フォレストウルフの事情と願い
辰道が先導して向かった病院の裏手。
そこには遊具が滑り台と砂場、ソレに加えてベンチが一つきりという本当に小さな公園があった。
人通りがほとんどない上に木々が生い茂っている為に薄暗い。
雰囲気が暗い為に近寄る者もおらず寂れているこの場所ならば、男が長々と独り言を言っていても目に付き難い場所と言える。
「ここなら密談するのにも丁度良いでしょう」
辰道は2時間の探索の間に買っておいたペットボトルで喉を潤すと対面でお座りしている幽霊を名乗った大型犬に話しかける。
「さて本題に入る前に自己紹介をしましょう。俺の名前は双葉辰道。システムエンジニアをしています。こちらはタツミ。あちらの世界ではAランク冒険者としてそれなりに有名な男です。よろしくお願いします」
「倒した相手に名乗るって言うのも不思議な気分だな。紹介されたタツミだ。よろしく」
名を名乗りながら彼らは軽く会釈する。
「私は空井健志、この身体は飼い犬のシン。お互い奇妙な縁だが、こちらこそよろしくお願いするよ」
大型犬の姿をした人間は辰道の紹介の言葉に首肯して会釈を返した。
「それじゃあらためて……話し合いを始めましょう」
辰道の言葉を合図に空気が引き締まる、緊張感が公園を包み込む。
その変化を察したのか鳥がざわめきだし、一部が逃げるように飛び去っていった。
数秒の間、沈黙が辺りを支配する。
重々しい空気を切り裂くように口火を切ったのはタツミだった。
「……空井さんって言ったな。あの病院に同じ苗字の女の子が入院していたが、あんたはその子の関係者って事でいいのかい?」
「君は病院を調べていたんだな。そう、私は彼女、静里の祖父だ」
「あの子の部屋の写真に爺さんらしい姿があった。大型犬が寄り添うようにしてたが、そいつがシンって犬か?」
「その通りだ。……私たちの境遇は複雑な物だ。長くなるが順を追って話さねばならない。聞いてもらえるだろうか?」
健志の言葉に顔を辰道たちは見合わせると頷く。
2人の肯定を得た健志は小さく頭を下げると話し始めた。
「1年前……私たちは自宅で押し込み強盗と思われる男に襲われた。私の飼い犬だったシンは家に近づいてくる不審者を懸命に吼えて威嚇したが騒ぎ立てた為に真っ先に殺された。ぐったりしたシンを引きずって下卑た笑みを浮かべながら男は一階の窓を破って家に侵入。私と静里はシンの声が聞こえなくなった事を不審に思い、外に出ようとした所を家に侵入してきた男と鉢合わせてしまった。男は見せびらかすように死んだシンを私たちの前へと放り投げた。私は目を見開いて驚き、静里は悲鳴を上げた」
当時を思い出している犬の眉間には深い皺が刻まれている。
その人間臭い仕草が、目の前の存在が元々人間だった事を言葉よりも雄弁に語っていた。
「……そして私は静里の目の前で胸にナイフを突き立てられて倒れた。私を死んだと思ったのだろう静里は恐怖に青褪め逃げる事も出来ず、奴に首を絞められ意識を失った。……まだ意識が残っていた私は力を振り絞り大声を上げて杖で殴りかかり、男は予想外の反撃を受けた為か、何も盗る事なく逃げていった。シンの吼え声、静里の悲鳴、私の叫び声のお蔭か近所の人間が駆けつけてくれた。駆けつけた者たちに静里は助けられ、私はそれを見届たところで意識を失った。犯人がそれからどうなったかはわからない」
痛いほどに気持ちが伝わるほどに沈痛な声に辰道たちは苦い顔をする。
現場にいなかった彼らにすら伝わる程の無念を、一体どんな気持ちで自分たちに話しているのかという気遣いの想いがあった。
「私たちが目覚めた場所は地平線まで見渡せるほどに天井など無いただただ真っ白な空間だった」
「「!?」」
辰道とタツミは同時に思い出す。
自分たちが初めて対面した時の空間を。
自分たち以外にもあの空間を訪れた人間がいたのだという新たな事実に、彼らは固唾を飲みながら健志の話に集中する。
「意識を失う寸前、既に多量の出血をしていた私は自分が死ぬ事を察していた。だからこそ『目を覚ました』事実には驚いたよ。すぐ隣に首を裂かれて死んだはずのシンが無傷でいた事にはもっと驚いたがね。生きているはずのないシンの存在のお蔭で、私はその場所が尋常な場所ではない事が理解できた。おそらくこの時既に私たちは魂だけの存在、一般的に幽霊と呼ばれる存在になっていたのだと思う。私たちはまるで水の中にでもいるかのように宙に浮いていたしな。そしてその場所には蹲るように膝を抱え震えながら浮かぶ静里の姿もあった。私はあの子まで死んでしまったのかとショックを受けたが、それでも震えている静里を落ち着かせるのが先だと考え、あの子の元へ向かった。だが声をかけながらあの子の肩に触れた瞬間、あの子は悲鳴を上げ、同時にその身体から透明の光が溢れ出した」
