31:商売という名のデスゲーム
「くっくっく、うまくいったではないか。アケミよ、ご苦労だった」
周作が暮らすワンルーム。一時的にベッドが収納され、代わりに魔法のコタツが設置されている。
コタツ板の上では、魔法コンロに乗せられた大きな土鍋の中で、野菜やキノコや油揚げ、豆腐、迷宮コーチンの肉団子などがぐつぐつと煮えている。
コタツの横には白と黒の複雑な模様をした球体が陣取って、第一触手に盃を持ち、スマホが手に持った徳利から ぬる燗の吟醸酒を注がれている。
「そろそろ食べ頃っスよ。アケミ先輩、お召し上がりくださいっス」
周作が鍋から、塩ちゃんこ鍋を取り分けて球体に渡した。
魔王配下のネームドモンスター、妖魔ノパロゥイポホのアケミ嬢は、第二触手でそれを受け取ると、第三触手と第七触手で割り箸を ぱちん と割り、第五触手に箸を持ち替えると、鍋の具をつまんで捕食孔へと運んだ。ぴぅぴぅと音を立てながら、たぶん美味しいのだろうと思われる動きでお酒と交互に食べている。
「それにしてもっス、部屋の戸を外から叩く音がしたんで開けてみたら、アケミ先輩が無言で宙に浮かんでたんで、死ぬほど驚いたっスよぅ」
「ああすまぬ、貴様は顔に出やすいから、今日の仕事が終わるまで黙っていた。ヤラセだと説明する前に、アケミが尋ねて来てしまった」
賢明なる皆様はすでにお判りであろう。そうッ! 妖魔は魔王の手先であり、今回の事件は最初から茶番だったのである!
敵を欺くにはまず味方から。何も知らされていなかった周作は必死で戦っていたつもりだったが、すべて魔王のヤラセ芝居に踊らされていただけだったのだ!
「だがこれで、商店街の会長と縁ができた。あとは奴を利用して、この土地で基盤を築くのだ」
「こんな回りくどい手段が必要だったんスか?」
「実績も資格も無い若造が、いきなり商売を始めますと現われて、地元住民に受け入れられると思っているのか?
まずは有力者の馬車が魔物に襲われているところを助ける。それが異世界モノでは基本なのだ」
基本ではないが、テンプレを使うと話の進行が楽である。
「あの人、有力者なんっスか?」
「商店街の会長と言えば、商業ギルドのギルド長に相当する」
「つまり、偉い人だと」
「この商店街のレベルだと、それほど偉くはないが」
周作が商売を始めようとしている場所は、戦後まもない頃にできた街並みがそのまま生き残っている、古びた商店街である。
駅から住宅街へと抜ける道筋に、八百屋・魚屋・肉屋・豆腐屋、古書店や雑貨屋や洋品店、クリーニング店に花屋、飲食店やお惣菜店やパン屋などなど、さまざまな個人商店が密集している。
この商店街は地権やら借地権やらが複雑怪奇にからみあっていて、再開発するには面倒臭かった。
都心からちょっと外れているので、強制立ち退きさせるほどの開発価値もなく、地上げ屋から無視されて町並みがそのまま残った。
昭和臭ただよう旧態依然の商売を細々と続けているうちに、「昔ながらの下町商店街」として再評価されるようになり、若い人達が積極的に来はじめて、気がついたら周回遅れで先頭を走っていた。
「東京23区内なので近在に大規模ショッピングモールを開業できる土地が無く、人口密集地のため徒歩で買い物に来られる客が大量にいた。
さまざまな運の良さが重なって、たまたま生き延びた商店街だ。結果的に先頭を走っているが、企業努力で先頭に躍り出たわけではない。人口密度の低い地方都市で同じ商売をしていたら、とっくにシャッター商店街になって滅んでいる」
「大都市だと、古びた商店街でも生き残る余地があるんスね」
「そういう事だ。そんな商店街で商店会長を務めていたところで、商売人として飛び抜けた能力など何一つない。たまたま昔からこの土地に住んでいて、町内の住人をよく知っているというだけの、ただの無能だ」
「無能な人と親しくなって、意味あるんスか?」
「利用したいのは地元で顔が効くという立ち位置であって、商人としての才覚ではない。それに、ああいう奴は適当に持ち上げて貢ぎ物を差し出し、承認欲求を満たしてやれば、困った時に味方になってくれる。無能であっても無力ではない、という点を見落としてはいかん」
「近づかず遠ざからず、拝んでおけばいいんスね?」
「そういう事だ。近づきすぎれば商店会の役員をやらされたり、区議会議員の選挙応援を手伝わされたりして面倒臭い。だが、遠ざかりすぎれば商店会の会員利権を分けてもらえなくなる。
子分扱いされない範囲で、商店会の一員だとは認識してもらえる距離。その付き合い加減が難しい」
そう説明しながら、魔王は茹でたての手打ちうどんを鍋に投入した。一般家庭であれば下ゆでの手間がいらない冷凍うどんを使うところだが、魔王の収納空間には釜揚げアツアツの「さぬきうどん」が、時間停止保存によって常備されている。
「近所付き合いのほうはスマホや血わキ知が愛嬌をふりまいて、適当に顔つなぎをしておけ。ヒューマンはかわいい生物を見ると無条件に味方をしてくれる。愛らしい仕草を見せて、周囲のヒューマンに魅了の魔法をかけるのだ」
「りょーかーい」
「わんわんわん」
「にゅぷろぐりょぷふ」
アケミさん、あなたは返事をしなくても良いです。
「貴様はすでに商業ギルドのギルド員として登録された。そのうち商店会の店主共が集まって飲み会をするそうだから、それに参加しておけ」
