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ダイスと共に世界を歩く  作者: 黄粋
第九章
193/208

時空を繋ぐ道。世界との遭遇

 タツミたちがカロルの示す歪みに飛び込んだ先。

 そこは湖の直上だった。

 

 ラヴァイアタンが全身を漬からせても余裕があるほどに巨大な湖。

 透き通るほどに澄んだ水に日の光が反射して煌めく様は美しい。

 湖の周りは草原になっており、さらにそれらを囲い込むように瑞々しい葉を茂らせた木々が立ち並んでいる。

 

 人の手が入っていないと思われるその場所は、どこか神聖な空気を醸し出していた。

 

 しかし歪みの先がどうなっているのか警戒していたタツミたちは、その景色の美しさに感じ入りつつも緊張を緩める事はない。

 

「……ラヴァイアタン殿、湖の傍に下りてもらえますか?」

「承知した」

 

 ラヴァイアタンは慎重に下降し、ゆっくりと何の変哲もない草原に足を付ける。

 

 しばしそのままの姿勢で何が起きてもすぐに飛び立てるように警戒。

 およそ3分ほどの時間待ち続け、続けて突発的な事態に対処出来るトラノスケ、キルシェットが先行して老竜の背から下りた。

 

「気をつけろ」

「はい……」

 

 2人は地面を踏みしめ、一歩一歩慎重に移動する。

 些か過敏とも取れる警戒心が報われたのか、彼らが歩いた地点では何も起こらなかった。

 

 一応の安全が確認され、老竜の背で待機していた他のメンバーも地面へと下りていく。

 それぞれ視界の死角をカバーするように周囲を警戒するものの、ざっと見て生物らしき存在は見つからない。

 その状況に疑問を抱いたのはタツミだった。

 

「……鳥や虫までまったくいないのは妙じゃないか?」

 

 これほど綺麗な湖で周囲に森や草原が広がっており、野生の生物からすれば格好の休憩所、あるいは餌場になるだろう。

 ここに来るまでのどこかに過酷な行程があるかもしれない事から鳥がいないのはまだわかる。

 しかし小さな虫までまったくいないというのはおかしいとタツミは言う。

 

 タツミの疑問に同調し、皆が改めて周りを窺う。

 『一人』を除いて。

 

「湖の中に魚はいないようです。水辺に棲む小さな生き物もおりませんな」

「リューと一緒に気配や熱を探ったけれど引っかからなかったわ。本当に生き物がいないみたいよ」

 

 次々と上がる報告に警戒心が強まっていく。

 そんな中、彼女の様子に最初に気付いたのは傍にいたキルシェットだった。

 

「ライコーっ!?」

 

 この場所に下りてから一言も発していないライコーを訝しんだ彼は、その真っ青な顔色にぎょっとする。

 

「どうしたの、顔が真っ青だよっ!」

「う、大声出すなよ。気持ち悪いんだから……」

 

 いつもなら憎まれ口の一つも返ってくるはずのライコーの語調はとても弱々しい。

 

「なんかここ、息を吸うのも苦しいんだ。身体も思うように動かねぇ。ひどいぬかるみに全身突っ込んでるみたいで。なんで、こんな……」

 

 おそらく仲間たちの手前、必死に堪えていたんだろう。

 しかしキルシェットによって不調を知られた彼女の中で堪えていた物が途切れてしまった。

 結果、彼女はその場で膝をついて蹲ってしまう。

 

「精霊たちの力を借りてなんとかからないのかっ!?」

 

 尋常ならざる様子にアーリが焦りながら近寄り、背を丸めたライコーの背中を撫でながら提案する。

 しかし彼女は苦しそうに呻きながら首を横に振った。

 

 もはや話す事もままならずに呻くだけの彼女の様子にいよいよもって焦りが募る。

 

「(僕が魔法で回復してみます。僕自身、まだ回復しきっている訳じゃ無いからどこまで治せるかわからないけど)」

 

