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ダイスと共に世界を歩く  作者: 黄粋
第九章
185/208

時空を繋ぐ道。残された者たちの奮起

 タツミが地面に広がる瘴気の沼に飲み込まれた瞬間。

 オイチは誰よりも早く行動を起こしていた。

 

「タツミ様っ!!!」

 

 彼女は甲高く悲痛な叫びで愛しい人の名を呼びながら駆け出す。

 『瘴気が危険なものである』だとか『無策で飛び込めばタツミの二の舞にしかならない』といった考えは彼女の頭には残っていない。

 とても聡明な女性である彼女は、しかしどこまでも『恋する乙女』であった。

 

 「タツミさんっ!!!」

 

 そして飛び出す人間はもう一人。

 キルシェットにとってタツミは恩人であり旅の仲間であり尊敬し敬愛する師匠でもある。

 そんな彼の窮地、それも今までの経験からしてただでは済まないと容易く想像出来るほどの事態ともなれば我を忘れて飛び出すのも仕方の無い事だった。

 

 そんな2人の無我夢中の行動を予測して動いていた人物が1人。

 トラノスケは瘴気の沼に無防備に突っ込もうとするオイチの身体を無理矢理抱きかかえ、同時に登山に用いていた鉤縄を投げてキルシェットの腰のベルトに引っかけ飛び出そうとしていた彼の身体をそれ以上前に出ないように押し留めた。

 

「老竜殿! ここを離れますんで援護をっ!!」

「っ! 心得たっ!!」

 

 思い切り腕に持っていた方の縄を引っ張ってキルシェットを自身も元へ引き寄せながら、抱きかかえたオイチが暴れるのも構わずトラノスケはその場から飛び退く。

 その様子を見て今は引くしかないと察したアーリたちもまた歯がゆい思いを抱きながらもそれぞれの手段で瘴気の沼から離れていった。

 離れる彼らの姿を嘲笑うかのように震え蠢く沼地。

 上空に上がって警戒をしていたラヴァイアタンは波打つ瘴気の沼の様子に不快げに目を細めた。

 しかし飲み込まれたタツミを助ける手段がない以上、今は引く他ないのだ。

 

「(仮にも長い年月を生きた竜がなんと情けない事か……)」

 

 不甲斐ない自身への怒りには一先ず蓋をして、彼は次の獲物を求めて大量の腕を出現させる瘴気に全力で対抗しながら撤退する為に近寄ってくる彼らを待つ。

 

 彼らはラヴァイアタンの背に乗って浸食されていない場所を目指して逃亡する。

 その結果、建造物のない街の外のさらに遠くにまで出てしまっていた。

 あたり一面に建造物は見当たらず荒野のような黄色い砂の大地が広がり、その中で街に繋がる道路の灰色が際立っている。

 

 街にあった背の高い建造物が遠目に確認できた。

 どす黒い黒色は彼らが逃げる間にも大都市の地面に広がり続けているのだ。

 これだけ離れてようやく安全だと認識し、ラヴァイアタンは荒野に着陸する。

 

 底の見えない闇の沼が広がる地面は見ているだけで彼らを不安にさせていたのだろう。

 ようやくきちんとした地面に降り立った彼らの顔には隠し切れない安堵の感情が見えた。

 

 追いすがる無数の腕から逃げ切ったという思いも手伝い、彼らは例外なく座り込んでしまう。

 しかし安心できる場所に辿り着いたものの彼らの顔は一様に曇ったまま。

 タツミがあの底無しの闇に飲み込まれる瞬間は、全員が目撃していたのだ。

 誰もが彼を助けたいと思い、しかし例外を除いてその手段が思いつかずに二の足を踏んでしまい、その果てに逃走した。

 

 仲間を、それも自分たちを引っ張ってきたリーダーを見捨てたという事実が彼らの表情を曇らせ、助け出す手段を持たない無力感が彼らの心を苛む。

 運ばれながらトラノスケに怒鳴られてどうにか落ち着きを取り戻したオイチとキルシェットだが、その様子はほかの面々と比べても目に見えて沈んでいた。

 

 逃亡で荒げていた息を整えるのにそう時間はかからなかった。

 むしろラヴァイアタンの背に乗って移動している間に体力のほとんどが回復していたくらいだ。

 

 だが誰もが黙り込んで何もしゃべらない。

 何かをしゃべる事を躊躇ってしまっていた。

 それは偏に『タツミが瘴気に飲み込まれた』という現実を直視する事を避けていたが故の事である。

 

 しかしいつまでもそうしている訳にもいかない。

 このままこうして黙り込んでいても事態は好転しないという事は誰の目にも明らかなのだから。

 

 

 

「はっきり言って状況は最悪です……」

 

 暴走しそうになった二人を引きずるように運んできたトラノスケが意を決したように立ち上がり軽く手を叩く。

 乾いた音は皆が沈黙していた空間に、思いの外大きく響き渡った。

 

