深まる闇
迫り来る刃の動きをルンは自分でも驚くほど冷静に見定めていた。
スローモーションのようにゆっくりと動く視界。
自らの動きすらも鈍くじれったい物となった世界の中で、彼女は諦めたように息を吐いた。
あくまで感覚的な物であって攻撃に対処しようとする身体の動きもまたゆっくりとした物だからだ。
「(死ぬ間際は時の流れがやけに遅くて長く感じるって聞いた事があるけれど。まさか自分が体感する事になるなんて、ね)」
そんなじれったい空間の中、振り下ろされる凶刃を前にルンが出来たのは背後にいるカロルに被害が及ばぬよう自らの身を盾にする事だけだった。
自分が避ければ後ろで眠っている弟分がただでは済まない。
引き伸ばされた感覚の中でそう判断した彼女は、せめて少しでも自分が生き延びられるよう両手を刃に対して盾にするようにかざした。
普段、愛用している2本の鞭を二の腕に巻き付けてある事から多少の防御にはなるだろう。
生きたいという生存本能と、自らが犠牲になって庇った事が彼を泣かせる事になるという事を理解しているから出た咄嗟の行動だった。
それが気休めにもならない行動であると彼女も理解していた。
「(最期まで足掻いてみせる!)」
そんなルンの決意が届いたのか。
彼女の視界一杯に黒い靄をまとった斬撃が届く瞬間、乱入者の後ろから閃光が迸った。
「っーーーーーー!?」
声無き悲鳴を上げたのはルンだったか、それとも乱入者だったか。
暴力的で、攻撃的な敵意が乗せられた光に乱入者は超人的な反射神経で反応する。
「せぇええい!!!」
聞き覚えのある声が彼女の鼓膜を震わせた。
今まさにルンに振り下ろしていたはずの剣をいきおいそのままに自身の背後への横薙ぎへと変化させる。
次いで鉄と鉄が弾ける音が響き渡る。
自分に背を向ける西洋甲冑の誰かは、自身の背後から現れた人間と鍔迫り合いを演じていた。
「タ、タツミ……」
鍔迫り合いをしながら甲冑を睨みつけているのは、友と呼んで差し支えない間柄の冒険者だった。
「無事か!! ルン!」
「え、ええ。私は大丈夫」
自身が助かった事への安堵か、恐怖によるものか彼女の言葉は震えていた。
「うぉおおおお!!!」
交差していた相手の剣をタツミは力任せに刀を翻して頭上へと弾き上げた。
甲冑の手を離れた剣はそのまま年季の入った天井に突き刺さる。
「おとなしくしてもらおうか」
切っ先を突きつけるタツミに対して甲冑の人物は無言。
体中から噴き出し続ける瘴気を全身に纏わせる中、その赤い瞳だけがタツミを睨み付けている。
「なぜルンを襲った? 彼女はボロスと関係のない人間なんだぞ!」
ステータスを見たタツミは既に目の前の姿を隠した人物が、マーセナルだという事に気付いていた。
表示される文字の文字化けの仕方がまったく同じではもはや疑いようもない。
タツミの詰問に甲冑は驚いたようにびくりと震え、背後でカロルを抱きかかえているルンの方を振り返った。
「っ!?」
ルンはカロルを抱き上げながら、自分を見つめる襲撃者を睨みつける。
その手に抱きしめた弟分を守るという意思を乗せ、その意志に呼応するようにリューが服の裾から顔を出して威嚇の声を上げる。
ギラギラと輝いていた赤い瞳の狂気が、ルンには少し薄れたように思えた。
「チ、ガウ。チガウ……」
男か女かも判別できない声で呟く。
隙だらけになったその背中に、しかしタツミは斬りかかる事が出来なかった。
無防備なその背中に瘴気が集まり、こちらへの防御を固めているように見えたのだ。
だから彼は攻撃する機を窺いながら、揺さぶりをかける事にした。
「お前、もう相手が誰でもよくなってきているんじゃないのか? そんな風になってまで何がしたい!! 答えろ!!!」
「ウ……ウゥ……」
