塔と狼、そして少女
それなりに整地された山道を彼らは歩く。
幸いな事に天候は晴れで山の中にも雲ひとつ無かった。
「意外と楽だな」
「写真を撮ったって場所にはまだ着かないのか?」
「このペースならあと30分って所だろうな。もう少しだ」
周囲に誰もいない事を良い事に辰道は隣り合って歩くタツミと談笑する。
この様子を誰かに見られていたらずいぶん大きな独り言を言う男だと訝しがられただろう。
なにせ傍目から見ればタツミが1人で喋っているようにしか見えないのだから。
だと言うのに彼自身はまるで誰かと会話しているような事を言っている。
街中で同じ事をしていれば不審者として通報されてもおかしくない。
辰道も周囲に誰もいない事がわかっているからこそやっている事だが。
「……変だな」
「タツミ? どうかしたか?」
山道を黙々と登る2人。
ふとタツミが足を止め、頭上を見上げ始めた。
「さっきまで虫とか鳥がいたはずなんだが……この辺にはまったくいない。妙に静かだ」
「言われてみれば……さっきまでは鳥の鳴き声がしたのに。今はまったくしないな」
ふと彼らの間に風が吹き、暗く淀んだ空気が吹き込んできた。
どこか生温かく感じられるその風は木々を揺らす。
小気味良いはずの葉音が今の彼らには薄気味悪く感じられた。
先ほどまで暖かかった木々の間から差し込む日の光すらも、今の2人にはどこか寒々しく感じられる。
「さっきまでと雰囲気が違うな」
「もしかして、当たりか?」
「例の写真の場所はもうすぐそこだ。とにかくそこに行ってみよう」
手掛かりが掴めるかもしれないという期待が辰道の足取りを早めていた。
「(辰道は気付いてないみたいだが……この雰囲気、向こうで入った採掘場跡にそっくりだ。塔があるかどうかは分からねぇが警戒しとかないとまずい気がする)」
タツミはそんな彼の横につき、何が起きてもいいように周囲を警戒する。
「写真が撮られた場所は……この辺りか?」
スマートフォンに入れた画像と目の前の風景を見比べ、辰道は場所を特定した。
しかしそこから見える景色に塔は存在せず、彼は落胆を隠しきれずに肩を落とす。
「はぁ。そうそう上手くはいかないって事か……」
「いや雰囲気がおかしいのは変わってない。もう少しこの辺を探してみようぜ。俺ならこれくらいの山ならどこからでも上り下りできるしな。お前はそこの休憩所で休んでろよ」
「ああ、わかった。あまり遠くには行くなよ?」
「わかってるよ」
整地された山道の横は崖のように切り立っている。
しかしタツミは躊躇う事なくその場から飛び降りた。
この世界では考えられない卓越した身体能力があるが故の行動だ。
辰道もあちらの世界でその身体を動かした事があるから、この行動を危険だとは思わない。
それだけの能力があると知っているからだ。
「しかし。雰囲気が変わったからもしかしてって期待してたのにな」
当てが外れたショックは思いのほか大きかったようで辰道はぼやきながら背中から下ろしたリュックから取り出したスポーツドリンクを飲む。
喉を潤しながらじっと周囲を見回すが、やはり塔らしき物は見つけられなかった。
しかし。
「んっ?」
これから登る予定の山道。
そこに遠目から見ても動物とわかる何かがいる事に辰道は気がついた。
「……白い動物? 犬にしては、ずいぶん大きいな」
動物は辰道をじっと見つめるとゆっくりと山道を降り始める。
胸騒ぎがした彼はいつでも動けるようにと立ち上がり、リュックを背負い直した。
「(まずい。どうする? 山道をダッシュして逃げるのは危なっかしくて無理だぞ)」
焦らないよう逸る気持ちを落ち着け、辰道はじっとその場から動かなかった。
やがて近づいてくる動物の姿がはっきりとわかるくらいの距離になり、彼は驚きに目を剥いた。
「あの時の……フォレストウルフ!?」
白い毛並みに妙に理性的な瞳。
こちらを窺うように見つめながら近づいてくるその獣は、辰道の記憶にも新しいあちらの世界で戦った魔物の姿と完全に一致していた。