「透明な光……『魔力』か」
「その通り、あちらの世界で言うところの魔力だ。魔力の波に飲み込まれた私たちはそれらの光が石の壁に変化していき、まるで静里を閉じ込めるように次々に形成されていく様子を見た。必死に手を伸ばし、声を張り上げたが静里は私たちに気付く事なく、あの子はただ喉を嗄らすほどに声を上げて『助けて』と叫んでいた。そこで私たちの意識はまた途切れ……そして次に目覚めた時、私は今のこの身体になっていた。不可思議な事ではあるが、感覚的に自分がシンと合わさったのだという事は理解したよ」
「(俺たちが融合した時と同じ状態、か)」
「目覚めた時、静里は石造りの壁に囲まれた部屋にあるベットで眠っていた。その部屋は石造りの壁に囲まれている事を除けばあの子の自室そのままの内装だったよ。……あの子は私が声をかけても吼えても身体を揺らしても起きる事はなかった。不可思議な現象の連続、何をやっても状況が改善しない事に焦れた私は唯一の出入り口であるドアから外に出た。長い螺旋階段を降り、一階にあった両開きの扉に辿り着いた。体当たりでもして扉をこじ開けようとしたその時……何の前触れも無く開いた扉から流れ込んできたあの黒い靄、君たちが瘴気と呼ぶものに飲み込まれた」
「……(この人、よく正気を保っていられたな)」
「その後はしばらく何をしていたのか私自身、覚えていない。ただあの建物に置いてきてしまった静里の事をずっと考えていたと思う」
「……」
「意識が回復した時、私はどことも知れない森の中にいた。状況が理解できずに混乱したが同時に自分には無い知識が頭の中に入ってきて、さらに何がなんだかわからなくなったよ。グラムランドという大陸、冒険者と言う職業、その世界でフォレストウルフという存在である自分、魔物使いでもないのに自分を相棒と呼んでくれた男。次から次へと送られる情報が頭を蹂躙した。激しい頭痛に蹲りながら必死にもたらされる情報を整理し続けた。どうにか動けるようになり、そこが別の世界である事を知った私は涙を流した。頭に入ってきた知識にあった自身の相棒とも呼べる男が、すぐ傍にあった人骨だったからだ。魔物との戦いに敗れた彼は致命傷を負った身体で私を逃がし、力尽きて死体を食い荒らされてしまったのだ。見るも無残な相棒の姿に私の中にあったフォレストウルフとしての部分が反応し自然と涙が溢れたよ」
その時の記憶を思い出したのか、健志は一瞬目を伏せる。
「相棒を失った自分が1匹の魔物に過ぎない事も理解した。今の自分が集落に向かえば騒ぎになるだろう事が容易に推察できた。静里の事も気がかりだったが、今後どうすればいいのか何もわからず何も思いつかず今度こそ途方に暮れたよ」
当時の自身の混乱振りを犬の姿をした男は自嘲気味に笑った。
「……どれくらいそうしていたかわからない。しかし気付いた時には私たちがいる森の中に巨大な塔が立っていた。自分の目を疑ったよ。何の前触れもなく出現したからな。そしてその塔の扉が開き、瘴気が溢れ出した。この時、私はあの塔こそが静里が閉じ込められた建物だという事に気づいたよ。……溢れ出した瘴気は相棒の骨に取り憑き、スケルトンとして蘇らせた。彼は塔の存在に気を取られていた私にも瘴気を放ち、あっという間に取り憑かれてしまった。妬みや嫉み、殺意といった悪意の感情が頭を埋め尽くし、そして私は暴力的な衝動に支配されスケルトンに追随した。正気を取り戻したのはスケルトンが村を襲おうとしている所で、だった。静里ほどの年齢の少女が私たちの襲撃に悲鳴を上げたのを聞いて、静里の事を思い出した私は誰かを殺めずに済んだ。だがスケルトンは止まらなかった。そして瘴気に取り憑かれた為か、正気に戻ったというのに私にはスケルトンを止めることが出来なかった。どういう原理なのかはわからないが、スケルトンを止めようとすると身体が動かなくなるんだ。だから私は村が襲われ、人々が殺される様子をただ見ている事しか出来なかった」
ギリギリと歯軋りしながら身体を震えさせるその姿は痛々しい。
