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ダイスと共に世界を歩く  作者: 黄粋
第二章
12/208

日常のち事件

第二章開始です。

 双葉辰道ふたば・たつみちがゲームと酷似した世界で短い冒険を繰り広げてから早いもので既に2週間が経過していた。


 現在、彼はあの2日間が夢だったかのようにいつも通りの日常を送っている。


 しかし彼の生活には明確な変化が2つあった。

 1つは稀に脳裏を舞うサイコロ。

 何の因果かあちらの世界に続き、こちらの世界でも作用するようになってしまったダイスロールシステム。

 しかしゲームをしている時やあちらの世界では一日に2、3回は必ず振られていたこのシステムだが、こちらの世界では発生頻度がずいぶんと少ないようだ。

 具体的には1週間に1度、起こるかどうかという頻度だ。

 辰道にとって不幸中の幸いと言えるだろう。

 ゲームと同じように1日に5回もダイスロールが行われていたならば、彼は緊張で参ってしまっていたかもしれない。

 

 そしてもう1つ。

 身体能力の著しい向上。

 体力、反射神経を筆頭にあの出来事以前とは比べ物にならないほど、辰道の能力は増していた。


 彼自身がそれに気づいたのは、通勤の際に事故で電車が止まってしまった時の事だ。

 タクシーは捕まえる事が出来ず、バスも人の多さで乗ることが出来ないという状況に陥った彼は走って会社に向かった。

 本来なら20分かかる会社最寄りの駅まで半ば自棄になり、自分が知っている全力で疾走したところ息切れ一つせずに、僅か5分で辿り着いてしまったのだ。

 息切れどころか自転車と同等、下手をすれば法定速度で走る車にすら追いすがれそうな底なしの体力と走力に、彼自身がドン引きした事は記憶に新しい。


 余談だが彼の走る様子は不特定多数の人間に目撃されており、写真こそ上がっていないものの与太話の一種としてネット上に拡散している。

 本人がその事を知らない事が果たして幸運かどうかは微妙なところだ。




 辰道が勤めている会社は都心の駅ビルの一角にある。

 20階建てビルの18F~20Fの3フロアを全て借りている、それなりに大きな会社だ。

 他所の県にも支社が幾つかある中、彼は本社に勤めている。


「嶋さん。これ、頼まれてた設計書の更新終わりましたよ。資料は共有フォルダに最新版として格納してあります。関係者にはこの後、メールで通知しますので」

「お、ありがとう! いやぁ前からそうだったけど最近はずいぶん熱心に仕事に取り組んでくれてるねぇ、双葉君。なんか心境の変化でもあったの?」


 自身の上司である人物の悪戯っぽい問いかけに辰道は苦笑いを浮かべた。

 人懐っこく、話しやすい人物と社内で評価されている現場の上司『嶋裕也しま・ゆうや』の厭味の含まれないからかいの言葉は聞いていて苦にならない。

 しかしズバズバと切り込んでくる悪い意味で空気の読めない人物でもあるので、言いたくない事を聞かれると対応に苦慮する人物でもあった。


「まぁそうですね。ちょっと前に取った三連休で色々ありまして」

「ふ~ん。なんだか一皮向けたって感じがするよ。頼もしいねぇ」

「あはははっ、ありがとうございます(そりゃ命のかかった戦いなんてすれば……なぁ)」


 曖昧に誤魔化すように笑う彼は、自分が浮かべた笑みが引きつっていないか無性に気になった。


 失敗すれば己の、そして仲間の死を招く。

 冗談でも誇張表現でもなんでもない、こちらの世界では縁の無い生活の記憶を持ち、2日だけとはいえ実際に身を置いた。

 その経験は、辰道に正しく一皮向けたと表現できるだけの精神的成長を促していた。


 しかしその経験はこちらの世界では酷く現実感に乏しく、下手に吹聴できるような物ではない。

 同じ境遇でも無ければとても話せるような事ではないだろう。


「うん、資料はOKだね。それじゃメール出したらこっちの案件の調査を頼むよ。特に期日を定められた物じゃないから優先度低めで。とりあえず来週末に一回、経過報告してくれる?」

