彼にとっての日常
地平の果てどこまでも続く平原。
何も考えずに走り回る事が出来れば最高の開放感を味わえる事だろう。
しかし何も考えずにいる事は出来ない。
今、その平原は『戦場』なのだから。
青い空を切り裂く奇声。
静寂を破りながら駆けるのは御伽噺に出るような化け物たち。
3桁はくだらない数が、目指す先。
そこには3つの人影があった。
「タツミさん!!」
ダックスフンドのような垂れ耳をした少年が声を上げて隣の男性に呼びかける。
その両手には大降りのナイフが一本ずつ。
彼の丸い瞳が見つめるのは地を駆ける化け物たちではなく、空を翔る巨大な鷹だ。
タツミと呼ばれた男は東洋甲冑を身に纏った重々しい姿でありながら軽快な動きで、飛び掛ってくる常軌を逸した大きさの鷲の爪を避け、突き出される嘴を左右の手甲で受け流す。
さらに目にも留まらぬ速さで腰の刀を抜き放ち、上空に逃げようとする鷲を斬り捨てた。
「キルシェット!! 後ろだ!!」
「わかってます!!」
タツミの助言を受け取ったキルシェットと呼ばれた少年は、自身の背後で巨大な腕を振り下ろしている熊の化け物の首に右手のナイフを突き立てる。
突き出した勢いをそのままに少年は見た目に反した力強さで熊を仰向けに押し倒し、転がるようにしてその場を離れた。
次の瞬間、彼が下敷きにしていた熊の化け物が火球に飲み込まれる。
火球を放った存在は蜥蜴に良く似た、しかしやはり普通の蜥蜴ではありえない大きさの化け物だ。
キルシェットが蜥蜴の化け物目掛けて駆け出そうとする。
しかしその前に蜥蜴目掛けて空から巨大な生物が太陽を背に急降下してきた。
無骨な翼、爬虫類に近い鱗に覆われた身体、鋭い牙や爪。
その背に人を乗せたその生き物の名は『飛竜』と言った。
「はっ!!」
竜の背に乗った人物は急降下した勢いを利用し、穂先の大きな槍を蜥蜴の化け物へと叩きつける。
その一撃は怪物の身体と共に地面をも打ち砕いた。
すぐ様、上空へと退避する竜を見送りながらタツミとキルシェットは前方、近づいてくる化け物の群れを睨みつける。
そこでタツミは自身の脳裏で『ある物』が転がる音を聞いた。
「ちぃっ!! (数字は……『2』!!)」
彼の脳裏で警戒に舞ったのは真っ白なサイコロ。
その出目が低い事に内心で舌打ちしながら、タツミは咄嗟に隣り合っていた少年を突き飛ばす。
「うわっ!?」
突然の行動に悲鳴を上げるキルシェット。
しかしその目に彼を咎める意思は無く、慣れた様子で軽業師のようにバク転。
その場を離脱したキルシェットの目に映ったのは、罅割れた地面から突き出た植物の蔦がタツミの足を拘束する光景だった。
隙有りとでも思ったのか、化け物たちがタツミ目掛けて殺到する。
だが両者の顔に焦りは無い。
血気勇んで駆け寄ってきた黒色の体毛の狼。
しかしその身体は上空から落ちるように飛んできた巨大な炎の塊に飲み込まれた。
「ライコー、少しは考えて動け!! 俺を巻き込む気か!?」
「んな馬鹿な事するか、この俺がよぉおおおおおーーーーーーー!! かぁーーー、やっぱイフリートの一撃はスカっとするなぁああああ!!!」
炎の塊の中から中性的な声が飛び出し、続いて赤褐色の腕が突き出してきてタツミに絡まった蔦を鷲づかみにする。
掴まれた蔦は一瞬で燃え上がり、拘束は一瞬で無効化された。
「熱っ! 掴むんじゃない! 焼き切れっ!」
蔦が絡みついた足から高熱を感じたのか、タツミが炎の塊を睨みつける。
「かっかっかっ!! んな細かい事、気にすんな。俺とお前の仲じゃないか!!」
「出来る事をサボるのを容認するような歪んだ友人関係になった覚えはない!!」
大上段に構えていた刀をその場で袈裟斬りにする。
軌跡を追うように斬撃が奔り、何体もの化け物の身体を真っ二つにした。
「タツミさん! ライコーさん! 大丈夫ですか!」
2人の身を案じながら自身に寄って来る化け物の攻撃を素早い身のこなしで避け、返す一撃で急所を的確に突くキルシェット。
「お~、キルシェットもまだ余裕そうだなぁ!」
あまり逞しいとは言えない外見を裏切るキルシェットの頼もしい戦いぶりに炎の塊の中にいる人物は笑い声を上げた。