「そこにいても何も出来ない。私はスケルトンの先回りをして村に近づく事で住人たちに魔物に関する警戒を促す事が出来ないかと考えた。しかしスケルトンは私を付け回すようになり、どうすれば撒けるかを考えていた時に3人組の冒険者と遭遇した。スケルトンが彼らに襲い掛かっている隙を突き、私は奴から離れそして村を見つけた。その村に……君がいた」
健志の双眸はタツミを真っ直ぐに見つめた。
「私の記憶にある冒険者よりも遥かに強い君ならば、スケルトンをどうにか出来るのではないかと思い、事実その通りになった。被害が広がる前に彼を倒してくれた事、改めて礼を言わせてほしい。ありがとう」
「気にする事じゃない。俺たちは俺たちの仕事で行ったんだ」
「ふっ、そうか。……話を続けよう。その時、瘴気によって行動を制限されていた私はスケルトンを庇うように君の刀の前に飛び出し盾になる事も出来ずに斬り捨てられ……死んだ。しかしその際、取り憑いていた瘴気は消滅。完全に自由になった私は最後の力を振り絞り君に声をかけた」
「『やっと見つけた、また会おう』。そう言ってたな」
「瘴気を消し去るほどの力を持つ冒険者である君ならば、塔を何とかできるのではないかと考えた。正直なところ、死に瀕していた私がまた君に会えるとは思えなかったが、しかしあの時は何か言わなければと必死で口を動かしたんだ。思い返せばあまり意味がある言葉ではなかったな」
「俺たちはあの言葉のお蔭で貴方が普通じゃないという事を認識したし、もう一度会おうと言われたからどこかで会うかもしれないと心の片隅に意識しておけた。意味がないなんて事はありませんでしたよ」
「ふ、ありがとう。……その後、意識が無くなった私は気がつけばあの病院の中庭にいた。訳が分からなかったがそこにいる人々の背格好や建物の外観を見て、この世界に帰って来たのだと言う事を理解できたよ。私の姿が普通の人間には見えない物である事も調べていくうちにすぐにわかった。真っ白な空間で感じた魔力と同じ物をあの部屋から感じ取る事が出来たからな。看護師や息子夫婦の話を盗み聞きした事で、あの出来事から1年もの時間が経過している事、静里があの部屋で入院し続けている事も知った。死人のような青白い顔で眠り続けるあの子と時間を作っては見舞いに来る息子夫婦の姿は見ていて辛かった。声をかけることすらも出来ない自分に腹が立ったよ」
一拍の間を置くように健志はため息を一つ零した。
「あの子たちをただ見ている事が出来なかった私は現状を打開する手段を探すために病院を飛び出した。そして病院の敷地から一定の距離を離れると足が前に進まなくなる事に気づいた。病院の周辺から私は自力で離れる事が出来ないんだ」
「ちょっと待ってくれ。じゃあこっちの世界で山にいたのはなんでだ? あそこはこの病院からでも1時間以上かかる距離だぞ?」
「それは塔に引っ張られたせいだ。病院にいる時、私は規則性のないタイミングで何かに引っ張られる感覚と共に塔の周辺に運ばれてしまう。この時、行動の基点が病院から塔に変わるようだ。塔を中心とした一定距離が行動可能範囲に変わってしまう。あの山へも突然、引っ張り込まれ塔の周囲を徘徊していたところで双葉君を見つけたのだよ。君が普通と違う事はすぐに気付いた。君からも静里と同じ魔力が感じ取れたし、何より普通の人間には見えないはずの私と目を合わせ警戒していたからな」
「なるほど。(俺にも魔力があるのか。……いやこれはそう驚くような事でもないな。元々、俺の魂はあっちの世界の物だったらしいしな)」
「その後、すぐにタツミ君。君があの場所に現れた。驚いたよ。また会いたいと考えてはいたが、どうすればあちらの世界に行けるかなど検討も付かなかった。それがまさかこちらの世界にいるとは思わなかったんだ。だが同時にこれはチャンスだと思った。君たちなら塔から静里を助け出す事が出来るのではないかとそう思ったんだ」
「空井さん。あんたはその子を助けられなかったのか?」
「塔に入る事は出来る。最上階の静里の元へ行く事も出来る。だが私はもうあの子に触れる事が出来ないんだ。おそらくこちらでもあちらでも死んだ為だと思う」
「既に死んだ人間だから、触れる事が出来ない。だから俺たちに、と?」
「そうだ。病院の静里が起きないのは本来、彼女の中にあるはずの『魂』が抜けているからだ。どういうわけかあの子は肉体と魂が分離してしまっている。肉体は病院に、そして魂はあの塔の中に。あの子を目覚めさせるには塔の中のあの子を連れ出すなり起こすなりしなければならないんだろう。触れる事が出来ない私には出来ない」
