3:魔王の饗宴
「ちょちょちょ、ちょっと待ってほしいっス!!」
周作の言葉で、チワワの首をへし折ろうとした魔王の手が止まった。
「すみません、オレっちは犬は食べれないっス」
「食物アレルギーがあるのか」
「そーじゃなくてですね、食べるのが駄目なんっス」
「何か宗教的な戒律があるのか?」
「えーとその、たぶんそれっス、しゅーきょーてきな何ちゃらがあるんっス」
「なるほど、ユダヤ教徒がチーズバーガーを食べられぬようなものか」
魔王は周作にチワワを返した。
「では、なにゆえにその小動物を捕獲したのだ。従魔にするのか」
「何そr……あ~~っと、たぶんそれっス、ジューマっスよ、ジューマ」
「そうか、責任を持って世話をしろ。共にわが城に来るがいい」
魔王は周作に、ブルーシートハウスに入るよううながした。
構築物の正面右寄り、地上から60センチほどの場所にニ尺二寸四方(タテヨコ約67センチ)の引き戸のついた出入り口がある。
これは「躙り口」と呼ばれ、安土桃山時代の茶人、千利休が考案した建築様式である。
この狭い開口部は日常と非日常の境界となっており、そこをくぐり抜けた客人は現実の身分から解放され、魔王も勇者も戦場のことを忘れて、主人が創り上げた空間の中でゆったりと時を過ごすのがシキタリである。
ブルーシートの内部は暗く、中がどうなっているのかよく見えない。
周作は入口で靴を脱ぎ、先にチワワを押し込んでから中にもぐりこんだ。続いて魔王が入ると扉は自動的に閉まり、室内に明かりがついた。
中は予想外に広かった。
周作が今いる場所は、八畳ほどの畳敷き。和室っぽいがどことなく異世界風な造りである。床の間のような場所に掛け軸的なものと、見たことのない花が飾られている。
部屋の天井部分は、三階層まで吹き抜けになっている。
部屋の突き当たりには障子と呼べばよいのか襖と呼べばよいのか、名称のよく判らない動く仕切りがあり、そこが開け放されて隣の部屋が見えている。
隣部屋には二階に登る階段がある。突き当たった奥にもさらに別の部屋が続いている。
仕切りの様子から推測するに、左右にも部屋があるようだ。日本の大きな旧家などでみられる、間仕切りのある客間構造のような ーー 小部屋としても大広間としても使える自由度の高い造りである。
全体でどれくらいの部屋数があるのか見当がつかない。もしかしたら無限に部屋が続いている城かもしれない。
周作は立ちあがって上下左右をあちこち見回してから固まり、胸に抱いたチワワと同じ振動数でぷるぷると震えた。
「何を驚いている」
「いえその、外から見たのと比べて、あの、なんつーか……中がその、すっげー広いんっスけど」
「魔法使い共がキャンプをする時に、内部空間を拡張したテントを使っているだろう。あれと同じだ。見たことは無いか」
「無いっス」
「まあいい、まずは腹ごしらえだ。リビングルームに来い」
魔王の後について長い渡り廊下を歩いていくと、奇妙な部屋へ案内された。壁と天井がピンク色で触ると暖かく、ところどころに血管のようなものが浮き出てドクドクと脈打っている。まるで生き物の体内のようである。
「和室と洋室とどちらが好みだ。アジア風や中近東風でも良いが」
「ふぁっ? ……えっと、どっちかっつーと、洋室っス」
答えを聞いた魔王がひらひらと手を振ると、部屋の中がぐねぐねと動き出した。床がフローリング調になってその上に絨毯が出現し、高級感のあるテーブルやソファーが床から生え、天井から照明器具がニョキニョキと伸びてきて洋風の居間へと変わった。
壁が淡いパリス・グリーンの壁紙で覆われていく。魔王が謎の呪文を唱えると、「ネギを持った長い緑髪の機械の歌姫」の額縁入り絵画が生成された。
「ふぇぇ、部屋の中身が変えられるんっスか」
「生きている部屋ならば、当たり前の機能だ」
周作の足元にペット用のベッドが生成され、周作はチワワをそこに入れた。犬はひどく震えていたが、背中をなでてやると少し落ち着いたようだった。
「昼はウドンで済ませよう」
「うどん?」
「小麦粉を塩水で練り、紐状にして茹でた食べ物だ」
つまり饂飩である。それ以外の何者でもない。
「この魔王が打ったウドンが、すでに用意されている」
「え、魔王様、うどん打てるんっスか?」
「ウドン打ちは、この魔王が持つ無数のスキルの一つにすぎぬ。麺はすでに1時間ほど茹でておいたので、すぐ食べられる」
