朝の一時、今日の予定
ヴォラドの街外れ。
ごろつきの溜まり場と化しているような廃墟が立ち並ぶ場所。
ヴォラドが闘技都市として名を馳せ、急速な発展を遂げる中で置いていかれた物がある場所。
噂となって広まりつつある闇討ち事件の影響か、今は人っ子一人いない。
マーセナスはそんな廃墟の一つの中で息を殺して隠れていた。
手入れなどまったくされていないゴミだらけの一室で、自身の身体を抱きしめながら蹲っている。
「ぐ、うぅううう……」
タツミの斬撃によって出来た傷から溢れ出す瘴気の色をした血を押さえ込むように傷口を手で抑える。
しかし手の隙間から、傷口から出るどす黒い血のような何か。
とめどなく漏れ出ていくソレはどろりとしており、まるでコールタールのようだ。
「私、私は……あいつを、あいつらを……この手で倒す。タオ、スまで……お前、に……食われ、食われるわけに……ワケニ、は……い、かな、い」
黒い血の流れ落ちる量が増していく。
マーセナスは真っ青な顔をしながら、それでも歯を食いしばり、自身の身体から抜けていくドロドロとした血のような物を鷲掴みにした。
「だが……あいつ、らを……倒す、ための……手段である……おマエを、逃がすわけ……には、もっとイカナ、い。おとなしく、私……の、身体に戻ってもらう……ゾ!」
マーセナスは赤い瞳を爛々と輝かせながら手から零れ落ちた黒い血液を救い上げ、一息にそれを飲み込んだ。
何度も、何度も、零れ落ちた黒い物を全て飲み干すと崩れ落ちるようにその場に倒れる。
「必ず、カナラズ皆殺シにして、やるぞ。ボルド……」
聞く者がいれば寒気を感じるほどに怨嗟に満ちた呟きは、幸いな事に誰の耳にも届く事無く消えていく。
数分後、真っ青な顔をしたままマーセナスは立ち上がった。
その顔には先ほどまでの苦悶など微塵も見られない。
平静その物の顔になった彼女はその足で廃墟を後にしていった。
タツミとオイチは何も語らないエルフの男の監視を一旦トラノスケに任せ、キルシェットが寝ている部屋へとやってきていた。
彼らが部屋を訪れた時、キルシェットはよほど深く寝入っていた為か、寝ぼけ眼のままぼんやりとしていた。
しかし2人の真剣な雰囲気を感じ取ったのかすぐに両頬を叩いてまどろんでいた頭を覚醒させて背筋を伸ばす。
その生真面目な態度に2人は顔を見合わせて笑みをかわすと、昨日から今日にかけて起きた出来事をキルシェットに話していった。
「ぼ、僕が寝ている間にそんな事があったんですか」
カロルの誘拐、瘴気に憑かれた騎士の襲撃、今朝の出来事になるが騎士の関係者の確保。
自身が寝ている間に起きていた出来事の濃さに、キルシェットは呆然とした。
「す、すみませんでした。皆さんが大変な時に暢気に寝てしまっていて……」
肩を落として申し訳なさそうに深々と頭を下げる少年。
「どうにか一段落ついたから気にするな、キルシェット」
「で、ですけど」
自分だけが蚊帳の外で、安穏と惰眠をむさぼっていた事がよほど気になるのか、キルシェットは見ている方が気の毒になるほどの罪悪感を感じているらしい。
加えて自分だけが事態の蚊帳の外に置かれた事に疎外感を覚えている。
『自分がいなくてもタツミたちは戦える』と考え、『自分はいらないのでは』という後ろ向きな考えが頭の片隅を過ぎっていた。
「(無理もないか……。意図した事ではないとはいえ、キルシェットを置いてけぼりにしたのは事実だし)」
タツミとトラノスケは調査に出ており、オイチもルンたちと食事に行っていた。
宿に戻る間もなくカロルの捜索に向かったタツミがキルシェットと連絡を取る術はない。
オイチはカロルを探す為に式神も向けていた為、外出していて見つけやすいタツミへの連絡を優先し、キルシェットへ連絡するまで頭が回らなかった。
