街の外へ
翌日。
タツミは朝の4時頃に目を覚ました。
「(日が変わるまでオーヴォルと飲んでいたはずなんだが……向こうで寝起きしてた時間に目が覚めた、か。生活習慣ってすごいな)」
確認の意味で周りを見渡す。
しかし半ば予想通り、そこは自宅ではなくこの世界で取ったホテルの一室だった。
「寝て起きたらいつもの部屋でした……ってオチにはならないか」
既にタツミ自身、この不可思議な状況を現実として受け入れている。
故に帰れなかった事へのショックはない。
「(この状況を解決するには自分から動くしかないって事がほぼ確定したな。これからはもっと積極的に行こう)」
ぼんやりしていた頭を横に振って覚醒させながら、タツミは頭の中にステータス画面を思い浮かべる。
この行動にも慣れてきたもので、初めてやった時と比べて随分とスムーズに画面が脳裏に浮かび上がった。
自分の現在の状態を確認する。
「二日酔いその他のバッドステータスは無し。HP、MP共にMAX。昨日、色々と技を試し打ちしたからかなりの量のMPを消費したんだがおよそ3~4時間の睡眠で全快。……そういえば盗賊系技能の中に睡眠状態での回復量を倍加させる『睡眠効率UP』のパッシブスキルがあったな。あの辺の効果も関係してるのか?」
向こうと比較するとこちらの世界のタツミの身体は超高性能だ。
ジョッキがテーブル一杯になるような量の酒を飲んだと言うのに翌日になってもまったく影響がないと言うのは反則的過ぎると言えるだろう。
しかし訳の分からない状況にいる彼にとっては非常にありがたい事だ。
「(……)」
一通りの確認を終えて、ステータス画面を閉じる。
窓から降り注ぐ朝焼けの光をなんとなく眺めがら物思いに耽る。
「(あっちの世界の俺とこの世界のタツミが融合した事で、あっちの俺はどうなったんだろう?)」
肉体ごとまとめていなくなっているのなら失踪か蒸発扱いだろうか?
魂だけがこちらに来たという仮説もある。
もしそれが正しいなら肉体は原因不明の植物人間状態になっているのだろうか?
どちらにしても碌な事にはなっていないだろうし、友人知人家族には心配をかけているだろう。
あちらの世界のタツミは一人暮らしではあったが、両親ともに仲は悪くなかった。
それなりに友人もいる。
土日に暇なら一緒に街を練り歩いて馬鹿騒ぎするような仲の親友と呼べる人間も、何かあれば小言を言い合うような悪友もいるのだ。
「……たとえ帰れないとしても、せめてあっちがどうなっているかくらいは」
原因が判明したとしても、帰れないという可能性もあった。
そもそもの話、一口に『帰る』と言うが『この世界』にも『タツミ』の家は存在する。
こちらの両親は既に他界している。
しかし『帰るべき故郷』だと認識している場所はあるのだ。
向こうとこちら。
どちらもが大切で、かけがえのない場所。
そう『今のタツミ』は認識していた。
「(いざどちらかを選ばなければならないという状況になった時、俺はどうする? いやどうすればいい?)」
考えれば考える程に物事を悪い方へ考えてしまう。
「(……ああ、俺と言う存在が向こうの世界から完全に消えてしまっている可能性もある、か。もしもそうなっていたら向こうの世界に帰る意味も、今こうして葛藤している意味も無くなるな)」
最悪の事態ばかりが思い浮かんでしまう。
「ああ、やめだやめっ! まだ何もわかってないのに考え込んでも意味がないだろ!!」
雪崩のような勢いで頭に浮かぶ嫌な想像を振り払うように彼は意識して大きな声を上げた。
「(何もかもが謎だらけの状況なんだ、ネガティブに考えても何にもならないだろうが!)」
両手で頬を叩くと、タツミは嫌な汗を流すべくタオルを持って足早に部屋を出て行った。
彼が取ったホテルはそれなりに設備の良い、上の下クラスのホテルだ。
昨日、昼間の内に回った店でアイテムリストにあった必要のない物を売り、当面の資金を工面していた。
換金用に彼が出した品々は目の利く商人なら垂涎の品ばかりで、宿泊日数を気にしなければ最高級のホテルに泊まる事も出来るだけの金銭が今の彼の手元にはある。