「ええええ、知らない人達とお酒を飲むんっスか?」
コミュ障の陰キャにとって、宴会は体力気力がスリップダメージで削られていく毒の沼地である。
「こちらから挨拶して、相手のコップにビールを注いで回っておけばいい。
世の中にはまともに挨拶できない奴が山ほどいる。きちんと挨拶ができて、向こうから酒をついでもらった時にお礼を言って注ぎ返し、
『何かしてもらった時に、お礼を言って対価を返すという社会的儀礼を、私はすでに学んでいます』
という事を示すだけで、人物評価に差がついてくる」
「それだけで評価が上がるんっスか」
「まったく上がらん」
「ふぁっ!?」
「やっても全然上がらんが、やらない奴は大幅に下がる。
というか、ヒューマン社会では『私は味方ですアピール』を常日頃からしておかないと、いきなり後ろから刺される危険がある」
「さ、刺されるんスか!?」
「味方でない者は、完全中立でも敵とみなされる。学校の集団イジメで中立だったクラスメイトは、復讐パートになった時に、味方をしなかった罪によってイジメっ子と共に惨殺されるのだ。
できるだけ多くの者と交流し、敵対者でない事を積極的にアピールしておくと最終的に生き残れる確率が高くなる」
ただしそれをストーリー進行中に露骨にやると、節操が無いと言われて全キャラからの好感度が下がる。周囲に気付かれぬよう各方面に根回しを進めておくのが攻略のコツである。
逆に言えば上手なプレイヤーほど表には行動を見せないので、それ以外の人間から雑談に見せかけて情報を集め、他人が裏で何をしているか常に探っておく必要がある。
「ビールを注いで回るって、そこまでの意味があったんスか」
「ビジネスというデスゲーム会場では、何気ない行為が生死を分かつ鍵になる。宴会は敵を作らぬために行う外交戦略であり、互いの情報を探りあうスパイ活動の場だ。
表面的なイベントしか見ておらず、裏に隠された目的を理解できていない愚か者は淘汰され、ゲームの場から順番に消されていく。
宴会マナーとは数限りない企業戦士達が、己の生存をかけて編み上げてきた戦略奥義なのだ」
「せ、せんりゃくおーぎ」
「この魔王のような実力者であれば、郷に入れば郷を従わせ、従わぬ郷は焼き尽くせば良い。しかし貴様には、今はまだ郷を滅ぼせるほどの力が育っておらぬ。
ヒューマンの社会が貴様を不快だと感じれば、それだけで貴様を駆除する十分な理由になる。外見、言動、行動までを含めた『社会的な身だしなみ』を整えられるかどうか、それが貴様の命運を左右するスキルである事を心得えよ」
「ういっス」
魔王は鍋の中身を箸で軽く混ぜて、煮えたうどんを皿に取り分けながら話を続けた。
「ヒューマン社会とは、理不尽で貪欲な魔物のようなものだ。正面から立ち向かえば飲み込まれて命を落とし、逃げれば自分の居場所が潰されて無くなっていく」
「ふぇえええ、じゃあどうすれば」
「逃げるのでも逃げないのでもなく、魔物の動きを読んで上に飛び乗れ。
異世界の砂漠の民は、すべてを飲み込んで滅ぼす『砂漠の主』の巨大な口を避けてその背中によじ登り、大砂海での移動に利用する。
理不尽な魔物を、目的地まで連れて行ってくれる便利な乗り物に変えてしまうのだ」
「の、乗り物に」
「貴様が目指すべき職業は魔物と戦う狩人でも、魔物と仲良くなる魔物遣いでもない。
魔物に嫌がられず乗れるようになる技法を学び、自分の行きたい方向に行くため利用する『砂界の乗り手』になるのだ」
「な、なれるんスか、その、なんとかライダーに」
「まあ長期目標だ。自転車を乗りこなすより100万倍難しい。人生一周目でそう簡単に乗りこなせれば苦労はいらん。うまく乗れても社会の動きについていけず、途中でころがり落ちて潰されていく者も多い」
などと偉そうに解説しているが、魔族である魔王は、人間集団をものすごく雑に見ている。
荒川の河川敷の野生植物を利用したければ、そこにある植物を細かく分類識別し、特性をしっかり理解しておく必要がある。植物に興味が無く、全部まとめて「土手の草」としか見ていない人は、野良ニラ(おいしい)と野良スイセン(毒)を見分けられず食中毒で死ぬ。
同様に、人間に対する興味が乏しく、全部まとめて「人間社会」と言ってしまうような人は、人に関わると毒人にあたって死ぬのである。
「土手の草なんか食えるか」「他人は信用できない」「今時の若い者は」「あの政党は」「あの国の連中は」「男どもは」ひとまとめにして雑な主語で語ってしまう人は、だいたいにおいて解像度がウンコである。魔王もその例外ではない。そういう事に気が付かないと、成功者にはなれないぞ周作!
「それはそうとして、何かこう、人生が楽勝になるようなチートスキルとか無いんっスか?」
「残念ながら、現実世界には女神が降臨してチートを授けてくれるようなファンタジーな展開は無い。諦めて、この魔王と共に魔力の修練を積んでいくのだ」
「うぃ~~っス」
「今日は話が長くなってしまった。〆のウドンを食べて早く寝ろ。明日からは、いよいよキッチンカー営業編が始まる」
(続く)
<次回予告>
キッチンカーの初営業。その前に周作には決めねばならぬ重大な問題が立ち塞がっていた。時間は矢のごとく過ぎ、最終決断の時は迫る。
次回「醤油か塩か、それともカレーか」
更新は明日14時10分。