「笑ってる暇はないぞ。俺はデカイのを一発仕掛けてから『斬空』で援護射撃をする。お前は前に出ろ。空にいるアーリに注意を向けさせるな」
「はいはい、わかってんよ。人使いが荒いぜ、まったく……」
タツミの指示に文句を言うと、炎の塊が内側から弾け飛ぶ。
中にいた人物は夕日のような橙色の髪を揺らしながら、のしのしと化け物の群れの前に歩み出た。
身体の細さからするとありえない大きさの肘までを覆う両手の手甲、膝上までを覆う足甲で化け物の攻撃を受け止める。
攻撃してきた化け物をカウンターで薙ぎ倒すその動きにキルシェットのような速さや鋭さは無い。
しかし何者が相手であっても怯まず、恐れず、揺るがないその姿は味方に途方も無い安心感を与えるだろう。
「はぁ……」
彼女の出鱈目な戦い方にため息をつきながら、タツミは刀を鞘へと仕舞い右手を前に突き出した。
光が彼の手の中に集まり、特徴的なシルエットを形作る。
光が弾けた彼の右手には銃の形をした何かが握られていた。
「キルシェット、ライコー!! 俺の前から退け!!」
2人はタツミの手にある物を確認し、その場から素早く離れる。
「了解です!!」
「応!!」
2人が構えた武器の射程外に逃れた事を確認し、彼は親指で銃のような物の引き金を引いた。
閃光と轟音。
銃口から迸る光が扇状に広がる。
光の奔流に飲み込まれた化け物は跡形も無く消滅した。
光は10数秒照射され続け、やがて力を失う。
銃は役目を終えた為か彼の手の中から光になって消えた。
彼は光線から生き残った化け物の群れを睨みつけ、刀を抜くと上段に構える。
その場から動かず前後左右に刀を振るう。
剣閃の軌跡をなぞるように発生する斬撃の刃が刀が届かない距離にいる化け物を切り裂いた。
群れを成していたはずの化け物の数は加速度的に減っていく。
彼はチラリと視線を頭上へ向けた。
豆粒ほどの大きさの物体が縦横無尽に動き回り、別の豆粒ほどの何かが落ちていく光景が見えた。
「あっちは大丈夫そうだな」
常人の目には豆粒にしか見えない距離だが、タツミには竜とその背に乗った人間が空を飛ぶ化け物を叩き落していく姿がはっきりと見えていた。
懸念事項は1つも無い。
タツミは今だ数の限界が見えない化け物の群れを見据えながら、刀に力を込めて振りかぶる。
「おおおおっ!!!」
遮る物を悉く斬り捨てるタツミ、素早い動きと一撃必殺のナイフ技で敵を翻弄するキルシェット、攻撃を物ともせずに襲い掛かるライコー。
3人の姿は、化け物たちの目には悪鬼羅刹に見えた事だろう。
「……終わったか」
「そうみたい、ですね」
「あ~、けっこう梃摺ったなぁ。あ、イフリートありがとな~」
タツミとキルシェットが周囲を確認しながら武器を収める。
ライコーの身体から噴出していた炎が掻き消え、両手両足の巨大な装備も幻のように消失した。
炎が消える寸前、全身に炎を纏った大柄な男性の姿が浮かび上がり、彼女に視線を向けると何事もなかったように消える。
巨大な装備と炎を纏っていたためにわからなかった彼女の全貌が明らかになった。
軽装鎧に身を包む、肩口まで届く橙色の髪にスレンダーな体つき。
額の一本角が異様な存在感を醸し出しているが粗野な言動からは想像できない、美麗な女性だった。
「無事か? タツミ、キルシェット君、ライコー」
上空から先ほどの飛竜が降りてきた。
着地する竜の背中から背の高い女性が降りてくる。
目元を隠すように深く被っていた兜を脱ぐと、そこからミディアムの黄髪がふわりと広がった。
「空の敵はすべて片付けたぞ」
「こちらも終わったよ、アーリ」
「はぁ、疲れました……」
「今までより数が多かったよな。こりゃ『塔』が近いのかもな」
いつの間にか日が暮れてきている。
これ以上の移動は危険と判断した4人は、手頃な岩場を見つけ野営の準備を始めた。
「今日だけで4度の襲撃。しかも襲撃される度に敵の数が増えている。……今回は『当たり』の可能性が高いな」
大鍋をお玉で混ぜながらのタツミの言葉に3人が頷く。
「『瘴気持ち』がまだ出てきてないですけど、ここまで魔物が出てくると信憑性は高いですね」
「向かってきた者たちはどう見ても正気では無さそうだったしな。……別ルートで行った皆は無事だろうか?」