貧乏性と言うか堅実と言うか本人の性格によって少し金に余裕を持たせようとした結果、今のホテルが宿泊先に選ばれていた。
朝の五時頃から風呂に入るような男はいないらしく、このホテル自慢の露天風呂は彼一人だけという貸し切り状態になっていた。
身体と頭を洗い、広い湯船に浸かる。
大きな体を存分に伸ばして先ほどまでの暗い思考を追い出し、全身から力を抜いた。
しかしリラックスしている状態にあっても、彼の身体が持つ超感覚は働き続けている。
薄っぺらい木壁を挟んだ先の女子風呂にいる何人かの人の気配を察知出来る程に。
「(この身体、便利すぎるだろう。あっちに隠れる気が無いとはいえ生き物の気配をこんなにはっきりと感知出来るなんて……)」
そんな事を考えながら彼はゆっくり湯に浸かり、およそ三十分分ほどかけて温まると風呂から上がった。
濡れた身体を脱衣所でしっかり拭き、あらかじめ買っておいたシャツとズボンを着て部屋に戻る。
風呂上りからしばらく、彼はベッドに腰掛け何も考えずにぼうっとして過ごした。
ホテル内がばたばたと動き出す頃にホテルと提携しているレストランに食事に向かう。
「(さすが本職のレストラン、独身貴族の暇つぶし程度の腕前ではとうてい太刀打ち出来ないほど美味いな)」
ビュッフェ形式の食事を思う存分に堪能し、部屋で装備を着込むと彼は早々にロビーに向かい受付に部屋のカギを預けた。
「出かけてきます。帰りは遅くなると思います」
「かしこまりました。お気をつけて」
「ありがとうございます」
日本人としての性か、受付の男性に丁寧に礼を言うと彼はホテルを後にした。
南の地特有の爽やかな陽ざしを受けながら歩く。
タツミは昨日の内に街の中を適当に練り歩いてある程度の地理を把握しており、今日は街の外を見て回ると決めていた。
オーヴォルから聞かされた最近頻発している『魔物の襲撃』が気になった事もあり、可能な限り遠出するつもりでいる。
魔物の襲撃に関して彼は、昨日のオーヴォルとの談笑で言った通り、いずれギルフォードから依頼が来るだろうと予想していた。
危険と隣り合わせの冒険者の仕事。
無事に生き延びる為に必要な物の一つは情報である。
故になるべく事前情報を仕入れ、自分の身の安全を確保しておこうと考えた彼は行動を起こしたのだ。
しかし今回、彼が最も必要としているのは現場の情報ではない。
仕入れられるのならそれに越した事はないし、ある程度遠出するつもりでいるが最優先事項ではない。
彼にとって優先するべき事項は『今の自分がちゃんと戦えるかどうか』という点だ。
「(冒険者の仕事に対する記憶は俺の中にある。こちらで生きてきたタツミがこなしてきた戦いの記憶がある。確かな実感を伴って思い返す事が出来る殺生の記憶が。昨日、海岸でやったスキルの試し打ちで身体が思う通りに動く事もわかっている)」
しかし実際に今の自分が生物を相手に戦った時、記憶の通りに、思い通りに、身体が動くかどうかはわからない。
これを確かめておかなければ、どれほど今の身体のスキルが高くともあっさりと『死ぬ』、あるいは『殺される』可能性があるのだ。
「(俺は死ぬわけにはいかない。こうなった理由を知るまでは絶対に)」
死ぬ可能性を考えないようにするだけならば冒険者を辞めてしまえばいい。
今持っている武器も含めて全て売り払えば、家すら買える程の金になるのだ。
後は周りを適当に誤魔化せば、この世界でもとりあえず安穏と生きていられるだろう。
しかしこちらに来た時の経緯を考えると、呑気に街で暮らしていた所で事態が進展するとも、解決するとも、彼にはどうしても思えなかった。
「(どれだけくだらない理由だろうとも、どれだけ拍子抜けするような理由であっても、もしも理由なんて無かったんだとしても。この世界で生きるのか、元の世界に帰るのか。どういった形であれこの答えを出すためにも。……知りたい)」
ならば冒険者として荒事に関わる事を覚悟して行動する他ない。
『石橋を叩いて渡る』という諺を地で行きながら。
