43:世界を統(す)べる者
「あなたが ―― 魔王だったのですね」
そう言った少女に、銀髪の老人はつまらなそうに応える。
「今回の話はすでに終わった。次元王は滅び、王女パイズレヤは死んだ。残ったのはお前だけだ。父や姉を奪われた恨み言なら、聞く気は無い」
少女は無言で否定の仕草をした。
「―― あなたは ―― 今までずっと、影から人を操っていた。古き物語に出てくる絡新婦のように」
彼女の声は少し掠れていた。すべての仕組みを造りあげた男を畏れているのか、泣き続けて喉を枯らした為か。おそらく両方だろう。
「お父様は女装癖に目覚め、援助交際に溺れ、壁穴を覗いて目を潰され、それらを公開されて社会的に滅びていった」
「この魔王は何もしておらぬ。奴をヒューマン社会の呪縛から解き放ち、性癖の扉を解放させたにすぎぬ」
「そう、あなたは仕掛けただけ ―― 直接的には、何もしていない」
「そういうお前も、何もしなかった。この魔王の目論見に、最初から気付いていたのに」
魔王は くっくっく、と面白そうに笑う。
「これでお前が王になることを妨げる者はすべて排除された。使い物にならぬ貧乳と言われ追放された小娘が、関わりを絶っていたが故に、名実共にこの世界の中心に納まることが出来る訳だ」
少女は何かを言いかけたが、そのまま唇を咬み、両手を握りしめたまま黙っていた。両眼に涙が浮かんではいたが、それを溢れさせぬよう耐えていた。
「実に賢い選択だ。もしお前が関わっていれば、姉と同じ運命をたどっていただろう。そうなればこの世界には、一層悲惨な結末が用意されていた」
「あなたの手にかかって、お姉様は」
「望むなら、今からでも姉の後を追わせてやろう」
魔王の言葉を無視して、少女は話し続けた。
「――お姉様は、数えきれぬほどの人の心を歪めてしまった。お父様の ―― 次元王の束縛から解き放たれても、もう居場所はなかった。だからといって命を絶つまで追い詰める必要は」
「宮殿が焼け落ちる前に、あの女はこの魔王が確保した。今はもう一つの世界にある、わが城の中でパソコンゲームをしている」
少女は目を見開き、息を飲んだ。
「だが、お前たちに関する記憶は消し去った。偽りの思い出を与え、自分は天涯孤独に生きてきた巨乳女子社員だと思いこませてある。お前の姉だった女は、もうどこにもいない。王女であったパイズレヤは死んだのだ」
少女は混乱し、魔王から目を背けた。
「あなたは ――」
彼女の言葉は一度途切れた。周囲を満たしている青い光が、少しだけ揺らいだ。
「――お姉様を、どうするつもりですか」
「言わずと知れた事だ、人質だよ。お前が王となった後、ふたたび侵攻してくれば、あの女の命は無い」
「お姉様に手を出さないで!」
感情を露わにした少女に、魔王はどす黒いオーラを放った。少女の顔が歪み、苦しげな声をあげて床に座り込んだ。
「この魔王に指図をするな。お前は、さまざまな癖に目覚めた愚民共の暴走を抑え、巨乳派の残党を始末しろ。その程度の事ができぬなら、お前を生かしておく理由は無い」
少女は荒い息をしつつ、魔王を睨みつけた。魔王はそれを見て面白そうに嗤う。
「ああ、良い表情だ。聡明なお前ならば、貧乳派をまとめあげて動かしていく事も難しくはあるまい」
「―― やります。いえ、やってみせます」
「そうでなくては困る。……ああ心配するな、あの女は大切な人質だ。
バランスを考えた美味い食事を喰わせて心と体の健康を管理し、巨乳体型を引き立てる特注服を用意し、旅行に連れていって高級ホテルに宿泊させ、無制限カードで好きに土産を買わせ、ハイレベルな美容マッサージとスキンケアを施して、さまざまな娯楽と8時間以上の睡眠を与えてやろう。ふははははは」
魔王の言葉を聞いた少女は、微かに笑った。
「……何がおかしい?」
「異文化の話なので、説明内容が完全には理解できません。けれどお姉様は ―― いいえ、あの女は、もう男の子の性癖を歪ませる儀式をする理由が無い。違いますか」
「……お前は勘違いをしている。もう一つの世界に、そんな儀式は無い」
「真逆《まさか》、無いなどと ―― ない、のですか、そちらの世界には」
