婚約破棄ですか? では自分の領地に戻ります
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「アリアナ・フォン・レストン。君との婚約を破棄する!」
王立学院の卒業舞踏会。
大勢の貴族が見守る中、第二王子エドワード殿下は高らかに宣言した。
ざわり、と会場が揺れる。
殿下の隣には、淡い桃色の髪をした男爵令嬢リリアが立っていた。
彼女は涙を浮かべながら、殿下の袖をつまんでいる。
「僕は真実の愛を見つけた。アリアナ、お前との婚約は今日をもって終わりだ!」
普通なら、ここで令嬢が泣き崩れる。
あるいは怒り狂う。
けれど。
「そうですか」
私は小さく頷いた。
「では、婚約破棄の書類をいただけますか?」
「……え?」
殿下が固まった。
「ですから、書類を。口頭だけでは正式な手続きになりませんので」
「いや、そういう問題では……」
「すぐに用意できないのであれば、後ほど書留として我が家に送ってください」
殿下とリリアは共に大きく困惑の表情を浮かべる。
彼らを無視して、言葉を更に紡ぐ。
「それから、慰謝料についてですが」
私は鞄から一枚の紙を取り出した。
「婚約破棄に関する契約書、第七条をご確認ください」
「契約書……?」
殿下が紙を覗き込む。
そこには、こう書かれていた。
『王族側の一方的な婚約破棄の場合、レストン公爵家に対して、違約金として金貨五千枚を支払うものとする』
「……五千枚?」
殿下の顔が引きつった。
「はい」
私は微笑んだ。
「では、私はこれで失礼しますね」
「待て!」
殿下が叫ぶ。
「お前は悔しくないのか!?」
「何がでしょう?」
「僕が……リリアを選んだんだぞ!」
「はい」
「だから、少しくらい……」
殿下は言葉を詰まらせた。
私は首を傾げる。
「殿下」
「なんだ」
「私、忙しいんです」
「……は?」
「明日の朝には領地の水路改修案について会議があります。今夜中に資料を確認しないといけません」
会場が静まり返った。
「ですから」
私は一礼した。
「婚約破棄については、どうぞご自由に」
「……」
「ただし、不都合はそちらで対応してくださいね」
その瞬間。
誰かが小さく吹き出した。
それを皮切りに、会場のあちこちから笑い声が漏れ始める。
自分に酔って、おいそれと出せない金額の借金を背負った彼ら。
私も部外者なら笑っていただろう。
殿下の顔が真っ赤になった。
「アリアナ! 僕を馬鹿にしているのか!」
「いいえ」
私は首を横に振った。
「本当に、どうでもいいだけです」
◇
私はレストン公爵家の長女。
王都では「冷たい令嬢」と呼ばれている。
理由は簡単だった。
私は感情より先に、数字を見る。
領地の収支。
麦の収穫量。
水路の維持費。
税収。
災害時の備蓄。
人件費。
王都にいる貴族たちが舞踏会で恋愛をしている間、私は領地の帳簿を見ていた。
別に仕事が好きだったわけではない。
ただ、父が言ったのだ。
『お前が次の領主になるなら、人間の気分より数字を信じろ』
その言葉を守っていただけだった。
◇
エドワード殿下との婚約が破棄された翌朝。
王都の別邸で、私はいつもより一時間早く起きた。
「お嬢様。王宮から使者が」
「お断りしてください」
「まだ何も言っておりませんが……」
「どうせ婚約破棄の件でしょう?」
「はい」
「では、違約金の支払いをお願いするよう伝えてください」
「……承知しました」
使用人が去っていく。
私は朝食を取りながら、昨日の契約書を確認した。
金貨五千枚。
かなりの金額だ。
だが、それ以上に問題なのは――。
「王都の小麦価格が上がっている」
帳簿を見る。
ここ三か月で、小麦の仕入れ値が二割も上昇している。
おかしい。
王国全体で不作になったという話はない。
むしろ今年は豊作だ。
なのに価格だけが上がっている。
「……誰かが買い占めている?」
私は立ち上がった。
婚約破棄なんてどうでもいい。
いずれ、うちの領地にもかなりの影響が出てしまうだろう。
今はこちらのほうが重要だった。
◇
三日後。
私は領地へ戻った。
そこで待っていたのは、父だった。
「おかえり、アリアナ」
「ただいま戻りました、お父様」
「王子との婚約破棄は大変だったな」
