波乱万丈の一日の終わり
ギルドでの手続きを終えたタツミは、その足で街に入る時に通ったフォゲッタの西門へと向かった。
街に入る時に利用した門の詰所にギルドカードの提示を済ませる為だ。
運が良い事に街に入る時に応対してくれた青年に会う事が出来たので手続きはすぐに終わっている。
別れ際にオーヴォルへ『今夜行けるようになった』という伝言を頼み、タツミはその場を後にして改めて街中を歩き出した。
2年ぶりの街を観光気分で歩く。
タツミの覚えている限り、街並みや店の並びにはそれほど変化はないように見える。
ただ以前よりも店一つ一つが出す商品の種類と数が増えているようだ。
武器屋では銅製、鉄製の物の他に多少値は張るが銀製の武器までがかなりの数量出回っている。
道具屋ではHP回復アイテムであるポーションの上位種であるハイポーション、MP回復アイテムであるエーテルの上位種であるハイエーテルが置かれるようになっていた。
流石に値段は普通のポーション、エーテルに比べて跳ね上がっているが、それだけの価値がある有用な品だ。
その他にもゲーム的にはフォゲッタ周辺の魔物を倒したドロップ品でしか手に入らないような物が市場に出回っている事が確認できた。
ゲームでは街の商品が変わるのは特殊なイベントの時のみのはずだったが。
タツミがいない二年間の間に市場に大きな変動があったようだ。
値段にも多少の変動があるがどの店も全体的に商品のグレードが上がっている。
そんな物が出回るほどにこの街の市場が活性化しているという事なのだろう。
ゲームではありえない変化。
それは今いるこの世界が仮想の物ではなく現実である事を表していた。
「(まぁ、普通ならいつまでも同じ額で物が買えるとは限らないよな。魔物の存在のせいで流通にムラがある世界なんだから尚更だ)」
並び立つ商店を冷やかしながら歩く彼に、よく通るドラ声で声がかけられた。
「よぉ、タツミぃい!! 随分と久しぶりだなぁおい! ちょっと店見てけよ!!」
タツミが初めてこの街に来てからずっと利用していた道具屋の店主だ。
「おっさん、悪いんだが今すぐに入用な道具はないんだ。クエスト受けたら改めて買いに行かせてもらうよ」
「ち、久しぶりの上客に逃げられちまうたぁ、今日はついてねぇな。……まぁいい、だったらさっさとクエスト受けて来い。待ってるぜ! 新参の店に目移りすんじゃねぇぞ!!」
「わかってるって。近いうちに寄らせてもらうからさ」
客寄せを断られたのにも関わらず気持ちのいい笑みで彼を見送る店主と別れるとすぐに別の声がかけられる。
「あらあら、タツミちゃん。久しぶりねェ、オーヴォルに話は聞いてたけど大変だったみたいじゃないの。ほらこれ、二年振りにこの街に来た祝い代わりよ。持っていきなさい」
押し付けるように色とりどりの野菜の入った袋をよこす中年女性。
昔からここで野菜売りをしている人物だ。
穏やかだが気風の良い気性で周りの世話を焼いている。
タツミはどちらの世界でもわりと自炊をする為、良質な野菜を売ってくれるこの人の店を贔屓にしていた。
彼女は音沙汰無しになるまでの間、野菜を求めて通っていた彼の事を覚えていてくれたようだ。
一般人からすれば外食や保存食を食べているイメージがある冒険者の常連客が珍しかったから印象に残っていたのかもしれない。
「(っていうかオーヴォルのおしゃべりめ。まさか街中に俺の事を触れ回ったのか?)」
はっはっはと笑いながら親指を立てている男を脳内で殴りつけながら、彼は野菜の入った袋を受け取った。
「ああ、おばさん。俺の事、覚えててくれたんだな。ここの野菜は新鮮で美味いからお祝いありがたくもらってくよ」
「しばらくいるって言うんならまたご贔屓にね」
「まだどのくらいいるか考えてないんだけどな。いる間は通わせてもらうよ」
半ば強引に渡されたトマトやら人参やらの入った袋をタツミは大切に持ち直して頭を下げると歩き出した。
「(俺はこっちの世界の俺と融合して、記憶が二重にあって、それぞれの倫理観を持っている)」