彼は息を呑み、近づいてくる動物を凝視したまま動かない。
両者は自然と見詰め合う形になった。
まだ動物の正体が確定したわけではない。
しかし辰道はかつて戦った時の強さを思い出してしまい、迂闊に刺激するような真似は出来ないと考え、その恐怖から身動きが取れなくなっていた。
「(どうする!? どうすればいい!? 今の俺があんな奴に攻撃されたら一溜まりもないぞ!?)」
その間にも狼は少しずつ近づいてくる。
威嚇行動も何もせずただ静かに見つめるその様子はやはりただの獣ではありえない。
「辰道!!」
「タツミ!?」
二者の間を遮るようにタツミが整備されていない山の横合いから飛び出した。
辰道を庇うように背にして立ち、狼を睨みつける。
じっと辰道を見つめていたフォレストウルフはタツミに視線を移すと、何事かを考え込むように眉間に皺を寄せ小さく唸り声を上げた。
「遅くなって悪かった」
「いや間に合ったからいいさ。それよりあいつは……フォレストウルフ、だよな? どうもタツミの事も見えてるようだし姿形が似ているだけの普通の動物って事だけはなさそうだが」
「ばっちり目が合ったし見えてるのは間違いなさそうだぞ。あと俺の記憶とも一致するから、この世界でああいう獣がいないんならまず間違いないと思うぜ?」
2人が話している間もフォレストウルフはじっと彼らを見つめ何かを考え込む。
またしても膠着状態になるかと思われた矢先、白狼は彼らに向かって一度吼えると背を向けて歩き始めた。
少し進むと振り返り、もう一度吼えてまた足を進める。
「ついてこい、って言ってるのか?」
「たぶんそうだと思うが……罠かもしれないな」
「とはいえ手掛かりは他に無い。行くしかないか」
「虎穴に入らずんば虎児を得ずって奴だな」
2人は周囲を警戒しながら、一定の距離を取りつつフォレストウルフの後を追い始めた。
狼の後を追いかけ始めて20分が経過した。
先へ進んでいくうちに山道を歩いていた時よりも暗く淀んだ空気が強くなっている事がわかる。
辰道も雰囲気が強くなった事であちらの世界の採掘場跡の雰囲気に似ている事に気づいた。
本来の山道ルートを逸れて脇の林に足を踏み入れ、何度も目印を残す。
そうして進んでいくうちに彼らの視界に探していた建物が見えてきた。
「塔だ」
「当たり、だったか」
窓の無い塔は、あちらの世界とまったく変わらない姿で佇んでいた。
しかし唯一にして最大の違いが1点。
「(瘴気が立ち上っていない?)」
同じ事を考えていたタツミも訝しげな表情をしながら、塔を見上げた。
「どういう事だと思う?」
「わからん。恐らくあちらの世界とこちらの世界で状況が違うって事なんだろうが……」
狼がまた振り返り、2人がついてきている事を確認する。
何度となく行われるその動作を警戒し、辰道たちは反射的に身構えた。
狼は彼らの行動を当然の物と受け止めたのか、付いて来ている事だけを確認すると進行方向に向き直り、歩みを再開する。
少しずつ塔に近づいていくうちに2人の口数も少なくなっていく。
特に辰道は雰囲気に中てられ始めたのか、顔色も悪くなっていた。
「辰道、大丈夫か?」
「正直キツイ」
力の無い声でタツミに応えながら彼はペットボトルに口をつけ喉を潤す。
「悪いが無理でも付いてきてもらうぞ? あいつは俺たち2人に付いてきてほしいみたいだからな。1人だけ付いていくと何をされるかわからん」
「どの道、ここまで塔に近づいた状態だと何が起こるかわからないから離れるのは無理だ。どうにか持たせるさ」
周囲を警戒するタツミの雰囲気が重々しい物に変化する。
葉一つ一つの動きも見逃さない、木々のさえずりさえ聞き逃さない、という警戒心が何も言わずとも隣にいる辰道に伝わってきた。
さらに歩くこと5分。
狼は足を止めて振り返った。
その後ろには窓の無い塔が鎮座している。
そこは整地どころか手さえ入っていないような山道を外れた場所。