余談だがトラノスケは事が起きた事さえ知らなかった上、隠密行動を取った彼は肉眼でならともかく式神では発見する事すら難しく、オイチは真っ先に探す事を諦めていた。
ともかくそういう状況にあってキルシェットを気にする事が出来る人間はいなかったのだ。
むしろ最低限の備えとして侵入者迎撃用の式神を置いていたとはいえ、説明も何もなく本人すらも知らぬ間に1人きりにしていた事をタツミもオイチも申し訳なく思っているくらいだ。
しかし謝罪合戦などしていても、建設的ではない。
「どうしても気になるって言うなら……そうだな。今日の大会でしっかり全力を出して戦って来い。結果がどうあれ、自分が満足できるようにな」
それならばとタツミは今回の件を利用してキルシェットを鼓舞する事にした。
闘争心が薄い彼に、少しでも発破をかけようと思ったのだ。
「私たちも応援していますから、頑張ってくださいね」
その意図を読んだオイチも、続いてキルシェットを激励する。
「あ……はい!」
彼らの言葉に、暗い表情をしていた彼の顔つきが変わった。
キッと2人を見据えて頷くその顔に先ほどまでの弱々しさはなく、適度な力で握りこまれた両手は力強さを感じさせる。
「よし。それじゃこの話はここまでだ。お前はまず大会の事を考えてくれ。と言っても状況が状況だ。試合の後に手伝ってもらう事もあるかもしれない。その時は頼む」
「はい、もちろんです!」
先行きは不透明で、事態の全容もまだ見えない。
そんな中でも、朗らかに笑うキルシェットにタツミは感じていた事の大きさに対するプレッシャーが軽くなったような気がした。
「(お前はまだまだ自分は未熟だとか言うんだろうが……少なくとも俺は屈託なく笑うお前に助けられてるぞ)」
面と向かって言うのは恥ずかしい言葉であるが、これは紛れもないタツミの本音でもある。
「さて、それじゃ朝ごはんに行くか。いい加減、カロルも起きる頃だろうし。先に食堂に行ってるぞ」
「わかりました。着替えたらすぐに行きます」
「ではまた後で、キル君」
「はい、オイチさん!」
タツミとオイチは連れ立って部屋を出る。
「頼もしくなったもんだ、あいつも」
「うふふ、男の子は成長が早い物ですよ」
「そういう物か? っとお前はカロルを起こしてから食堂に行ってくれるか? 俺はトラノスケに声をかけてから行くから」
「わかりました。それでは後で」
「ああ」
食堂へはタツミ、キルシェット、オイチ、カロルが集まった。
トラノスケはエルフの男の監視を続ける為に食事を辞退している。
広い食堂には今、彼ら以外は誰もいない。
宿のスタッフにもチップを支払い、出払ってもらっていた。
そのうち来るだろうアルカリュードの面々も入れると個室では少々狭い。
ほとんど客がいない事も踏まえて、一時的に食堂を貸し切ったのだ。
カロルは当初、自身の記憶がレストランでの食事以降ぷっつりと途切れている事、自分がタツミたちの取っている宿で寝ていた事に混乱していたが説明を受けるうちに持ち前の冷静さで落ち着きを取り戻していた。
「(皆さん。僕を助けてくださってありがとうございます)」
「ああ。無事で何よりだ。しかしあまり気にするなよ? 俺たちは冒険者仲間で、それなりに仲の良い友人だ。友人を助けようとするのは当たり前だからな」
「(それでも、ありがとうございます)」
ずっと眠らされていた為、誘拐されていた実感が沸かないカロルだったがそれでも助けられた事への感謝を伝える事を忘れない。
その律儀な性格は彼の美点である。
「でも本当にカロルが無事で良かったよ」
「(心配かけてごめんなさい、キルシェットさん)」
「僕こそ、君が大変な時に暢気に寝ていて本当にごめん」
それぞれのパーティーの最年少2人はお互いの非を謝罪し合う。
「お互い事情があったのですから謝罪1回で受け入れあってそれまでとしましょう。気持ちを切り替える事は大切ですよ?」
