侵蝕
今まで彼があちらの世界からこちらの世界に帰ってくるたタイミングは『何らかの事象が解決した時』だった。
一度目はアスロイ村を襲撃したスケルトンを倒した後の事。
二度目は周囲のごたごたを片付けフォゲッタを旅立った直後。
三度目はガレスで虫使いを倒した直後。
自身に降りかかる脅威を振り払った事でスイッチになったのではないか。
自分の今後の方針を固め、フォゲッタを出るという行動がスイッチになったのではないか。
敵を倒したという確かな手応えを感じて、もう大丈夫だろうと安堵した事がスイッチになったのではないか。
辰道は異世界から帰ってくる切っ掛けをそう推測していた。
あくまで経験則に過ぎず、確かな事は何もわからない。
だから今回のように、『特に何らかの事件を解決したわけでも、自身が節目と感じるような行動を取ったわけでもない』という今までのパターンから逸脱しての帰還が起きても何の不思議もない。
しかしそれでも辰道は突然の帰還に動揺し、自身の推測が外れた事に落ち込んでいた。
「(切っ掛けがわかればある程度行き来に対して心構えが出来ると思ったんだが……上手くいかないもんだな)」
「(まぁそう落ち込んでても仕方ないだろ。切り替えていけ。これからお前は仕事なんだし)」
「(……そう、だな)」
満員電車の車中で背筋を伸ばして釣り革に捕まりながら、辰道は背後霊と化しているタツミとの会話を続ける。
「(今週末、あの病院に行こう。空井さんに会って何か状況に変化が無かったか聞きたい)」
「(……そうだな。俺はこれからその辺を適当に見て回る。成果があるかはわからんが暇だし、何もやらないよりはマシだろ。お前は仕事で身動き取れないし。お前はとりあえず普段通りに過ごせ。家で落ち合おう)」
「(わかった。すまんが頼む)」
背後にいたタツミの気配が遠ざかっていくのが辰道にもわかった。
電車の壁をすり抜けて線路に降りたのだろう。
「(何か見つかればいいんだが……)」
辰道はあちらでの濃い数ヶ月といつも通りの仕事の始まりとのギャップに違和感を抱きながら、こちらの世界での昨日に取り掛かっていた仕事の内容を記憶から引き出し始めた。
辰道は集中力を欠いていた。
切り替えろとタツミに言われてはいたもののあちらの世界の事から意識を切り替える事が出来なかったのだ。
仕事は思ったように進まず。
ふとした時に上の空になる事が多く。
上司である嶋はもちろん同僚たちも普段のきびきびとした彼の変調を心配していた。
「(調子が悪いって誤魔化しはしたけど……実際、体調は悪くないから気遣われるのが心苦しくて仕方ない)」
勤務中の自分の有様と同僚たちの様子への後ろめたさから辰道の口から重いため息が漏れる。
このままではいけないと頭を振りながら帰路に着いた彼は、気分転換にと最寄り駅の本屋に寄った。
デパートに入っている大型店舗で、新作ならば雑誌、単行本共に大抵揃っているという店だ。
その店先で彼は以前の事件の当事者である少年と再会した。
「あれ? 辰道さん?」
「拓馬君?」
面食らいつつ、お互いに軽く頭を下げあう。
「お久しぶりです!」
「ああ、久しぶりだね」
快活な笑みを浮かべながら小走りに近づいてくる拓馬。
店先で談笑するのは他の人間の迷惑になるだろうと、2人は自然と横並びになり店のすぐ傍のベンチに腰掛ける。
嬉しそうに横に座る少年の様子が、辰道にはキルシェットと被って見えた。
「(前から似ているとは思ってたしあっちとの関連性があるかもとも考えていたが……ここまであっちの事ばかり出てくるのはどういうわけだ? あっちの感覚を引きずってるのか?)」
以前そう思った時よりも遥かに強く『似ている』と感じている事に辰道は違和感を覚えていた。
「? なんだか顔色が悪いみたいですけど大丈夫ですか?」
「ん……ああ、大丈夫だよ。今日も仕事が大変だったから少しぼうっとしてただけさ」
「だったら、いいんですけど」
心配げなその表情もまた、キルシェットによく似ている。
真っ先にそんな事を思う自分に、辰道は顔をしかめた。
小さく頭を振りながら話題を変える。
「ここにはよく来るのかい?」
「え? ええ。漫画の新刊とか読んでる雑誌とか部活帰りにここで買ってるんですよ。ま、今日は明美に頼まれて小説買いに来たんですけど」
「明美ちゃんとご両親は元気?」
「ええ。どっちも元気ですよ。週末は家族旅行に行く予定ですし」
楽しみなのだろう。
どこか自慢げで微笑ましい表情を浮かべながら旅行について語る拓馬。
その楽しげな態度に釣られて、辰道の沈んでいた気分はいつの間にか上向きに変化していた。
「(我ながら単純だな……)」
拓馬とお互いの近況を語り合いながら彼はあらためて今日の自分を振り返る。
「(いや1人で悩んでた俺が馬鹿だっただけか。予想外の事に慌てて、焦って、碌に物事を整理せずにタツミと別れて……情報が足りないから推測以上の事は出来ないってわかっていたのに。1人でいつまでもその事を悩んで。……焦り過ぎていたんだろうな。ゲームや漫画みたいにストーリーが決まってるわけでも親切にヒントが置かれてるわけでもない、仮説が崩れて最初から考え直し、って事になって。早く助けてやらないとって、誰かの命がかかってるって考えれば焦らないわけがなかったんだ)」