 そんな彼女にカロルが枯渇しかけた魔力をどうにか捻出して魔法による治療を行った。

 しかし多少顔色が良くなっただけで効果は薄い。

 それでも会話出来る程度に回復したライコーは、先ほど精霊の力を使う事を否定した理由を話した。

 

「精霊たちは……皆、この場所を怖がってるんだ。俺のこと、気遣ってはくれてるけど……ここで力は使えない、って……怒りに触れるかもしれないからって言ってる」

「怒りに、触れる? 一体、誰の……」

 

 ライコーの言葉の中にあった気になるフレーズをオイチが復唱した瞬間。

 湖の水面が強烈な光を放った。

 

「全員、ラヴァイアタン殿の傍に寄れ!」

 

 タツミが蹲っていたライコーを抱え込み、一足飛びで老竜の巨体の影と走り出す。

 仲間たちはその指示に一も二もなく従って可能な限りの速度で動いた。

 ラヴァイアタンは無言のまま大きな翼を広げ、光から彼らを庇うように身体を前に出す。

 どうにか全員が竜の影に隠れる頃には光は少しずつ収まり始めていた。

 

「一体、何が起こるんですかね?」

 

 独白するようにトラノスケが呟く。

 実際、答えを求めて出した言葉では無いんだろう。

 しかしタツミはその言葉に律儀にこう返した。

 

「何かが起こるんだろうさ。気を引き締めろよ」

 

 トラノスケは苦笑いしながら無言で頷き、何が起きても動けるよう竜の影から発光する湖を窺う。

 タツミは抱きかかえたライコーを竜の身体に寄りかからせ、キルシェットとカロルに見ておくように頼むと、トラノスケ同様に竜の影から湖の様子を窺う。

 

 光は少しずつ勢いを衰えさせ、5分も経てば消え失せていた。

 周囲にそれまでと同じ静寂が戻る。

 

 違っているのは1点だけ。

 湖の中央に音も無く浮かぶ人型の何かが出現していた事だけ。

 

 その存在を認識したのはおそらくほとんど同時だったのだろう。

 ほぼ同時のそのタイミングで、タツミの脳裏に自身を含めた仲間たち全員分のサイコロが転がる光景が映った。

 全員のサイコロ結果が『1』、『2』、『3』のいずれかという悪い結果のオンパレードである事にタツミは驚愕する。

 せめて被害を減らそうと『運命逆転』のスキルを使おうとした瞬間。

 

「ぐっ!?」

 

 得体の知れない、強烈な圧迫感によってその場に釘付けにされてしまった。

 ドラードもその場に崩れ落ちて地に伏せ、リューは常に絡みついていたルンの腕からするりと地面へと落ちてしまう。

 トラノスケとオイチは格上の敵からの圧力というものをそれなりに経験していた事が功を奏したようで、どうにかその場で踏ん張る事が出来た。

 しかしキルシェットやカロル、アーリやルンは立っていられず崩れ落ちながらも意識を繋ぎ止めるのが精一杯だった。

 ライコーは精霊との関わりが深い為に、彼らの感じる畏怖の念までも感じ取ってしまい身動ぎ一つ出来ずに顔も青を通り越して白くなってしまっている。

 タツミにしかわからない事だが、ライコーのダイス結果が最悪の『1』であった事もダメージが大きい事に影響しているのだろう。

 

 タツミやラヴァイアタンはそんな彼らの視界を遮り、圧力から少しでも遠ざけるように壁になるべく前へ出た。

 だがこの2人とて無事とは言えない。

 彼らもまた湖に浮かぶ人型が何の気無しに放つ重圧に耐えていた。

 他の者よりも耐えられるだけの力があるという事、そしてダイスの結果が『3』と比較的マシな結果だったというだけの話でしかないのだ。

 

