61:何も無かった世界
謎の空間で「中立」の扉を開けた周作は、気がつくと荒川の河川敷に立っていた。空は晴れ渡り、冬の朝日が鈍く輝いている。
周作は一人きりになっていた。スマホとチワキチの姿はどこにも無い。名前を呼んだが返事が返ってこない。
目の前の草むらの中に青いビニールシートハウスがあったが、廃材の骨組みに汚れたシートがかぶせてあるだけで、その中には何も見当たらなかった。
「何で……何で誰もいないんっスか???」
周作は実家を追い出された時とまったく同じ格好で、持っているのも魔法の収納袋ではなく薄汚れた普通のナップザックである。所持金も所持品も家を出た時とほぼ同じだったが、スマートフォンとブロック栄養食だけが無くなっていた。
周作は河川敷から土手を登り、登り切った場所から土手の外に広がる景色を見て息を飲んだ。
「街が……街があるっス!!!!」
それは彼がよく知っている風景だった。土手の外にはごく普通の住宅街があり、家々は燃えても壊れてもいない。自動車やバイクが普通に道を走っていて、普通に歩行者が歩いている。
空には普通に鳥が飛び、土手には普通に草が生えていて、川も普通に流れている。すべてが、何もかもが普通だった。
周作は混乱していた。じっとしていると頭が変になりそうだったので、意味もなく一番近い大通りまで走った。そして通り沿いにコンビニを見つけ、衝動的に入ってみた。
入店時のチャイムが普通に流れ、棚には普通に商品が並んでいて、店員が普通に働いている。
(……凄ぇ。コンビニが普通に営業してるっス)
凄くはないが、実際凄い。日本の物流システムは(略
周作はチューハイ缶を1本、冷蔵庫から取った。普通に冷えている。凄い。
カウンターで普通のチキンの唐揚げを追加で注文する。朝っぱらに唐揚げとチューハイを買っていく薄汚い格好の男。イメージ的に最悪だが、今の周作にそこまで考える余裕は無い。
「あ、あのっスね、今日って何月何日っスか?」
周作にそう問われた店員は、何だこいつ、という表情をしながら日付を教えてくれた。それは周作の記憶では今日、つまり邪神が復活した当日である。しかし壁にかけられた時計を見ると、邪神が復活する前の時刻を指している。時間が巻き戻っている!
今、周作の持ち物に「邪神のかけら」は無い。つまり周作がこれから邪神を復活させることは無いし、東京が滅びる展開も無い。たぶん無い。無いよな?
「……あのですね、東京に怪物が出たって話は無いっスか?」
周作にそう問われた店員は、唐揚げを袋に入れる手を止めて怪訝な顔をした。
「怪物?」
「えっとほら、最近、東京に宇宙人とか怪獣とか巨大ロボットとか出たっスよね?」
「漫画本なら、あっちのコーナーです。それとも何かコラボ商品の話ですか?」
「いやそーじゃなくて、実際におきた事件で……」
店員が危ない人を見る目つきになってきたので、周作は いや何でもないっス、お邪魔しましたっス、と言って商品を受け取り、逃げるようにコンビニを出た。
(何もかも全部、無かったことになってるっス!!! この世界線では宇宙人も、怪獣も、巨大ロボットも現われてないっス!!!)
ならば商店街はどうなっているのか。悪霊事件も無かったことになっているのだろうか。周作が商店会長の権田氏と知り合いになって、商店街でキッチンカー商売を始めたことも、すべてが無かったことになっているのでは??
周作は不安で押しつぶされそうになってきたが、とりあえず商店街に行ってみることにした。これから何があるか判らないので、所持金を節約するためタクシーは使わない。商店街に一番近い駅までバスで移動、そこから徒歩で商店街に向かう。
「ふぇええっ!!」
商店街の入り口で商店会長の権田氏とばったり出会って、周作は思わず声を上げた。何か言おうかと思ったが、「あんた誰?」などと言われたら、もう二度と立ち直れなくなる!
そう思ってそのまま立ちすくんでいると、権田氏のほうから話しかけてきた。
「おや、唐揚げ屋の」
「ふぁっ!!!!!」
「うちの嫁が、今日もまた夕方に買いに行くと思うよ。毎日揚げ物ってのは体に良くない気がするんだが、おたくの唐揚げは毎日食ってても飽きないからねえ。いやお前さんの責任じゃない、こっちが好きで買いに行ってるんだ」
そう言って笑う権田氏に、周作は固まったまま声が出ない。様子が変だが何かあったか、と聞かれて、絞り出すように質問で返した。
「あ、あの、オレっちのキッチンカーは、今どこにあるんっスか?」
「どこにって、いつもの場所だろ? お前さんのお爺さんが亡くなってから商売を引き継いで、あそこの駐車場にそのまま」
「お爺さん?」
「真央さんだったっけ? 銀髪で髭の長い神主さん」
「な、亡くなったんスか?」
「惜しい人を亡くしたよ。うちの車が暴れ牛と衝突した時には、ずいぶん世話になって……」
「そ、そういう話に変わってるんスか?」
「あの唐揚げの味は、お爺さんの秘伝なんだろ?
妹さんと一緒に、しっかり守っていかないと」
「いいい、妹?? オレっちには妹がいるんっスか!?」
「いるだろ、血は繋がってないみたいだが、あの金髪の子はお前さんの妹だろ? えーと、たしかスマホちゃん……」
「いいい、今、どどど、どこにいるっスかっ!!!!」
周作の、ただごとでない様子に権田氏はドン引きである。
「ど、どこって、さっきキッチンカーで会ったよ。ワンちゃんと一緒に店番してた」
「ありがとうございますっス!!!」
権田氏に何度もお辞儀をしてから、周作は走り出した。状況がのみこめない権田氏は、はあ? という顔をしながら周作を見送った。
周作は走った。全力で走った。キッチンカーのある駐車場に、周作の家族達がいる場所に向かって。
キッチンカーは、いつもの場所にあった。その前につながれていた黒いチワワは周作の姿を見つけると、ちぎれるように激しく尻尾を振りながら、わんわんと激しく吠えた。
「チワキチ!!!」
息を切らしながらしゃがみこみ、チワキチを抱き上げる。チワキチは狂ったように周作の顔を舐め、周作はそれを受け入れながらチワキチを抱きしめた。
「お兄ちゃん?」
キッチンカーから金髪の少女が顔を覗かせ、周作を見つけるとあわてて外に降りてきた。
「お兄ちゃんなの? スマホのこと、覚えてる?」
周作は言葉にならないうめき声をあげながら、何度もうなずいた。
「どこに行ってたの! 心配したんだから!」
それはこっちのセリフだ。
「どこかに行ったら駄目だよ! ここがお兄ちゃんの家なんだから!」
「わんわんわん!!!」
「心配させてごめんっス。……ただいまっス」
周作は、勢いよく抱きついてきたスマホとチワキチを、しっかりと抱きしめ返した。
(続く)
次回 最終話「それから2年後」
更新は明日、20時10分。