少女はふたたび絶句した。
「こちらの世界とは、根本的に文化のありかたが違うのだ。性癖が社会の基盤になってはおらぬ。お前たちには、そのような社会は理解できぬだろう」
少女は戸惑いながら視線を泳がせた。銀髪の老人が追いかけるように云う。
「お前がいかに努力しても、遺伝的な限界は超えられぬ。心折れて人生に絶望する前に、わが魔法で巨乳にしてやる事もできるのだぞ」
「その前に ―― やってみたい事があります。人は理屈ではなく感情で動く。だから他人の情緒を読み解き、それを利用すれば行動を操れる。あなたがしたように」
「今度はお前が、他者を操る蜘蛛になると言うのか」
「闇に落とすだけではなく、光にも闇にも、思うがまま導く蜘蛛に。百億の淫欲、千億の痴情を以て、人の心を操る魔王に」
「……魔王になって、お前は何を望む」
「あらゆる性癖が平等に受け入れられる社会を。自分の胸を隠さなければ生きられぬ女がいる世界を毀し、己が己であると、薄い胸を張って言える世界を。
そして乳の大きさだけが女の価値ではない事を、あなたにも教えてさしあげます」
魔王は一瞬、面食らった表情になったが、そのあと凶悪な目で少女を見据えた。
「……お前は何も判っていない。ヒューマンは社会生物だ。互いに同調圧力をかけ、自我を消して集団にまとまる事を生存戦略として選んだ種族だ。
多様な性癖を赦してしまえば同族意識が失われ、集団が分裂して互いに潰しあうようになる。……次元王が滅びた時のように」
「だから ―― 少数派は多数派に従えと? 貧乳好きは異常性癖だから矯正しろ、貧乳は身体障害者だから断種しろと云うのですか」
「この魔王にそのような主義主張は無い。だが、お前はヒューマンの集団がどのような理に則って動くのか理解していない。お前の理想は、多数派の理想とは異なっている」
「ええ、大いに異なります ―― 力も胸も無い私が、多数派に挑んで勝てる道理は無い。 ―― でも負けません。負けてなるものですか。
仮令世界のすべてが敵であっても、敵の心を操って利用していく仕組みを考えます。己の夢を、望みを叶える事を諦めたりはしない。それが ――」
少女は静かに、毅然として云った。
「それが ―― 魔王の理ですもの」
魔王は大笑いした後、少女に近寄って耳元でささやいた。
「やはりお前は何も判っておらぬ。お前は魅力的だ。もう一つの世界の基準ならトップクラスの美少女でもある。だがヒューマンの、底すら無い悪意を知らぬ。そういう未熟な小娘は、この魔王の癖に刺さらぬ」
魔王は少女に背を向け、両手で左右に空間を引き裂いた。
「後悔するがいい。巨乳にしてやろうという、わが誘いを拒んだ事をな」
ははははは、と高笑いをしながら、魔王は次元の裂け目へと消えていった。
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「ふぁああああ! 魔王様、なんで反対側の壁から出てくるんっスか!」
「む? 何故ここに貴様がいるのだ」
「なぜって、ここで待てって言ったじゃねーっスか」
「……ここは薬屋の2階か。あれから何日経った」
「何日って、まだ10分くらいっスけど」
「何? こちらではまだ10分か。向こうでは2週間ぐらい過ごしたのだが」
「ふぁっ!? いったい何があったんスか」
「あーもう忘れろ。何があったか文章にして文庫本一冊にまとめたら、1400ページくらいになる」
そんな量を一冊にしたら、文庫本が立方体になってしまう。電子版であれば4分冊の量である。
「薬屋の爺さんに挨拶をしたら帰って寝るぞ。幽霊はもう祓ったと言っておけ。……何故この魔王が拝み屋の真似事などしているのだ。これからはもう横道に逸れたり雑学ネタを語ったりしている余裕は無い」
「ういっス」
こうして謎の幽霊事件は解決した。だが、すでに新たな物語がはじまっている事に、魔王ですらまだ気付いていなかった。
(続く)
<次回予告>
ヒトと魔族。いにしえの賢者は、その間には暗くて深い川が流れていると言った。勇者も渡れぬ彼岸から、手招きするのは神か、悪魔か。
次回「魔王の人間講座」
更新は明日深夜、02時30分。