何度となく行ってきた今の自分に対する考察をしながら、記憶にある街を適当に歩く。
「(だが俺はこちらの世界で『タツミ』として生きてきたのかって疑ってしまう事がある。あっちの世界に比べてこちらにいる今の状況が非現実過ぎるせいで。……自分で言うのもなんだが不安定な状態だ。ギルド長にも気づかれていたし)」
考えないようにしていた事へ考察を広げていく。
「(でもギルド長が、オーヴォルが、おっさんが、おばさんが親しげに声をかけてきてくれて……この世界で過ごしてきた俺が間違いなくここに存在したんだってそう思う事が出来た)」
ただでさえ彼は2年もの間、音信不通だった身。
彼自身、自分の事を覚えている人間なんてそう多くはいないとそう思っていた。
いたとしても時間の流れからそう親しい関係は残っていないだろうとそう思っていた。
だがそうではなかった。
ここで生活してきた時の出来事は、培ってきた縁は、ゲームのデータを消すようにボタン一つであっさりと消えてしまうような物ではなかったのだ。
袋の中の野菜の重さが、今のタツミにはとても頼もしく心地よく感じられる。
「(これはしっかり料理して、そして感謝しながら食べよう)」
そう決めて、彼は軽くなった心の赴くままに2年ぶりの街を存分に練り歩いた。
不安は今も彼の心にある。
けれど自身の記憶と、かつてのこの世界での生活が、幻や妄想などではないのだと。
今は自信を持って信じられるようになっていた。
時刻は進み、夕方。
タツミが訪れた場所はオーヴォルとの約束の場所『渡り鳥の止まり木亭』。
安くて美味しい食事を出す事でこの街ではそれなりに有名な店だ。
昼はレストラン、夜は酒場とあらゆる年齢層に対応している。
中はそれなりに広く、内装は質素にまとめられており、街の住人はもちろん冒険者にも利用客は多い。
値段が手頃な事から庶民層からは特に愛され重用されていると言って良い。
店の雰囲気は昼は穏やかで、夜は相応に騒がしく、いずれの時間も人が絶えない、そんな場所だ。
この街にいた頃、タツミは自炊と半々でこの店に通う常連客だった。
「いらっしゃいませ」
タツミがドアを開けると備え付けられたカウベルが音を発てて来客を知らせ、ウェイトレスが足早に接客に向かう。
軽く店内を見回し、変わっていない内装を懐かしいと思う反面、顔見知りがいない事を彼は残念がった。
「お一人様でしょうか?」
「待ち合わせをしているんですが……どうやらまだ来ていないようなので2人席をお願いします」
「畏まりました。お待ち合わせの方のお名前とお客様のお名前を教えていただけますか?」
「俺の名前はタツミ、待ち合わせ相手はオーヴォルです」
彼が待ち合わせ相手の名前を出したところでウェイトレスが目を瞬かせて驚いた。
「あら? お客様はオーヴォルとお知り合いなんですか?」
「友人です。今日久しぶりに会って再会記念にここで飲もうという話になったので」
「へぇ、そうなんですか。彼らしいですね。では席にご案内します」
なにやらオーヴォルと親しげな様子のウェイトレスは雑談もそこそこに気を取り直すとタツミを席に案内する。
店の内装は既に酒場仕様になっていた。
昼間には無い、酒瓶やボトルがカウンターの奥に用意されており、少し奥まった所には酒樽が幾つも重ね上げられている。
冒険者たちはクエストの成功を祝う際に、樽で酒を注文して浴びるように飲む事があるのだ。
そういう祝い事用のストックも充実している事がこの店が重用される理由の一つだ。
席に案内されて適当に注文を済ませたタツミは、さりげなく店の中の客を窺う。
こちらの大陸では中々お目にかかれない武士甲冑を身に着けている彼の姿は、昼間の街の中では非常に注目を集めていた。
鍛冶屋を営んでいるドワーフ族などは武士甲冑や腰に差している刀を見るや否や、「これの製法を教えてくれ!」と言って迫ってきたくらいだ。
見慣れない形の鎧や武器が彼らの琴線に引っかかってしまったようだが、製法などまったく知らない彼からすれば溜まったものではない。
勿論、タツミは適当に言いくるめてその場から逃げ出している。
