帰還
「う……おおおおおっ!?」
彼は絶叫と共に立ち上がる。
勢い良く立ち上がった為に、椅子がフローリングの床に倒れて大きな音を発てた。
彼は突然、自分の見ている光景が切り替わった事に驚き、慌てて周囲を見回す。
「……俺の部屋、か?」
そしてそこがあちらの世界に行く前の自宅、直前までゲームをしていた部屋だと気づくと呆然とした。
「……」
もう一度、今度はゆっくりと自分の部屋だと思われる場所を見回す。
付けっぱなしのPC、倒れた椅子、ゲームのお供にと適当に用意した菓子とペットボトルのお茶。
記憶に残っている光に飲まれる直前と何も変わらない自分の部屋がそこにあった。
「寝落ちした挙句に、ゲームの中に入るなんて子供みたいな夢を見てたって事か?」
状況から推察できるもっとも現実的な結論を口に出す。
緩慢な動きで倒れていた椅子を立たせると、気が抜けたように息を吐きながら座り込んだ。
ぼうっと天井を見上げながら先ほどまで自分が置かれていた状況を思い出す。
光に飲み込まれた自分。
真っ白な場所で出会ったもう一人の自分。
二つの記憶に混乱しながらの、フォゲッタの人々との交流。
慣れているはずなのに慣れていないという矛盾した状態での戦闘。
記憶にはない妙な力を持った敵と行動原理がわからない敵。
指折り数えながら記憶を思い出したお蔭か。
彼は自分が他に襲撃が無い事を『青い兜』と手分けをして確認して回り、それらしい兆候が無いと結論付けたところで意識が無くなった事までを鮮明に思い出していた。
「あれが全部……夢? 俺の妄想だった?」
思い出される記憶は確かな実感を伴っている。
夢だと思い込む事など出来ない程に。
しかし現実的に考えれば、夢だと考える方が自然である事も事実だった。
彼の体は鍛え上げられた冒険者の物ではなく、サラリーマンとして仕事する傍らで健康の為に走り込みをした程度の物。
あちらで着ていた戦国武将が着るような甲冑など影も形もない。
彼があの世界にいたという物的証拠は何一つとして残っていなかった。
「はぁ……一体、なんだったんだかなぁ」
右手で眉間を揉み解しながら椅子の背もたれに寄りかかる。
「そういえば……ゲームが途中だったな。俺が覚えているところで寝落ちしたんならダイスロールで『1』を出したペナルティがあるはずなんだが」
スリープモードになっていたパソコンに椅子ごと向き直ると、彼はマウスを動かす。
パソコンは彼の操作を認識し、速やかにデスクトップ画面を表示した。
ゲーム画面がアクティブになっている状態だったのでマウスを手放し、PCデスクの下に落ちていたコントローラーを拾い上げて握る。
「ええと、……っ!?」
画面を見た彼は目を見開き、息を呑んだ。
彼の記憶が確かならば、ゲームは『運命神の試練場』の最深部の部屋で止まっているはずだ。
だが彼が見た画面には真っ白な背景の真ん中にプレイヤーキャラ『タツミ』がぽつんと立っていた。
その場所は彼が『タツミ』と出会ったあの白い空間を連想させる。
「バグ……だったら良いんだけど、な」
そう口にしてみたものの、彼にはそれがただのバグだとは思えなかった。
「……」
しばらく黙り込んで画面を見つめていた彼だが、突然画面に吹き出しが表示された。
吹き出しの左上には『タツミ』と表示されている。
『お前と会えて嬉しかった』
非現実的な事だが、彼にはこの言葉が画面越しの自分に向けて放たれた言葉だと言う事は理解できた。
「俺に話しかけてるって事でいいんだな?」
彼が自分の言葉をキーボードで入力すると数秒の間を置いて応答が返ってきた。
『ああ。なんでお前がこっちに来たのかは俺にもわからない。けど俺はお前という半身とほんの少しの間とはいえ一緒にいられて嬉しかった』
「そういう言葉が出るという事はお前は俺の事を知っていたのか? 俺がそっちに行った理由はわからないと言ったが、ならあの白い空間で俺に言った『ようやく会えた』と言うのはどういう意味なんだ?」
タツミの言葉の意味がわからず矢継ぎ早に問いかける。
しかし今度は数分待っても回答が返って来なかった。
「おい? どうしたんだ? 何か言えない事なのか?」
黙り込んだ『タツミ』に問いかけるが返答は無い。
それどころか白い画面にいるタツミはどんどん小さくなってきていた。
