2 とある少女の語り
それを視ただけで万人の心が震え上がり、うっとりしてしまうものってあるのかしら。
絵画にも、世界中で愛されている人物画はある。でも万人ではない。分かる人間は分かり、分からない者は「どこがいいの?」で終わるでしょ?所詮芸術が分かる人間とそうでない人間じゃ視覚はまったく違うのよ。
古代の彫刻だってそうよ。作られた当時は素晴らしかっただろうけど、時代が流れれば本当に良さが分かる人なんてどれくらいいるんだか。
じゃあ作ってみたい。魔法使いや天使様、神様が住んでいたっていう島国、マウリリアにそう考えた人たちがいたの。
その国に住む3人の魔法使いがその世にも美しい芸術作品を作り上げたわ。
そんなもの作れるもんかって? そうね、人ってやっぱりそれぞれの好みってあるしね。 いくら花形の舞台俳優だって、世代で好みは別れるし、同性を狂わせるほどは難しいし。でも作っちゃったのは本当なの。魔法なんだもの、なんだってできるでしょ。
それはもう、この世の奇跡がそこに存在していたそうよ。目にしたものはみんな魅了され、狂わされ、傅いてしまう芸術作品。
人に見せないで部屋を作って保管していたのだけど、3人の作業場としていた小島にいくつもの落雷が落ちて全部焼けてしまったの。すごいでしょ。天罰って本当にあるのね。
持ち主がいなくなった3人の最高傑作は世間の目に晒されその美しさに国中の注目を浴びた。
作品を運んだ人間は仕事を忘れていつまでも眺めていたわ。
もう一度見ようとおしかける者もいる。
引き取りたいという人間は山のように現れた。金持ち連中が競い始め、足の引っ張り合いで、死人まで出る始末。慈善事業家も神道の人間も誰もかれもどうにかして手にいれようとした。
みんな作品を間近で見た人間ばかりなの。
勝ち得たどこかの御曹司は身を滅ぼした。何日も作品をただ見続けて皮と骨になってたって話よ。噂だけどね。
その後もまた奪い合いがおきたの。今度は政府の高官が裏で手を回して作品を勝ち得た。
この男もまた同じ運命だった。いつも作品の面影を頭に浮かべ、家に帰れば作品に見とれ、一晩中眺めていたんだって。奥さんはどうしていたのかって?
奥さんはいつも隣にいるわ。そう。旦那様と揃って作品を見惚れていたそうなの。
気持ち悪いわよね。夫婦揃って一晩中ながめてるのよ。
そんなに日がたたないうちに高官は更迭され、作品はその後しばらく行方不明になったわ。
そうね、昔から呪いのナントカってあるわね。持ち主が死んでしまう宝石とか、座った人が死んでしまう椅子とか。これもそんな類のものね。
なんたって魔法の国を滅ぼしてしまうんだもの。
ここで政府は作品に危険を感じ、とある施設に収容して誰のものでもない、政府預かりとした。
ところが施設の人間がおかしくなっていく。噂を聞きつけた上官がふと目にして魅力に捕らわれてしまう。
作品を密かに運び出したものの、警戒網を敷いていた取締官につかまり、そのどさくさで作品はまたも誰かの手に渡ってしまう。
その誰かが拾い、その拾った者も魂を奪われ……。
この間、作品を目にした関係者が全員、魂を抜かれたみたいになってしまった。
欲しい、もう一度手に入れない限り安らげない。
みんな例外なく、魅了されるとすべてを捨ててでも作品を手にいれようとする。
衛生庁は数日間、完全に機能が麻痺してしまった。疫病が蔓延しはじめた。最初はたいしたものじゃなかったなに、対策はなにもされずその上浄水池の管理も放棄された。殆どが職場を放棄していた。街にゴミが溢れた。
ほおっておかれた街の衛生管理はあっという間に疫病を肥大させてしまい、薬務庁も同じく機能停止したため薬が行き渡らず、動けない者が日に日に数を増していったの。
国の対策は間に合わず、死者が出始めた。街を流れる川は濁り、カラスが街を覆い始めた。
工場の生産はストップして流通が滞った。
国は徐々に死に始めていた。
なぜもっとうまく管理出来なかったかって? 布や箱に入れて人目にふれないようにすればいいのにって?なぜ衛生庁と薬務庁の機能が麻痺しなきゃならないかって?
