増えるイレギュラー
取り巻く状況が変わっても、辰道の生活には表面上の変化はなかった。
日々の仕事は今までどおりにしっかりこなし、休憩時間は同僚たちと世間話に花を咲かせる。
「そういえば開発チームの子が寿退社するんだってね。いやぁ目出度い話だよ」
休憩所で顎をさすりながら笑う裕也。
「目出度いのはいいんですけど、人が減りますね。穴埋めどうするんでしょうか?」
しかしそんな彼ののんびりした言葉に辰道は頷きつつも言葉の冷水を浴びせた。
「夢無さ過ぎるよ、双葉君……」
「でも嶋さん。割と重要な問題ですよ。薄情な話ですけどうちのチームじゃなくて良かったです」
がっくりと肩を落とす裕也にさらに現実的な言葉をかける辰道。
歯に衣着せない彼の言葉に気を取り直した裕也は苦笑いした。
「まぁ現実的に考えると引継ぎやらなにやらで現場としては色々調整しないといけないから仕事が増えちゃうけどねぇ。まぁまだ退社するまで時間あるし、中途で良い人探すと思うよ。君にはいないの、そういうお相手は?」
話の方向性が変わり、辰道はあからさまに表情を歪めてげっそりとした顔をする。
「いませんね。どうにも良縁がないみたいで」
「いやいやそういう考え方じゃだめだよ」
辰道が当たり障りない回答でお茶を濁そうとするが、裕也は勢い込んで話を続けた。
「良縁は待つもんじゃなくて自分から掴みに行かないと。合コンとか婚活とかはやってるの?」
「休日はもっぱら趣味に当てるか気の合う友人と遊びに行ってますからその手のイベントにはまったく(それに今は正直それどころじゃないからな)」
最近になってやる事が増えてしまい、とてもではないが辰道には長時間拘束されるような集まりへの参加は不可能だった。
少なくとも彼自身はそんな暇はないと考えている。
「うーん。双葉君は趣味にのめり込むタイプなんだねぇ。ちなみに趣味ってなんなんだい」
「最近は登山とか適当な駅で降りてのなんちゃってぶらり旅とかしてますね(嘘は言ってないな、嘘は)」
「おお、思ったよりもアウトドアだねぇ。もっとインドア系だと思ってたよ」
「嶋さんの俺のイメージがどうなってるのか気になりますね」
こんな毒にも薬にもならないようなやり取り。
しかし非日常な出来事に遭遇し、今も関わり続けている辰道にとってはこのような他愛のない談笑も平穏を実感する大切な時間となっていた。
そんな変わらない毎日を過ごす中でゲーム会社へ行った問い合わせは、『調査する』という旨のメールが一度来て以降、三週間が経過した今でも回答は来ていない。
ネットで『窓のない塔』や『白い大型犬の幽霊』、果ては『黒い靄』について調べたものの成果はない。
遅々として進まない状況に辰道のストレスは確実に溜まっていった。
「お嬢ちゃんは順調に回復してるみたいだぞ。まぁ直接見たわけじゃなくて看護師が話してるのを又聞きしただけだけどな。あの子に見つからないように気をつけてるからまぁあっちには気付かれてないと思う」
病院への張り込みから戻ってきたタツミからの報告の中に少女が順調に回復しているらしい事があった事だけが進展と言えた。
しかし瘴気に憑かれた人間は、最初の一件以降、病院の近辺に現れる様子はなく空井健志も姿を見せていない。
「不気味なくらい何もないぞ、こっちは。嵐の前の静けさじゃないかって疑っちまうくらいにな。俺の思い過ごしならいいんだが……」
おそらくそうはならないとタツミの表情が言っている事を、辰道は正確に読み取っていた。
「俺も取り越し苦労で済めばそれでいいと思っている。とはいえ油断だけは出来ないからな。お前にはもうしばらくは病院に張り込んでもらうぞ」
「わかってるさ。そっちも成果が出なくてきついだろうが、調査の方頼むぜ」
「ああ。そろそろゲーム会社には回答の催促メールでも出してみるつもりだ(にしても反応がまったく無いって言うのが気になるな。普通は調査が難航してるならしてるで報告するのが普通だ。少なくとも3週間も放置はしない。当たり障りのない経過報告くらいはしてくるはずだ。進まない調査に業を煮やして騒ぎ立てられるのはあちらとしても困るからな)」
頭に疑問を浮かべるも、彼にはこれと言って対処が出来るわけでもない。
