3 とある軍人の視点
「魔法だの呪いだの……。バカバカしい……と言いたいけどな」
同僚のグレンが隣で呟いた。俺も彼と同じ意見だ。前時代の空想話のようだったが、彼女の話は現実だ。
いや、魔法や呪いが現実にあった、というわけではない。
理解できないものはそういう例えを使うしかないだろう。
我が国エゥフェミアの西方、隣国ザイラとの国境付近の一部がある日から、とある集団に占領されていた。
宗教集団のコミューンかと思われていたそこは日に日に人口を増し、自治区を申し入れてきた。
だが膨れあがっていくのは人口ばかりではなく土地も同様。集団には様々に人種がおり、周囲の土地に武力で分け入って土地を奪っていく。
宗教集団というのはあながち間違いではないだろう。セラフィタがその頂点におり、彼女を崇める人間だけで集団は形成されているのだから。
軍は彼らをすぐに鎮圧できるとタカを括っていたが、なぜか彼らは武器が調達できる上、こちらの動きを先回りする。作戦は失敗し続けた。軍部内はおろか政府内にも内通者がいることは確実だった。
疑心暗鬼の中、国内の統制は揺らぎ始めている。
危機感の募った人間が少数で集まり、密かにセラフィタの暗殺を計画した。慎重な行動の中で幾人かの協力者を増やすことが出来た。そのうち仲間が見つけ出してきたのが、セラフィタの娘、アラニアだった。
信用できない上、荒唐無稽な話に誰もが彼女の処分を考えたが、アラニアを味方する者がいた。
「神の国」と呼ばれていたマウリリア国の生き残りの老人である。
祖国を消滅された原因のセラフィタを老人は涙を流して憎んでいた。
数少ないマウリリア国の生き残りは自国のことを口にすることはないと言われている。その老人が口を開いた。
400年前の大厄災以前の前史の遺物がマウリリアには山のように残っていた。その為あの島だけ厄災前と同じだけの科学力を維持していた。
技術を流出すれば、またもや大厄災が起きる、マウリリアの人間は鎖国の道を取った。
他の大地は原始に戻った状態だ。なんとかこの400年で文明を取り戻しつつあるが、マウリリアを探るほどの力は誰も持ち得なかった。
「“セラフィタ”とは何なんだ?」
俺たちは老人にたづねた。彼女の魔法とはなんなのか。それを探らない限り、俺たちはどうにもできない。
老人は静かに答えた。
「まあ、確かに人をはっとさせる美しさはありましたでしょうな。私は横顔の絵姿しか見たことがありませんが、骨抜きになることはありませんでしたよ。あれは直に間近で見ないと魔法が発揮されないようでしたな。その魔法を造り出した魔法使いとは、学者、造形家、種付師でした」
「種付師が?」
「あだ名です。なんといいましょうか、人間の体を作る素材を数億種貯蔵していると聞いております。遺伝子と言うんですが。これを組み合わせると好みの人間が造れるわけですよ。体格のいい人間、肌の黒い人間、美しい人間、戦闘能力の高い人間、なんでもござれです。彼が素材調達の役目をしておりました。彼らの資産はかなりのもの、他の援助など必要とせず、設備は万全でした。
そこで好きなだけ組み替えて、成長による体の歪みが出ないような優れた骨格を造る素材、筋肉を形成する素材、惑いを一番誘うという微笑みを構成する素材まで揃えた。そんなふうに、セラフィタは全てがツギハギでしょう」
俺たちは言葉を失った。前時代の文明に比べれば今の俺たちの知識など原始時代並みだろう。老人は俺たちの驚き具合を眺め、言葉を続ける。
「娘が言ったように資料は大方焼かれてしまったので、彼らがどんな答えを導き出して彼女を造ったかは正確には分かっていません。
分かってるのは、学者が調べていたのは視神経、造形家が残していたのは膨大な数式でした」
「視神経に……数式? 造形家が?」
「こう言われていました。学者は『魅了』の感情を刺激することができる視神経を調べ上げていたのではないか。
そして造形家は、残されている数式からみると、彼が追い求めていた究極の造形美である黄金比をどこまでも極めようとしていたのではないか。
『造形のゆらぎ』というものがあります。視覚は時に見たものを誤認する。配置、色、陰影、凹凸、原因はいくつかあります。その脳の認識の誤りを利用して、視神経に『魅了』を刺激する誤作動を働かせる。その設計が造形者の数式に隠されていたのではないか。
そうして極小単位まで計算された彼女の表情は、誰であろうと『魅了』されてしまうようにできていたと言われていました」