それはあなた、とろけるような声で「私をここから出して」「目をふさがないで」と言われれば誰もがその通りにしたくなるのだもの。
ああ、言ってなかったかしら。
作品はこの時点で16才の少女。生きた人間よ?
名を前時代の物語にあった天使の名ををとって「セラフィタ」と言うの。
彼女の体にかけられている魔法を国は調べようとしたの。解読して魔法を解くか、密かに処理するか。だけど彼女を目にした者は誰もが殺そうとはしない。彼女の「魅了」は病原菌じゃないかとまで言われ、衛生庁の人間と研究員が調べたけど調査にならなかった。彼女が「やめて」と言ったから。
そのうち国を動かす力となっていた魔法の箱が管理されず放置され、爆発してしまった。
魔法の箱は辺りに毒を吐き出し続け、誰も近寄れなくなってしまった。近寄ればみんな皮膚がだんだん勝手に剥がれていってお腹に血がたまって死んでしまうの。
それから爆発の後自動的に石の魔法が発動されて街は全部石の壁に閉ざされた。
マウリリアはこうして嘘みたいに跡形もなく滅んでしまったわ。魔法を作れる魔術書も魔法道具もまだあるのに誰も近寄れない。今じゃ伝説でしかないものね。
セラフィタはどうしたかって?
生きてたわ。だって爆発前に国外へ連れ出されていたんだもの。
魔法の力を分けてもらいたくて、こっそり国に入り込んでいた人間がいたわ。
彼はとある国で一番の騎士。剣の腕も力も負けることを知らず、清廉で、忠義心厚い立派な人徳者だったそうよ。
貧しい国の惨状を考え、この任務に志願したの。
そして忍び込んだ先で、人々から逃げて隠れ潜んでいたセラフィタを目にしてしまった。
その瞬間騎士の中から母国への思いが全てとんでしまった。自分に希望を託してくれた王様や民達、家族、恋人すべて。
騎士はセラフィタを連れて密かに国を経ち、自分の国には帰らず移民の多い自治領で身を隠した。
だけどセラフィタはもめ事の原因になる。あちこち点々とし、山岳地帯に身を隠し、そこでようやくセラフィタと2人静かに過ごすことができたの。
セラフィタは心があるのか?
……そうね。自分をめぐって人が争う姿を見続けるってどんな気分かしらね。
私なら反吐が出そうよ。ぞっとする。そんな目で見られるなんて地獄だわ。
その後セラフィタはどうなったかって? ええ、平和に暮らしたわ。騎士はセラフィタによく尽くした。彼女に危険が及ばないように自分の身以上に細心の注意を払って。彼のセラフィタへ対する思いはそれは健気なものだった。
だけどセラフィタは彼に心を開いていなかった。彼女の中に誰かが留まる事はないの。彼女はただの芸術作品、お人形。騎士はそれでも幸せだった。
そのうち2人の間には子供ができたわ。セラフィタによく似た子。騎士は子をよく可愛がったけど、セラフィタにはやっぱりなんの感情もなかった。
数年してまたもう一人生まれた。やっぱりセラフィタに面差しは似ていたけど、成長するにつれ2人の子供は騎士に似てやんちゃだった。中身はセラフィタを受け継がなかったの。
騎士の血は人形の子を人間として作ってくれたのよ。
それを知ってから騎士は徐々に、セラフィタの呪いが解けていった。意識がセラフィタより2人の子供達に向くことが増えていったの。子育てをしないセラフィタに代わって不器用ながらも2人の子供を育てる騎士に、2人の子供は体中で愛を示して応えてくれる。
騎士の中でセラフィタに代わり2人の子が、愛する対象になった。
セラフィタは心があるのか、と聞いたけど。
騎士も誰も、彼女の心は薄弱だとばかり思っていた。だけどこの時彼女は初めて生きた人間になった。
セラフィタは2人の子供を崖から突き落とそうとしたの。
騎士がすんでのところで子供を助けたけど。
なぜそんなことをと尋ねる騎士にセラフィタは初めて涙を流した。
「あなたがこの2人に盗られてしまう。あなたは私だけを見て」
