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55/62

55:良識が静止する日

<警告>

 今回は性的、暴力的、およびデリケートな方に心理的ダメージを与える描写が大量に含まれています。精神的に弱っている時にはこれ以上読まないでください。

 その時に何がおきたのか、周作達にはすぐには判らなかった。彼ら自身にはほとんど影響が無かったため、東京が一瞬で壊滅した事に、まだ気付いていなかった。


 彼らが最初に聞いたのは、どぐわっしゃん!! という破壊音だった。


「ふぁっ!?」

「何の音?」

「ヴォウウ??」


 あちらからもこちらからも、何かが壊れる音が途切れずに続く。むしろ聞こえる数がどんどん増えてくる。やがて数え切れないほどの音が重なり合った、うなるような空気の震えが押し寄せてきた。


「なっ、何っスかこれ!!??」


 それは交通事故の音だった。近在を走っていた自動車やバイクの運転手が一斉に即死したため、すべての道路で同時多発的に、ほとんどすべての車が何らかの事故をおこしていた。


 かろうじて意識を保っていた者が赤信号でブレーキを踏み、死体を乗せた車に自動運転でブレーキがかかっても、その後ろから、横から、斜めから別の車が止まらずに突っ込んでくる。


 高速道路では走っていた車が派手にクラッシュし、横にすべって道をふさいだところに次の車が激突して、どんがらがっしゃんと大破し炎上する。


 もはや多重事故などという生易しいものではない。東京という巨大生物に流れていた血液が一瞬のうちに固まって、全身の血管がすべて詰まってしまった状態である。外から救援を呼ぼうとしても、道路復旧にどれだけ時間がかかるのか見当もつかない。


 しかもこれは邪神の初回攻撃、試合開始後ほとんど時間が経っていない。

本当の地獄はここからである。


「え? ほらあれ、何か動いてないっスか?」

「あのひと、こっちに来る!!」


 邪神がゆっくりと移動しはじめた。戦獣態のチワキチが急いで周作とスマホを背に乗せ、その場を離れた。


 『邪神のかけら』の移動速度は推測で時速5キロ、人間が早足で歩く程度で、その巨体に比べれば非常に遅かった。だが、その速度でも休まず進めば半日で東京を横断できてしまう。鹿児島でも稚内(わっかない)でも到着まで2週間かからない。


 活動限界までの100年間なら地球10周。いつかはあなたの住む町に、やってくるくる大邪神。東京はすでに壊滅し、次に来るのは日本滅亡、世界の破滅、人類存亡の危機である。


 手も足も無い黒い円柱が、どうやって移動しているのか見当もつかない。

荒川の土手をじわじわと這い上り、体をゆすりながらそのまま市街地に降りたって住宅を踏み潰し、ローラーをかけたように平らにしながら進んでいく。


 地面に接している部分に土煙が上がり、さまざまなものが粉砕されていく耳障りな音が響く。家の中からよろよろと出てきた生き残りの人がそのまま巻き込まれ、邪神の後ろのほうで平らになった地面の上に、赤い染みとなって再び現われる。


 邪神はその冒涜的(ぼうとくてき)な姿を天空に向け、黒々とそそり()ちながら進撃を続けた。どこに向かっているのか邪神。何を考えているのか邪神。そもそも考える機能があるのか邪神。


 周作達はすでに安全そうな場所まで移動している。距離で言うと約3キロ、秋葉原からスカイツリーがよく見えないように、その距離まで離れれば邪神の姿はビルの陰に隠れてしまう。


 だが実際には半径50キロまでは邪神の有効攻撃圏内である。彼らはその事にまだ気付いていない。


 移動途中で周作達は、周辺の車が一台も動いていないことに気がついた。

自動車だけではない。バイクも自転車も路上でコケて運転手は地面に倒れ、ピクリとも動かない。屋外を歩いていたらしき人達が一人残らず倒れている。


 近寄ってみると、どの人も息をしていない。ここは爆心地なのでほとんど全員が即死している。一人や二人を蘇生してどうにかなる状況ではない。


 スマホはただちに情報収集を始めた。通信インフラは無傷で、生存者がSNSや災害掲示板などに投稿した情報がネットに上がり始めている。収納袋から取り出したノートパソコン、つまりスマホと連動させている子機にネット動画を表示した。


「うっわ、何だこりゃ」


 状況としては、邪神から少し離れている場所のほうがむしろ悲惨だった。


 生き残った人達の多くが理性を失ない、周囲の人間に見境いなく性的に襲いかかっていた。老若男女のすべてが、あらゆる老若男女に挑む総当たりバトルロワイヤル。首都圏大乱交の勃発(ぼっぱつ)である。