「なぜこちらの世界で初めて遭ったあの時にこうして事情説明しなかったんだ? 山の中を塔まで先導したあの時なら説明も出来たと思うが」
「言葉を話せるようになったのが最近の事なのだよ。具体的には君たちがこちらの世界の塔に入り、最上階で姿を消した後だ」
「なるほど」
「君たちを塔の最上階の部屋に押し込んだ後、私は病院へと吹き飛ばされてしまった。静里は君たちが塔の中にまで入った事が影響したのか、ほんの少し病状が回復したようだがそれでも目覚めるまではいかなかった」
「そういえば少し回復したって看護師さんたちが話してるのを聞いたな」
「君たちが塔へ接触した事で病院にいる静里へ影響を与えた。この事から考えても塔をなんとかする、あるいは塔で眠っている静里をなんとかすれば静里が目を覚ます可能性が高い」
「……貴方の望みは彼女を救う事。それを俺たちに手伝えと。そういう事ですか?」
「赤の他人である君たちに頼むのは心苦しい。しかしあちらの世界の存在を知る者でなければ摩訶不思議な現象に対処する事が出来ない。そんな人間が君たち以外にいるとは思えない。仮にいたとしてもあの子が生きている内に接触できるかはわからない、手伝ってくれるかもわからない。君たちに頼む事しか私には出来ないんだ」
地面に鼻を擦り付けるように大型犬はお座りの姿勢から深く頭を下げる。
「頼む、大切な孫娘を助けてくれ」
人間の姿であれば間違いなく土下座をしていただろう。
ただただ孫の事を思う、その動作に辰道とタツミは無言のまま目を合わせる。
念話もなくただ視線を交えただけだが、それだけで彼らはお互いが何を思っているのかを察した。
「俺たちも自分たちが置かれている状況をどうにかしたいと考えています。その為に瘴気とあの塔を追っている。そのついで、という形で良ければ空井静里さんの救出を引き受けてもいいです」
「いざという時に優先するべき事はこっちの裁量で決めさせてもらう。それが嫌ならこの話を受ける事は出来ないぜ? それでも俺たちを頼るかい?」
辰道たちには『自分たちの融合を解き、それぞれの生活を取り戻す』という目的がある。
『自分たちの融合を解き、それぞれの生活を取り戻す』という目的と『空井静里の救出』という健志の願い。
大型犬の姿を取った空井健志という老人によって語られた少女の境遇には同情するし、こちらの世界にいながらあちらの世界と関わる事になったという共通点から、彼らは彼女と目の前の大型犬には親近感のような物も感じていた。
助けられるならば助けたいと考える程度には。
しかしいざ2つの目的を両立出来なくなった場合に、どのような選択をするか彼らにも予想が付かない。
土壇場になって自分たちの身惜しさに彼女を見殺しにするかもしれないのだ。
だから明確に助け出すと約束する事を避けた。
大きな期待を抱かせないように、自分たちが失敗した時に彼が受ける絶望を少しでも少なくする為に、あえて突き放すように。
「それでも構わない。静里の事を頼む」
しかし辰道たちの考えはこの老人にはお見通しだったようで。
目を細めて口角を吊り上げたその表情が、人間で言う所の苦笑いであると彼らにもわかった。
「!!」
「身体が透けていく!?」
目の前で大型犬の姿が薄れていく。
その事に2人は驚くが、健志自身は慣れているようで動揺した様子は見られず平然としていた。
「どうやらここまでのようだ。私は塔周辺に飛ばされてしまう。すまない、そちらも聞きたい事があっただろうに。結局、私が一方的に話すだけの結果になってしまった」
「……気にしないでください。もう話せなくなるわけじゃない。またここに来ます。その時に聞かせてもらいますよ」
「そう言ってくれるとありがたい。……それではまた」
「既に亡くなっている人間にこういう言い方は違う気がしますが、次に会う時までどうかお元気で」
「ふふ、ありがとう」
お礼の言葉を最後に大型犬はその姿を完全に消失した。
「……色々とわかったな」
「そうだな。……やらなきゃいけない事も増えたが」
「まぁ自分に出来る事をやろうぜ。成功失敗なんて結果を心配しても仕方無いんだからよ。切り替えていけ」
「ああ。それじゃ帰るか」
ベンチに座っていた尻を軽く叩き、僅かに付いた汚れを落とすと彼らは公園を後にした。
確かな成果に手応えを感じながら。
そしてこの日の就寝後。
彼らはあちらの世界で目覚める事になる。




