54:元気100倍、スマホちゃん!
ぐしゃぐしゃに顔を潰されたスマホは、血だまりの中でそのまま動かなくなった。
周作は、目の前でおきた出来事を理解できなかった。いやそうではない、理解することを頭が拒んだ。
これは悪い夢だ。目をつぶって開ければ、そこに見えるのはネットカフェの天井だ。今までの描写は、すべて周作が見ていた夢だったのだ。なーんだ夢オチかぁ、あはははは。
そう思いながら ぎゅっと目をつぶって、ふたたび目を開ける。そこに見えたのは、スマホの。
<ああああああああああああああああ!!!!!!!!>
あまりに衝撃が大きすぎて、声が出せない。周作は無音で絶叫した。
魔王は周作が叫び終わるのを待って、彼に話しかけた。
「この魔王と出会った頃、貴様のヒューマンとしての器は、酒杯の裏側のように小さかった。しかし今は、多くのものを受け入れられる洗面器サイズになっている」
魔王は感情を表わさず、淡々と周作に語る。だが周作は体を丸めて地面に伏し、魔王の言葉はおそらく耳に届いていない。しかし魔王は、独り言を言うように話し続けた。
「そして今の貴様には、限りなき魔力もある。望むなら、わが世界に連れて行って、魔王軍の9番目の幹部の座を与えても良いと思っていた」
魔王は空に空いた穴を見上げながら言葉を続けた。
「だが貴様には、何かを思うがままにしたいという欲望も、自分自身で新しい事を始めたいという夢も、未知を開拓していこうという探求心も、何かを創り上げたいという創作欲も、何一つ無かった。
貴様が求めていたのは、誰かに『いいね』をもらう事だった。自分の『好き』ではなく他者の『好き』を探し、自分の中にそのまま置いて、他者から関心と好意を寄せられることだけが望みだった」
魔王はそこで一旦言葉を切った。空に空いた異世界ゲートは少しずつ大きくなり、何かが起きる刻が近づいている。
「良くも悪くも、貴様は群れの一員になれた時に、最も幸せを感じる社会生物だったのだ。そういう者にとっては、金も地位もチートも美貌も創作技術も、あらゆる事が社会とつながるための手段にすぎぬ。他者に褒めてもらえなければ、何をしても意味が無い。
火星に行きたいけれどロケットが無いから開発しよう、頭の中の情景を表現化したいけれど誰も書いてくれないから自分で書こう、そういった自分の『好き』を具現化していく作業を、定型的なヒューマンはしないし、やれと言われてもできない。求めているものが根本的に違っているからだ。
貴様がやりたいのは、一発逆転して他人の注目を集め、自分の存在を社会に承認させ、居場所を獲得する事だ。ヒューマンと無関係な事には一生興味が持てない。
だが魔族が他者と繋がる目的は『自分が好きなモノやコトの情報共有』だ。他者の感情にも、社会評価にも興味は無い。魔族の世界では、社会生物が求めているものは何一つ得られない」
それから魔王は、ぷるぷるとチワワのように震えている巨大な黒い狼に向かって話しかけた。
「血わキ知よ、お前はどうしたい。この魔王と共に魔界に行くか、それともこちらの世界に留まるか」
いきなり話を振られたチワキチは、驚いて周囲をぐるぐると走り回った。そして3周ほど回ってから周作の横にぴたりと寄り添い、魔王に向かって許しを乞う姿勢をとった。
「……お前もまた、こちらの世界で生まれ育った社会生物だ。この男と運命を共にしたいなら、好きにするがいい」
そう言い残して、魔王は飛翔魔法で空中に舞い上がった。
上空で両手を広げ、左右に二つの転移魔法陣を空中展開し、集団召喚魔法を唱える。
――余談だが、現代の魔法使いは魔法陣を一般演出だと思っている。だがこの魔法は一人の天才(1922~2015)が半世紀以上前に考案した術式が模倣・改作されながら広く普及したもので、ほぼゾルトラークである。(意味が判らない方は流してください)
「わが城の中に暮らす者たちよ、そして『唐揚げの迷宮』に棲む魔物共よ、この魔王と共に新たなる世界に旅立たんと欲する者は、わが呼び掛けに応えよ」
魔王がそう言い終わると同時に、空中に浮かんだ二つの魔法陣からさまざまな魔物が、あふれるように飛び出してきた。
片方の魔法陣からはセンシティブ判定のサラマンダーや、見たことがない姿の大怪獣、白黒に彩られた触手付きの球体、大勢の巨乳美女達などがぞろぞろと現われた。
もう一つの魔法陣からは何百種類、何千匹いるか判らぬ大量の魔物が湧き出してきた。ひときわ目を引くのが一番最後に出てきた巨大な黒いドラゴン。赤・白・黄の三色に彩られたチェーンソーをくわえている。
