出会いであり再会
「おお、返答が来ましたか。返事すらもらえない事も考えてはいたのですが……とりあえず会っていただけるようだ」
自身のパソコンと向かい合う初老の男性はメールの内容が色好い物であった事にほっと息をついた。
こちらを伺う目的なのだろう合言葉として『初めて出会った時のやり取りを再現する事』という条件が入っている事に、彼が冷静であるという事も理解し、満足げに笑う。
指定された条件の内容。
『タツミのプレイヤーがあちらの世界の光景を夢に見る自身と近しい事情を持っているのでは?』という藁にも縋る思いの希望的推測がより現実味を帯びてきたからだ。
彼の名前は『近藤和弥』。
辰道がサービス開始からやっているMMORPG『The world of the fate』の世界観構築にも参加したシナリオライターである。
「(ここ一ヶ月の間に見るようになった夢。世界観の構築に参加しているゲームとまったく同じ世界観を持つあの夢。その中で『ルドルフ・エドガー』として存在した自分。彼の行動や思いは気味が悪くなるほど鮮明に覚えている……)」
突然、自身に降りかかった事象。
彼は当初、現実感の伴った夢に引きずられ目を覚ました後の現実とのギャップに混乱した。
情緒不安定に陥ったと言ってもいいだろう。
夢の中の非現実的なファンタジー世界で、闘技大会の運営委員の一人という責任ある立場にあったルドルフ。
彼は人の上に立つ者だ。
よってその行動は就寝を除いてほとんどが他者と行動を共にする物。
ふとした瞬間に『ルドルフの秘書の名を呼ぶ』、『目を通していた闘技大会に関連した書類を捜す』などの行動が無意識に出てしまう。
それもかなりの頻度で。
それが自然だと感じるほどに夢で見た世界の記憶に当時の和弥は飲まれていた。
その症状が現れだした日、彼は切実にその日が休日で良かった、と思った。
それほどに酷い現象だったのだ。
彼は翌日の朝、夢に振り回されながら会社に連絡し一週間も病欠している。
その間、彼は要点をぼかして病院に相談し、自宅では夢の記憶を整理し続け、不可解な現象の解明に勤しんだ。
理由がわからない、というのは彼にとってそれだけで恐怖だった。
何かに追い立てられるような焦燥感に駆られながらも、心の平静を保ち記憶の整理を続ける。
その甲斐あってか、無意識に出る『ルドルフとしての行動』を抑止する事はに成功した。
復帰後に急な病欠で仕事場を混乱させた事を陳謝したものの、彼らは普段有給すら碌に取らないくらいに健康的な和弥を案じる声ばかりで彼は救われた思いをしている。
しかし今も尚、夢は続いており彼はその整理や考察を生活の一部として続けていた。
「(世界観は同じだが人物が共通しているわけではない事はすぐにわかった。だからこそ私は今まで夢の事を自身が生み出していた子供じみた妄想で片付けていた)」
彼は記憶の整理の過程で運営されているゲームその物についても、出来うる限りの調査を行っていた。
「(調査の過程で10年も続くゲームの古参プレイヤーの中に夢で見た人物と同じ名前、同じ風体の人物『プレイヤー:タツミ』を見つけた)」
彼はその時とても驚いた。
その彼からゲームに関して問い合わせがあった事も、その時に知ったのだ。
「(運用チームは彼の問い合わせ『原因不明の熟練度上昇』について当たり障りのない回答で誤魔化す事にしているようだ。どういう経緯でそんな結論に至ったのかまでは調べられなかったがやはり疑問は残る。……この荒唐無稽な夢と世界観以外で唯一共通する人物がいたという事実。気にするなという方が無理という物だ)」
『ルドルフ・エドガー』にとってタツミは恩人であり、多大な感謝をしている。
その強烈な感謝の念に感化され、いても立ってもいられず彼と接触する事にした。
彼と会う事でこの事象を解決できるかどうかなど、この時の和弥の頭には無かったのだ。