「(似たような事が起きないか警戒したんだが……案の定、変に注目されてるな)」
目立つ事を覚悟して基礎能力の高い大将軍を職業に選んだのだが、それにしても想定以上に注目が集まってしまっているように彼には思えた。
小さな溜め息をつきながら先だって出されていた水を一気に飲み干す。
突き刺さる好奇の視線を意図的に無視しながら、暇つぶしと実験を兼ねて彼はある事を始める。
「(ステータス)」
口には出さずに頭の中で念じる。
すると海岸で調べていた時と同じように頭の中にステータス画面が表示された。
タツミはもう一度、さり気なく周囲の客に視線を巡らせる。
丁度良く、席に案内してくれたウェイトレスが彼の注文した料理を運んでこちらに来るのが見えた。
彼女に視線を向け、もう一度意識を集中させる。
すると自身の能力を表示していた画面が切り替わり、彼女のステータス画面が脳裏に表示された。
想定した通りの結果に思わずテーブルの下で拳を握る。
画面上に見えるNPCやPCにカーソルを当てると相手の名前、種族、レベル、職業、職業レベルが表示されるのがゲームの仕様だ。
そのシステムがこちらの世界でも適用されている事が、今のタツミの行動で実証できたのだ。
情報は少しでも多い方が良い。
このシステムは誰にも気づかれずに情報を入手する上で有力な手段になるだろう。
しかしゲームとの違いも確認された。
ゲームではさらにクリックする事で力や体力などの基礎能力やHP、MPも見る事が出来るのだが、そのイメージで念じても変化はない。
どうやらそこまでの情報は見る事は出来ないらしい。
表示された情報に目を通す。
名前は『リィン・バロウ』、種族は『人間』、レベルは『21』、職業は『ウェイトレス』、職業レベルは『6』となっていた。
職業レベルとはその職業をどれだけ熟練したかを示す数値だ。
最大で8まであり、最大レベルに到達した時点でその職業はマスターしたと言う事になり『マスターボーナス』が手に入る。
ゲームとしての認識だとレベル4でいっぱしの腕前。
つまりレベル6と言う事はこの女性は既に接客業のプロと言う事だ。
「(気になる点といえばウェイトレスという職業はゲームには存在しなかったはずだって事か。この世界の現実に合わせて表示される職業も増えているって事か?)」
「お待たせしました。ご注文の品です」
「どうも」
3つの皿を器用に両手で持ちながら流れるようにテーブルに並べる。
2人前のシーザーサラダ、500グラムのステーキ、そして大盛りのライス。
向こうの世界ではそこまで大きくなかった彼の胃だが、こちらの世界のタツミはそれなりの量を食べる。
冒険者は身体が資本であり、仕事の内容によっては長時間まともな食事にありつけない事も多い。
食べられる時にたらふく食べると言う思考が働いた結果、彼は自然とこれだけの料理を注文していた。
彼は両手を合わせこの大陸では行われない日本式の挨拶と共に目の前の料理に軽く頭を下げる。
「いただきます」
タツミはジュウジュウと食欲をそそる音を発てているステーキに齧り付いた。
オーヴォルが店に来たのは彼が入店してからおよそ1時間が経過した頃だ。
彼は仕事を終わらせた後すぐに来た様子でタツミの対面の席に座るなり、仕事の疲れでテーブルに突っ伏してしまった。
「あ~、今日も疲れたぜ~~」
「お疲れ様、だな。……しかしそんなに大変だったのか? 俺がいた頃は自警団と言ってもそこまで忙しくはなかったと思うんだが」
突っ伏す彼の疲労具合は傍目から見てもわかる程に濃い。
忙しいのは1日2日程度の話ではないのは明白だ。
そもそもオーヴォルの体力は中堅どころの冒険者よりも上、向こうの世界で言う所の世界的アスリートに匹敵する程の物である。
「(そんな人間がこれだけ疲れていると言う事はよほどきつい仕事が続いているという事になるんだが……)」
腑に落ちないという気持ちを視線から感じ取ったのか、オーヴォルはぐったりとテーブルに突っ伏したまま顔だけをタツミへと向けた。
