60:永遠(とわ)の別れ
悪運にまみれた社会弱者が、勝ち組になるにはどうすれば良いか?
魔王の3次元映像は周作にそう問いかけた。
「わ、わからないっス」
魔王の映像は、やれやれ、という感じで両手を広げて首を振った。
「この問いに即答できないなら、貴様の認識は歪んでいる」
「ふぁっ!?」
魔王は真面目な顔になって、周作のほうを見た。
「生物の本質は生存競争、すなわち生き残った者が勝者。今日まで生き延びてきた貴様は勝ち組なのだ。ガチのウンコ札を引いた者は、すでに死んでいる」
「ふぁあああ???」
「親に虐待されて餓死することもなく、学校に通って読み書きを学び、コンビニと水洗トイレと冷暖房を利用できる国で生活し、ネット小説が無料で読める文化資本を手にしている。ヒューマンという種族全体から見れば最上層の上澄み、貴族階級の生活だ」
「え、でもその、あまり勝ち組という感じは」
「それなのに幸せだと感じていない。ならば貴様に足りないものは何だ?
周囲の者よりも優れているという優越感か? 他者を自由にできる権力か? 異性からキャーキャー言われ、同性から尊敬の目で見られたいという承認欲求か?」
「えーとえーと」
「魔族にとって大事なのは群れではなく個。自分の『好き』が満たされれば他者からの評価などどうでも良い。だが、ヒューマンは群れの一員になれなければ生きる気力を失う。定型的なヒューマンはヒューマンと共に暮らすのが一番幸せなのだ」
そう言うと、魔王はデッキチェアから立ち上がった。
「この魔王には、そういう社会生物の情動というものが判らぬ。読み取る事はできても共感はできぬ。逆にヒューマンには、この魔王が何を求めているか判らぬだろう。利害を調整すればお互いに利用しあう事はできるが、理解しあう事は永遠に不可能だ」
「でも、でも魔王様、オレっちは」
「それゆえ貴様達の世話をする事は、この上なく面倒臭かった」
「ふぁっ!?」「え?」「わおん!」
「だが、その面倒臭さはけっして嫌ではなかった。貴様らが腹一杯美味いものを食べて、幸せそうな顔で眠っているのを見るのが嬉しかった。面倒臭いからこそ、何かをしているという充実感があった。貴様らの面倒臭さは、この魔王に幸せを与えてくれた。だからその対価として、貴様達にも幸せになってもらわねばならぬ」
魔王は魔王と呼ぶにそぐわぬ表情をしながら、話を続けた。
「通名スマホ、端末識別番号35-123400-567890-〇、そこに居るか」
「いるよ、おじいちゃん!」
「この魔王は、お前のことをただの道具として作りあげたつもりだった。だが命無き人形であっても、共に生活していれば愛着も湧く。お前がその男に捨てられて消え去っていく展開を、この魔王は好まぬ」
「す、捨てたりしないっス!! むしろオレっちがスマちゃんに捨てられたら死んじゃうっス!」
「貴様は、この娘を一生大切にできるか?」
「大切にするっス!! 命より大事にするっス!!」
「ならば、わが手で創り上げたこの娘、貴様の嫁としてくれてやろう」
「ふぁああああああぁぁ!!!!????」
血が繋がっていない兄妹は普通に結婚できる。ちなみに親子関係の場合は血が繋がっていなくても(結婚目当てで子供を引き取る人間が出てくるので)禁じられている。
そういう知識が無いので混乱している周作と、獲物を捕らえた猫のような目つきで周作に抱きつくスマホを無視してーー 録画映像なので反応できないだけだが ーー 魔王は話を続けた。
「通名血わキ知、真名『血に餓えし獣の末裔にして、わが社の新入社員となりて黎明の大地を駆けぬけるキリングフィールドの覇者、知を置き忘れし者の従魔として盟約を結びし黒き疾風』よ、控えおるか」
「わわわわん!!!!」
「違う世界に離れたとしても、お前はこの魔王の眷属だ。わが名代として、魔王軍東京支部の統括を命ずる」
「わおおおおん!!!」
「お前の使命は、ここにいる皆の幸せを守ることだ。お前自身もこの男の家族の一員となって幸せに暮らせ。それがこの魔王が下す最後の命令だ」
「……わんっ!」
そして魔王は周作のほうを見た。正確に言えば魔王の映像が周作のほうに顔を向けただけだが、周作は思わず一歩引いた。
「最後に貴様だが、貴様はウンコだ」
「ふぁっ!?」
「だが貴様には、他者の幸せを願い、他者の不幸を悲しむ能力がある。情報ではなく情動を読み取って共感する、それはヒューマンだけが持っている特殊スキルだ。この魔王には模倣できても完全習得はできぬ」
「そ、そうなんスか??」
「貴様は何一つ自覚しておらぬようだが、その能力は生まれながらにして神から与えられたものだ。努力してもそれを模倣できぬ者は、成功者になれてもヒューマンとしての定型的な幸せを得ることはできぬ。逆に言えば、貴様はヒューマンとして幸せを得る資格がある」
