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ダイスと共に世界を歩く  作者: 黄粋
第四章
58/208

不穏の影

 大通りに面していた宿はほぼ満室だったが、この『舞踏の休息亭』の部屋は不自然な程に空いていた。

 それらの部屋は2階奥の一室を除いて全て空室である。

 余裕で1人1つの部屋を取れるほどの空き具合ではあったが、タツミは2人部屋2つを取る事にした。

 出来る所でなるべく出費を抑えたかったという理由でキルシェットとオイチには納得してもらっている。

 

「(と言ってもオイチは俺たちがあのオーナーを警戒している事に気づいているだろうな)」

 

 あえて気付かない風を装い、自然体でいる事で相手の警戒心を自身から逸らし、相手の隙を窺う。

 タツミとトラノスケが表立って警戒しているからこそ、彼女の行動はより効果を発揮するだろう。

 

 この『舞踏の休息亭』は2階建てでそれぞれの階に6部屋あり、1階にはスタッフルームの類や食堂、厨房などがある構造だ。

 タツミが気配察知を使用して感じ取った気配は5つ。

 オーナーとおかみを除いた3つの気配はいずれも通りがかりにスタッフであるという説明をおかみから受けている。

 

「(少ない人数で切り盛りされている割に手入れは細部まで行き届いてるように見える。宿探しの時に回った所と比べても引けを取ってない。それだけ1人1人が優秀って事なんだろうが、ならなんで部屋がガラガラなんだ?)」

 

 案内された部屋はベッドが2つ、通りに面した窓が1つ、身嗜みを整える為の鏡台。

 自己主張はしないが和やかな雰囲気のある草花が、これまた質素な花瓶に生けられている。

 一般的な庶民感覚のタツミには非常に過ごしやすい部屋だった。

 

「わぁっ……」

 

 部屋全体から感じられる穏やかな雰囲気にキルシェットは荷物を置きながら感嘆の声を上げる。

 2つあるベットに腰を下ろしながらタツミはぐるりと周囲を見回しながら考察を続けた。

 

「(恐らく一般的な冒険者ならば大多数がここを居心地良く感じるはず……。良い所の事なら何かの拍子に話題の一つにでも上げるだろう。それだけでも結構な宣伝効果になりそうなもんだが……やっぱり何か作為的な物なのか?)」

「タツミさん、これからどうしましょうか?」

「ん、とりあえず今日はゆっくり休もう。そう急ぐ事でもないし、ざっと街は見て回ったしな。おかみや従業員に観光名所でも聞いて明日はそっちを回ってみるか」

「そうですね!」

 

 野宿生活が長かった為か、普段なら落ち着いているキルシェットがどこか興奮していた。

 しきりにベットに体重を預けては起き上がるのを繰り返し、久方ぶりの布団の柔らかい感触を堪能している様子はおとなしい気性のいつもの姿からかけ離れていてピコピコと犬耳が忙しなく動いている様子もあわせてとても微笑ましく感じられる。

 自然と上がる口角をそのままにタツミは部屋に近づいてくる気配を感じ取る。

 彼は傍にいる事が当たり前になったその気配が到着するのを待つ。

 すぐにドアがノックされた。

 

「はい!」

「入っていいぞ」

 

 居住まいを正すキルシェットを見届けてタツミは外の気配に入室許可を出す。

 一拍の間と共にドアノブが捻られ、来訪者が彼らの前に姿を現した。

 

「失礼致します」

 

 入ってきたのは彼が感じ取った気配の通り、オイチとトラノスケだった。

 

「部屋はどうだった?」

「手入れの行き届いた良いお部屋だと思います。正直に申し上げればなぜ部屋がこれほど空いているのか不思議でなりません」

「同感です、姫様。豪奢な内装ではありませんが客の過ごしやすさを重視されている。大通りから多少離れているとはいえ、闘技大会の影響で溢れんばかりの人が来ているこの状況で空室があるのは正直信じられませんよ」

 

 タツミの少ない言葉に込められた疑問を正しく読み取った2人は口々にこの宿の不自然な状況を語る。

 自身の認識が間違っていない事を確認し、タツミは1つ頷く。

 

「不自然ではあるが、今の所こっちに害があるわけじゃない。藪を突いて蛇が出てくるなんてのもごめんだし、こっちから首を突っ込まないようにしておこう」

「了解です」

「はい、心得ておきます」

「え、ええ? えっと……?」

 

 真っ当な宿での休息を堪能していた為か、頭の回転が遅くなっているキルシェットが疑問符を幾つも浮かべながら彼らを見回す。

 その様子がまた幼い子犬のようで、タツミたちは思わず相好を崩した。

 