ほとんど日の光すらほとんど通さないほどに欝蒼とした森の中に隠れるように塔は存在していた。
「何事も無く到着出来たか」
「問題はここからどうするか、だけどな」
狼から一定の距離を取って立ち止まった2人は、何が起こってもいいように身構えたまま考えをめぐらす。
そんな2人の目の前で塔の出入り口、木製の門が音を発てて開き始めた。
「門が……開く!?」
「どうする? ……逃げるか?」
狼は開いていく門を一瞥すると、塔の動きを警戒している2人をその理知的な瞳で見つめ続けていた。
2人が次の行動を思案している間にも門は開き続ける。
そして観音開きの門が開き切ると、狼はまたしても2人に向かって1度吼え、先導するように塔の中へと入っていった。
「タツミ。ここから見える範囲で何か異常はあるか?」
「無い、と思う。塔の中にも外回りにも瘴気は見当たらない。動物の気配がまったくしないのはさっきからずっとだしな」
2人の間に数秒の沈黙が流れる。
覚悟を決めたのか辰道が塔に向かって歩き始めた。
タツミも彼に合わせて足を進める。
「鬼が出るか蛇が出るか、だな」
「何も起きないっていうのは流石に無いだろうけどな」
僅かに足を震わせている彼を勇気付けるように笑うタツミ。
自身のやせ我慢を見抜かれた事を察し、辰道は敵わないなと笑い返した。
「何が起こるかわからんが……分断される方がまずい。俺は一旦、お前の中に戻るぜ」
「わかった。何かあったら頼む」
「任せとけ」
辰道の体に吸い込まれるようにタツミの姿が消える。
1人になった辰道は深呼吸をすると開け放たれた門から塔の中へと足を踏み入れた。
塔の中は入ってすぐ左手に円を描きように登る階段があり、右手は壁で行き止まりになっていた。
実質の一本道と言えるだろう。
外から確認した通り、窓は無い。
壁その物が青白く光っている為か、真っ暗で先に進めないという事はなさそうだ。
周囲を観察しながら辰道は階段を登り始める。
どうやらこの階段は螺旋階段のようで、登ってすぐに右回りに階段が曲がっていた。
彼が石を踏み締める足音以外は何も聞こえない。
先に登ったと思われる白狼の姿は見当たらない。
あれほど彼らが付いてきているかを確認していたのが嘘のようだ。
「(塔に入ったならもう先導は必要ないって事なのかもな)」
辰道は慎重に足を進める。
塔の中に入ってから彼の体調は回復してきていた。
塔に近づいていた時はあれほど感じていた暗く重苦しい雰囲気が、不思議な事に塔の中にはまったく存在しなかったのだ。
「……」
注意深く周囲を観察しながら階段を登り続ける。
階段はかなり長く、未だに終わりがまったく見えない。
しかし彼の足取りに疲れは見られなかった。
「(身体能力が上がってて良かった。そうでなけりゃもうへばってるぞ)」
体調が回復した事で余裕が出来たのか、そんな今考えても詮無い事を考えたりもしていた。
そしておよそ30分が経過した頃、階段の終点に辿り着く。
彼は出入り口である門と同じ木製造りのドアがあった。
「……行くぞ」
自分と自分の中にいるタツミに言い聞かせるように呟くと彼はドアノブに手をかけた。
内開きのドアをゆっくりと押し開ける。
迂闊に中に入らず、彼はドア越しから見える範囲を観察しようと目を凝らした彼の背中に衝撃。
痛みを感じるほどではないが、しかし部屋の中を警戒していた辰道はその衝撃に抗えず、思わず部屋に足を踏み入れていた。
同時に青白い閃光が彼の視界を覆いつくす。
意識が遠のいていく中、思わず瞑った瞼の裏に彼はある光景を見た。
クローゼットなど最低限の家具とベッドが置かれた真っ白な部屋で、明海と同じくらいの年の少女が眠っている。
少女の傍には彼女に似た顔立ちの女性。
女性に寄り添う辰道よりも年上だと思われる男性。
少女の口が僅かに動く。
聞こえるはずの無いほどにか細い声が、なぜか彼にははっきりと聞き取れた。
「誰か……助けて」
その声は少し前に見た夢で聞いた声とまったく同じ物だった。