日常生活でボロを出す事はなくなったが、それでも彼は未だ夢の影響を受けている。
「(不謹慎ではあるが、楽しみですね)」
それが彼にとって良い事なのか悪い事なのかは今は誰にもわからない。
そして約束の日。
時間の10分前に駅前に現れた辰道とタツミは何気ない仕草で周りを確認するがそれらしい人物はまだ来ていないようだ。
「(まだそれらしい人はいないか?)」
「(たぶんな。少なくともお前みたいに妙なもんを背負ってるのはいないな)」
「(自分の事を妙なもんとか言うなよ……)」
傍目にはただ人を待っているだけにしか見えない状態で、2人が談笑している。
そんな2人に近づいてくる人物が現れた。
男性は周囲を見回し、辰道へと目を止める。
何か感じる物があったのか、彼は真っ直ぐに辰道たちの元に近づいてきた。
「(来たぞ)」
「(わかってる)」
近づいてくる人物を油断なく見つめながら2人は気を引き締める。
目の前まで近づいてきた中肉中背にニット帽を被った男性は、緊張に強張った顔で合言葉を口にする。
「もし……宿をお探しですかな?」
「……確かに我々は宿を探していますが……貴方は?」
辰道に返された言葉に、男性は安堵の息を吐き辰道の顔を真っ直ぐに見つめて言葉を続けた。
「これは失礼を。私は『ルドルフ・エドガー』。小さな民宿を営んでおります。お困りのようだったので声をかけさせていただきました」
そこまで言い切り、2人は黙したまま見詰め合う。
やがて2人は同時に緊張を解き、どちらともなく相好を崩した。
「こちらでは初めまして。俺の名前は双葉辰道。しがないサラリーマンですよ」
「こちらこそ初めまして。私の名前は近藤和弥です。『The world of the fate』の世界観構築に携わった、しがないライターです」
辰道から差し出された手を、和弥はそっと握る。
「なんとも奇妙な縁ですな」
「まったくです。……とりあえずどこかの喫茶店にでも入りましょうか。たぶん長い話になるでしょうし」
「そうですね」
2人、いや正確には3人で歩き出す。
駅前には多くの喫茶店がある。
この時間であってもどこかしら入る事が出来るだろう。
「(辰道……どうやらこの人には俺の姿は見えていないようだぞ)」
「(……やっぱりそうか)」
連れ立って喫茶店に入ると幸運な事にすぐに2人席の空きが見つかった。
「煙草は吸いますか?」
「いえ」
「では禁煙席でお願いします」
店員に案内され、奥まった2人かけのテーブル席に座る。
腰を落ち着けた2人は改めてテーブルを挟んで向かい合った。
「それじゃ色々と話しましょうか」
「ではまず私の状況をお教えします」
和弥は己が抱えている事情を全てまとめて印刷した資料を鞄から取り出し、辰道へと渡した。
人のざわめきや店が流す音楽のお蔭で2人の声は紛れるとはいえ、隣り合った席は近い。
妙な話をしていれば無用な注目を集めてしまうだろう事への和弥の配慮だった。
そしてその紙の書類には丁寧な文体で彼が置かれている状況について包み隠さず書かれている。
一ヶ月前から見始めた自身が構築に参加したゲームの世界観そのままの夢の事。
その中に現れる『ルドルフ・エドガー』として行動していた自分の事。
目覚めた後の自身が夢の内容を鮮明に覚えていた為に混乱した事。
落ち着いた頃に『The world of the fate』を調べてみたところ、世界観は共通していたが人物は1人も一致しなかった事。
しかしタツミのプレイヤーからの問い合わせがあった事で、唯一『タツミ』の存在だけが夢とゲームで共通している事に気づいた事。
今までの調べではいなかったはずの夢と現実の両方で登場する人物にどうにかコンタクトを取ろうとした事。
「大変だったんですね」
「ええ。情けない話ですが当初は酷く混乱しました」