「……魅了ごときで全部捨ててしまうほどのぼせ上がるなんて……信じられんけどな」
「『魅了』の部分と言いましたが、正確には『快楽』『安楽』『享楽』を感じる物質が脳内で異常なほど出る仕組みになっています。麻薬と考えていいでしょう。麻薬に抗える人間はいない。ですから私には、セラフィタの『魅了』に屈しない方法があると思えません」
「……見なければいいんじゃないのか。彼女の顔を見なければ……」
「声はどうしますか。彼女も言ってたでしょう。セラフィタに言われれば全て従ってしまうと。
音で脳波を揺らし心を動かす技術はとうに解明されていました。もちろん国では禁忌でしたがね。目も耳も塞いだ状態で彼女の元へどうやって近づくのです?」
セラフィタによって祖国が消滅した老人は苦痛に歪んだような表情を作った。
老人の言うとおり、こちらの手駒は少なすぎる。
誰が敵で誰が味方か分からないこの状況では、ヘタに駒を減らす事はできない。
「セラフィタを殺して。できないなら私が殺す」
彼女は過去を語り終えたあとそれまでと違う口調で告げた。感情のこもったあの言葉を思い出し提案する。
「……彼女を使うしかないだろ。アラニアを」
話を聞くに、娘であるアラニアはセラフィタの魅了に打ち勝てている。
「彼女を信じるのか? 母を狙う俺たちを誘い込むつもりかもしれんぞ? セラフィタを一目見せればいいことだからな。そうなれば俺たちはこちらの情報をペラペラしゃべり、そしてまたセラフィタの下僕が増えるというわけだ。お前、あの娘に惚れ込んでいないだろうな」
「……これも脳が錯覚を起こしているということなのかな?」
彼女の顔は覆面で覆われていたがあの声は確かに聞き惚れた。
だからこそ自分が冷静な判断を下せているのか疑わしい。
だが俺はそれを抜きにしても、彼女を信じてやりたくなる理由があった。
「じゃあ俺とアラニア、2人だけで送り出してくれ」
「気は確かか?」
アラニアを信じて送り込むにしても、一人で潜入させるわけにはいかない。彼女は自己流で体術を身につけているものの、暗殺などの特殊な訓練は受けていない。実の親を殺すことに土壇場で躊躇する可能性が高い。
もしアラニアが罠を仕掛けていた場合。
「俺が向こうの手に落ちればセラフィタたちに手の内をペラペラ話すだろう。だからこの組織から俺は遠ざかる。その間にお前らは潜伏先やら合図やら変えておいてくれよ。逃走準備もしておけ」
グレンはこれ以上ない苦い顔をした。だが他に手はない。失敗すれば俺たちは永久のお別れを願うしかない。セラフィタの手先になって義弟でもあるグレンを殺しに舞い戻る、なんてのは勘弁願いたい。
「どうして信じてくれたの?」
けったいな宗教集団に潜入して、アラニアは俺に尋ねてきた。彼女はいつものように覆面をし、その黒い瞳だけをキョトキョトさせているが、その瞳だけでもいかれちまう奴はいるだろう。暗闇で助かる。……盛りが過ぎてなきゃ俺はどうなっていたことか。
「……私にいかれたんじゃないわよね。お願いだから違うって言って」
他の女が言えば、なんて図々しい、何様だ、なんて風にとれる言葉をこの子は泣きそうな声で言う。
どんな人生を送ってきたんだろうか。まだ15才と言ってたな。
「安心しろ。俺にはお前を信じてやらにゃあな、って理由がある。お前の父親、レイは俺の義弟だ」
「え……?」
「俺と違ってひん曲がったトコがなくて軍部内でも成績優秀だったさ。モテ男め、死ねっていつも……あ、いやすまん、娘に言う事じゃなかった。いや、いい奴でな。女の子の差し入れやその他のおこぼれやなんやらを頂戴できて、まあ、借りがいっぱいあるわけだ。だからあいつにどうしても会いたい」
アラニアの反応は返ってこない……と思いきや彼女は覆面の下でクスクス笑っていた。安心して俺は言った。
「それと俺からすればお前は親戚にあたるんだ。身内だろ。身内は助け合わないとな」
「……ありがとう。うれしい」
そう言って彼女は泣き出した。泣きながら俺の肩にしがみついてくる。俺は少しばかり硬直した。
……相手は15才だぞ。俺はもう40過ぎている。妻を亡くして長いからって、おい。しっかりしろ。
「……父さん……」
そうか。レイを重ねて甘えたいんだな。
父親を騎士と表現していたな。この娘にはそれだけレイが頼もしい存在だったろうに。
うちの娘とアラニアを重ねれば、アラニアが不憫でならない。どうやらそのことでアラニアにいらぬ感情を働かせるのは回避できた。この子も娘と一緒に育ててやれたらとまで思えてくる。