後頭部を掻きながら彼は朝からの自分を反省する。
20数年ぽっちの人生の中ですらも、思うようにいかない事など数え切れないほどあった。
「(非常識な出来事に遭遇し続けて、子供1人の命を救う事になって、いつの間にか余裕を失くしてたんだな。『お前はドツボに嵌まるとどんどん沈んでいくから気をつけろ』、今更ながら的確な忠告だったな。助かったぞ、豊子)」
脳裏を過ぎる仏頂面の悪友に礼を言いながら、辰道は気を取り直してベンチから立ち上がる。
「俺は買い物を済ませてくるよ。君はどうする?」
「あ、引き止めてすみませんでした。俺もそろそろ帰ります」
「ああ、気にしないでくれ。楽しかったからな。それじゃ気をつけて」
「はい。ありがとうございました、失礼します!」
「(むしろ礼を言いたいのは俺の方なんだけどな)」
軽く手を振って走り去っていく少年の姿を見送り、彼はあらためて店に入る。
愛読している小説の新刊を手に、そのまま会計へ向かった。
「その様子だと収穫は無かったみたいだな」
「まぁ元々手掛かりもなにもなかったからなぁ。闇雲にその辺をぶらぶらしただけじゃ、早々成果なんて出ないだろ」
家に着いた彼を出迎えたのは定位置と化したリビングのソファで横になっているタツミの姿だった。
肉体的な疲労よりも精神的な疲労が大きいように見える。
宛ても無く一日中歩き回っていたのだからそれも仕方のない事かもしれない。
明確な成果がなかった事も気疲れに拍車をかけたのだろうと容易に推察できる。
「すまん。俺も気が焦ってつい何も考えずにお前に任せてしまった」
「……驚いた。俺も人の事言えた状態じゃなかったけど……ずいぶん冷静になったな、辰道。良い事でもあったか?」
「まあ、な。俺が落ち着いたのはあの子のお蔭だよ」
マンションの傍にあるコンビニで買ってきた缶チューハイを手に取り、もう1本の缶ビールをタツミへと投げ渡す。
タツミは自分に向かって放物線を描いて飛んでくる缶ビールを危なげなくキャッチした。
「ついでだし、飲み食い出来るか試してみろよ」
「……そういえば試した事なかったな。腹が減らないし、小便なんかの生理現象もまったく起きないから全然気にしてなかった……」
「なんだかんだで現状確認だ、調査だと忙しなかったからな。物に触れるのに食べられないってのは考え難いし、良い機会だろ?」
「それじゃ、お言葉に甘えて」
タツミは辰道の記憶と先ほど缶チューハイを開ける動作を元に自分の手の中にある缶のプルタブを開ける。
蓋が空いた缶から漏れる泡と一緒に中身を一気に煽った。
彼の喉がビールを飲み込む度に動き、喉を鳴らす音が2人だけの部屋に響き渡る。
「……普通に飲めたな」
「味はわかるか?」
「ああ、しっかり冷えてて美味かった。味は向こうよりこっちの方が上、か? まぁそう変わらないか」
じっと缶を見つめてから、タツミは残っている中身を全て飲み干す。
「で、だ。俺がなんで落ち着いたのか、って話だったな?」
「ああ、あの子って言ったが誰に会ったんだ?」
缶を片手で小さく丸めながら話を促すタツミに苦笑いしながら、辰道はレジ袋から次の缶を取り出す。
タツミにもう一度、投げ渡してから彼は仕事終わりの出来事を語り出した。
チューハイ片手に拓馬との出来事に聞き入るタツミ。
あちらから戻ってきたばかりの今朝にはあったはずの焦燥感は既に2人の中から消えていた。
月が真上に昇る頃。
都内にある大きな公園。
その一角に『窓のない塔』は鎮座していた。
周辺のビルと同じくらいの高さの西洋建築の塔の存在はやはり普通の人間には認識されず。
周囲はいつも通りに静かな夜のままだ。
しかしその静寂に変化が起きた。
何が切っ掛けとなったかはわからない。
開け放たれた両開きの扉は、今までならばただ瘴気を吸い込むだけのはずだった。
その塔の扉の中から『何か』が這い出してきたのだ。
『何か』はか細いながらも確かな呼吸を行いながら、四肢を引きずるように進む。
公園の中を、宛ても無く進む。
『何か』の進行を阻むように白い狼が現れた。
「それ以上、動くな!」
しかし彼の唸り声による威嚇も怒号も意に介さず、『何か』は進み続ける。
「動くなと言っている!!」
白い狼は、飛びかかろうと身構える。
「っ!? これ、は……(あっちでスケルトンを止めようとして動けなくなった時と、同じ!?)」
しかし何故かそれ以上の行動が取れずその場で金縛りにあったかのように動けなくなってしまった。
それでも狼は身体を震わせながら自分の横を通り過ぎようとする『何か』を睨みつける。
『何か』はその後もゆっくり歩き続け、そして彼の視界から消えていった。
「私には何も出来んと言うのか! あの子を助ける事も出来ず、危険な存在を塔に押し留める事も出来ず。くっ!!」
静寂の夜に男性の悔しげな唸り声だけが響き渡る。
その声すらも普通の人間には聞き取れないモノであり、周囲は何も変わらない夜が続く。
異変が起きている事に気づいている者は、今はこの狼だけだった。