「ああ~、お前がいた頃はまぁそれなりに平和だったな。でもここ最近……大体、一か月前くらいからか? この街に流れてくる人間が急に増えてな。色々と仕事が増えたんだよ」
「急に……? 観光じゃなくてか?」
「ああ。どうも最近、魔物に襲われる村やら町が増えてるらしい。そこからの避難民がこの街に押し寄せてるんだよ。それで自警団は衛兵の仕事以外にも、そういう連中の誘導やら街に入れる為の手続きやら仮住居の設営なんかに駆り出されてるんだ。俺はなまじ色々出来るもんだから忙しくなっちまってる。一応、特別手当は貰えるんだが金もらっても使う暇がなくてなぁ」
「そいつはまた……なんというか大変だな」
「冒険者にとっても他人事じゃないぜ? ランクD以下の連中なんかは仮住居の設営を手伝わされてるし、なにより前例のない魔物の襲撃だからな。最近じゃBランクのパーティが襲われた村の救援と今回の件の調査に出されてるって聞くぞ。かなり有名なパーティらしい。そいつらの報告次第じゃAランクのお前にもお呼びがかかるんじゃないか?」
Aランクはギルドが認定できる最高ランクの冒険者だ。
認定されればクエストに関しては勿論、日常生活でもギルドから多大な援助を受ける事が出来る。
しかし援助を受ける特権を行使できる権利を得る事と引き換えにギルドから直接、名指しでクエストの依頼が来た場合はよほどの理由が無ければ受ける義務が発生する。
今回のケースの場合、Bランクのパーティでは荷が重いと判断されればAランク冒険者に依頼が来ることになるだろう。
クエストを受けていないフリーのAランクが現在、どれくらいいるかはタツミにはわからない。
しかし今、この街にいる冒険者でという条件で探すと良くても3、4人だろう。
最悪の場合、タツミしかいないという事も考えられる。
Aランクの冒険者はそれだけ存在自体が貴重であり、そして一人一人が強大な戦力なのだ。
「ああ、そうかもな。けど気になると言えば気になるし、もし依頼が来なくても自分の足で調べに行くかもしれない」
「お、そりゃこっちとしちゃありがたい話だな。こーいうのはあんまり言いたかないが今回みたいなケースでギルド経由の依頼を出すと街からも金出さないといけなくなるんだよ。しかも依頼先がAランク冒険者なんて事になったら結構な金を出すはず。……実はそいつを出し渋って上の方から依頼自体に待ったがかかるかもしれないって話を聞いたんだよ。同じ理由で俺が出した自警団を動かすって言う案も握りつぶされたって聞いてるし。……まぁこの辺は噂なんだけどな」
心持ち声を忍ばせて話すオーヴォルの顔は苛立っているようにも、悲しんでいるようにも見えた。
オーヴォルはこの街の自警団の中では五指に入る腕前である。
扱うのは短槍二本。
剣とほとんど変わらない短い射程を物ともせずに訓練では同期や先輩後輩を叩き伏せ、街では暴漢を抑えるべくその鋭い一撃を繰り出す。
そんな強さを持つ彼が突然の魔物襲撃の多発化という異常事態に対して積極的に動く事が出来ない。
真っ直ぐな性根のオーヴォルには今の状況は、もどかしくて堪らなく、歯がゆい状況だろう。
街の人間としてこの街とそこで生きる人間を護りたい。
そんな気持ちでオーヴォルはギルドからのスカウトを断り続け、今も自警団にいるのだから。
「なるほど……まぁ金がないと街の運営も回らなくなるからな。出し渋るのもわからんでもない」
「……なんだ? お前、こういう事に理解がある人間だったっけ? 前はもうちょっとこう、猪突猛進っつうかなんつうかそんな感じだったじゃねぇか」
「お前には言われたくないんだが……この甲冑を作ってくれた所で色々と遭ったんだ。その辺の話はまず一杯やってから話そう。長くなるからな。すみません、注文お願いします」
通りかかった先ほどとは別のウェイターを呼び止めて飲み物を、オーヴォルも便乗して幾つか料理を注文した。
そしてすぐに出されたビール片手にタツミはこの2年間に体験した事を話し始める。
時間にして3時間ほど、彼は自身が持つ波乱万丈の記憶を話し続けた。