キルシェットの言葉に同意しながら、気になっていた事を口にしたのはアーリだ。
「あいつらがやられるわけないだろ~。あんま気にし過ぎるとお前の方が足元掬われるぜ?」
「むぅ……それは確かに」
「心配その物は別に悪いことじゃないと思うぞ。ただそれで自分が怪我をするのは馬鹿らしい。合流した時にあっちを心配させる事にもなるし、な」
木製の椀をキルシェットから受け取り、具がたっぷり入ったスープを注ぎ1人ずつに手渡す。
温かみのあるお椀と食欲をそそる良い匂いにその場にいる全員の顔が緩んだ。
「まぁとりあえずは食べよう。また魔物が来ないとも限らないから食べられる時に食べておかないとな」
「そうですよ、アーリさん!! 皆さんなら絶対大丈夫です! だから安心してこっちに集中しましょう!!!」
「ふふっ、そうだな。ではいただこう」
「いただきまーす!」
気持ちを切り替え、美味しい食事に舌鼓を打つ。
その後は化け物たちの襲撃もなく、彼らは最初の火の番をジャンケンで決めた。
「いつも思うんだが、お前はなんでこんなにジャンケンは弱いんだ?」
「確かに。野生の勘で敵の攻撃は見もしないで避けるというのに」
「不思議ですよねぇ」
「うわぁああああん! うるせぇよ、ちくしょうおおおおおお!!」
そんな心温まるやり取りをしてから負けたライコーを残して3人は寝袋に入り込む。
肉体的にも精神的にも疲労が溜まっていたのだろう。
3人はすぐに寝息を立て始めた。
『塔』と呼ばれる建造物とソレが巻き起こす騒動を追う。
これが2年前からの『タツミ』の日常である。
住宅街の一角にあるマンションの一室。
そこの住人である彼『双葉辰道』は目覚まし時計が鳴るよりも早く意識を覚醒させた。
「……ずいぶん早く目が覚めたな」
カーテンを開き、昇り始めた朝日をぼんやりと眺めながら呟く。
「『こっち』は平和だな」
洗面所で顔を洗う。
玄関ポストに入っている新聞を取るとリビングに置かれたソファに座る。
出勤まではまだ時間がある事から腰を据えて新聞を読む事にしたのだ。
「……そろそろ時間か」
新聞を畳み、テーブルに放り投げる。
手早くスーツに着替えた彼は鞄を持つと自宅を後にした。
電車に乗る為に乗降口に並ぶ。
運良く列の先頭に並んだ辰道が電子掲示板で次の電車が来る時刻を確認していると、彼の脳裏でサイコロが舞った。
「む……(『4』か。悪い目じゃなくて良かった)」
丁度良く電車が来た。
降りる人間を待ち、電車に乗る。
今降りたのか彼の目の前の席が空いていた。
「(ああ、これが4の結果か)」
彼は会社の最寄り駅まで席に座ってゆったりと過ごす事が出来た。
振られた仕事をきっちりこなし、定時に退社した辰道はファーストフード店で夕食を終える。
自宅に帰った彼は即座にパソコンを起動させた。
起動が終わるまでの間にスーツをハンガーに掛け、風呂を沸かす。
起動が完了したパソコンの前に座り、友人や会社の同僚からの個人メールが無いか確認する。
返信が必要なメールが来ていない事を確認し、いつも適当に回っているお気に入りサイトをチェックする。
「(オカルト系の情報サイト……特に『塔』に関連した物はない。『The world of the fate(運命の世界)』の攻略サイト、掲示板……目を引く物無し。まぁ、こっち側であっち関連の情報なんて、そう出てこないからな)」
一通り目を通す頃には帰宅してから2時間が経過していた。
「……今日はもういいか」
パソコンをシャットダウンするとバスタオルと着替えを持って風呂場へと向かう。
10分程度の入浴を終えて髪を拭きながらリビングに行くとテーブルに置きっぱなしだったスマートフォンにメールが来ている事に気づいた。
メールは2件。
メール送信者は『空井静里』と『斉藤拓馬』となっていた。
いずれも2年前から交流を持った子たちであり、2人とも辰道にとっては年の離れた友人である。
彼はパソコン前の椅子に座るとまず拓馬からのメールを開いた。
「『大学の講義や課題が一段落して余裕が出てきたので休みの日に会えませんか? 俺の都合が良ければ都内を案内してほしいです』か。……『週末なら空いているからそちらの都合で時間を決めていい』と返信」