「ふぁああああ」
「だが不幸せにならぬための能力は、それとはまた別だ。ヒューマンであれ魔族であれ、不幸を回避するスキルは自分で学び、努力して身につけるしかない。努力してもできない事はできないと理解した上で、できない者でも結果に到達できる手段を見つけねばならん」
「が、頑張るっス」
「そこで頑張るな」
「ふぁっ!?」
「頑張って正面突破できるのは、体力気力に満ちあふれた体育会系だけだ。弱者にとっての壁は、自力で乗り越えるものでもブチ破るものでもない。迂回したり、誰かの知恵を借りて超えさせてもらうものなのだ。頑張るのは手段であって目的では無い。貴様が目指すのは頑張ることでも成功者になる事でもなく、幸せをつかむ事だ。貴様が幸せを感じる対象はモノなのかコトなのかヒトなのか、まずそれを自覚しろ」
「し、幸せを」
「貴様がこれからどのような人生を選ぶのか、それはこの魔王には判らぬ。だが心配はしておらぬ。貴様はこの魔王のビジネスパートナーを勤め上げ、この魔王を異世界に送り届けた勇者だ。貴様がただのウンコではない事はこの魔王が保証してやる」
「ふぁああああ」
「貴様は、すでに他者と繋がりを作り上げていく能力を得ている。それは貴様自身が死ぬほど努力して身に着けた、不幸を回避するスキルの一つだ。そして貴様は、もう一人ではない」
周作は左右にいるスマホとチワキチを交互に見た。スマホは周作にしっかりとしがみつき、足元に寄り添うチワキチは周作を見上げて尻尾を振った。
「人生には疲れはてて歩けなくなる日もある。失敗して一歩戻らなければならぬ日もある。だが無様であっても失敗しても、今日一日を生き抜けたなら貴様は生存競争の勝者だ。成功者になれても、命が尽きるまで生き抜けなければ敗北者なのだ」
「ふぇえええええ」
「貴様はこの魔王の推し生物だ、敗北は許さぬ。千葉周作よ、腹一杯唐揚げを食え。そして最後まで勝ち続けろ」
そう言い終わると魔王の映像は揺らいで、ゆっくりと消えはじめた。
「ま、魔王様!」
「おじいちゃん!」
「わんわんわわん!!」
「……まったく、ヒューマンの世話は最後まで面倒臭くてかなわん」
その言葉を最後に、魔王の姿は消えた。周作は、その後二度と魔王に会うことは無かった。
***************
周作は泣いていた。
魔王のツンデレな言動を聞いた周作が何を思ったのか、その心情は判らない。彼はびゃーびゃーと声を上げながら、だーだーと涙を流し続けていた。
周作はスマホが収納袋から取り出したティッシュペーパーを受け取って、涙と鼻水でべとべとになった顔をぬぐっていたが、ややあって ぷー! と鼻をかむと、ようやく落ち着きをとりもどした。
「もう大丈夫?」
「……大丈夫っス」
そして彼らの目の前には、今も3つの扉が存在している。
「このままここにいても話が進まないんだけど、お兄ちゃんはどの扉に入りたい?」
「……とりあえず左の『秩序』の扉は問題外っス。うっかり触って扉が開いたら即死するっスから、そっちには絶対に近寄らないっス」
「じゃあ右の『混沌』は? 銀河英雄コース」
「そのコースの主人公は、ろくな死に方をしない気がするっス」
「じゃあ『中立』」
「消去法でそういう選択になるんっスけど、なんかその、失われるものがあるって言ってなかったっスか?」
「絶対に失いたくないと思ったものは、優先的に残るらしいけど」
「ゆーせんてき、という事は絶対的ではないって事で、なんかその、部分的に何かが無くなったりしないっスか? スマちゃんの記憶とか」
「無くなるの?」
「それは嫌っス!」
「じゃあ無くならないようにお願いして」
「スマちゃんとチワキチが何もかも今のまま、家族として残りますよーに!」
「キッチンカーと収納袋も」
「残りますよーに!」
「商店街のみんなも」
「元に戻りますよーに!!!」
「東京も」
「平和が戻りますよーにぃぃ!!!」
そんなにたくさん願って大丈夫なのか。個数制限があったらバグるんじゃないか?
「……スマちゃん、オレっちの手を放さないでほしいっス」
「大丈夫! チワキチもスマホがしっかり抱っこしてる! みんな一緒だよ!」
「絶対に失いたくないっッス、絶対に、無くさないで次のステージに持ち越すっス!……スマちゃんチワキチキッチンカー、スマちゃんチワキチ収納袋、スマちゃんチワキチ……」
「じゃあ、みんなでドアを開けるよ! せーの!!」
周作達は「中立」の扉を開けた。
(続く)
そして次回
「何も無かった世界」
更新は明日19時10分。