 気持ちを切り替える意味合いでのその1度だけの拍手に、俯き気味だった皆の顔が上がり自然と彼に集まる。

 

「俺らの頭であるタツミ殿は瘴気に飲み込まれました」

 

 現実と向き合わせる一言。

 その容赦のない物言いが告げる最悪の状況にキルシェットとライコーが歯を食いしばる。

 カロルは目尻に涙を浮かべ、アーリとルンは沈痛な面持ちで臍を噛む。

 オイチはぼうっと暗い夜空を見上げて、話を聞いているのかすら定かではない。

 ラヴァイアタンは彼の言葉を静かな瞳で聞いていた。

 

「どうなったかは不明。俺たち側からどうやれば助けられるかも不明。ないない尽くしのお手上げ状態と言っていいですね」

 

 彼の言葉はただただ現実を叩き付ける。

 平静過ぎるその声音にたまらずライコーが怒声を上げようとして。

 

「先に言わせていただきますけど。俺はタツミ殿を助けるの、諦めるつもりはありませんので」

 

 それは普段の飄々としたトラノスケにしては酷く強い語調の言葉だった。

 その場の誰もが彼に視線を集める。

 声を上げようとしたライコーも、言葉を飲み込んで彼に注目していた。

 

「返しきれない恩があるってのもありますが……そうでなくともあの方は俺の数少ない『親友』なんですよ。あの方がヤマトに流れてきて肩を並べて戦って同じ釜の飯食って笑い合ったお人なんですよ。助ける助けないなんて端っからそんな選択肢はありません」

 

 「助ける一択なんで」と肩をすくめて戯けながら締めくくる。

 しかしその目はどこまでも真剣だ。

 

「……トラノスケ」

 

 すっとオイチが立ち上がる。

 決意表明した彼に張り合うように。

 

「先に言われてしまうなんて主として不甲斐ないですね、私」

「何を仰いますやら。助けられるかどうかなんて関係なく飛び出そうとされたのは姫様とキルシェットでしょう。俺はお止めしましたよ。友人である前に従者として、ね。むしろ俺は出遅れてます」

 

 冷静でいられたのは自身が友情よりも忠義を取ったからだと、トラノスケは自嘲するように笑った。

 しかしその主たる彼女は彼の言葉を否定するように首を横に振る。

 

「あのまま我を忘れて突っ込んで私やキル君が倒れたとなれば、タツミ殿が無事に戻られた時に自身の落ち度だと嘆き悲しむでしょう。私たちこそあの方の事を想えば冷静であらねばならなかった。翻せば貴方が冷静に事に当たった事こそがタツミ様の事を考えた結果だったと言う事です」

 

 否定を許さないはっきりとした物言いは、平時のいつも柔らかな空気を纏う彼女と違っていて。

 誰もがその力強い声に聞き惚れ、少なくない高揚感を抱いていた。

 

 「自分たちが諦めてどうする」という現状を打開するための気概が心の底から湧き上がってくる。

 

「私もここに宣言いたします。絶対に何があってもタツミ様をお助けすると。そしてその為の犠牲など許容いたしません。ここにいる皆様が1人も欠ける事無く旅を続ける。その為ならばどのような艱難辛苦も乗り越えて見せましょう」

 

 気持ちを奮い立たせる鼓舞に、彼らは示し合わせたように同時に立ち上がった。

 

「私と、トラノスケだけでは不可能でしょう。命を賭しても尚足りないかもしれません。それでもどうかタツミ様を助けるために皆様の力をお貸しください」

 

 そう言ってオイチは頭を下げ、トラノスケは無言のままそれに追従して頭を下げる。

 

 あえて丁寧に言葉を紡ぎ、他人行基に協力要請する彼女の『危険だと判断したならば関わらなくてもいい』という気遣いを居並ぶ者たちはあえて黙殺した。

 先ほどまで俯いていた者たちは一人としてその場にいない。

 皆の心は『全員で旅を続けるのだ』という一念で一つになっていた。

 

「皆の心が一つになった所で、具体的にどうするか考えるとしましょう」

 

 彼らの高揚した心に水を差すのはラヴァイアタンとしても本意ではないが、だからと言って心の赴くままに無策で挑むには相手が悪過ぎる。

 あえて空気の読めない発言をした彼に、向けられる複数の視線は誰もが彼の意図を理解していた。

 

「ええ。ラヴァイアタン様の仰る通りです。如何にしてタツミ様を救い出すかという難問。その攻略の道筋を作るために話し合いましょう」

 

 オイチの音頭に皆の声が唱和する。

 その意思を頼もしく思い、彼女は精一杯厳めしくしていた表情を僅かに緩めて笑い、そして愛しい人を奪った瘴気が蠢くだろう街を睨みつけた。

 

 

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