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寛政四年三月二十日、湖畔沿いの水茶屋にて、千鳥木綿の噺家と

作者: 枕ヶ星

ほれ、其処の旅の御方。左様、御前さんだ。

手甲に脚絆に、草鞋を三足も引っ提げて。まぁ、随分な長旅とみえる。

伊勢や上方ではないでしょう。何処へ?

おや、お江戸へ?

はぁ、暇を出されたんで、江戸へ職を探しに。そりゃあまた、災難で御座いまして。

そうだ。旅の前に粋な小噺を一つ、聞いてお行きなさいな。

なに、長話をするつもりはないでさぁ。あっしが勝手に語りますので、此の団子の肴にでもしておくんなんし。

えーさて、いつの世も人間の闘争本能と云うやつは、成程、侮れない代物で御座いまして。先人の逸話を知る度に、長らく紡がれてきた史実に合点が行くというもので御座います。

今より遠く昔、永暦元年の事であります。

現在、目の前に雄大な湖畔が広がっておりますが、当時は一夜にしてまるで明鏡のごとく凍りついたのです。誠に寒さ厳しき冬の日のことでございました。其の折、一人の男が近江にて捕らえられまして、手足を縄でしっかりと縛られたまま、かの平清盛公の御前へと引き立てられました。

其の男、先の乱にて撃ち負けた、源氏の武士の三男坊。

此の時、若干の十四歳で御座います。

髭も生えておらず、お歯黒もまだ。そんな若僧が、平安の都の天下泰平を幾分か脅かし、平氏らの怒りを買い、今や其の細い首には鋭利な太刀が架かっておりました。

構える清盛公、ゆるりと口を開かれまして、静かに「死罪だ」と仰せになりました。

すぐに、御仁の義母・池禅尼は、

「亡き家盛に瓜二つにございませんか。何卒、命だけは」と嘆願なさったのです。

然し、清盛公は未だ鋭く冷ややかな眼で見下ろしておりました。

「だが、源氏の末裔。生かしておけば、今に某の寝首を掻くやも知れぬ」

「されど、まだ元服もしておりませぬ」と語る壇上の御二人。

其の間、迫る死に身を震わせ、幼い顔を真っ青にした男の頬を、大粒の雫がほろり、鳴呼また一滴と、ほろり。

何と、なんと悲劇的でありましょうか。

僅か十四の者が、死を覚悟して絶望にふける姿は、些かの哀愁をしられるものであります。不穏な沈黙を斬り裂くように、けれども強かに、男は申しました。

「某の親は死にました。僅かに残った兄弟らも、いずれ死に絶えるでしょう。

武士ならば、粛々と死を受け入れることもまた宿命に御座います。

ですが、某はまだ酷く幼くありますゆえ、此の世の出て立ちについて何らも知りませぬ。どうか命だけは」

雨の様に滴り落ちる大粒の涙のお陰か否か、結局、罰は伊豆への流罪に収まったのです。

して、其れより二十五年後、其の男は反旗を翻し、多数の武士を引き連れて平氏を打ち破り、やがて征夷大将軍となり、二山と海の間に幕府を拓く訳であります。きっと、涙の苦杯を喫した過去がまた、其の男を強くした訳でありましょうか。流罪になれども、また戦にて名乗りを挙げんとする姿勢は、まこと武士の誉れに御座います。

これほど申し上げれば、もはや御察しあそばされましょう。さよう、先刻より申しております其の男とは、かの源頼朝公にてあらせられまする。百五十年も続いた鎌倉幕府を拓き、今日日の武家社会を御つくりになられた豪傑に御座います。

ん?

はぁ、「結局何が言いたいのか。」ですか。

あっしから致しますと、此の地から追い出される事になりましても尚、勇敢に生永らえようと試みる今の御前さんは、かつて伊豆へ着いた当時の頼朝公と同じ面持ちだったのではと考えましてね。お節介と評すれば其れまでに御座いますが、励ましの詞の一つでも掛けてやりたくなったのですよ。

まぁ詰まるところ、何を申したいのかと問われますれば、いやはや、面目もございませんが、あっしは噺家の端くれでして。日々はこうした小噺を、ちょいと、あいや大分滑稽に語らせていただいておりますが、これがまた、今に頼朝公が枕元に現れやしねぇかと、怖くて恐ろしくてしょうがねぇんでございますよ。

てなわけで、旅立つ御前さんにひとつ頼みごとがございまして。

お江戸への道中、相模国鎌倉の地の法華堂という寺に、頼朝公の墓があるんでさぁ。

此処のお代はあっしが持ちますゆえ、どうかひとつ、詫びを入れておいておくんなせぇ。

えぇ!いいのかい!?

ヨッ、心映えがよいねぇ。恩に着るよ。

其れじゃぁ、あんさんの門出を祝おうじゃないか。

お鈴さんや。特上の団子を一串、此の旦那のために頼むよ。

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