「そうですね」
「悲しくないのか?」
「特には」
父が苦笑する。
「お前らしいな」
私は机に帳簿を広げた。
「それより、お父様」
「なんだ?」
「穀物の備蓄量を三割増やしてください」
父の表情が変わった。
「理由は?」
「王都で小麦価格が不自然に上がっています」
「今年は豊作だぞ」
「だからです」
私は帳簿を指差した。
「豊作なのに価格が上がる。つまり、供給量が市場に流れていない」
父は黙った。
「買い占めか」
「おそらく」
「誰が?」
「そこまでは分かりません」
私は一枚の紙を取り出した。
「ただ、これを見つけました」
そこには、王都の穀物商人たちの取引記録が書かれていた。
「この三つの商会が、同じ日に大量の小麦を買っています」
「……」
「そして、その三商会の裏には」
私は一つの名前を丸で囲った。
「王家御用達裏商会があります」
父が息を呑んだ。
「まさか……」
「王家が小麦を買い占めている?」
「それなら、王都で価格を上げている理由は――」
「高値で売るためでしょう。直近で大金が必要になったのも原因かもしれませんね」
私は淡々と言った。
「ですが、それだけではありません」
「何?」
「今年の冬、北部で大規模な寒波が予測されています」
父が目を見開く。
「……そんな情報、どこから」
「気象記録です」
私は三年前から集めていた記録を示した。
「北部の気温低下と積雪量には周期性があります。今年は危険です」
もし私の予測が正しければ。
冬になれば北部では食糧不足が起きる。
そこで王家が買い占めた小麦を高値で売れば――。
莫大な利益になる。
「ですが」
私は首を傾げた。
「そんなことをしたら、どこに富が集中しているかなんて、すぐにわかるのに。報復が怖くないのかしら」
私がそう呟くと、父が苦笑した。
「……お前、本当に婚約破棄されたことを気にしていないんだな」
「はい」
「王子より自領の食糧事情か」
「だって」
私は帳簿を閉じた。
「お腹が空いた人のほうが大変でしょう?」
◇
二週間後。
王都から急使が来た。
「アリアナ様! 至急、王都へ!」
「嫌です」
「え?」
「仕事があります」
「ですが、殿下がお呼びです!」
「私は婚約者ではありませんよね?」
「……はい」
「私を呼び立てる正式な書面もありませんよね? では行く理由も義務もありません」
使者が困り果てている。
すると父が口を挟んだ。
「アリアナ。行ってやれ」
「お父様?」
「どうやら王都が大変なことになっている」
私は少し考えた。
「分かりました」
◇
王宮へ着くと、以前の舞踏会とはまるで違う空気だった。
貴族たちが青ざめている。
「北部で大雪だ!」
「街道が閉鎖された!」
「食糧価格が三倍になっている!」
「備蓄が足りない!」
「この商会から大量に売られている分は、三倍どころではないぞ!」
「......この商会って、王家の――」
私は目を細めた。
やはり。
予測通りだった。
そして国王陛下の前には、エドワード殿下が立っていた。
その顔には疲労が浮かんでいる。
だが、食料はしっかり取れているのだろう。
疲れはみえるものの、それ以外は普段通りだ。
「アリアナ……」
「お久しぶりです、殿下」
「君に頼みがある」
「お断りします」
即答した。
「まだ何も言っていない!」
「食糧の件でしょう?」
殿下が黙る。
「レストン領には十分な備蓄があります。ですが、無償では出せません」
「金なら払う!」
やはり。
裏でしっかりと動いていたようだ。
さきほど議論に上がっていた、とある商会から暴利で売られている食料。
これこそが資金源であろう。
そして、蓄えた食料量と今出回っている分を考えると――。
「違います」
私は一歩前へ出た。
「必要なのはお金ではありません」
「では何だ?」
「王家御用達商会の帳簿を公開してください」
部屋が凍った。
「……何を言っている?」
「王家が小麦を買い占めていたことは把握しています」
国王の顔色が変わる。
「誰から聞いた」
「誰からでもありません」
私は書類を差し出した。
「私が調べました」
そこには商会の取引記録。
そして王族関係者の署名。
「これを公表すれば、国民は王家を信用しなくなるでしょう」
「脅すのか?」
「いいえ」