そのまま謝罪合戦になりそうだった所をオイチが即座に止めた。
2人ともに謝り出すとキリがないとわかっているのか、彼女の提案に従って昨日の話についてはここまでとなった。
「さて今日の行動についてだが。カロル、そのうちルンたちがここに来るからそれまではゆっくりしているといい」
「(ルンたちが来てくれるんですか?)」
「ああ。そしてこれが重要なんだがこの街にいる間、何者かがお前たちを狙う可能性がある。ルンの方から他のメンバーには説明されていると思うが。今のところどういう理由かまではまだわからん。ただ1度失敗した程度で諦めるとは考え難いのが現状だ。充分、気をつけてくれ」
「(はい)」
真剣な顔で頷くカロル。
頷き返しながら、タツミは心中でカロルが誘拐された原因について考えていた。
「(……十中八九、カロルが攫われたのは俺たちと関わりがあったからだろう。人質として利用しようとしたって所だろうが、ここまで見境無しで行動するような相手ならこっちもやられる前にやるくらいの心積もりでかかる必要がある。……二度と同じ事は起こさせん)」
物騒な決意を胸に秘めながら、彼は表向きは穏やかに話を進める。
「キルシェットは今日も大会だな。俺たちも勿論見に行くから頑張れよ」
「はい! 優勝目指して頑張ります!!」
「ああ、頑張って来い」
むふーっと両手を握りながら、キルシェットは気合の入った返事をした。
「トラノスケは残念だが留守番だ。捕まえた男を残しておくわけにはいかないし、ヤツから情報を引き出す必要がある。これはもう本人にも了承してもらっている」
「最近、外出してばかりでしたし休憩も兼ねてトラノスケには残ってもらいましょう」
「(尋問や監視もするのに休めるかというと微妙な気がするがな)」
気になる事にあえて触れずにタツミは話を続ける。
「闘技場に着いたら俺は一旦、大会運営者側の人間を通してルドルフさんと連絡を取ってみる。運営の方で何か進展がないか確認しておきたい(あとは一応、マーセナスの逮捕許可も取っておこう。あちらが難色を示すようなら勝手にやるつもりだが、なるべく波風は立てない方が良い)」
その後、食堂で話し合う彼らの元にルンがパーティメンバーを引き付けて現れた。
ライコーはカロルの姿を見つけるや否や飛び掛るように抱きつき、椅子ごと彼を押し倒し、アーリは押し倒された2人を引き剥がすと『心配したんだぞ』とカロルの頭を軽く小突いた。
いずれも彼の無事を確認できて、心の底から安堵している。
「アーリ、お前たちはもう朝は食べたのか?」
「いや私たちはまだだ。ルンから今回の一件について聞いた後はすぐにこちらに来たからな」
「ならここで食べていくといい。不可抗力とはいえこちらの仕事に巻き込んだ形になってしまったからな。侘びの意味も込めて俺の奢りだ」
「むぅ、それはありがたいのだが……いいのか? ルンから聞いた話では、私にはとてもお前たちのせいとはとても思えないぞ」
「気にするな。こっちの気分の問題なんだ。気に入らないって事でなければ奢られてくれ」
「……そういう事ならお言葉に甘えさせてもらおう」
賑やかな食事が終わり、今日も彼らそれぞれの一日が始まる。
事態がこく一刻と変化する中、この事件はどのような結末を迎えるのか。
それは誰にもわからない。
彼の脳裏を舞うサイコロ。
「(げ……『3』か)」
突然のダイスロールで座っていた椅子の足が壊れる。
タツミは突然の事に反応できず、その場からひっくり返って頭を強打する羽目になった。
「ったぁ(朝一でこれか。幸先の悪い……)」
仲間たちに心配され、大丈夫だと伝えながら彼は立ち上がる。
壊れてしまった椅子の事ををスタッフに詫びながら、タツミは自身の幸先の悪さに毒づいていた。