「わかりました」


 ホチキスで綴じられた数枚の紙資料を受け取り、軽く一礼して辰道は嶋の席を離れる。

 その足取りは見る者が見れば重心にブレが無く、隙がまったく無い事に気づくだろう。

 もっともこの会社にいるのは技能の差はあれど皆、一般的なサラリーマンである。

 彼の無意識の所作の変化に気がつくような者はいない。


 彼が味わった特殊な出来事は、今のところは日常生活に良い影響を与えていた。




 家に帰った辰道はスーパーで購入してきた食材をキッチンに置き、居間のPCを起動させる。

 PCの起動が完了するまでの間に冷蔵庫に卵などの食材を入れ、今日使う予定の物をキッチンに広げた。

 今日は定時で上がる事が出来たので、少し手のかかった料理を作る予定のため、使う食材は多めである。


「トマトサラダ、豆腐とワカメの味噌汁、ピーマンの肉詰め……あと納豆。飯はまだあったはず」


 メニューを仕上げながらキッチン越しにリモコンでテレビを付ける。

 適当にチャンネルを変えるが、特に興味を引く内容の物が無かったのでニュースをやっているチャンネルで固定した。


 食事作りに1時間、さらに食事を取るのに30分。

 なんとはなしにテレビを見るものの、特に気になるようなニュースもなかったのですぐに消している。


 食器を流し台に置き、適当に水につける。

 洗剤で洗うのは後回しとして、起動したままの状態のPCの前に座った。


「……特に情報は無い、か」


 辰道はあちらの世界から戻ってきて以降、ネット上で自分が遭遇した出来事についての情報収集を行っていた。

 しかし例の件は他者からすれば妄想だと笑い飛ばされても仕方ないような出来事だ。

 正直に起こった事を明記して情報を募る事は出来ない。

 提示する情報には嘘を織り交ぜる必要があり、そうであるが故にはっきりとした成果が上がっていないというのが現状だ。


 カチカチとマウスを操作する音が、室内に響き渡る。


 あちらの世界に行く切欠となった『運命神の試練場』についてゲームのBBSを確認するが、攻略情報は見つかるものの不可思議な現象に見舞われたというような話はまったく出てきていない。


 当然だと辰道は考える。

 仮に彼と同じ事象に遭った人間が他にいたとしても、素直にその情報を提示する可能性は低いだろう。

 釣りの一種か、そういうネタだとしか思われない可能性が高い。

 下手をすれば悪質な荒らし、ゲーム運営の妨害と見做され、対応される可能性もある。


 迂闊な事は出来ない。

 首尾よく有益な情報を手に入れられたとしてもそれが正しいかどうかがわからないという問題もある。

 ネットの情報の真偽を見極めるのはとても難しい。

 しかし信用できない情報源であっても頼らざるをえなかった。

 それ以外に調べる方法が辰道には思いつかなかったのだ。


 彼が次に目を通したのは『The world of the fate』の掲示板だ。

 適当な名前で投稿した辰道の質問に幾つかレスが付いているものの有益と思われる内容は無い。


 質問した内容は『青い兜というパーティを知っているか?』。

 『少し前にフォゲッタ近辺のクエストで手助けをしてもらったパーティの事が知りたい』という名目で投げかけた物だ。

 質問を投げてから既に1週間が経過しているが、反応としては『知らない』という物しか返ってきていない。

 似た名前のパーティの情報はあったが、構成メンバーまで完全に一致する物は存在しなかった。


 まだ確定とは言い切れない。

 しかしこの情報は『青い兜』がこちらの世界に存在しない可能性を示していた。

 さらにフォゲッタのギルドマスターを調べたところ、他ギルドと変わらない量産型のNPCだった。

 現在、ゲーム上で存在する街のギルドも確認したが、ギルフォードという名前のエルフ族のギルド長は存在しなかった。


 これらの情報から、あちらの世界とゲームである『The world of the fate』とでは存在する人物が一致しないという事が考えられる。


「(この違いに、何か意味はあるのか?)」


 しかしこの考えが正しいとするならば今度は『なぜあちらの世界にタツミが存在したのか?』という疑問が生まれる。

 タツミは辰道がゲーム開始当時に思い描き、今もゲームで操っている姿その物だった。

 存在する人物が異なるというのに何故タツミは両方の世界に実在するのか。

 それとも自身が気付いていないだけで、他にも共通する人物が存在したのか。


 そしてこちらの世界に辰道が戻ったその時に画面越しにタツミと交わした会話。

 辰道という自分の半身の存在を知っていたと思われる彼の発言。

 彼は一体何を知っていたのか。

 疑問は尽きない。

 そのどれもが答えを導き出すには情報が足りない。


 向こうの世界に飛ばされるような兆候も見られず、情報収集も明確な成果は上がらない。

 彼は仕事をそつなくこなしながらも、プライベートを悶々と過ごしていた。




 そして例の出来事から一ヶ月が経過した頃。

 彼の肝を冷やす事件が起こった。

 