「飯時にでも話す。だからそう慌てるな、キルシェット」

「うふふ。タツミ様の言う通りですよ、キル君」

「久方ぶりの屋根の下で嬉しいのはわかるが、もう少し警戒心を残しておけよ。お前はこのパーティの斥候担当なんだからな」

「あ、あううう」

 

 トラノスケの苦言に縮こまる彼の頭にタツミは自然とごつごつとした手を置き、やや乱暴に撫でてやる。

 彼に倣ってオイチもキルシェットの乱れた髪を優しく梳きながら撫でる。

 はにかみながら2人の行為を受け入れて笑うキルシェット。

 

「(これ見てるともう完全に若夫婦とその一子って感じなんだがなぁ。ほんっと早いところくっ付いてくれないだろーか。……見ていて和む)」

 

 一歩下がった位置から3人の様子を見つめていたトラノスケはオイチとタツミの関係のじれったさにため息を零しながら和むと言う器用な事をしていた。

 しかし久方ぶりの部屋での休憩が楽しみだったのはキルシェットだけではなかったようで。

 その日は夕飯を宿の食堂で取った後、それぞれすぐに眠りについた。

 タツミとトラノスケは寝ている時でさえ警戒をしていたが、彼らの心配に反して何事もなくその日は終わる事になる。

 

 

 

 ヴォラドはたとえ深夜になっても寝静まる事はない。

 闘技場を目的にしている荒くれ者たちは、酒場にこぞって集まり、観光客たちもこぞって娯楽施設に駆け込み一日に大量の金を消費していく。

 なけなしの金を賭け事で失う者もいれば、酒に溺れて道端で眠りこけている者もいる。

 夜の街こそが遊びの本番だと言う人間も少ないない。

 フォゲッタも同様ではあったが、あちらは歓楽街に限定された物だが、ヴォラドは違う。

 街その物の喧騒が消えない。

 住宅と店舗が区画分けされておらず、雑然と混ざり合っているこの街に完全に明かりが消える場所は無いのだ。

 

 喧騒はどこまでも続く。

 その中に不穏な会話があっても、喧騒に紛れてしまうほどに騒々しく。

 

 

 

 ヴォラドに数ある酒場の1つ。

 奥まった場所にあるテーブルを囲む2人組みの男女。

 周囲の騒々しさから隔絶した静けさに包み込まれたそのテーブルは異様だ。

 周りは酔っ払いだらけの為、彼らの異様さに気付く者はいない。

 店員ですら忙しさにてんてこ舞いであり、他とは違うそのテーブルの存在に気が回っていなかった。

 テーブルを囲んでいるのは上質な布で作られたのだろうローブを着込んだ緑髪に黒縁の眼鏡をかけた男性と、騎士甲冑に身を包んだいかにも騎士という風情の、しかし顔に無数の傷を持つ女性だ。

 多種多様な人種が集まるこの街ではこの組み合わせとしてはそう珍しい物でもなかった。

 

「……心は決まったかね?」

「ああ」

 

 男の確認するような言葉に、女は切れ長の瞳を静かに瞑りながら答える。

 彼女の答えに頷き、懐から小さな袋を取り出しテーブルの上へそっと置いた。

 

「例の品だ。数は5つ。1回につき1つ飲む事で君の力は数倍に跳ね上がる。効果はおよそ30分」

「……」

 

 袋の紐を緩め中に入っている物を確認しながら女騎士は彼の説明に聞き入っている。

 

「連続使用はともかく、一度に複数個使うのはやめておけ。何が起こるかわからん。少なくとも単純に強化されて終わりという君にとっての最上の結果になる事だけはありえないと断言する」

「用法を守らねば私は自滅する。……そういう事なのだろう?」

「それも良くて自滅、だ。……最悪の結果は暴走。魔物と同じような理性のない怪物に成り下がる」

「肝に銘じておこう。……感謝する」

 

 女性は立ち上がり、緑髪の男性に頭を下げると金貨を置いてその場を去っていった。

 残された男性は眼鏡を外し、両手で頭を抑えテーブルに突っ伏す。

 

「君がこんな物に頼ってまで為そうとしている目的。私には止める事が出来なかった」

 

 平静を保っていた心が乱れ始める。

 蓋をしていた彼の気持ちが溢れ出し、声が出てしまう。

 かろうじて誰にも聞こえないよう声を潜める事しか出来ない。

 

「私は……とんでもない物を作り、あまつさえそれを旧友の娘に渡してしまった。何がエルフだ! 何が叡智の種族だ!」

 

 男の慟哭は決して周囲の喧騒に紛れ、2人の存在に気付いていた者たちも男が女に振られた程度にしか思わず。

 これが闘技大会に起こる大きな事件の始まりである事に誰も気づいていなかった。

 

 ただ1つ。

 彼らのテーブルの下に止まっていた小さな蛾のような虫以外は。


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