「違う。小さくなってるんじゃない。これは……遠ざかってるのかっ!? くそ、まだ何もわからないぞ、おい!」
文字を打ち込みながら、彼はタツミが消えていく様子への焦燥感に声を荒げる。
しかし必死の打ち込みもモニター越しの声もむなしく、画面上のタツミは白い画面から消えてしまった。
「くそっ!!」
真っ白だった画面が切り替わる。
『運命神の試練場』の最下層。
彼が不可思議な出来事に遭遇する直前までプレイしていたダンジョンだ。
ざっと確認した見た限り、ゲーム的な異常は確認できない。
先ほどまでの奇妙な出来事など無かったかのように見えた。
チャット履歴を確認してみたところ、先ほどまで確かに入力していたはずの『タツミ』との会話もログには残っていなかった。
「ゲーム会社のやらせだとか何らかの隠しイベントって事は……ないよな、流石に」
一通りの確認を終え、彼は『The world of the fate』からログアウトした。
ネットサーフィンをする気分にもなれず、パソコンその物を落とすと何度目かのため息を零す。
彼は眉間を揉み解しながら椅子から立ち上がり、洗面所に向かう。
蛇口から出る冷たい水で顔を洗い、濡れた顔をタオルで拭き取った。
そしてなんとはなしに鏡を見つめる。
それなりにサラリーマンとして働いた代わり映えしないいつもの自分の顔があった。
「ステータス」
物は試しに、とあちらの世界での感覚を思い出すように頭にイメージを浮かべる。
しかしイメージした画面が彼の視覚に表示される事はなかった。
「……どこまでが現実だったんだろうな」
ステータス画面が表示されなかった事にほっとする半面、物証が得られなかった事を残念だとも思う複雑な心境が鏡越しの彼の顔に映った。
ついでとばかりに洗面所と繋がった風呂場に入り、浴槽にお湯を張るべく蛇口を捻る。
その瞬間、頭の中でサイコロが舞った。
出目は『2』。
蛇口を捻った瞬間、シャワーから冷水が出た上にあろう事か服を着たままの彼を直撃した。
即座に蛇口を閉める。
頭どころか全身ずぶ濡れになった状態で心の底から搾り出すようなため息をついた。
「はぁ~~~……」
幾つものありえない事が現実に起こった事で、彼はようやくどこか浮ついていた自身の気持ちを静め、事の次第を受け止める事が出来た。
「どうせなら全部、夢だったら良かったのにな」
もはやそう思い込んで自分を誤魔化す事も出来ない。
物理的な実証は何一つ出来ないが、自分が異常な事態にいる事が明確に証明出来てしまったのだから。
濡れてしまった部屋着を全て脱ぎ捨て、洗濯籠に放り込みバスタオルで全身を拭きながら考える。
「……またあっちに行く事になる可能性もあるって事だよな? そもそもどうすればこの状態が解決するのかわからんし、いつあっちに行ってもおかしくない。逆にもう二度と向こうに行かないという可能性もあるが」
あのタツミはどうやって自分たちが出会えたのかわからないと言っていた。
その事から彼は『自分に起きた出来事はまだ終わっていないのではないか』と推測している。
彼自身の個人的な感情になるが、自身が気絶した後の事が気になっていた。
自分に懐いてくれたキルシェットや関わりを持った青い兜の人達の事。
曲がりなりにも自分の意思で助けようとしたアスロイ村の人々があの後どうなったのか、など気になる事は数多くあった。
体感時間としてはたった二日間の出来事ではあったが、彼の心に残る物は思いのほか多い。
不思議なものだと彼は思う。
あちらの世界にいる間は、こちらに帰るための方法が無いか必死に考えていたというのに。
いざ戻ってくれば、今度はあちらの世界の事が気になっている。
また行けるかどうかもわからないというのに。
仮にまた行けたとしても、今度も戻ってこれるという保証などどこにも無いというのに。
「考えても仕方ない。とりあえずは……風呂だな」
丁度良く浴槽に湯が貯まった事を確認し、彼は風呂場へと姿を消した。
何かが動き出した事をおぼろげに感じ取りながらも、それに気づかない振りをして。
ここまででお読みいただきありがとうございました。
やや中途半端ではありますがここまでで第一章となります。
根本的な解決はせず、謎ばかりを増やしての帰還。
非日常的な出来事に見舞われた彼の今後を楽しみにしていただければ幸いです。
それではまた。