「皆の者、この魔王と共に、新しき世界を創りに行くぞ!!!」
魔王が異世界ゲートに向かって飛翔を始めると、その後を追って魔物達の群れが空中を飛んでいく。ギャーギャー、ゲオンゲオン、хорошо(ハラショー)、はらいそさ・いぐだ~~、などと口々に鳴きたて、咆哮し、歓声をあげながら、一行はゲートの中に吸い込まれるように消えていった。
最後に黒いドラゴンがゲートの中に入ると、向こう側で何かが光った。同時に空にできた異世界ゲートが周囲の模様と共に、爆発するかのように飛び散って消えた。残ったのは普通の雲だけである。
「邪神のかけら」は体をくねくねと動かしながら、先端から白い奔流を発し続けている。しかし空にはもうゲートは現われない。
その一方、地面の上では、心の壊れた周作が地面にうずくまったまま固まっていた。その頭の上に、何かがどさりと置かれる感触があった。
「……」
周作は考えるのをやめたまま手を伸ばし、頭の上のものを取った。それは周作が持ち歩いている亜空間収納袋だった。
周作に収納袋を乗せたのはチワキチである。チワキチはヴォウヴォウと鳴きながら、周作に何かを訴えかけている。
「……チワキチ、この袋が何……」
と言いかけて、周作はチワキチが何をさせようとしているか理解した。
「そ、そうだ、この袋には……『復元のなんちゃら』が!!!!」
周作が袋に手を入れると、中から装飾過剰な長い杖がずるずると出てきた。
周作はさまざまな持ち物を部屋に置き忘れたまま出かけてしまうので、使う事のある物品をすべて袋に収納して持ち運んでいる。だから手をつっこめば何でも出てくる。不精者が持ち歩いている「なんでも鞄」と同じである。
取り出した「復元の杖」に魔力を込めると、周作はスマホに向けて呪文を唱えた。
「魔王様の名において、周作が命じるっス! 壊れたスマちゃんよ、元の姿に!!!!」
ビカビカと七色の光がふりそそぐと、スマホは傷一つない美少女に戻った。
彼女は ぱっちりと目を開け、ひょい~~っと起き上がって頭をぶんぶんと振った。
「あれ? スマホ今、電源が落ちてた?」
「ススス、スマちゃんっっ!!!! 大丈夫っスか!? どっか痛くないっスか!?」
「うん大丈夫! メインカメラをやられただけだから!」
「さっきまでの事、記憶に残ってるっスか? えっとその、魔王様が、あの」
「電源が切れるまでの事は全部メモリーに残ってる! ちょっとびっくりした!」
「びっくりで済む話じゃねーっスけども!」
「おじいちゃんも手加減してくれたし!」
「いや手加減って」
「おじいちゃんが本気出してたら、スマホは塵一つ残ってないよ?
お兄ちゃんがすぐ元に戻せるって判ってたから、ああいう事をしたんだと思う!」
「……言われねーと気がつかねーっスよそれ。こっちのほうがびっくりして死ぬかと思……」
周作がそう言いかけた時、周囲に異様な空気が流れた。地球の計測技術では観測できない、謎のダークなエネルギーが突発的に周囲に満ちあふれた。
「ふぁっ!! な、何スかこれ!!」
「うわ気持ち悪い!」
「グォウグォウ!!!」
それは『邪神のかけら』が放った呪いだった。欲望を寸止めされた邪神の、行き場を失った煩悩が関東一円にブチ撒けられた。
魔力の高い周作と、「魔封龍の首飾り」を装備しているスマホ、上位の魔物であるチワキチは至近距離からの煩悩直撃に耐えた。しかし普通の人間はそうはいかなかった。
爆心地から半径10km圏内、東京都北部の上野・早稲田・池袋・練馬、埼玉県南部の戸田・蕨・川口・浦和などに居た人間は、その9割が瞬時に絶命した。
そして半径50km圏内に位置する、
東京都の23区内全域・八王子・青梅・府中・小平・立川、
神奈川県東部の根岸・川崎・横浜・厚木・相模原、
埼玉県南部の入間・狭山・朝霞・大宮・行田・羽生、
茨城県南西部の下妻・筑波・牛久・龍ケ崎、霞ヶ浦、
千葉県西部の松戸・柏・船橋・習志野・千葉・木更津・市原・袖ケ浦など。
それらの地区では大部分の者が生き残ったが、影響をうけた者の多くは極度の淫乱状態に陥り、約3割はそのまま不可逆の欲情に呑み込まれた。
強い精神で耐え抜いた者もいたが、彼・彼女らは警察や消防や医療や自衛隊駐屯部隊、隣人も家族も友人も、周囲すべての人間が良識を失った世界に放り出されていた。
(続く)
<次回予告>
物語はガチで危ない描写に突入する。心弱き者はここから先に進んではならない。コメディの日々は去り、絶望に満ちたリアルが始まる。
次回「良識が静止する日」
更新は明日13時40分。
平凡な日々の価値は、それが失われるまで判らない。