 時折、起きるダイスロールシステム。

 彼は冒険者としての記憶とあの2日間の経験を頼りに周囲を警戒するよう心がけてきた。

 その甲斐あってか、シャワーを引っかぶって全身ずぶ濡れになる以上の被害には遭わずに済んできた。


 しかしその日、事件は起こった。

 通勤時の電車のホームは沢山の人でごった返している。

 その日は別の路線で緊急の点検作業が行われている為、辰道がいつも使用している路線のホームはいつも以上に人が溢れていた。


 彼がそれを目撃したのは偶然だった。

 彼が並んで電車を待っていた線路を挟んで向かい側のホーム。

 ちょうど線路を挟んで対面する形で並んでいる少年少女がいた。

 学校指定と思われるお揃いの鞄と制服姿である事から学生、おそらく高校生と思われる。

 普段であれば注目するような人物ではない。

 

 しかしこの二人、男女の差はあれど顔が非常に似通っていた。

 初めて見た人間であってもまず間違いなく双子だとわかるだろう程に。

 だからなんともなしに辰道は彼らに視線を向けていた。

 彼以外にもその男女を眺めている人間は多かったようだ。


 そして視線が集まる中で、それは起こった。


 双子の高校生たちが並んでいた逆側の線路に電車が到着する。

 我先にと電車を降りる人々、ただでさえいつもよりも人の多いホームはさらに圧迫され、押し合い圧し合いになる有様。


 その時、双子の頭上でサイコロが舞った。


「っ……」

 