「臆病者だと言われてもいい。死ぬよりマシだ」
北門から街の外に出た彼は、中世ヨーロッパ時代を彷彿とさせる石で整地された道を道なりに歩く。
迷わないようにと街道を歩いているが仮に整地された道から外れて進んだとしても、十年ものプレイ時間で入手した数多のスキルとタツミとしての記憶があればフォゲッタに戻る事は可能だ。
しかしどうしても対応が後手に回ってしまう懸念事項が、彼に必要以上に慎重な行動を取らせていた。
『The world of the fate(運命の世界)』において避けては通れない『ダイスロールシステム』。
有事の際に発動し悪い目が出てしまうと、と考えただけで彼は背筋が寒くなった。
ただまったく対応策が無い、というわけでもない。
ロールされたタイミングの状況に合わせた効果になる為、ある程度の予測が可能なのだ。
さらにタツミはゲームとしてやっていた頃に散々味わってきた経験から、より精度の高い予測が出来るだろう。
しかし予測できるからと言って実際に対応できるかどうかはまた別の話だ。
何より今、この時はゲームではなく現実である。
ゲームの中とは比べ物にならない程の様々な事象が絡み合う世界では、『何が切っ掛けにどんな事が起こるか』など推測していてもキリが無い。
パターン読みなどして、まったく違う出来事に遭遇すれば咄嗟の対応に遅れる事も考えられるのだ。
「(この世界は現実だ。当然、この世界での死はほぼ確実に俺自身の死になる。ゲームをしていた時は軽く見ていたバッドステータスも、その一つ一つが俺の命を脅かす代物だ。場合によっては致命傷に成り得る)」
ゲームの時には感じた事の無いピリピリとした緊張感。
あちらの世界で社会人として生きてきた記憶の中では、危険と隣り合わせになると言う事自体が稀だ。
少なくとも彼にはそのような経験は無い。
厳密に言えば車に乗る事にも歩く事にすら危険は常に付きまとうのだが、それを意識する事はない。
故に最低限の緊張だけで日々を過ごす事が出来た。
しかしこちらの世界ではそうはいかない。
ただでさえ危険がより身近にある上に、ダイスロールまで行われるのだから。
「(……)」
穏やかな一時が続く中、整地された街道を無言で歩く。
ただそれだけの行動だと言うのに彼には自分の心臓の鼓動がとても早くなっていく事がわかった。
深呼吸を一つ。
しかし彼の鼓動は落ち着く事は無い。
もう一度、深呼吸をする。
彼の気のせいでなければ鼓動はさらに早くなっていた。
何回、深呼吸しても収まらない。
タツミとしての過去の経験を元に頭の中でどれだけシミュレーションをしてみても、彼の心が落ち着く事はなかった。
鼓動の早さが伝播し、手足が恐怖で震え出す。
今の彼には腰に差した刀と装備した武士甲冑が昨日の何倍も重く感じられた。
病は気からと言う言葉の通りに気分が悪くなってきたようにすら思えてくる。
しかし、それでもタツミが足を止める事はない。
この程度の事で逃げ帰ってしまえば、自分の身に起こった事を解明する事など夢のまた夢だ、とそう考えて。
彼は焦っていた。
冷静に自分を分析し、今後の方針を定め、目的に向かって突き進むべく行動を開始したタツミは。
自分の置かれた状況に対して何らかの進展を求める余りに、冷静に物事を考えていながらも腰を据える事が出来ていなかった。
どうしてもじっとしている事が出来なかったのだ。
フォゲッタでゆっくりと物事を考えていると嫌な想像ばかりが頭を過ぎってしまうから。
故に最低限の方針だけを固めて、冒険者としての記憶を辿り、善は急げと自身を苛む不安を少しでも無くすべく行動を起こした。
本当の意味で彼が冷静であったなら、街の外に出るよりも先にある程度の事情を話したギルフォードに相談していただろう。
元々、物事を客観的に捉える為の第三者として彼に事情を話したのだ。
今のタツミが非常に危うい事に彼ならば気づき、諌める事も出来ただろう。
しかしその事を指摘する人間はいない。
彼は不安に苛まれながら、震える身体を無理やり動かし、歩みを進め続けた。