偶に入るオーヴォルの質問や茶々に答えながら。
既にお互い食事は終わっており、彼らのテーブルにはつまみの皿と空いたビールジョッキが幾つも並んでいた。
「なるほどねぇ。異大陸ヤマト。そういう大陸があるってのは聞いたことがあるが、まさかお前がそこにいたなんてなぁ。波乱万丈過ぎる体験してるな、相変わらず」
呆れたような、どこか納得したような微妙な顔をするオーヴォル。
「相変わらず、なんて言われるのは心外だぞ。冒険者なんて大なり小なりそういう事が起こるんだからな。俺だけに限った話じゃない」
なんとも形容しにくい表情をされたタツミは憮然としながら反論する。
「いやいやいや乗ってた船が難破して気が付いたら異大陸とかそんな体験する奴なんてなかなかいねぇだろ。それにお前、討伐依頼こなしてたら依頼対象の魔物よりも上位の奴と遭遇したり、護衛の依頼受けたら名うての殺し屋を相手する羽目になった挙句に依頼主の方が不正してて最終的にその殺し屋と共闘して依頼主の悪事を暴いたり。……この街にいる間だけでも結構な伝説立てまくってるじゃねぇか。普通の冒険者はこんな一歩間違えれば死ぬような目にはなかなか合わねぇぞ」
「……」
指折り数えながら、タツミがやってきた事を挙げていくオーヴォル。
そしてそれらの出来事を思い返し、反論できなくなった彼は苦い顔で黙り込んだ。
全てが事実であると言う事と、さらに向こうの世界の常識に照らし合わせて考えても自分の厄介事へのエンカウント率が異常だと言う言葉に納得してしまったからだ。
「……ああ、うん。とりあえず俺の話はこんな所だ。昼間のギルドカードの件はヤマトでのこだごたで無くしたって事でギルド長も不可抗力としてペナルティは軽くしてくれたよ。それでもギルド指定の依頼を5件受けなきゃならないんだがな」
この話題では反論できないと考え、彼は無理やりに話を変える。
オーヴォルはしてやったりと笑うとそれ以上の追及はせずに話題転換に乗った。
「うわ、それほぼ確実に今回の魔物の件も関わってくるだろ。……気を付けろよ?」
「ああ。まぁ何が出来るかわからないが全力でやるさ。とはいえ戻ってきたばかりだからな、今日明日は宿でゆっくりするつもりだ」
「ああ、いいんじゃないか? ギルド長にもその話をしたんならあっちでちゃんと考慮してくれるだろうし、明日までくらいならゆっくり出来るだろ。……多分」
「そこは断言してほしかったんだが(とはいえあのギルド長だしな)」
脳裏に浮かぶ高潔であるが故に職務怠慢と無縁の人物。
その性格故に使える人間には相応の仕事を与えるというスタンスで、人使いの荒さは他のギルドよりも遥かに上だ。
『使える人材』であるところのタツミをいつまでもフリーにしておくとは、正直なところ彼自身も思っていない。
「ギルド長には明後日にギルドに来いと言われてる。俺の平穏は明日一杯は保障されてるわけだ」
「逆に言えば明後日からさっそく忙しくなるわけだ。……戻ってきたばっかだってのに、ご愁傷様」
「そんな憐れむような目で見るな。まったく……」
5杯目のビールを一気に飲み干す。
飲み干したジョッキをテーブルに置きながら、大げさに息を吐いた。
「ははは! ま、今日は飲もうぜ。つっても俺は明日、昼番だから程々にだけどな。すいませ~ん!」
人好きのする快活な笑みを浮かべながらウェイトレスを呼ぶオーヴォル。
「やれやれ」
苦笑いしながら彼は釣られるように笑い、呼びかけを受けて駆け寄ってきたウェイトレスに二人分のビールを注文する。
この程度の量ならば向こうの彼であっても十分に許容範囲だ。
「(どうせ明日の予定はないんだ。昼のうちに宿は取ったし、今日くらいは羽目を外そう)」
早々と届いたビールを同時に掲げ、彼らは二度目の乾杯をした。
長居している内に周囲も慣れてきたのか、タツミへの好奇の視線は収まってきている。
どうやら酒も入ってきて自分たちの方の大騒ぎに集中する客がほとんどのようだ。
しかし店に入ってから数時間。
向こうでの感覚的には23時というところか。