「……1時間?」
魔王が収納魔法で亜空間から取り出したのは、染付のドンブリである。
収納魔法を知らない? 魔王とか勇者とかが秘密道具を持ち歩くのに使っているアレだ、4次元ポケット的な。
ドンブリの中には長時間茹でられて、もったりとした状態になった太い小麦麺が入っている。弾力はまだ残っているが、離乳食にできるくらい柔らかい。
汁は無く、麺の上に溜り醤油と味醂、鰹節などで作られた濃厚なタレがかけられ、薬味に青ネギが乗っている。
「おかわり自由だ。存分に喰うがいい」
周作は首をかしげつつ、出されたうどんを平らげた。
「……えっと、美味いんっスけど、普段食べてるうどんとだいぶ違うっス。異世界のうどんって、こういう感じなんっスか?」
「異世界ではない。これは江戸時代から三重県・伊勢神宮の参拝客にふるまわれている伝統的ファストフード、伊勢ウドンという料理だ」
「あ、そうなんっスか? もう一杯いただいてもいいっスか」
周作よ、そこは「異世界じゃなくって、伊勢か~~い!!」というツッコミを入れるべき場面だ。呑気におかわりしている場合ではない。
しかし地の文の危機感に気付く様子もなく、周作は二杯目のうどんを美味しそうに平らげた。食後のデザートに伊勢名物の指跡のついたアンコロ餅を食べていると、魔王が亜空間から厚みのある封筒を取り出した。
「忘れぬうちに返しておこう。貴様から借りた金だ」
周作はテーブルに出されていたほうじ茶をすすり、口の中に残っていた餅をあわてて飲み込んだ。
「え? これ……全部万札じゃないっスか!?……ま、マジで10倍にして返してくれたんスか?」
「この魔王は嘘は言わぬ。切りの良い数字にしたので10倍より多いが、取っておけ」
「スロットで当てたんスか?」
「確率変動の魔法を使った」
それはイカサマと言うのでは?
「魔法の使用は、店内禁止行為に含まれていなかった」
脱法行為である。ここがサウジアラビアであれば宗教警察の魔術・まじない撲滅班に捕まって処刑されている。
「話が進まん。ビジネスの話に移ろう」
「ういっス」
「貴様には『魔王からあげ本舗』の社長になってもらう」
「ふぁっっ???」
「社長と言っても個人事業主だ、難しい事は何もない。キッチンカーで唐揚げを作って売るだけだ。起業に関してはこの魔王が全面的にバックアップする。何か質問はあるか?」
「えっと、質問っつーか疑問っつーか、まるっきり意味がわかんないんっスけど」
「ふむ、最初から説明せねばならんのか」
魔王は首をひねりながら説明を続けた。
「唐揚げとは、穀物の粉を肉にまぶして油で揚げた食べ物のことだ」
それは知っている。
「貴様がかかえる問題は、貴様が唐揚げ屋になればすべて解決する。
すべての人類が同時に唐揚げを食べし時、戦争の無い平和な世界がおとずれる。日本〇揚協会ホームページの『唐揚げとは』の説明に、そう書かれている」
周作はひきつった笑いをしながら、はぁ、と曖昧な返事をした。それを聞いた魔王は難しい顔をした。
「魔界ジョークだと思っているのか?」
「いやいやいやっ、そーじゃねっスけど、あの、マジな話をしてるんスか?」
「最初からマジな話しかしておらぬ。この魔王が言う事は、すべて本当だ。疑問に思ったら、ネットで調べて確認してみるがいい」
周作は頭をかかえた。
「え~~っとっスね、オレっちは料理なんか作ったことねーんっスよ? 唐揚げ屋になれって言われても、真似事しかできねーっスよ?」
「どんな天才でも最初は真似事から始まる。『なろう作家の真似とて、なろうに投稿すれば即ち作家なり』と『徒然草』の『大路を走らば』の段にも書かれている」
「ホントっすか」
「大意としては本当だ。やるかどうか、『はい』かデスorダイで答えろ」
「血界〇線のセリフみたいな聞き方をしないでほしいッス。はい、やるっス。やらせていただきますっス」
魔王は周作の言葉を聞くと、満足そうにうなずいた。
「では最初の仕事だ」
魔王はテーブルの上のほうじ茶を飲むと、言葉を続けた。
「貴様の兄を解体調理して、唐揚げにしろ」
(続く)
<次回予告>
周作が作る唐揚げの衣は小麦粉か、片栗粉か、あるいは餅粉か。
揚げたての唐揚げから漂う湯気、それは肉親の血の臭い。
次回「復讐のからあげ祭り」
更新は明日午前10時30分。
*文中の記述は、発表当時の情報を参考にしています