術者の動揺を表すように纏っていた瘴気が揺らぎ、何かを否定するように頭を振り乱す。
その隙を付いて、ルンはカロルをかかえたままその場から飛び退いた。
傍にあったガラス窓からすばやく屋敷の外へと身を投げ出す。
ガラスがなかったとはいえ窓から飛び出した彼女は、背中から地面に激突した。
「ぐっ、いたた……」
痛みに顔をしかめるルンの背後で廃墟の屋敷の中から光が溢れ出した。
「きゃあぁ!?」
悲鳴を上げながら彼女は飛び起きる。
屋敷から距離を取るべく走り出す彼女の背後から腹の底に響く重々しい音が響いた。
「なぁっ!?」
廃屋から距離を取って振り返った彼女が見た物は。
二階建ての建物の天井が内側から破壊され、人影が空高く打ち上げられる光景だった。
「でぇえええええええい!!!」
打ち上げられた人影を追うように飛び出す新たな人影。
月明かりに照らされ、力強く輝くこちらの世界では見慣れぬ甲冑姿の男の姿。
「タツミッ!!」
「『斬撃・聖光』!!!」
刀から光が溢れる。
帯を引きながら下段に構えられた刀が斜めに振り上げられた。
「アァアアアアアアアアアア!!!!!」
甲高い狂声と共に斬りつけられた甲冑の人物の身体から瘴気が溢れ出す。
自由落下するタツミは危なげなく廃屋の天井に着地し、甲冑は正気を噴出しながら天井に空いた穴から屋敷の中へ落下していった。
ガシャンという乾いた音が妙にむなしく辺りに響き渡る。
「やったの、かしら?」
その言葉はあちらの世界で言うフラグに相当していた。
屋敷の中から闇が噴き出し、タツミごと屋敷その物を吹き飛ばした。
その余波は多少離れた程度で防げる物ではない。
破壊され、即席の飛礫と化した屋敷の破片がルンとカロルの元にも振り注いだ。
「リュー!」
彼女の声に応じてローブの袖口から蛇が飛び出し、大きく口を開く。
「『ストームブレス』!!」
開け放たれた大口から風が巻き起こる。
その勢いで降り注ぐ破片を吹き飛ばした。
『人獣一体』の反作用がようやく切れたのだ。
先ほどまでの鬱憤を晴らすかのように咆哮と共に技を放つリュー。
元々、老朽化していた家屋の残骸はルンとカロルに届く事無く全て粉砕された。
「無事か!?」
「ええ、こっちは平気」
慌てて彼らに近づいてくるタツミに、ルンはひらひらと手を振って応える。
「それよりあのよくわからない人は?」
「逃げられた。ご丁寧に倒れていたやつに止めを刺していったぞ」
「え、カロルを誘拐した人を? ……そう」
「やはりそいつがカロルを誘拐したやつだったのか……」
おそらく生き埋めになったのだろう顔しか知らない誘拐犯のあっけない最期に、ルンは微妙な顔をした。
殺された人物の正体がわかった今、タツミもまた微妙な表情をしている。
「すまない。瘴気で視界が利かない状態で確認できたのはやつが剣で倒れていた男を刺している様子だけだ。近づく事も出来なかった」
「気にしないで。元々、カロルの事を許すつもりはなかったもの。出来れば私の手で街の兵士に引き渡したかった、っていうだけ」
カロルの頬をぺちぺちと軽く叩きながら、肩を竦める。
言葉通り少し残念だったという程度の事なのだろう。
冒険者なんてやっていれば人死に関わる事もある。
ルンも、そしてタツミも親しい仲でもない相手の死に動揺するほど素人というわけではないのだ。
「それにしても、貴方もカロルを探してくれてたの? オイチに聞いたのかしら?」
「ああ、オイチの式神から連絡が入ってな。仕事の方はトラノスケに任せてカロルを探していた」
「シキガミ……ああ、あの紙で色々できるっていう術ね。遠くの相手との連絡手段にもなるなんて便利ねぇ」
会話をしながらもルンの手は変わらずカロルの頬を叩き、頬をゆるく引っ張っている。