「(一先ずは催促メールを出した後の反応待ち、だな)。気をつけろよ」
「そっちもな。じゃ俺は戻るぜ」
「ああ」
ベランダから外に飛び出すタツミ。
あっという間に視界から消えるその後姿を見送り、辰道はパソコンの前に置かれた椅子に腰掛ける。
「成果が出ないなら、出るまで手を変えながらやってやるだけだ」
彼はぼそりと独白しながらキーボードを軽快に叩く。
苛立ち混じりではあるが決して冷静さを失ってはいないようだ。
その日の夜遅くまで部屋からその音が途切れる事はなかった。
彼らの調査や監視が実を結ぶ事なく時は淡々と流れていく。
辰道は遅々として進まない調査をそれでも粘り強く続けながら、そのストレス発散にと仕事終わりの友人たちと飲みに行く日々を過ごし、タツミは3日に一度程度の頻度で戻ってきては報告ついでにと、辰道が買ってきた酒や料理を食べてはまた監視に戻る日々だ。
いつの間にか空井静里が目覚めてからおよそ一ヶ月が経過していた。
そしてそろそろ次の手をと考えていた辰道の元に来た1通のメールを引き金に事態は動き出す。
「これは……」
彼の帰宅してからの日課であるパソコンの起動とメールチェックをしていたところ、『キャラクター:タツミのプレイヤーへ』という題名のメールを辰道は発見した。
自動で行われるウィルスチェックが済むのを待つ間、何の気なしに差出人を確認する。
以前に調査する返答をしたメールアドレスと異なっている事に気づき眉間に皺を寄せた。
「(ヘルプデスクのアドレスじゃない。企業用じゃなく個人用のアドレスで返信? ウィルスチェックは……引っかからないか。うーむ、まぁ開いてみるか)」
何か事態が進展するかもしれないという期待とウィルスメールではないかという警戒をしながらメールを開く。
「(不審な添付ファイルやURLは……ないか。待たせるだけ待たせてくれた結果はどうなったのかな、っと)」
メールの内容を大きく表示し、慎重に読み進める。
テンプレートな挨拶から丁寧に読み込む。
「(ん? このメールを出した人間の名前がない。普通は最初に問い合わせ担当○○、みたいに名前を書くだろうに。やはりこのメールは何か変だ。少なくとも普通の企業の人間が出すメールとは違う……)」
肝心の内容に差し掛かると辰道は目を細めた。
「『貴方のキャラクターに異常は発見されませんでした。貴方のキャラクターは正常にログインが行われておりスキルが使用をされた結果、熟練度が上昇しております』、ね。つまり俺の気のせいだったって言いたいのか?」
さらに先まで読み進める。
すると気になる一文を見つけた。
「『この説明はゲーム運営の公式見解となります。いずれヘルプデスクから同様の回答が行われるでしょう。しかしこのような説明では貴方様は納得できないかと思われます。そこで、もしよろしければ個人的に私と会いませんか?』。なんだ、こいつ?」
話の方向が変わってきた事に、辰道は眉をひそめる。
「『あなたがもしもとても信じられないような荒唐無稽な事態に陥っているのであれば、私が多少お話出来るかと思います。名乗りが遅れましたが私の名前は『ルドルフ・エドガー』。A級冒険者であるタツミ様にお世話になった者です』……」
向こうの世界でごくごく最近に関わった人物の名前に彼は驚き目を見開く。
彼は画面から目を離し、顎に手を当てて考え込む。
「(ルドルフさんの名前は、ゲームには登場しない。適当に言っている可能性……いや適当に名前を挙げて向こうでの顔見知りを出せる確率なんてどれくらいの確率だ? ……このメールの送り主が俺たちに近い境遇である可能性の方が高いか?)」
しばし目を閉じ、黙考する。
「(今週の土曜って事は3日後か。待ち合わせは13時過ぎに新宿駅前。タツミが次に戻ってくるのは2日後。正直、手詰まりだった所だ。騙されて赤っ恥を掻くのは出来れば遠慮したいが……虎穴に入らずんば虎児を得ずって事で行ってみるか)」
来る日へ向けて何が出来るかを考えながら、辰道は提案に応じる旨のメールを書くべくパソコンに向かい合った。
翌日、このメールの送り主の言葉通りの内容のメールが辰道の元に届いた。
そのメールを最後の一押しとして彼はメールの主と会う事を決断する事になる。