今年大学生になった青年が喜ぶ顔を思い浮かべて、自然と笑みが零れた。
続けて彼は静里からのメールを見る。
「『お久しぶりです。お元気でしょうか? こちらは毎日、リハビリの日々です。最近、ようやく病院内を杖で歩き回れるようになりました。これも辰道さんが助けてくださったお蔭です』か。……毎度の事ながら律儀だな。週に1回欠かさず近況報告をしてくれるなんて」
彼の脳裏に思い浮かぶのは身体を上げる事も出来ないほどに衰弱した状態でベッドに横になっていた少女。
『あの世界』での出来事など夢として忘れ去っても良かったというのに、自身に起きた出来事全てを理解し、辰道に礼を述べるほどに聡明な彼女は10歳は違うはずだというのにどこか頼もしさのような物を感じた。
物思いに耽りながら彼はスマートフォンを操作し、返信メールを書いていく。
「『また一歩前進だな、おめでとう。来週末にでもお見舞いに行こうと思うが、そちらの都合はどうだろうか?』……送信」
年が離れている事と置かれている境遇も相まって辰道は彼女に父性の入り混じった友情、親愛のような物を感じていた。
「子供どころか結婚もしていないんだが……自分の事ながらこんなんでいいのか?」
しかし彼女には幸せになってほしいと何の打算も無く思っている事は事実である。
その気持ちは彼女が辰道の抱える非日常を共有できる数少ない人物である事への親近感、そして何より『自分の半身が彼女を助ける為に命を賭けた』という理由があった。
「どれほど望んでも『タツミ』はもう帰ってこない。なら俺は……『タツミ』としてあの世界を生きながら、『双葉辰道』としてこの世界でも生きていく。だから安心してくれ、タツミ」
彼の視線の先には誰も座っていないソファがある。
今はもういない誰かがこの家にいる時に定位置にしていた場所だ。
2年という長いようで短い間だけそこにいた存在は、辰道にとってかけがえのない存在だった。
「……寝よう」
暗くなってきた思考を振り払うように立ち上がると、彼はそのままベッドに飛び込んだ。
目を閉じるとあっという間に睡魔が襲い掛かってくる。
身体の力を抜きながら彼は眠気に意識を委ねた。
目を覚ました彼は寝袋から這い出した。
「おお、タツミ。丁度いい時間に起きたな。火の番の交代だぞ」
「ああ、わかった」
丁度、声をかけようとしていたのだろうアーリの言葉にタツミは欠伸を噛み殺しながら頷く。
狭い寝袋の中で凝り固まってしまった身体を適当に動かしてほぐすと、彼は軽く目を閉じる。
タツミの身体が光に包まれ、次の瞬間には防具を装備した状態になって現れた。
「相変わらず便利な特殊技能だな。出来れば私も身に着けたいよ」
「すまないな。俺も偶然手に入れた物だからどうやって手に入れるか教えたくても出来ん」
「はぁ、仕方ないという事はわかっているんだが……装備の手間が省けるというのはやはり羨ましくてな」
「俺がお前の立場だったら同じ気持ちになるさ。だから気にするな」
軽く談笑してからアーリは寝袋に潜り込み、入れ替わりにタツミはテントの外に出て行った。
絶やさず枝を放り込んで焚き火を燃やし続ける。
日はまだ昇るには早い時間で辺りは星の光にのみ照らされていた。
彼は周囲の気配を探りながら、ぼんやりと頭上を見上げる。
「(この奇妙な二重生活が始まってからもう2年。人間は慣れる生き物だ、なんて聞いた事はあったがまさかこんな訳がわからない生活に慣れてしまうなんて……当時はまったく思ってなかったな)」
少し前の自分を思い出し、自然と口元が釣りあがった。
「(失くす物もあったが得られる物もあった。人間万事、塞翁が馬。そう考えられるくらいには割り切れてるって事なんだろうな。思い出すと悲しくなる事もあるけど)」
1人きりだった最初の時。
実はすぐ傍にもう1人いたのだと知った時。
仲間が増えていった時。
そして半身を失った時。
楽しい思い出が、苦い思い出が、悲しい思い出が、彼の脳裏に次々と思い出されていく。
様々な思いを含んだ長いため息を漏らすと、彼は苦笑いしながら誰に言うでもない独白を紡いだ。
「俺が死ぬまでよろしくな、2つの世界」
彼にとって2つの世界を行き来する生活はもはや非日常ではなく、日常となっていた。