一つ一つ美しい宝石も、集めて一つにすればかえっていびつで歪んだ輝きになってしまうこともある。
完璧な魔法はセラフィタの中身を歪めていた。
彼女が魅了されるものは、自分に魅了されない人間というわけよ。なんてことかしらね。
そんな人、誰もいなかった。騎士が初めてだった。初めて彼女は心がうごいた。
騎士に守られる子供達を始末するため彼女は人里に降りた。あとは簡単だった。
男たちに子供を始末して、と言えばいいだけ。
それを知った騎士は子供達を連れて逃げるしかなかった。だけど追手は日に日に増えていき、追跡の手が緩むことはない。
それはそうよ。だれもがセラフィタの言いなりになってしまう。セラフィタが頼めば全てを投げ打っても望みを叶えたがる。追手たちは騎士を捕らえてセラフィタの元に連れてくること、子供達を殺すこと。
でも追手達も操り人形じゃないから。セラフィタの心が騎士にあると知って命を狙う者もいる。セラフィタにはそんな人間の機知なんて分からないから平気で男たちに愛する者を追わせる始末。
騎士達親子に安らぎの地なんてなかった。
子供たちに魔法までが受け継がれている訳がないと思っていたけどそれは違った。セラフィタほどじゃないにしても、その魔法……いえ、呪いは2人の子どもにも備わっていた。
12才になった娘はセラフィタの面差しそのものだった。その為追手にばれやすく、その上誰もが彼女に目をとめる。
そのせいでとうとう追手の手に落ちてしまった親子だけど、騎士は命を賭けて子供達を逃がした。
騎士がどうなったか分からない。追手達にそのまま殺されてしまったかもしれない。
セラフィタの元に連れて行かれたのかもしれない。
娘は泣いて泣いて、騎士の名を呼び続けたわ。
母であるセラフィタが憎くてたまらなかった。血を分けあてられた身なのに、それこそが憎悪をかき立てた。
自分のこの顔が追手を呼んでしまった。この世で一番憎い母によく似たこの顔が全ての元凶だ。
そう気づいた娘は、自分の顔に躊躇なく刃を突き立てた。何度も、何度も。
弟が泣き叫んだから近くの人たちが来て、手当てされてしまったけど。傷も思ったより残らないものなのね。
そう、私はセラフィタの娘。
あの人の感情が一番理解できる人間よ。
ズタズタになったことで私は生まれて初めて心がやすらいだわ。これであの視線を受けなくて済む。痛ましい目で見られることなんか全然平気。
そう思っていたのに、治ってみればまた近寄ってくる人たちがいたの。傷なんて顔の飾りだ、なんて言われた。
もう、絶望したわ。だから今度は顔を焼いてみた。それでも駄目だった。
別の意味で目立ってしまうからいつも顔を隠していた。私たちを始末したがっている追手はまだいたし。だけど顔を隠している姉弟なんてかえって目立つ。人の少ない農村で働かせてもらおうとしても、追手が邪魔する。
母のように人を操るほどの「魅了」の魔法はないのに、人を惹きつける部分だけは受け継いでるのは地獄よ。
どこにもやすらげる所なんかなかった。顔を晒して話ができる人なんていなかった。
何度も襲われた。
それから決意した。
母を殺そうと。
弟は私ほど呪いは持っていない。だけど私が呼び寄せて、巻き込ませてしまう。
母の狙いは本当は私一人なんじゃないかと思っているの。……女同士の勘よ。
あの人を憎んでしょうがないのは、父を奪われたのが一番の理由。
母を殺すのは自分一人でやろうと決めた。
どこにいるかも分からないから、長い道のりになるけど、何年かかっても必ず見つけて決着をつけることにした。
私たちに施しをしてくれたおじいさんに弟をあづけ、一人で黙って旅を始めたの。弟には言えないわ。あの子はまだ小さくて、自分たちを殺そうとしているのが自分の母親だなんて思ってもいないから。
弟だけは母の歪みを受け継いでないことを祈っている。
……もう、会うこともないだろうけど。