私は首を横に振った。
「提案しています」
「何を?」
「王家が買い占めた小麦を、適正価格で放出してください」
もちろん、今ある分全てです。
その言葉は静まり返った部屋中に響いた。
「……」
「そうしたら、レストン領の備蓄も市場へ流します」
殿下が呟く。
「なぜ……そこまで」
「簡単です」
私は答えた。
「人が死ぬと、領地経営が大変になるので」
「……」
国王が頭を抱えた。
◇
その後、王家御用達商会の不正は明るみに出た。
王家による直接の指示ではなかったものの、エドワード殿下の側近たちが関与していたことが判明した。
そして。
「第二王子エドワードを王太子候補から外す」
国王はそう宣言した。
理由は、商会との癒着だけではない。
婚約者であった私との契約を軽視し、違約金の支払いすら拒もうとしたこと。
そして危機に際して、自分で解決する能力がなかったこと。
即ち。
とかげの尻尾切り。
王家の信用回復の為の生贄されたのだった。
◇
「アリアナ」
国王が私を見る。
「レストン家に、今回の食糧支援への褒賞を与える」
「ありがとうございます」
「何か望みはあるか?」
私は少し考えた。
「では」
「うむ」
「今後、王宮から私への急な呼び出しを減らしてください」
「……」
「あと、領地の水路改修費を少し」
国王が笑った。
「お前は本当に欲がないな」
「あります」
私は即答した。
「予算が欲しいです」
◇
王宮から帰る馬車の中。
私は一人の青年と向かい合っていた。
レオン。
レストン領の財務官だ。
幼い頃から私の補佐をしてくれている。
「アリアナ様」
「何?」
「婚約破棄されて、よかったですね」
私は眉をひそめた。
「どういう意味?」
「殿下と結婚していたら、今頃あなたは王宮に縛られていたでしょう」
「……確かに」
「領地にも来られなかった」
「……そうね」
「私も、あなたの補佐を続けられませんでした」
「それは困る」
私は真剣に答えた。
「レオンがいないと帳簿の整理が大変だから」
彼は苦笑した。
「そこです」
「何が?」
「あなたは、そういうところです」
「?」
レオンが窓の外を見る。
「私は、あなたが好きですよ」
馬車が揺れた。
私は固まった。
「……仕事仲間として?」
「違います」
「幼馴染として?」
「違います」
「では……」
「女性としてです」
私は黙った。
頭の中で計算する。
レオン。
財務能力、非常に高い。
誠実。
健康。
家柄も問題なし。
領地経営にも理解がある。
「……条件としては悪くないわね」
「条件?」
「結婚相手として」
レオンが目を丸くする。
私は少しだけ笑った。
「それなら、婚約してみる?」
「……本当に?」
「ええ」
「理由を聞いても?」
「あなたが必要だから」
「それは嬉しいですが……」
「それに」
私は窓の外を見た。
雪が舞っている。
「これから忙しくなるでしょう?」
「ええ」
「だったら」
私は手帳を開いた。
新しい予定を書き込む。
『来月、レオンとの婚約について父に相談』
そして、その隣にもう一つ。
『南部水路改修計画、開始』
「仕事のできる人が隣にいると助かるもの」
レオンが笑った。
「では、死ぬほど働かされそうですね」
「嫌なら婚約破棄してもいいわよ」
「しません」
「どうして?」
「あなたが好きだからです」
「……そう」
私は少しだけ頬を赤くした。
「それに、婚約破棄して破滅した人をこの目で見ましたからね」
そう言って彼は笑った。
釣られて、私も少しだけ笑顔を見せる。
一通り笑ったら、一言。
「では、よろしくお願いします」
婚約破棄されたあの日。
私は何かを失ったと思っていた。
けれど、よく考えてみれば。
失ったのは、私の人生を決める人だけだった。
代わりに手に入れたのは。
自分で決められる人生だった。
私は手帳を閉じる。
最後のページに、こう記した。
『婚約破棄――結果的に成功』
その下に、小さく付け足す。
『ただし、違約金五千枚はきちんと回収すること』
私は満足して、馬車の窓から外を眺めた。
雪の向こうに、私の領地が見えている。
明日も仕事だ。
――そして今度は。
誰かに決められた未来ではない。
私が選んだ未来を、私自身で作っていく。
それでいい。
そう思った。