「ぐっ……あれが何か分かりますか、ラヴァイアタン殿?」

「初めてお目にかかる故、名称などは分かりませんな。しかしとても、とても強い力を持っている様子。所感ですが、ライコー殿の精霊よりも格上の精霊的な何かと推測しますが……」

 

 人型はその先の風景が見えるほどに水色、あるいは空色の薄透明な身体をしており実体があるとは思えない。

 仮初めの身体で、ただそこに存在すると認識しただけでこれだけの圧力を放つ者などラヴァイアタンには覚えがなかった。

 

 しかしタツミと辰道は知っている。

 あちら側の世界で目を合わせただけで膝を折ってしまうほどの圧力を放つ強大な力を持つ存在。

 この圧力があちら側の『当人』から体験させられた物と強さこそ桁違いであるものの同質である事を。

 

「ワールド・アヴァター……」

 

 思い浮かんだ名称をタツミは無意識に呟く。

 その誰にも聞き取れないほどの小さな声を拾ったのか、湖の上に浮かぶ人型はそれまでの圧力を綺麗さっぱり消し去った。

 

「なにっ?」

 

 ラヴァイアタンは圧力が突然消失した事に苦しげに疑問の声を上げる。

 タツミは圧力から開放された事でそれまで意図せず止めていた息を吐き出した。

 

 その僅かな時間で、人型はタツミの目の前に移動していた。

 

「っ!?」

 

 タツミは突然の接近にぎょっとし、戦士としての条件反射で腰の刀を抜こうとするもギリギリで堪える。

 迂闊な敵対行動が危険な相手だとわかっているからの自制だった。

 

「「……」」

 

 見つめ合う両者。

 敵意は感じられない。

 しかしタツミは身構える事をやめられなかった。

 目の前の相手が強大な力を持ち、意図せずとはいえ仲間を傷つけたが故だ。

 

 圧力から解放された仲間たちは迂闊に手を出せない事を歯がゆく思いながら固唾を呑んで事態の推移を見守る。

 ライコーはダメージが大きかった為に地面に手を付いて必死に呼吸を整えている。

 警戒よりも彼女が普段見せない様子に慌ててカロルとキルシェットが彼女の元へ駆け寄った。

 

 見つめ合ってからおよそ5分もの時間が経過する。

 しかし人型以外の者の体感する時間は、極度の緊張によって引き延ばされており数時間に匹敵する疲労を与えた事だろう。

 

 肝心の相手はタツミたちの緊張や警戒を気にする事なく、ただただじっと無機質な双眸をタツミにのみ向け続けている。

 威圧感が無くなった事で体調は少しずつ回復しつつあるが、この不気味な沈黙が彼らの精神をヤスリのように削っていった。

 

 しかしそれでも迂闊な事は出来ない為に緊張を解くことは出来ない。

 『格が違う』という事を身を持って叩き込まれたタツミたちにとって、目の前の存在の気紛れのような行動がこちらにとって害になる可能性があるのだから。

 リアクション一つとっても油断出来ないのだ。

 

「……!%*"&+?」

 

 人型の口に当たる部分が音を紡いだ。

 しかしその音はタツミたちの理解できる言語ではなく、何を伝えようとしているのかはおろか意味のある言葉なのかさえわからない。

 

「何か言っているのか……?」

 

 都市に出現した時も現地人の言葉が分からなかったが、あれは言語が違っていて通じなかっただけだ。

 しかしこの人型の口から出た言葉は、聞き取る事すらも難解で、ただただ意味不明な音としか思えない。

 タツミたちにはこの人型が放つ何か意味のあるだろう言葉を音として以上に認識出来ないのだ。

 

 人型は自分の言葉が伝わらないと理解すると音を発するのをやめて黙り込んでしまう。

 気分を害したかと不安になる一同だが、人型は攻撃的な行動を取る事もなく、じっと考え込むように中空に視線を向けていた。

 

