騎士の襲撃
土曜日の朝6時。
辰道とタツミは朝も早くに家を出ていた。
目的地は白い狼がいる病院。
社会人の多くが休日である土曜日とあって朝の6時ともなれば電車に乗っている人は疎らだ。
「(……ここから降りる駅まで2時間か……)」
「(その後は歩きで30分。今更ながらかなり遠いな。せっかく座れたんだ。駅に着いたら俺が起こすから寝ていていいぞ)」
「(そうだな、そうさせてもらう)」
背もたれに寄りかかり、唯一の荷物である襷がけの小さなバックを抱え込んでから目を閉じる。
あちらでの野宿生活のお蔭か、身体を休めたい時に自然と休めるようになった彼は、すぐに眠りについた。
『ヤツはどこだ?』
「なんだ?」
眠っていた辰道はそのおどろおどろしい声によって目を覚ました。
「っ!? ここは……」
しかし辰道が目覚めた場所は見慣れた電車の中ではなく、見覚えのある地平線の果てまで続く真っ白な空間だった。
思わず立ち上がり、背後に振り返る。
立ち上がるまで座っていたはずの電車の座席はなくなっていた。
その場から周囲一帯をぐるりと見回す。
「……何もない、か(タツミ、タツミ! くそ、返事が無い。ここにはいないって事か!)」
タツミに声を届かせようと念じる物の返答は無い。
周囲にもタツミの姿は見つからず、この場にいるのは辰道だけであると理解できた。
しかしこの場に居るのが彼1人であるはずはない。
「(あの声の主は……俺をここに引き込んだ奴はどこにいる?)」
性別が判断できないほどに擦れ、くぐもっていた声を思い出す。
「(あの声には『ヤツ』とやらに対する怖いまでの憎悪が感じられた。『ヤツ』が俺なのだとすれば、すぐにでも襲いかかってくるだろう。だが俺に心当たりは今の所は、だが無い。なにが目的だ?)」
声について考えていた彼を、背筋に冷水を突っ込まれたような悪寒を感じさせる視線が貫いた。
「っ!?」
攻撃されると思った彼は反射的に身を翻し、視線の元へと視線を向ける。
思わずタツミの身体の時のように腰に佩いた刀を握る仕草をした。
だが彼の手元に刀は無い。
鞘と刀の柄を持とうとした手はむなしく空気を掴むだけに終わった。
「(ちっ!)」
心中で舌打ちし、彼は素早く姿勢を変える。
今の身体でも出来る格闘の構えだ。
辰道が睨みつける先には先ほどまでいなかったモノがいた。
「騎士甲冑? それにあれは……瘴気」
目測でおよそ20メートルの距離。
遠目からでもよくわかる程にどす黒い瘴気を身体から噴き出させながら、辰道の元にゆっくりと近づいてくる存在。
「(……俺を見ている。だがなんだ? こちらに向けてくる視線がさっきまでと違う)」
身体が反射的に動いてしまうほどの憎悪が今は感じられなくなっていた。
その事を訝しげに思うが、だからと言って警戒を解くことなど出来ない。
瘴気を纏った、おそらくあちらの世界の存在である騎士甲冑姿の何者かを相手に、身体能力が高いだけの辰道では対抗する事は難しいと理解しているからだ。
「(タツミがいない今、自分の身は自分で守るしかない。なら何が起きても動けるようにしておかないと)」
近づいてきた甲冑は彼から4メートルほどの距離の所で立ち止まった。
相手の一挙手一投足に気を配りながら、目があると思われる甲冑の兜を見据える。
「……」
「……」
しばらくの沈黙。
「お前は違う」
甲冑の突然の言葉に、辰道は訝しげに眉を寄せた。
言葉の意味がわからなかったという事と、くぐもった擦れ声だったはずの声が聞き取りやすい明瞭な声になっていたからだ。
「どういう意味だ?」
「……烏は、どこだ。……猫はどこだ」
辰道の疑問の声はどうやら聞こえていないらしい。
ぶつぶつと呟くその『女性』の声は、突然頭上を見上げると叫び声を上げた。
「蛇は、どこだぁあああああああああああ!!」
その憎悪の咆哮に呼応するように瘴気が噴き出す。
「くっ!?(とにかく逃げるしかない!)」
辰道は咄嗟に後ろに飛んだ。
噴き出した瘴気は地面を削り亀裂を走らせながら暴れ狂う。
飛び退いた勢いそのままに辰道は甲冑を着た女性に背を向けて駆け出した。
「っなに!?」
地面を蹴ったはずの足が空を蹴った。
同時に感じる浮遊感。
辰道は思わず足元を見る。
白い地面は先の瘴気のせいで亀裂が入り、いつの間にか彼の足元で大穴を空けていた。
底の見えない穴がぱっくりと口を開け、彼の身体を飲み込んでいく。
「うぉお……!?」
悲鳴すら飲み込む闇の中へ、辰道は真っ逆さまに落ちていった。