 ある者は ころがっている死体に、ああ駄目だ、いろいろな意味でこれ以上の描写は不可能である。


 正気を保った者は必死で逃げて食料品のあるコンビニやスーパーに立てこもったり、苦手なタイプから逃げ回っているうちに好みのタイプに出合って身をまかせたり、あれやこれやの人間ドラマが展開されたが、それらについて描写している余裕は無い。とにかく東京は人類が一度も経験したことが無い、恐怖と混乱と淫欲の大渦(おおうず)に呑み込まれていた。


 そうこうしているうちに、邪神の上空に一機のヘリコプターがやってきた。茨城県北部にある航空自衛隊基地から飛来した、災害調査ヘリコプターである。


 それに気付いた邪神は、ヘリコプターに向けて光魔法を放った。

大気中での減衰が少ない赤外線領域の光を、位相を(そろ)えて大出力で投射するレーザー攻撃魔法である。


 数秒の追尾照射でヘリコプターは大破し、墜落炎上した。


―― ちなみに一般的なヘリコプターに緊急脱出(ベイルアウト)装置は無い。座席を射出したらローターに当たるので構造的に無理である。ローターを爆破してむりやり座席を射出する戦闘ヘリがロシアにはあるが、普通のヘリにそんな機能は無い。乗員は全員殉職である。


 ヘリコブターの接近に刺激された邪神はイキり()った。興奮のあまり頂点部分から透明な粘液をにじませながら、周囲に光魔法を乱射した。


 とは言っても赤外線レーザーの破壊力はよわよわである。航空機やミサイル、ドローン兵器のような紙装甲なら簡単に撃墜できるが、戦車やドラゴンにはほぼ無効である。


 人間の場合も目に当たれば瞬時に失明するが、体に当たっても死ぬまで多少の時間がある。攻撃呪文としてはザコい。


 ……と思っていたら、邪神は発生させる光の波長を1ピコメートル以下まで低下させた。今までよりも桁違いに高い周波数、それは歴代の勇者ですらその領域に達した者がいない第9階梯の光魔法。


 ガンマ線レーザーである。


 地球人類にはまだ発生させる技術が無く、魔法の世界でも極大消滅呪文やポジトロン投射魔法と並んで、地上用では最強クラスの攻撃魔法である。加減しろ邪神。


 邪神は周囲の全方向にビームを乱射した。その攻撃は鉄もコンクリートも貫通し、かすっただけであらゆる生物を死滅させ、すべての電子機器を破壊した。


 そしてそのうちの一発が、流れビームとなってスマホに命中した。邪神から3キロでは、避難距離がまったく足りていなかった。


 周作はその時、何がおきたのか気がつかなかった。人間には知覚することすらできない、一瞬の出来事。ビームが当たった時点で、何もかもがすべて終わっていた。


「あれ? 今なんか当たった気がする」


 スマホがきょとんとした顔でそう言った。


「え? 何かぶつかったスか?」


「ちょっと見てみる……あ、バッジが真っ黒だ!」


 スマホは胸元につけていたバッジを見て、驚いた声をあげる。


「何スかそれ」


「おじいちゃんにもらったの! 誰かに魔法をかけられた時に判るアイテム! スマホ、即死攻撃うけたっぽい!」


「ふぁああああ!!!! し、死んじゃうっスかっ、復元のっ!!!」


「大丈夫! スマホは『魔封龍の首飾り』をつけてるから、闇魔法以外は無効! 魔法力の痕跡がある物理攻撃も効かない!」


 魔法で作り出された炎、氷、真空波、岩塊、雷撃、電磁波、荷電粒子、中性子などは投げつけられても無効である。ちなみに復元魔法は闇属性である。


「そ、即死魔法って、邪神の攻撃っスか? あんな遠くから??」


「たぶんそう! でも光属性の魔法だから今のスマホには効かない! 光属性のお兄ちゃんにも効かない!」


 そう言うと、スマホはチワキチに抱きついた。


「でもチワキチは死んじゃうから、スマホが守る! こうやって密着すれば、チワキチにも首飾りの効力が有効になる!」


「ヴォルルルウ、ヴァウォン、ヴウゥゥ!」


「チワキチに密着してれば、チワキチの防具の物理防御も有効になるから、対戦車ミサイルぐらいまでなら防げるって!」


 スマホの翻訳アプリは犬語にも対応している。


「おおお、オレっちも守ってほしいっス!」

「ヴォゥオウ」


 やれやれ、という表情でチワキチは周作を背中に乗せた。


 全員が身を寄せ合っていれば、魔法防御も物理防御も両方強い。

邪神が隕石召喚とか死者軍団使役とか、防御力だけでは対応しきれないような派手な事をやらかさなければ何とかなる。


……と思ったその瞬間、邪神がその巨体をくねらせ、ものすごい勢いで空高くジャンプした。


(続く)


<次回予告>


 滅びゆく東京。破壊の限りをつくす邪神。ここから周作はどう行動するのが正解なのか。魔王がいなくなった今、何をするか決めるのは彼自身。


次回「決断」

更新は明日14時50分。

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