フォゲッタから歩いておよそ2時間ほど離れた場所にある村。
つい先日、オーヴォルとタツミが酒の席で話題に出していた件に関わる場所だ。
その村にある、小さな診療所で身体を襲う痛みに呻き声を上げる男が2人いた。
ランクBの冒険者パーティ『青い兜』のメンバーだ。
その名の通り、それぞれが頭に装備する品を青く塗っている。
治療を受けている2人は、兜はおろか鎧などの身を守る装備を全て外されている状態だが。
「ああ、ちくしょう。まだ右腕が動かねェ」
「……強力な麻痺毒だったからな。っつっても今の状況はまだマシだぞ? フィリーが魔力を使い切る勢いで治療しなかったら全身に毒が回ってお前はくたばってたんだからな」
「んなことぁわかってんよ、ギース。だからこうしておとなしくしてんだろうが」
話しながら彼らが思い返すのはつい昨日の出来事。
最近、近隣の集落に起こっている魔物襲撃。
とある村の救援と襲撃が起こる原因の調査をギルドから依頼された彼らは装備を整え、万全を期して救援を依頼してきた村『アスロイ』に向かった。
村までの道中には何の問題も無かった。
ギルドからもらった事前情報通りの魔物が出現したが、その遭遇頻度は予想をはるかに下回る程。
多少、手強かった魔物もいたが個体差によって基本能力が異なるなどという事はざらにある事だ。
警戒は怠っていなかったが、無事にアスロイに到着した段階で彼らは少し拍子抜けしていた程。
それほどに順調だったのだ。
救援を依頼してきた村は寂れてはいたが、襲撃による民家の破損などの目に見えた被害は無かった。
予想していたような被害が無い事を訝しみ村長に話を聞いた面々は、襲われたのは隣村である『フィンブ』であり、そこが襲われた事から危機感を抱いて依頼を出したのだと言う事を知る。
当然の対応と言えばそれまでだが、ならばフィンブの住民はどうなったのか?
彼らが問いただすと村長は暗い顔で告げた。
「生き残りは僅かに三人だけです。いずれもかなりの重傷で診療所で治療を受けています」
彼らの有り様を見たアスロイの人間たちはそこでようやく魔物の襲撃に対して呑気に構えていた自分たちの浅はかさに気付き、ギルドに依頼を出した。
村が寂れているのは若い人間と女子供をフォゲッタに逃がした為だ。
状況の深刻さを理解した青い兜の面々は気を引き締め、この状況の調査と村の警護に乗り出した。
5人チームで構成されている彼らは戦闘に長けている3人が周辺の調査に、防衛や治療に長けている2人が村の防衛に回った。
医師のリドラが隣村の生き残りを助けるべく診療所へ向かい、僧侶であるフィリーが、『白色の遮光』という結界魔法スキルで村に魔物を寄せ付けないようにし、手が空き次第リドラの手伝いに向かった。
役割分担としては最善の選択であり、村の防衛に関して問題は発生しなかった。
しかし。
調査に向かった3人は魔物に襲われてしまった。
それも冒険者の常識からすると異常と表現できるような強力な力を持った魔物に。
剣士のギース、戦士のゴダ、盗賊のキルシェットは感知能力の高いキルシェットを先頭に探索を行っていた。
襲われた隣村に向かう道程。
彼らは警戒の為に周囲から丸見えになる街道ではなく、鬱蒼と広がる森の中を可能な限り音を発てないように進んでいた。
慎重に事を進めていた3人の目の前に突然現れたのは『フォレストウルフ』という深森に棲むと言われる魔狼と魔力を宿した事で動くようになった骸骨『スケルトン』だった。
たった二体の魔物。
いずれもDランクの冒険者ですら倒せるはずの存在だ。
しかし彼らの警戒心は二体に遭遇したその瞬間から最高潮に達していた。
この魔物たちは3メートルあるかないかと言う距離まで、彼らに気付かれる事無く接近していたのだから。
盗賊という職業は偵察や斥候、罠の看破などを担う為、五感が常人よりも鋭くなければ務まらない。
そんな職業に就いているキルシェットが、犬系の獣人でもあり人間種の盗賊よりもさらに索敵範囲を広げる事が可能な彼が、いくら周囲が森に囲まれていたとしても半径20メートル程度ならば物音を聞き漏らす事はない。
