晴れ男
最近知り合った先輩は少し変わっている。それに気付いたのは大学の新歓にお呼ばれしたときのことだった。もともとはお花見をしながら行われるはずだったそれが、場所を取れなかった訳でもないのに急遽変更になったことがきっかけだった。当然、私を含めて新入生からは少なからぬ落胆と疑問の声があがった。
「佐野のやつが来ないって言うからな」
サークルの代表さんはさもそれが当たり前の理由であるかのように告げてから、それで納得しない私たちに「ああ…」と小さく声を漏らした。
「あいつ、晴れ男なんだよ。つまり、あいつが来ない日は雨が降るってことなんだ」
私は自分のスマホで天気予報を確認し、更に首を傾げる。一週間後の天気は確かに晴れのはずだった。同じような行動をとった他の新入生たちもまた揃って首を傾げた。それがなんだかおかしかったのか、くくっとくぐもった笑いをこぼした代表は、「まぁ当日の楽しみってことにしとけ」と告げてバイトへ向かった。
そして当日、その代表さんがバイトをしているという居酒屋を貸し切って何度目かの乾杯をしている時、遅れてやってきた誰かがガラリと扉を開き、そこからむわりと入り込んできた低気圧と雨の匂い、そしてコンクリートを打つ水の音に、もう半ば忘れていた代表さんの言葉を思い出したのだ。
「どう、楽しくやってる?」
気付けば新入生を回って声をかけていた代表さんが隣にきていて、私にもまた他の子と同じような定型文が投げかけられたので、私はそんなことより、と切り出した。失礼だったかもしれないけれど、酒の力もあってかそのときの私はそれ以外に考えられなくなっていた。
「はは、そうだなぁ、あいつも寂しくしてるだろうし」
代表さんは少し悩んだ様子だったけれど、私に佐野先輩の住所を教えると、唐揚げやごぼうの天ぷら、それからサラダに肉団子とを詰め合わせたタッパーをいくつか手早くまとめると紙袋にそれらを積み上げて寄越した。
「ここから結構近いんですね」
好奇心に背を押された私は快く先輩の家へそれらの品を持っていくことを了承した。
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マンションの集合玄関でチャイムを鳴らせば、佐野先輩は非常に不機嫌そうな様子で「部屋の鍵は開けておくから」と、エントランスドアの施錠を解除してくれた。エレベーターで目的の階へ向かい、目当ての部屋を探し当てると、私は改めてチャイムを押すこともなくそっと扉を開ける。
「お邪魔しまーす」
小さな声と共に入り込んだ部屋の中は、趣味に忙しい大学生にしては随分と閑散としているように見えた。それは廊下を抜けて居室へ顔を覗かせても変わらない。Eとアンペアしか弾けないであろうギターも、古着屋で買ったお洒落な服も、年に数回しか使わないキャンプ道具とスキー用品だってないように見受けられる。壁際にはゲームカセットや本の数々が整然と並べられた棚が置かれ、その横に設置された収納のひとつからなにかのコードが垂れている。先輩はさらにその奥のデスクの前に座り、チラリと私に視線を寄越した。
「えーと、浅野さんだっけ。途中で抜けてきたんでしょ、お酒いる?」
私は先輩のことを把握していなかったけれど、先輩はそうではなかったようで、見事に私の名前を言い当てると、片手に持ったグラスを揺らす。私は紙袋を部屋の中央にあった背の低い机に置いた。
「いえ、ただちょっと先輩とお話してみたいな、と思いまして」
そこでようやく窓に目をやって、雨戸が閉められていることに気付いた。
「あれは?」
「ん?」
先輩にとってそれは当然のことだったのだろう。一瞬、私が何を指しているのかわからないというように首を傾げ、ああ、と納得の色を見せる。
「雨が降ってるからね」
それで先輩はやり遂げたという顔をする。それ以上の説明は待てど暮らせど続きそうになかった。
「あの、それで代表さんに聞いたんですけど」
なので、改めて別の質問をした。本題と言っても良かった。それは1週間前に聞いたことと、実際に起こったこと。なぜそんなことが起こり得るのかという疑問だった。
先輩はまくしたてた私に「酔ってる?」と迷惑そうに眉を寄せ、次いで「まぁ良いや」とグラスを煽った。
「それで、なんでって、どういうこと?」
「だって天気予報はちゃんと晴れって書いてあったんですよ?そりゃ、外れることもあるでしょうけど。」
喉を潤した先輩がそれちょうだい、と指さして、紙袋を手渡す。先輩はガサゴソと中身を漁り、いくつか気に入ったものが入っていたのであろうタッパーを抜き取った。
「別にたいした話ではないんだけどね」
それで小腹を満たすと、ずっと椅子に座っていた先輩はのそりと立ち上がり私の前まで移動すると、スマホを取り出し画面を見せた。天気と銘打たれたフォルダがあって、そこにはWebサイトをアプリ状にしたものやExcelが三ページにも渡って納められている。
「一週間前の時点で晴れの予報が確定していたのはこの3つの気象予報だね。直近を見るなら信用できるんだけど、長い目で見たらそこそこ外れるんだ。逆にこっちは全体的に大雑把だけど少ない可能性でも雨が降りそうなら雨の表記になる。あとはリアルタイムの衛生から自分で雨雲の動きを予測したり、過去の降水データから推測したり」
先輩はそのあとも饒舌に語ってみせた。それは大したことじゃないというにはあまりに盆雑な工程と経験にもとずく推測だった。
「でもやっぱり最後は肌感かな?ほら、雨の降る少し前からお腹痛くなったりしない?」
「一週間前からはないですね」
話が締め括られたのはそれから何十分後だっただろうか。この部屋には時計もなくて、そのあたり曖昧だったけれど、体感では一時間を過ぎていても不思議はないほどだった。
「雨、お嫌いなんですか?」
先輩は心底からわからないという顔をした。辞典の目を点にするという表現の横に貼りつけておきたいような顔だった。
「別に、雨の音は嫌いじゃないよ」
そう言うと先輩は外していたヘッドフォンを耳に当て、デスクのパソコンに向き直った。帰れという意思表示だろうということがわかって、私は部屋を出た。
「また来て良いですか?」
寸前で尋ねたその言葉に返事はなかったので、軽く首を縦に振った動作を肯定と捉えることにして。
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それからというもの私は雨が降る度に先輩の家を訪ねるようになった。晴れているなら別の子と遊ぶことも多かったけれど、雨の日まで遊ぶことには難色を示す人が多かったので、雨が降っているといつも部屋にいて、出掛けることがない先輩の生態はちょうど都合が良いものだった。いつからだろうか、チャイムも面倒だからとエントランスの鍵も預けられるようになったのは。今では先輩の無味無臭な部屋には私が持ち込んだボードゲームやお泊まりセットが色を添えている。大学ですれ違っても、私と先輩が何かを喋ることはそうなかったし、登録だけした電話番号は着信履歴が一度も存在していないけれど、それで私と先輩の間に不都合は何も無かった。
今日から暫く雨が続く。だから私は今日からしばらく先輩の家に入り浸る。勝手に決めて、早朝から鍋パの準備に勤しみ、タコパでも良かったかなと思い至り、昼過ぎには先輩の家に着く予定で行動していた。
雨雲は昼の街を暗くして、側溝から溢れた水は道路を浸水させ、車のライトは雨雫を乱反射して眩く輝いている。だから当然と言えば、それまでだった。
今日から暫く雨が続く。雨が続いてしまう。
「先輩、葬儀きてくれるかなぁ」
私は死んだ。事故だった。