「(おい、辰道!)」
耳に届く半身の声。
その言葉で、辰道はガタリと身体を揺らして目を覚ました。
「っ……(ここは、電車の中……か?)」
「(ずいぶんぐっすり寝てたな。次の駅で降りるぞ?)」
「(ああ、わかった)」
目元を軽く揉み、混乱している頭を落ち着かせながら手元にある荷物を一応確認する。
「(夢? いやあの現実感は……)」
「(どうした? 夢ってなんの事だ?)」
念話が出来るようになってからその効果範囲である2メートル内ではお互いの考えている事、その表層部分は筒抜けになっている。
タツミは彼の様子からただならぬ物を感じ、さらに読み取った辰道の思考から気になるワードを拾い上げていた。
「(ああ、すまん。まとめてから話す)」
「(何かあったんだな……わかった)」
神妙な表情で頷くタツミに彼は頷き返す。
辰道は電車から降りながら、事の次第を頭でまとめタツミに話し始めた。
「(あの空間にお前が1人で行って……しかもそこに瘴気を纏った騎士がいた、か)」
「(おまけに烏、猫、蛇を明らかな負の感情で探してる。蛇はわからんが、烏と猫は……)」
2人の脳裏を過ぎるのは今も尚、新聞を賑わせているあの事件の事。
「(例の猟奇事件の被害に遭ってる動物だな。つまりそいつが?)」
「(可能性は高いと思う。蛇に被害がないのは単純に蛇なんてこの辺にはいないからな。ペットショップでも中々見ないし、個人で飼っていると言うのもそうはいない)」
事件が起きている現場の近辺に蛇を飼っている、置いている店などは無い。
蛇が被害に遭っていないのはその為だと2人は考えた。
「しかしなんだってお前だけがあの空間に……」
「(あの時俺だけが仮眠を取ったから、というのが状況的に考えられるな)」
「(やっぱそれか)」
起こった事を伝えながら歩く事30分。
2人は病院を遠目で確認できる通りに到着した。
「(病院自体に用があるわけじゃないからあまりあからさまに近づくわけにもいかん。俺はあそこのコンビニで時間を潰してくるからタツミが空井さんいるかどうか確認してきてくれ)」
辰道は視線だけで近くのコンビニを示す。
「(あいよ。外に連れ出せそうなら連れてくる)」
「(頼む)」
「(おう)」
病院に向かって歩いていくタツミの背中を見送り、辰道は予定通りにコンビニへ向かった。
タツミは病院内をくまなく探した。
しかし目的の白狼を見つける事は出来なかった。
中庭の孫娘が眠る病室が見える場所はもちろん、彼女が眠る病室に足を運んだものの空井健志は見当たらなかったのだ。
「(いない、か。とすると前に言ってた通り、塔に引っ張られてそっちに行ったって事になるな。タイミングの悪い)」
入れ違いになった可能性も考え、もう一度病院内を回るもののあの特徴的な白狼の姿を見つける事は出来なかった。
最後に訪れた中庭から空井静里の病室を見上げる。
「(自分の身内が目覚めず、何をしてやれるかわからない……か)」
白狼、空井健志の苦渋に満ちた表情を思い出す。
孫娘を助ける事が出来なかった己の力の無さを悔しく思ったのだろう。
自分が出来ることならばなんでもしてやると思っていながら、何も出来ない無力感を抱き続け苦悩していたのだろう。
「(それでも出来る事を探し続け、俺たちを見つけたんだ。あの爺さんと犬は凄い奴らだな、まったく……)」
タツミのような力があるわけでもなく、塔によって行動を制限され、自分の存在を見つけることが出来る者がいるかもわからない。
そんな状況に屈する事無く行動し続けた彼らに、タツミは尊敬に近い思いを抱いていた。
「(……仕方ない。戻るか、っ!?)」
異様な気配を感じ取った彼はそちらの方向へ視線を向ける。
「これは……瘴気! それもあっちの世界で魔物に取り憑いた時並みに気配が濃い」
場所は辰道との待ち合わせしているコンビニと病院を挟んで真逆の方向。
どうするか迷ったのは一瞬。
「(瘴気が優先だな。あいつもそう言うだろ)」
即座に地面を蹴り、病院の高い塀を飛び越えて気配の元へと駆け出した。
民家の屋根を飛び移り、直線状の最短経路で目的地へ向かう。
彼の耳に進行方向から轟音が届いた。
次いで黒煙が立ち上っていく。
彼がほどなく辿り着いたその場所は病院から少し離れた住宅街の道路。
そこには真っ二つにされたトラックと、その場にいたのだろう不運な通行人たちが逃げ惑う姿。
そして大量の蛇の死骸を踏みつけながら、その腕でまだ生きているのだろう蛇の頭を手で締め上げる西洋甲冑の姿があった。