だと言うのに敵の接近に気付けなかった。
近づいてきた気配など微塵も感じさせず、気が付けば目の前に2体の魔物は突っ立っていたのだ。
さらに彼らの驚愕は続く。
スケルトンは魔力を宿しただけの骨の魔物だ。
死者の骨が生前持っていた生存本能、生者への恨みつらみで動くだけの存在。
力は強くともその攻撃は単調な物で、生前持っていた技術を用いる事はないというのがこの世界での常識だ。
しかし彼らの目の前に現れたスケルトンは違った。
真っ白い骨の化け物は、見えていないはずの頭蓋骨で確かに3人を認識し、ぼろぼろの剣を掲げ堂に入った構えをしたのだ。
3人は意識するよりも早く反射的にその場から飛び退く。
一拍の間の後、彼らがいた場所には轟音と共に小さなクレーターが出来上がった。
クレーターの中心にいるのは剣を地面に叩きつけた姿勢のスケルトンの姿があった。
ぼろぼろの剣で行われたとは思えないその破壊の痕に驚愕すると同時に、それを為した骨の怪物に隙が全くない事に3人の身体から冷や汗が噴き出す。
「キル! この事を伝えろ!!!」
「っ! わかりましたっ!!!!」
その体格に見合ったどら声でゴダが怒鳴り、目を合わせた瞬間にその意図を察したキルシェットは返事一つ返してその場から脇目も振らずに駆け出す。
残ったギースとゴダはキルシェットを無事に逃がすべく、スケルトンと彼の対角線上に自分たちの身体を滑り込ませ、自らの武器を構えた。
「一体なんなんだ、こいつ。ただ武器を構えてるだけだってのにこんなに威圧されるなんて早々ねぇぞ」
「名のある剣士の亡霊かなんかか? 斬りつけても返り討ちにされる気しかしないぞ、おい」
2人は骨の放つプレッシャーに膝を折らぬよう丹田に力を込める。
その様子を魔狼は獣とは思えない静かな瞳で眺めていた。
この時、2人の頭から魔狼の存在は無くなっていた。
正確にはスケルトンの驚異的な力を目の当たりにして、そちらに気を配る余裕が無くなってしまったのだ。
狼がその気になれば2人を背後から不意打ちする事も、2人を無視して逃げたキルシェットを追いかける事も出来ただろう。
しかし狼は2人と1体の睨みあいをしばらく眺めると、何をするでもなく踵を返し森の中へと姿を消した。
彼らが魔狼がいつの間にか消えていた事に気付くのはスケルトンの猛攻をどうにか捌き、這う這うの体でアスロイ村に逃げ帰った後の事だ。
「あの骨、馬鹿みたいに強い上に剣に毒を塗ってやがるとはよ……」
「動転してたとはいえ毒にやられてる事に気付くのが逃げ帰った後だなんてな。あやうくお前が死ぬとこだった……新米冒険者じゃねぇんだぞ、俺たち」
ランクBの冒険者である彼らがそのような状態になってしまったという事は、それだけスケルトンの力が桁外れだったと言う事の証明に他ならない。
そもそも今までの仕事の中でスケルトンとも戦った経験がある彼らなら普通に考えて後れを取る相手ではない。
質実剛健の言葉を体現したような力強い剣戟を彼らは思い出す。
スケルトンがクレーターを作った剣技は『ソードバースト』と呼ばれるノックバック効果を持つ範囲攻撃スキルだ。
こちらの世界でも名前こそ知られていないが剣士ならば複数の敵への攻撃手段として、自然と辿り着く技とされておりギースも使用できる。
威力はスケルトンの方が桁違いに高いが。
「一緒に出てきたのにいつの間にか消えてたあの狼も気になるな。俺はてっきり村を襲ってくるかと思ったんだが」
「まったく姿も見えねェ。キルの目や鼻でも見つけられないってのはどう考えても普通じゃねぇぞ。何がどうなってんのかさっぱりだ」
「……悔しいが俺らじゃ力不足だな。キルが偵察から戻ったらギルドに報告に行ってもらおうぜ」
「それしかねぇ、か。それなりに場数踏んだと思ってたんだがなぁ。ちくしょう……」
力の入らない右腕を睨みつけながらゴダは悔しげに歯噛みしながら俯く。
ギースはかける言葉が見つからず、窓から差し込む日の光を親の仇でも見るかのような目で見つめていた。