 辰道はそれを見た瞬間、声を出して驚きそうになった自身を抑え込むのに必死だった。

 あちらの世界から戻ってきてから今まで、『彼以外の人間』にダイスロールシステムが起動した事はなかった。

 それが初めて見た子供に起こったのだ。

 嫌な予感がした。

 驚愕を抑え込んた次の瞬間、彼の脳裏を過ぎったのは冒険者としてタツミが経験した『他人の死』。

 咄嗟に手に持っていた鞄を肩に掛け直し、心持ち腰を落としながら彼らを注視する。


 彼らのダイス目は『1』だった。

 背後で行われていた押し合いは列の先頭で並んでいた彼らを意図せず線路へと押し出した。


「う、わっ!?」

「きゃあっ!?」


 少年少女が短く悲鳴を上げてホームから落ちていった姿が、辰道には妙にゆっくりとして見えた。

 彼らの隣で並んでいたサラリーマンの男性がぎょっとして彼らが落ちていく姿を目に映し、辰道と同じホームに並んでいた人間たちが突然の出来事にざわつきだす。

 そして非情にも彼らが落ちた線路への電車到着を告げるアナウンスがホームに響く。

 事態に気づいた女性が悲鳴を上げ、ざわめきが周囲へと伝播する。


「誰でもいい!! 電車の緊急停止ボタンを押せ!!!」


 その瞬間、ざわめきを凌駕するほどの大声がホーム全体に響き渡った。

 声の主である辰道の行動は迅速だった。

 前もって何かが起きる事を知り心構えができていたお蔭だ。


 何の躊躇いも無く、コンクリートの地面を蹴り線路上へと降り立つ。

 落ちた時に足を挫いたのだろう少女に肩を貸して立ち上がろうとした少年は、目の前に飛び降りてきた見知らぬ男に目を瞬かせた

 迫ってくる電車がブレーキをかける不快な音が彼らの耳を打つ。


「手荒になるが我慢してくれ」

「えっ、あ……」

「な、なにっを!?」


 いきなり現れた赤の他人の言葉に双子は困惑の声を上げる。

 しかし彼らの様子に構う事なく辰道は二人を脇に抱えるように持ち上げ、やや乱暴にホームの上へと放り投げた。


 同時にブレーキの甲斐もなく電車が線路に残った辰道に勢いよく迫る。

 運の悪い事に線路脇の潜り込む事が出来るスペースは、彼らが落ちた場所の傍には無かった。


「う、おおおお!!!」


 迫る電車から逃げる為に辰道は線路上を走り出した。

 恐るべきスタートダッシュで電車を引き剥がすと同時に右手をホームの床につき、思い切り跳躍。

 人の壁を押しのけるような形でホームへ転がり込む事に成功した。

 彼のすぐ後ろを電車が通り過ぎ、電車が巻き起こす風が彼の背中を撫でていく。


「……っはぁ、はぁ、はぁ、はぁ」


 背中をびっしょりと濡らす冷や汗。

 彼がおよそ一ヶ月ぶりに感じた命の危機だった。


 騒ぎを収拾すべく声を張り上げる駅員たち。

 肩を貸し合いながら彼に近づいてくる助けられた双子。

 その様子を何の気なしに眺めながら辰道は胡坐をかいて荒い呼吸を繰り返す。


「だ、大丈夫か。君?」

「すげぇな、アンタ! 子供助けて電車から逃げ切っちまうなんて!!」


 周りに集まった無数の男女からの気遣いの言葉や興奮しながらの褒め言葉を聞き流しながら。

 彼は頭上を仰ぎ、呼吸を整える事に意識を集中させた。



 その後、辰道は双子高校生と一緒に駅員や警察から聴取を受ける事となり、出社する事が出来なくなった。

 会社へは警察関係者の人間から事情説明がなされ、くたくたになって帰宅した頃には裕也や友人たちから興奮した様子で電話がかかってきた。

 電話が繋がらなかった人間たちはメールで怒涛のように連絡を取ってきた。

 ニュースを見てみれば都心での話とあって、今日の出来事が盛大に取り上げられており居た堪れない気分になる。

 ニュースを見た両親からも連絡があった。


「良くやったな。……お前が無事で、良かったよ」

「父さん、ありがとう。俺は大丈夫だから安心してくれ」


 寡黙な父の少ないが確かに安堵と気遣いの篭った言葉に心配を掛けてしまった事を察し、辰道は猛省する。

 逆に母は涙に声が震えるのにも構わず息子の行いを褒め称え、そして心配をかけさせないでと懇願した。


「子供を助けたのは確かに立派よ。私もあの人も貴方の事を誇りに思うわ。でも、でもね。私たちの子供は貴方しかいないの。ニュースで貴方の名前を見た時は何事かと思ったわ。ずっと連絡しても出ないから何かあったんじゃないかってずっと心配で堪らなかった。お願いだから自分が傷ついてまで誰かを助けようだなんて思わないで。今回は偶々、運が良かったから貴方は無事に済んだのよ? 次も同じ事をして無事に済む保証なんてないんだから!!」

「ああ、うん。わかってる。わかってるよ、母さん。心配掛けてごめん」


 母の涙ながらの言葉に確かな愛情を感じ、目尻が潤むのを彼は止めることが出来なかった。

 辰道と高校からの親友である男はメールで連絡をしてきた。


『なにやってんだよ、お前は。まぁ無事でよかった。今度、都合つけるからその時に詳しく教えてくれな』


 日頃と変わらぬ穏やかな文面に、彼はなんとなく安心した。

 そんな親友に続くように昔からの付き合いの悪友からもメールが送られてきた。


『今度の休みはいつだ? 絶対に空けておけ。わかったな、馬鹿』


 文末には普段なら決して使わないような怒りを示す顔文字付き。

 文章が少ないのはいつもの事だが、顔文字を使っている事に辰道は悪友が本気で怒っているのだと察した。

 悪かったという文面と最後に次の休日について送る。

 返事はすぐに返ってきた。


『ドタキャンするなよ?』


 これまた簡潔な文章である。

 よほど怒りが溜まっているのだなと他人事のように考えながら辰道は、了解とだけ送りつけて携帯を充電器に差した。


 ベッドに飛び込むように横になり、長い長いため息をつく。


 命を救う事が出来た事への満足感、縁のある人間にかけた心配への罪悪感。

 そして初対面の人間の頭上に浮かび上がったダイスロールシステムへの疑問。

 複雑な心境のまま彼は日が変わる頃に眠りに付いた。


 この出来事を切欠にしてあちらの世界との接点が増える事になるとは夢にも思わずに。


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