調査難航
辰道はいつも通り帰り際にコンビニに寄って夕飯を購入。
その足で自宅に戻ったところ、リビングで床にうつ伏せになっている健志を見つける。
その目は硬く閉じられ、苦みばしった表情は苦渋に満ちていた。
その雰囲気は非常に陰鬱としており、何かがあったのだと辰道が察するに余りあるものだ。
タツミの気配は自宅内にない。
どうやらまだ外を回っているようだ。
つまり今の彼に事情を聞けるのは己しかいない。
故に彼は仕事で疲れていた心に喝を入れ、テーブルに買ってきた夕飯や鞄を置きながら狼の姿をした老人に声をかけた。
「何かあったんですか、健志さん」
「……すまない。帰ってきていたのだな。考え込んでいて気付かなかった」
辰道に声をかけられてようやく彼の存在に気付いたらしい健志は、目を見開いて辰道に視線を向け謝罪の言葉を口にした。
「お気になさらず。それよりも……何がありました?」
「……ああ、私たちにとっても君たちにとっても良くない事があった」
重々しく頷く健志に、辰道は椅子に腰掛けて向かい合いながら視線で話の続きを促す。
「およそ午後1時過ぎの頃の事だ。都内を見回っていた私はある男の姿を見た。私や静里、家族にとって忌むべき男の姿を……」
「っ! それは……」
語られた言葉に辰道は驚愕し、思わず椅子から立ち上がる。
健志とその家族に起きた不幸な出来事については全て聞かされていたからこそ、その男がどういう存在かを察したが故の驚きだった。
しかし続く彼の言葉に、辰道はさらなる衝撃を受ける事になる。
「それも、瘴気に取り憑かれていた。いや取り憑かれていたというのは語弊があるかもしれない。ヤツは私の姿が見えていた上に、まるで見せ付けるように手の裾から瘴気を噴出させていた」
「……殺人者が、瘴気に取り憑かれただけじゃなく制御しているだって?(悪用される、いや既に悪用されている可能性が高いって事か。そんなヤツが都内にいる? 洒落にならないぞ)」
自身が知らない所で既に起きているかもしれない被害に辰道の額に冷や汗が浮かぶ。
「ヤツは遠くからでもわかるほど強い血の匂いを体に付けていた。おそらく既に何人もの人を手にかけていたのだろう。それが瘴気を宿してからなのか、それ以前からなのかはわからないが……このまま放っておけば尋常でない被害になるだろう」
「……一刻も早くそいつをどうにかしないといけませんね」
辰道が椅子に座り直しながら事件の早期解決を決意する。
しかし健志は彼の言葉に首を横に振った。
「瘴気が関係するとはいえ、今度はこちらの世界の殺人者が相手だ。しかもヤツは一般人に紛れて生活していた。少なくとも一般的な社会的地位を持っていると思っていい。君が直接関わるのはやめておくべきだろう」
その言葉には辰道を気遣う気持ちがあった。
「事が無事に済まずに公になってしまえば君の日常生活や社会的地位が危うくなる可能性がある。ここは私とタツミ君が主導で動き、君は最悪の事態に備えるべきだ」
「むっ……(確かに。カトブレパスとメデューサの時も『森その物が動く』なんて大事になっていたし、下手をすれば俺の姿がカメラやらの記録媒体に映る可能性があった。その前の烏事件の時も上手く現場から逃げおおせたから助かったが今回もそうなるとは限らない)」
辰道はタツミが健志に賛成するだろうと言う事まで推察し、それでも渋い顔をした。
「しかし、俺が傍にいないとタツミは全力を出すことが出来ません。相手が瘴気を制御していると言うのなら、俺だけが離れた場所にいるというのは……はっきり言って悪手にしかなりません」
タツミと辰道の間にある制限に触れると今度は健志が渋い顔をする。
「ううむ。そうか、君たちにはそんな制限があったのだったな。失念していたよ。だがそれでも君が矢面に立つのは危険過ぎる」
「それは俺もわかっています。だから可能な限り、裏方に徹しますよ。ですが最悪の場合はその限りではありません。こればかりはどれほど忠告されても変わりません」
辰道が真っ直ぐに健志を見据えて言い切ると、彼はしばし瞑目しやがて深く諦めのため息を付いた。
「君は思ったよりもずっと意固地で頑固なのだね」
「心配してくださってくれるのは本当にありがたいです。気遣いを無下にしてしまってすみません」
椅子に座ったまま頭を下げる辰道に、健志は苦笑いで応じる。
「なぁに、最低限気をつけてくれると言う言質は取れたのだ。後は私とタツミ君とで君が前に出る事がないように立ち回ればいいと前向きに考えるさ」
「それは心強い。頼りにさせてもらいます」
「調子の良い事を言わないでくれ。……まったく」