しかし薬でも嗅がされたのか、カロルはぐっすりでむずがりはしても起きる気配はない。
周囲の気配を探り、ここに自分たち以外誰もいない事を気配察知をもって確認したタツミもようやく張り詰めていた気を緩めた。
「駄目ね。この子、起きないわ。まったく私たちが必死に探してたって言うのに」
「……変わるか? お前も疲れているだろ?」
「あら、いいの? そうね、ちょっと疲れたからお願いするわ」
タツミは周囲を警戒しながら中腰になる。
ルンはタツミの後ろに回り、彼の背中にカロルを抱きつかせる。
「軽いな。この年ならこんなものか?」
「いいえ。この子があんまり食べる方じゃないのと体質よ。女として羨ましい事にこの子、というか一族全体が太らない体質なの。その分、筋肉とかも付き難いから一族揃って魔法に頼るようになって精通する事が多いって聞いてるわ」
「そういえば依頼で向かった時も細身の人間しかいなかったな」
タツミは『タツミとしての記憶』を掘り起こしながら、ルンの言葉に納得した。
事実、カロルの故郷である里にはガタイが良い人間はほとんどいなかった。
中肉中背か、スタイルが良い人間か、あるいは病気のせいで痩せ細った人間しかいなかったのだ。
「(一族的な体質というのも頷けるな)」
「ほんと羨ましいわ。私がいったいどれほど気をつけてスタイルを維持してると思ってるのよ」
タツミにおんぶされているカロルの頬をルンは「このこの」と言いながら突つく。
「美人には美人の苦労があるんだな」
「ふふ、そうよ。自分を美しく見せたいんだったら努力しないと。磨かないダイヤなんてただの炭の塊なんだから」
「自分をダイヤに例えるその自信は素直に賞賛する」
「他人事ねぇ。これでもお近づきになりたいって言い寄ってきた男はかなりいるのだけど」
言いながらしなを作り、艶っぽい流し目をタツミに向けるルン。
カロルを落とさないように肩を竦めるとタツミは笑う。
「悪いな。お前は美人だと思うが、俺にその気はないよ」
「あっさり言ってくれるわね、もう。まぁだからこそ信頼出来るんだけど」
「それは光栄だ」
先ほどまで命のかかった戦いをしていた事が夢だったかのように錯覚してしまうほどに2人の間に流れる空気は穏やかなものだった。
しかし事態はこの裏で着々と進み、タツミもまた今回の出来事を一先ず頭の隅に置いただけで決して忘れたわけではない。
「(次は逃がさん。ルドルフさんの関係者だろうと、どんな理由があろうと俺の友人たちにまで危害を加えようとした事、後悔させてやる)」
ほんの一瞬、強く拳を握り締めるその様子は疲れて注意力が散漫になっていたルンには幸か不幸か気付かれずに済んでいた。
瓦礫の山と化した廃屋。
そこに1人の男が姿を現す。
「ヒヒヒ。アレの気配を追ってきたが。面白い見世物だったな」
もはや跡形もないと言っていいその場所を見回しながらボロスは呟く。
「ククク、正気を失いつつあっても自分の生まれ育った家は忘れられなかった、というわけか。そこに配下が誘拐した子供を隠そうとし、あまつさえそこに小娘が戻ってくるとは。偶然とは恐ろしいものだ」
崩れ落ちた家屋の成れの果て。
その場所に足を踏み入れ、目ぼしい物でも残っていないかボロスは探る。
「むっ?」
そして彼は見つけた。
見つけてしまった。
大の男の掌に納まる程度の小さな袋。
その中に入っている3つの錠剤に。
「これは……ヒヒヒ。僅かだが瘴気を感じる。ヤツの持ち物と見て間違いないか。とすれば……これが力の秘密か? ククク、確定ではないが……この偶然に感謝しようか。信じた事もない神よ」
小瓶を懐に仕舞い、ボロスは足早にその場を後にした。
彼の影が夜明けの光に照らされて伸びる。
その影は気のせいか、不気味に蠢いているように見えた。




