れ葉のように吹き飛ばされて観客席に激突した。
「タツミ様っ!!」
「「タツミっ!!」」
「(タツミさん!!)」
聞き覚えのある複数の悲鳴じみた声。
駆け寄る複数の足音。
それらを聞きながらタツミは意識を手放した。