 やがて何かに思い至ったらしい人型はタツミたち一人一人をまるで品定めでもするようにじっと見つめる。

 そしてようやく顔色が良くなってきたライコーに視線を向ける。

 

「う、……な、なんだよ?」

 

 普段の男勝りな態度を取れず、借りてきた猫のように大人しいライコーだが、それでも自分に何かあるのかと問いかけた。

 人型は何かに納得したかのように頷く。

 

 そして彼らの目の前で光の粒子と化し、驚きの表情を浮かべたライコーを包み込んでしまった。

 

「「「ライコーっ!」」」

「ライコー殿っ!」

「(ライコーっ!)」

 

 仲間たちの悲鳴のような声が唱和する。

 光はすぐに収まった。

 しかし変わらずそこに立っていたライコーに起こった異常は誰の目にも明らかだ。

 

 髪が薄透明になり、その瞳は人型を想起させる空色。

 その顔からは表情が抜け落ちており、普段の彼女とは別人とさえ思えるほど。

 そしてただ立っているだけだというのに感じ取れる抑えられた圧力は、つい先ほど無自覚に振り巻かれていたそれと同一の物だ。

 

「取り憑いた、のか?」

 

 タツミから出たのは疑問ではなく確認だった。

 ライコーの身体を借りたソレは彼の言葉に頷く。

 

「ツタワル、ことば。ヨミ取る、すぐ済む。スコシ待て」

 

 ライコーの口で紡がれる明らかにライコーではない片言の言葉に、苦々しい顔をしながらもタツミたちは文句を言う事はなかった。

 ライコーの身体を奪われた状況でこの人型の機嫌を損ねれば、他ならぬライコーが危険だからだ。

 

 当人の言葉通り、ライコーが取り憑かれた状態は時間にして3分と掛からなかった。

 しかし規格外の存在に取り憑かれたライコーは人型が身体から離れた瞬間に意識を失ってしまう。

 

 タツミたちが慌てる様子を尻目にコミュニケーションを取れる会話能力を取得して元の人型に戻ったその存在は名乗りを上げた。

 

「私は世界その物の化身。唯一私を知る者は私の事を『ワールド・アヴァター』と称した。この世界に生きる者たちよ、ここに来た理由を述べよ」

「こっちは今忙しい!! 必要になったら声かけるから待ってろっ!!」

 

 取り憑いた人物が倒れた事にすらも無関心の様子にタツミが額に青筋を立てて思わず怒鳴ってしまう。

 

 怒鳴る理由をわからぬ者は『ワールド・アヴァター』以外にいない。

 しかし力の差が歴然であったが故に我慢していた仲間たちは、不遜とも取れるタツミの言い方に心底同意すつつも、規格外の存在の怒りを買わないか戦々恐々とした。

 

「わかった。待とう」

 

 存外、素直に『ワールド・アヴァター』はタツミの言葉に頷き、何をするでもなくその場で浮遊したまま静止してしまう。

 その様子にほっとしつつも、タツミたちはライコーの救護を行う。

 体力、精神力の消耗による気絶だと診断され、その場で寝袋に入れられる。

 ようやく落ち着いた頃には日が傾き始めていた。

 瘴気との戦いから休む間もなく起きた出来事の数々によってタツミたちの疲労もピークに達している。

 『ワールド・アヴァター』との対話をするだけの体力など残っていなかった。

 

「この場所は好きに使って休むといい」

 

 彼らの間に漂う空気を読んだのか、気紛れか。

 『ワールド・アヴァター』はタツミたちにそれだけ言うと、また黙ったまま空中で静止する。

 未だ警戒は解けていないが、この場で休む許可を得た彼らはその意図を問いただすだけの余裕もなく疲れた身体を引きずりながらテントを張って眠りについた。

 

 彼らが泥のように眠る間も『ワールド・アヴァター』は身動ぎ一つせずただその場に浮かび続ける。

 こうして特異な存在との本格的な対話は紆余曲折の末に翌日へと持ち越される事となった。


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