書類を真剣に読んでいた辰道は、間を作るために頼んでいたカフェオレを飲む。
適度な甘みで喉を潤しながら考え込む彼に和弥が声をかけた。
「私の事を知ってもさほど動じていませんね、やはり双葉さんも同じような事に?」
「そうですね。俺の場合は……(さてどこまで話すかな)」
考え込むように視線を彷徨わせつつ、自身の背後にいるタツミに相談する。
「(うーん、俺の事をどうするかだよなぁ。なにせこの人には俺は見えていないんだ。話した所で信じてもらえるか怪しいぞ)」
「(確かにそうだが……俺は話すだけ話してみようと思ってる。信じる信じないは彼に委ねよう。あっちも狂ってると思われても仕方ない話を俺にしてくれているんだ。こっちも誠意を見せたい。まぁ空井親子とかの事は『とある少女』とか『その子の祖父』とかぼかすけど)」
「(お前ってそういうところ真面目だよなぁ。まぁいいぜ。オッサンが信じなかったら家で自棄酒でもするか)」
「(その時は付き合えよ)」
「(もちろんだ)」
辰道はタツミとの脳内会議を終える。
和弥から見れば彼は腕を組み目を閉じて考え込んでいるように見えただろう。
そして意を決してように目を開き、和弥をじっと見据える。
「俺に起こっている出来事は、貴方のお話よりもさらに荒唐無稽な物です。ですので信じる信じないはお任せしようかと思います。しかし俺は嘘は付きません。それだけは先に明言させてもらいます」
「……お聞きしましょう」
それから辰道は、自分のスマートフォンに入れていたテキストファイルから個人名を修正した物を彼に見せた。
自分の置かれた状況についてPCで調査する傍らに取っておいた物だ。
人目を気にしなければいけない状況である事もあり、無闇に長々と奇妙な事を話していては妙な注目を浴びるかもしれないという、和弥と同じ懸念があった故に取った方法だった。
それから10分程度。
和弥は渡されたメモを目で追い続け、辰道は彼の顔色を観察しながら追加で注文した飲み物を消化していた。
やがて彼はスマートフォンを辰道に返し、眉間を揉み解しながら俯き考え込む。
「……私の夢も大概ではありますが、これは確かにこれは信じ難い事ですな」
呻くように呟く彼の言葉に辰道は相槌を打つ。
「そうでしょうね。これが実体験だなんて話を信じろとはとても言えませんよ」
「(オッサンの言う夢の段階なんてすっ飛ばしてたからな、俺たち)」
「(まぁ、な)」
後ろで肩を竦めているだろうタツミを思い浮かべ、浮かびそうな苦笑いを噛み殺しながら彼は和弥の結論を待つ。
1分ほど唸り続けていた和弥は意を決したように顔を上げ、辰道を見た。
「私の話に乗っかってからかっている可能性はありますが、まぁそこは私の直感と言いますか人生経験を信じます。私は貴方の話を信じますよ、ふた、ば、さん?」
そして辰道の背後の空間を凝視して口をあんぐりと開ける。
「? 近藤さん、どうしました?」
背後は壁でそこには寄りかかっているタツミがいるだけである。
「(彼にはタツミは見えていない。なら何を……)」
辰道が視線を後ろに移す。
やはりそこにはタツミが壁に寄りかかっているだけで、他には店の装飾である絵があるだけだ。
タツミ自身は和弥の表情の変化に訝しげな顔をしている。
「た、タツミ、殿?」
驚愕から立ち直りきれていない状態で搾り出された和弥の言葉に、2人は目を見開く事になる。
「(タツミ、確認だがお前待ち合わせ場所に行く時点で姿を見せていたよな!?)」
「(ああ、間違いない。あの子の事もあったから揺さぶり兼ねてずっと出てたし、わざと視界に映るように位置取ったりもした! それでもはまったく反応しなかったし、その表情に嘘はなかった。だから見えていないと判断したんだ!)」
状況整理をした2人の結論は1つ。
「(つまりこの人は……)」
「「(ついさっき見えるようになったって事か!!)」」