転生公爵令嬢は愛を持たない(公爵令嬢視点)
本編の公爵令嬢視点です。
広間の空気は、よく磨かれた銀のように冷たく澄んでいた。あるいは、雪の日の早朝のように張り詰めていた。
それでも声を潜めた囁きが、天井の高みで溶けていく様子が、この場を神聖なものから遠ざからせている。
そんな中、アーデルハイト・グラーツェン公爵令嬢は壇上に立ち、前方を見下ろしていた。
第一王子。
男爵令嬢。
そして、その二人を見守る群衆。
視線の向きだけで、人はこれほどまでに物語を作り上げるのかと、アーデルハイトは静かに感心する。
王子は彼女の隣に立っている。本来彼が居るべきでは無い場所で。本来彼の隣にいるべきでは無い人物を守るように。
けれど、とアーデルハイトは思った。
――私はこれを知っていた。
己が、己でないモノの記憶を持っていると気が付いたのは、王宮の庭園で第一王子と初めて顔を合わせた時だ。
(この人は将来、私ではない人を選ぶ。)
普通の少女なら泣いて悲しむ事実を、アーデルハイトは淡々と受け止めた。何故か、妄想や幼い少女の緊張からの白昼夢だとは思わなかった。
むしろ、この目の前で輝く笑顔が自分以外に向けられることに納得すらあったのだ。
しかし、だからといってアーデルハイトが特別なにかすることはなかった。婚約は恙無く結ばれ、この事を誰かに告げることもなかった。
ただ、アーデルハイトは正しくあった。役割を理解し、秩序を守り、必要な振る舞いをする。正しく、乱れなく、定規で線を引くように。誰にも咎められぬように、足元を掬われぬように。
学園で初めて聖女と呼ばれている男爵令嬢を見た時、その記憶の中と違わぬ容姿にこの記憶が確かなものであると確信したのだ。
そこからはまるでチェスでもしている様だった。と言っても遊戯のように楽しんでいた訳ではないが。
必要な場所へ必要な分だけ。先を見据えて間違わないように、慎重に、正確に。決して乱れぬように惑わされぬように。
その結果が、今この舞台だった。それだけだ。
第一王子は選んだのだ。あの少女を、あの記憶通りに。
爵位でも。義務でも。均衡でもないものを。
責任も責務も投げ捨てて。
それが何であるか、アーデルハイトは知っている。だが、解らない。
けれど、彼にとってそれは確かなものなのだろう。
第一王子を愛してはいなかった。
好意も、憎しみも、執着もない。
もし、あの時記憶が蘇らなければとは思わない。きっと私は同じ熱しか持たなかった。
断罪の言葉は淡々と読み上げられていく。
事実。手続き。処分。
その言葉に静かに耳を傾ける。浮かぶ感情は何も無かった。怒りも悲しみも。
ただ一つだけ、はっきりと理解したことがある。
――私は、あの場所には立てない。
記憶が無くても、あっても。
あの視線を受けて。全てを投げ捨てて。愚かに滑稽に。
あの手を取る側にはなれない。
なりたいとも思わない。けれどそれを何よりも尊ぶ人もきっといるのだろう。
王妃が男爵令嬢に問いを投げたとき、広間の空気がわずかに揺れた。
北の砦。
この国の何処よりも過酷な場所。
彼女は一瞬、怯えた。
その揺れは誰の目にも明らかだった。
けれど次の瞬間、彼女の中で何かが決まった。
ああ、とアーデルハイトは思った。
彼女は行く。
理由は恐らく、誇りでも使命でもない。
ただの反発。衝動。勢い。
だが――
そういうものでしか進めない道もあるのだろう。
彼女は王子の手を取った。震える手で、それでもしっかりと。
2人はこれから、多くを失うだろう。全てを捨てて行った先で、さらに多くのものを。
それでも進むのだ。
それが彼らの選択。
それが彼らの――
何なのかは、まだ解らない。
三年後。
凱旋の歓声は、まるで嵐のようだった。
花が降り、名が呼ばれ、言葉が空気を震わせる。
アーデルハイトは城の窓からそれを見ていた。
英雄。
聖女。
真実の愛。
人は物語を作るのが早い。
現実を整え、美しくし、理解できる形にする。
けれど、とアーデルハイトは手元の報告書に視線を落とす。北の砦の報告書に。
失血量。
死亡率。
補給の遅延。
感染症の蔓延。
そこにはただ、現実があった。語られる物語の影にある、本当の現実が。ほっそりとした荒れを知らない指が、報告書の数字を撫でる。
彼らは生き残った。そして成し遂げた。
再び広間に立つ。
あの日と同じ配置。
同じ空間。
けれど空気は違う。あの時とは違うざわめきを伴って張り詰めていた。
力の均衡が変わっている。顔色の悪い貴族がいる。
けれど彼ら2人には関係のない事だ。
あの日あの時、いやもしかするともっと前から。
2人は王位を望まなかった。
北の砦を守ると告げた。
合理的な選択、そして極めて非合理でもある。
疲労の色。焼けた肌。癒えない何かを抱えた目。
それでも彼女は、満たされているように見えた。
退出のとき彼女と、いや聖女と視線が合った。
三年前とは違う目をしていた。
勝者の目でも、誇る者の目でもない。
――選んだ者の目だ。
アーデルハイトはその時やっと解った。
「……それが、愛なのですね」
それは問いではなかった。
評価でもない。
皮肉でもない。
ただの確認。
世界には、そういうものが存在するらしい。けれどアーデルハイトはそれを持たない。これからも持たないだろう。
だが確かに、ここにある。
それだけは理解できた。
聖女は何も答えなかった。
答える必要もない。
二人は去っていった。
そう、とアーデルハイトは思う。愚かだと思う、くだらないと思う、無責任だと思う。けれど。
2人の去って行った扉を見て、先程なぞった資料を思い返す。彼女とは全く違う綺麗な指でなぞった資料を。
あの愚かさに救われた人々がいるのも、また事実だ。
幼いあの日、王宮の花の咲き乱れる庭園でアーデルハイトは確かに多くを知った。けれど、それは全てではなかった。
だからもうアーデルハイトは目を逸らさない。
北の空の向こう。凍てつく風の向こう。そこへ戻る2人を想ってアーデルハイトは静かに目を閉じた。
本作の執筆において、構成整理および文章推敲の補助としてAIを使用しています。本文は作者が執筆しています。