酒場の喧噪はより強く賑やかな物になっていき、それぞれのグループが盛り上がりを見せる中、3対の視線がじっと自分たちのやり取りを見つめている事にタツミは気づいていた。
1人目はタツミがステータスを見たリィンと言う名のウェイトレス。
チラチラと顔を赤くしながら接客の合間に2人を窺っている。
彼女は彼らというよりも、オーヴォルを見つめていた。
その視線の意味がわからない程、タツミは鈍くない。
「(俺の勘違いじゃなければ彼女はオーヴォルに好意を持っている、いやあの態度からするとたぶん惚れているんだろうな)」
ならば視線が向けられる事自体はそれほどおかしい事ではない。
なんだかんだでオーヴォルはモテる。
タツミはその事をそれなりの付き合いで知っていた。
何人もの人間が同じような表情で、オーヴォルに熱い視線を向けてきた事をわりと傍で見てきたからだ。
「(今はその気がないとか、ヤマトに行く前に語ってたが。2年も経った今でもまだその気にはなってないらしい。彼女には挫けず頑張ってくれとしか言えないな)」
心中で軽く彼女にエールを送りつつ、他の視線に対して思考を巡らせる。
2人目、3人目の視線。
これは入口付近の二人席からで成人は迎えていると思われる長身の女性と、その体面に座っている小柄な少女からだ。
「(この二人からは俺たちを観察するような視線……正直、何が目的なのかさっぱりわからん)」
好奇心というわけではなく、かといって私怨やらで睨んできているというわけでもない。
原因にまったく心当たりが無い上に、その意図を察することも難しい一番対応に困るタイプの視線だ。
害意が無い事はわかるのだが、だからと言って放っておくには視線が強すぎるように感じられた。
オーヴォルはどの視線にも気づいていない。
酔っている事に加えて全員が彼の背中側にいるせいだろう。
仮にも自警団の一員で名の通った実力者なのだから視線の一つや二つくらい気付いていてほしいとタツミは思うのだが。
久しぶりの友人との飲み会で気持ちが緩んでいるのだろうと好意的に考えておく事にした。
「(それでもウェイトレスさんからの熱い視線くらいには気づいてやれ)」
さてこの状況をどうしたものかと彼はほろ酔い気分のまま考え、瞬時に答えを出す。
「(とりあえず無視だ)」
今の所、害意がありそうな意思は感じられない。
下手に刺激すると藪蛇になる可能性もある以上、自分から行動を起こす気にはならなかった。
「(店を出て帰るところでだけ注意をして念のため、オーヴォルを家まで送ればなんとかなるはずだ。……たぶん)」
そこまで彼が考えをまとめたところで。
不意にオーヴォルの頭上にサイコロのイメージが浮かんだ。
「いっ……!?」
サイコロが振られる。
出た目は『2』。
「うぉっ!?」
ほろ酔い気分のまま立ち上がってトイレに行こうとするオーヴォルが足を滑らせた。
その瞬間、タツミは冒険者として鍛えられた反射神経の命じるままに手を動かす。
倒れそうになった彼の手を掴んだところで今度はタツミの頭上にサイコロが出現した。
「(連続かよッ!?)」
構わず目の前にいたオーヴォルを突き飛ばす。
結果は『5』だった。
突然、足を滑らせて後ろに仰け反るオーヴォル。
しっかりした彼の体格が災いして、掴んだ腕からは思った以上の負荷がかかる。
しかししっかりと足を踏ん張って両手に力を込めたお蔭か、仰け反った姿勢のまま倒れる事を堪えていた彼を起き上がらせる事に成功した。
「まったく。仕事終わりだからって羽目を外しすぎだ、気をつけろよ?」
「わ、悪い……」
突然の状況の変化に対応できず、頭を振って気を取り直すオーヴォル。
怪我が無かった事にほっとする反面、あらためてどこでも起こるダイスロールに不安を覚える。
「(これは本当に油断ならないな)」
この世界で過ごすという事に対して改めて気を引き締める。
彼はおぼつかない足取りのオーヴォルにため息をつきながら肩を貸した。
苦笑いを浮かべるウェイトレスに申し訳ない気持ちになりながら代金を支払い、渡り鳥の止まり木亭を後にした。