瘴気を纏った殺人者へどのように対処するか。
その会議はこの後、成果無しで戻ってきたタツミも交えて夜中まで続けられた。
結論として辰道は通常通りに仕事に向かい、その間に健志とタツミはコンビで行動し『瘴気を纏った殺人者』の捜索する事となった。
相手が一般的なサラリーマンが着ているようなスーツ姿であった事から、健志が見かけた近辺に住んでいるとも限らない。
故にまずはヤツをもう一度発見し、可能ならばその行動範囲を確定させる事にしたのだ。
相手を最大限警戒した上での慎重な目的決定である。
とはいえチャンスがあればその場で叩くつもりであるのは言うまでもない。
「悔しい限りだが、私一人では歯が立たない。しかし次にヤツを目の前にして自分を抑える自信も無い。その時は手段を選ばずに止めて欲しい」
「任せておけよ、爺さん。そん時は首根っこ引っつかんで地面に叩きつけて止めてやる」
大げさな身振りで自分の腕を叩きながら笑うタツミに、2人が不安になったのは言うまでもない。
しかし彼らの決意を嘲笑うようにしばらくの間、捜索の網に男が引っかかる事はなく。
時間だけが無為に過ぎている事になる。
「はぁっ? 遊園地?」
捜査が思うように進まない状況が続き、声にこそ出さないが各々が焦りと苛立ちを募らせつつあったある日。
手掛かりを探して自宅でPCに向かい合っていた辰道の携帯に豊子からかかってきた一本の電話。
その内容に彼は素っ頓狂な声を上げた。
「ああ、団体割引券をご近所の方からもらってな。その期日が今度の日曜なんだが空いてるか?」
「空いてるには空いてるが」
淡々と語る少しぶりの級友からの連絡に、辰道は特に意識する事なく予定について口を滑らせてしまっていた。
「……誰が来るんだ?」
「勿論、お前1人というわけじゃないぞ。割引は4人券が2枚だから8人までだ。だからちょっとした同窓会のつもりでかつての級友に声をかけている。お前で5人目になるな」
偶然手に入れたチケットからの思いつきであるにも関わらず、豊子はずいぶんと積極的に動いているようだ。
「珍しいな、お前がイベントを率先して企画するなんて。どういう風の吹き回しだ?」
誰かの提案をサポートするのが常の彼女の姿勢を知っている辰道から見れば強い違和感があった。
「まぁな。自分でもそう思う。だがまぁちょっとした気分転換の一環さ。私にもそういう事はある」
なにやら言葉を濁す豊子に、彼は感じていた違和感を強めたが言葉の端々から感じ取れるなにやら暗い感情に深く言及するのは躊躇われた。
「まぁいい。ちなみに成果は?」
「連絡した連中は今のところ全員参加出来るという事だ。三嶋と高野の女性陣は一も二もなくOK。一義は今は奈良にいると言っていたが、戻ったら連絡すると言っていた。明石は女性陣と同じく問題ないとの事だ」
「なるほど。一義はまず間に合わせるだろうからこれで豊子含めて5人か」
「ああ、それでお前はどうだ?」
改めて参加の是非を問われ、辰道はずっと聞き耳を立てていたタツミと健志に視線を向ける。
「最近どうにも進展がなくて煮詰まっていたんだ。気分転換がてら行って来いよ」
「生身の君の方が肉体的にも精神的にも負担は大きい。私たちの事は気にせず決めてくれ」
あの男の捜索にも、あちらの世界とこちらの世界についても進展が見られない。
特にこうしている間にも被害を増やしているかもしれない男の捜査が進展していない事に彼は焦っていた。
焦りは禁物だと自分に言い聞かせても限界はある。
何らかの形でリフレッシュさせなければと、タツミと健志は常々思っていたのだ。
今回の豊子の提案は彼らからすれば渡りに船であった。
「……すみません」
彼は自分が焦り余裕を持てなくなっている事を自覚していた。
だからこそ彼らの気遣いを素直に受け取り、電話口の豊子に返答をする。
「わかった。次の日曜だな。仕事が入らなければ行く」
「ああ、わかった。それじゃまた。前日にでも集合場所を連絡する」
「よろしく頼む。それじゃ」
通話を切り、携帯をテーブルに置く。
その時点で彼は週末の予定についての思考を頭から追いやり、男の捜索について知恵を凝らす為に、テーブルに広げていた都内の地図を睨みつける。
「中断したが話を戻そう。健志さん、明日はこっちの方を調べてみてはどうでしょう?」
「これは……私が男を見つけた場所の周辺にある地下鉄の降車駅か」
「ここ最近は見つかった場所辺りをひたすら調べてたからな。ここらで探す範囲を変えてみるのはいいと思うぜ」
こうして彼らの夜は今日も更けていった。




